19
遭難してから二日目。とうとう日を跨いでしまった。
セイナは今どうしているだろうか。セイナの顔が思い浮かぶと溜息を吐きたくなる。でもラテリアを不安にさせないためにもそれをグッと堪えた。
待合わせた時間に昨日と変わりなく、ラテリアは不安げな顔で現れた。
「大丈夫。今日こそ、出られるから」
「はい。出れますよね。今日こそ」
無理矢理絞り出したイトナの励ましに、それとなく付き合ってくれるラテリア。
そして今日も歩く。
未開の迷宮を。
出口を求めて、変わらない景色の通路を数刻彷徨う。
右、右、右、左。
正しい道を進んでいるかわからない。
同じ様な景色の通路を何度も繰り返す。
もう出られないんじゃないかと不安を抱えながらひたすら歩く。
「ラテリア大丈夫?」
「はい。大丈夫です……」
アラーネ・リーパーをできるだけ迂回して戦闘は抑えてるし、ゲームだから肉体的疲労はあまり無いはず。でも精神的な疲労が着実にラテリアを蝕んでいた。
「ちょっと休憩しよっか」
周りの安全を確認して足を止める。
「いえ、私はまだ、歩けます」
疲れ切った顔とは逆に強がるラテリア。
「いや、僕が疲れちゃったからさ。少しだけいいかな?」
ラテリアの返事を待たず腰を下ろす。それを見てかラテリアは物凄く申し訳なさそうな顔をした。
「……そう、ですよね。私はなにもしてないのに。イトナくんはずっと気を張ってるから……ごめんなさい」
気を使ったつもりだったけど。失敗だったろうか。余計に落ち込みながら近すぎず、離れすぎずの距離にラテリアも腰を落とした。
「ごめんなさい。私のせいでこんなことに……セイナさん、きっと心配しています」
体育座りに顔を埋めて篭った声になる。
昨日も聞いた言葉。セイナの名前を出されると痛いけど、できるだけ明るい声を振る舞った。
「ラテリアが謝ることじゃないよ」
今日もイトナの慰めは全然ラテリアに届いてくれない。
ラテリアはどう思ってるんだろう。自分のせいでもうここから出られなくなって、フィーニスアイランドで遊べなくなっちゃう。そんな感じだろうか。
「……僕は少しだけどラッキーだと思ってるよ。穴に落っこちて」
ぽつりとイトナは呟くようにして言う。
「え?」
「ちょっと不謹慎かな。でも懐かしいんだ。新しい、初めての場所にいるのは。昔のパレンテぶりだよ」
「昔のパレンテ?」
「うん。コール達がまだいた時のパレンテ」
あの時は毎日がこんな感じだった。なにも情報がないダンジョンにどのギルドよりも早く挑んで、いつもギリギリの冒険をしていた。
「確かに不安かもしれない。怖いかもしれないけどさ。まだ誰も経験したことのない冒険をしてるんだよ? なんかワクワクしない?」
「ワクワク……ですか?」
「うん。これでさ、二人で力を合わせてダンジョンを出られたら凄いよ。きっと凄い思い出になる」
こういう冒険をパレンテは積み重ねてきた。初めてで、不安で、どうにかなるか分からない状況。それをパレンテ全員の力を合わせて乗り越える。それが本当に楽しかった。
「でも、私はイトナくんについて行ってるだけで、迷惑しかかけてなくて……私は全然役に立ってません」
「そうかな。今はそうかもしれないけど、この後絶対にラテリアの力が必要になる、そんな気がする」
「私が……ですか?」
「うん。その時が来たら頼りにしてるよ」
逆にプレッシャーを与えてしまっただろうか。ラテリアの表情は以前と変わらず不安を纏っていた。
「あの……」
「ん?」
「これがお姉ちゃんが話してくれたギルドの冒険が今の状況なのでしょうか?」
「え、うん。まぁ、ここまで逃げてばっかりなのは初めてだけどね」
ラテリアはコールの話に憧れてフィーニスアイランドを始めたと言っていた。コールの話た冒険が今、この状況かと聞かれたらイエスだ。でも言ってから失敗したと思った。
「怖く、ないんですか」
当然の疑問だった。これがラテリアの憧れていた冒険の正体で、今ラテリアはただ怖いとしか思っていないだろう。もしかしたら男性恐怖症よりも大きい恐怖かもしれない。
「ラテリアは怖い?」
静かにラテリアが頷く。当たり前だ。あんな巨大な白蛇に追いかけ回されているのだから怖くない方が異常だ。
