05
コールは真面目である。
前半のフィーニスアイランドの会話の分、きっちりと勉強の時間を延長。いや、むしろいつもより勉強の時間が長かった気がする。
ウィンドウ越しの家庭教師が終わりの言葉を口にしたのは、勉強を開始してから約二時間後のことだった。
「はい。お疲れ様」
「ありがとうございました……」
やっと指定された問題を全て解き終わって、問題集を閉じる。
イトナはハッキリ言って勉強が苦手だ。勉強に限ったことじゃない。運動はもっと苦手である。
ゲームはいくらやっても大丈夫なのに、勉強は一時間もやれば集中力は空っぽ。フィーニスアイランドで例えるならMPゼロだ。それだけに、イトナのフィーニスアイランドプレイ時間は人に見せらせない程に達している。
同じギルドに所属していたコールはそんなイトナのことをずっと見てきた。見て、見兼ねて、こうして勉強を見てくれるようになったのだ。
「イトナくん、私が来なかったら勉強全然やらないでしょ。ダメだよ。ゲームだけじゃ」
今日の出来の悪さにコールの小言が挟まれる。反論できない程に出来が悪かったと自覚してる分、耳が痛い。
「っと。もうこんな時間。ちょっと前半お話ししすぎちゃったかな」
時計を見て、急ぐようにしてカバンを持つ。
「ごめんね。これからちょっと用事があるの」
「うん。いつもありがとう」
いつもは勉強の後、少し雑談が入るのだけど、今日はその時間は叶わないようだ。少し残念に思いながらコールの背中を見送る。
「うん。妹によろしく」
それだけを言い残して、コールは早々と出て行ってしまった。
「さて……」
ウィンドウを閉じ、フレンドリストを開く。ラテリアの文字をタッチして、座標がパレンテホールにある事を確認すると、階段ではなく窓の方へ進む。
パレンテホールの二階へ続くこの部屋はセイナの寝室の隠し階段から続いている。秘密の部屋と言えばカッコイイけど、もちろんカッコイイだけの理由でこの部屋があるわけではない。その理由はまた先のお話。
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ダンジョンに入るときには必ず回復薬を。これは初心者が最初に身を持って知る知識の一つである。
フィーニスアイランドにはゲームによくある回復魔法〝ヒール〟等のスキルが存在しない。だからこの世界では回復薬はとても需要が高いもので、ダンジョンに潜るプレイヤーには必需品。上級者のイトナでもそれは変わらない。手持ちの回復薬が一つでも減っているなら、補充してからダンジョンに向かう。
よって、イトナのフィーニスアイランドはセイナから回復薬を受け取るところから始まる。
パレンテホール二階の窓から外に誰もいない事を確認すると、滑るようにして窓から身を投げ出す。
音なく着地に成功したイトナは、パレンテホールのドアノブに手をかけた。
「その後にですね! 数万匹の白い蛇が襲ってきたんですよ! ぶわっーって!」
「それもう聞いたから。あと、昨日は百匹だった。増えてる」
「あれ? そうでしたっけ?」
いつもと違って賑やかなギルドホール。ドアを開けた途端、ラテリアとセイナな楽しげな……いや、主にラテリアの楽しげな話し声が聞こえてきた。
セイナの方を見てみれば、薬を調合していて、ラテリアの話を片手間に聞いている。
いつも適当に聞き流しているセイナが、ちゃんと返事をしている。
パレンテに入ってからラテリアはずっとギルドホールにいるようだし、その成果だろうか。予想以上に二人は上手くやっているようだ。
よかったよかったと思いつつ、テーブルの上に用意された回復薬に目を移す。
会話が盛り上がってるところ邪魔をするのも悪いし、速やかにダンジョンに向かうとしよう。
昨日消費した分の回復薬を手に取る。
「じゃ、今日も行ってくるね」
その声でイトナの存在に気づいたのか、少し驚いたようにラテリアがこっちを向いた。
「イトナくん!」
イトナの名前を呼ぶと共に立ち上がり、ぱぁっと笑顔が咲いたラテリア。
よくわからない状況に首を傾げてしまう。なにか用事でもあったのだろうか。
でもすぐに、「あっ」と何かに気づいたかのように、ラテリアの表情が一転した。
ラテリアの頬が心なしか膨らむ。
「どうかしたの?」
「イトナくんに大事なお話があります!」
「え? うん。なに?」
さっきまで賑やかだったせいか、急に静かになって空気が少しだけ重くなったような気がした。
ラテリアの声のトーンがいつもより若干低い。本当に大事な話らしい。
「…………えっと、ですね。えーっと……」
耳を傾けるも、ラテリアは口ごもって、中々口から言葉が出てこない。言葉が出ない自分に焦っているか、切羽詰まったような顔に見える。
「大丈夫?」
また男性恐怖症になってしまったのだろうか。最初に会った頃のラテリアに戻ってしまったようにも見える。
少し心配になって様子を観察すると、チラチラとセイナに視線を送っている。セイナが関係あるのだろうか。
「やっぱり無理ですぅー! セイナさんが代わりに言ってくださいぃぃー!」
うわーんと、ラテリアは大袈裟にセイナに泣きついた。それに対して、セイナは片手をつっぱり棒のようにしてラテリアのおデコを抑える。
これだけの行動をラテリアがしても、セイナがラテリアに対する対応はやはり片手間だった。平然と調合を進めている。
ラテリアに泣きつかれたセイナから、大きなため息が漏れて、「まぁ、こんなことになるんだと思ってた」見たいな目でラテリアを一瞥すると、キツイ目をイトナに向けてくる。まるでイトナのせいでこうなったと言っているかのように。
「えっと、僕なにかやっちゃった?」
「やっちゃった? じゃないわよ。ラテリアがうちに入ってこれまでなにをしてたと思ってるの?」
セイナの不機嫌な声が飛ぶ。冷たく刺さる視線からしても、やっぱりなにかしてしまったらしい。でも特に思い当たることもなく、素直に思っていたことを言う。
「ここでセイナと楽しくお話ししてた……じゃないの?」
金ピカのストーカーの件もあったし、念のためにラテリアがどこにいるか確認はしていた。だから間違いないはずだ。ラテリアはずっとギルドホールにいた。それならセイナと一緒だったはずだ。
分かってはいたけど、イトナの答えは大きくハズレだったらしく、セイナは余計に怖い顔つきに変わる。
「全然違う。ラテリアはね、あなたを待ってたの。ギルドに入って、同じギルドメンバーのあなたと一緒に出かけたいって」
「え……」
ラテリアの顔を見る。一瞬目が合って、照れくさそうにラテリアの目が逃げていった。
そうだったのか。てっきり自分から進んでセイナと楽しくやっていたのかと思っていた。
思い起こせば、そうだ。ラテリアがギルドに憧れていたのはコールの話を聞いて、そう最初に会ったときに言ってたじゃないか。
コールがいた頃のパレンテは冒険の毎日。きっと、ラテリアはそれを期待してパレンテに入ってくれたんだ。それなのに一人でダンジョンに……。
考えれば考えるほど申し訳なくなってくる。
「ごめん。ラテリア……」
「イトナくん……」
やっと伝わった。そんな表情を見せるラテリア。きっと、ダンジョンに潜るイトナに遠慮してギルド念話もしなかったのだろう。自分から気づいてあげなくちゃいけなかったと、心の中で深く反省する。
「違うから。謝るのはそっちじゃない。私に謝って」
「「え!?」」
イトナとラテリアの疑問の声が重なる。いや、だって今の話だとラテリアにで間違いないよね? ラテリア本人も驚いてるし。
「イトナがラテリアをほったらかしにしていた間、ずっと私が相手をしてたのよ? 可哀想でしょ。私が」
サラッと本人の前で酷いことを言ってのけた。いや、セイナの場合わざと本人の前だから言ったのかもしれないけど……。
「えぇー!? セイナさんも楽しそうにお喋りしてたじゃないですかぁー!?」
再びセイナに泣きつくラテリア、それをセイナは面倒くさそうにあしらう。
「全然楽しくない。今までなんの話をしてたか覚えてるの?」
「えっと、イトナくんと冒険した話……?」
「そう、ヘビのね。その同じ話を毎日ずっと聞かされてるの。しかも日に日にヘビの数増えてるし」
うんざりした声でそう言うと、イトナを蛇のように睨んでくる。セイナの言う通り、毎日同じ話はキツイかもしれない。
「ごめん……」
「イトナくんも謝らないでくださいぃ!」
イトナとセイナを見て、ラテリアがすっかり膨れ上がってしまった。
「い、イトナくんがいけないんですよ! 入ったばかりの私を置いて行っちゃうから!」
「そ、それは本当にごめん!」
「今日は絶っ対にイトナくんと一緒に行きますからっ!」
溜まりに溜まったものがとうとう爆破してしまったか、さっきまで言い出せなかったはずの怒号を撒き散らすラテリア。
「セイナさんも! イトナくんとたくさん冒険してお話のバリエーション増やしてきますから、もう楽しくないなんて言わないでくださいね!」
「はいはい」
セイナの中ではもうその話は終わったようで、もう本を開いている。怒るラテリアに興味なし。
「う~~……!」
適当にあしらわれてラテリアが唸る。こうなったセイナになにを言っても無駄。それをこの一週間でちゃんと学んだらしい。ラテリアの怒った可愛い目に僕の顔が映る。
「私の話がつまらないって言われたのも全部イトナくんせいです!」
それはいくらなんでも理不尽じゃないだろうか……。