「正直、僕もちょっと怖いよ。思い通りに戦えないし、道に迷ってるし。セイナも怒ってるだろうしね。でも……、これはゲームだよラテリア」
結論を言う。ラテリアにとってこれは現実じゃない。仮想の世界。痛くもなければ、本当に死ぬ事もない。頑張って強くなれば、どんなモンスターだって倒せるようになる、自分が主人公の世界。
「今回のはちょっとハードルが高いけど、冒険は楽しまないと」
「冒険を楽しむ? そんなこと、私には……」
「出来るよ。自分がやってやるーって感じじゃ無いか、ラテリアは。じゃあ……僕がもしピンチになったら助けて貰おうかな」
「私がイトナくんを?」
「うん。きっとその時が本当の意味で冒険をする事になると思う。その時に分かると思うよ、コールの話していたことが」
こればっかりは達成したことのある人しかわからない。そして、その達成感は乗り越えた冒険に比例する。この未開地でラテリアの初冒険。もし乗り越えることができたなら、それはコールの話していた冒険に等しいか、それ以上の物になるだろう。
「そんなに怖がらなくても大丈夫。さっきも言ったけど、これはゲーム。本物じゃ無い。勇気を出せば案外なんとかなっちゃうもんだよ。それに……」
「それに?」
「僕が付いてるしね」
「でもさっきピンチになるって言ったじゃ無いですか」
「あれ?」
励まそうとしてたのに、いつの間にか頼りないことを言ってしまっていたらしい。ニアだったらもっと上手くやるんだろうなと思いながら少し落ち込む。
「ありがとうございます。イトナくん」
ラテリアは笑っていた。いつの間にか怖がっていたラテリアの姿が無くなっていて呆然としてしまう。
「帰ったらお姉ちゃんにこの冒険を話したいです。お姉ちゃんはもう冒険が出来ませんので」
ラテリアは少し笑顔を見せてイトナの目をジッと見る。特訓の成果か、赤面せずに自然体で。
「じゃあまずここから脱出しないとね」
「はい」
よく分からないけど、ラテリアの元気が少しだけ戻ったところで腰を上げる。
「よし。そろそろ……」
出発しようか。そう言いかけたところで、最近よく耳にする嫌な音が耳に響く。
カチッ。カチッ。カチッ。
硬い地面を鋭い何かが当たるような音。
前から……。いや、後ろからもか。
数体のアラーネ・リーパーの足音が着実に近づいてくる。
ラテリアも聞こえたのが素早く立ち上がった。
「前に進もう。アラーネ・リーパーが見えたらラテリアは後ろを見張ってて」
「わかりました……!」
後ろから迫るアラーネ・リーパーからできるだけ距離を取るために早足で前に進む。もし挟み撃ちなんてされたらラテリアを守りきれる自信は無いし、自分も生きてられるか分からない。
間も無くして前方の暗闇から三体の蜘蛛型モンスターが姿を現す。
「ギギギギギ……ギギ……」
イトナ達を見つけて機械音の様な鳴き声を発っした。
攻撃のターゲットを自分に引き寄せるために素早く前に出る。それに釣られて合計九つの赤いレンズがイトナに向けられた。
二体のレンズが光る。残り一体が二つの鎌を振り上げた。
イトナは三体の攻撃モーションを確認して、行動を決める。
直進。
真っ直ぐ駆け、二つのレーザーを通り越し、振り上げた鎌の懐に入り込む。
「っふ」
鎌が交差するよりも更に奥に潜り込み、攻撃を躱す。そして、内側の肉体がむき出している柔らかい部分。そこに銃弾を叩きこんだ。
「ギュいーーっ!?」
甲高い悲鳴が上がる。
弱点部分に上手く攻撃を当てたが、スキルを使用せずに与えたダメージは相変わらず微々たるものだった。
そこから何度も銃弾を当てて、火力不足を手数でカバーしようとするも、思ったよりもHPが削れてくれない。なら……。
アラーネ・リーパーの懐から抜け出すと、次は胴体の上に飛び乗る。
メカニックな銀の鎧を足場にしがみ付き、残り二体に目を配る。
二体共既に次の攻撃に入っていて、真っ赤なレンズはイトナに照準を定めていた。
レンズが赤く煌めく。
紅き光線が放たれる直前でイトナはその場を離脱した。
二体のレンズから放出されるレーザーは一体のアラーネ・リーパーを貫く。
「ギュギッ!?」
レーザーに焼かれた鎧からは薄い煙が立ち登り、壊れた機械の様に火花が散る。
効果は抜群だったようだ。
アラーネ・リーパーのHPはみるみる減少していき、遂にゲージの全てを失った。
「やった!」
ラテリアから喜びの声が上がる。
あと二体。一体は同じ方法で処理をするとして、残りの一体はどうするか。
「イトナくん! もう後ろから!」
予想以上に追いつかれるのが早い。ラテリアの言う通り後ろから複数の足音が迫ってくる。三体……いや、四体いる。
後ろから迫るアラーネ・リーパーとエンカウントする前に前の二体を処理するなんてとてもじゃないけど無理だ。
「ラテリア、抜けよう。二体をできるだけ端に寄せるから走り抜けて!」
「わ、わかりました!」
倒すのは諦めて逃げ出す算段をつける。
アラーネ・リーパーは離れているとレーザーで攻撃してくる。それがラテリアに当たらないように、できるだけ近づいて接近戦に誘導したい。
そんなに広くない通路。アラーネ・リーパーを誘いながらできるだけ端に寄る。
「今!」
ラテリアに合図を出す。それと同時に高速で襲い狂う四本の鎌を避ける。端に寄ってるせいでほとんど逃げ場がない。でも、それはアラーネ・リーパーも同じだった。狭い通路に複数のモンスターが一人の獲物を攻撃するには窮屈すぎる。
振り切ろうとした釜は途中で壁にぶつかり、お互いの釜が当たり、イトナに届かない。
「ギギ……」
顔を合わせるアラーネ・リーパー。またイトナに向き直ると、二歩後ろに下がった。
「頭いいじゃん……!」
「ギッ!」
四本の釜がギラリと光る。そして斬撃の嵐が舞い起きる。
イトナの回避が追いつかない。頬、肩、脇腹に鋭い感触。鎌の斬撃がスレスレを掠める。
「くっ!」
次々と鎌が掠れ、切傷が増えていく。それに合わせてHPも減少していった。
「抜けました!」
ラテリアが抜けた。後は自分が抜け出す番。
確実に減っていくHPに焦ってはいけない。
斬撃の嵐を見極めてタイミングを計る。ほぼ同時に全ての鎌が降り上がるを見て、姿勢を低くした。
ーーーーここっ。
降り下がった鎌を尻目に、アラーネ・リーパーの下を転がるようにして潜り抜け、一気に離脱する。
「よし! 走ッッ!?」
あとは走って逃げるだけ、そう思ってラテリアに伝えようとした矢先、自分の膝がガクンと下がった。
そのまま足に力が入らず盛大に倒れこむ。
「イトナくん!?」
足が熱い。
感覚がおかしい。
どうにかなってしまった自分の足を確認する。
自分の足には大きな穴が空いていた。
「イトナくん、足が……」
どうやら後ろから迫っていたアラーネ・リーパーのレーザーに貫かれたらしい。
それを確認しているのもつかの間、奥の暗闇から幾つもの赤い光が揺らめいていた。
まずい。それは、キツい。
合流した四体と二体。合計六体の赤い目がイトナを捉えていた。
「ラテリア離れて!」
回復をしている暇なんてない。
満足に動かせない足ではなく、腕を足とする。地面に空いた無数の穴を掴んで、思いっきり自分の体を投げ飛ばした。
回避。と言うにはとても格好悪い姿だった。
自分で投げ飛ばした体は惨めに宙を舞い、力なく地面に転がる。
今のは危なかった。元いた場所は黒く焼け焦げている。ずっと同じ場所にいてはレーザーの餌食になる。
一回のピンチをなんとか回避できたところで素早く回復薬の入った試験管を取り出す。
セイナの作った中で一番出来のいいやつを自分の右足にかける。HPの回復量は減ってしまうけど、一箇所に重傷を負った場合は薬を飲むよりもそこに直接かけた方が効果が早い。
まだボロボロだけど、なんとか動くようになった右足を使ってラテリアに追いつく。
「逃げよう。走れる?」
「私は大丈夫ですけど、イトナくんが……。先にちゃんと回復しないと」
回復はしたい。でももう手持ちは回復薬と解毒薬が一つずつ。今ここで使ってしまうか迷っているのだ。使うにしてもちゃんと飲んでHPを回復させないともったいない。
ラテリアが心配するのもわかる。イトナのもう残りHPは半分を大きく切っているから。
「大丈夫。回復はあとでするから。今は走って!」
背後からはカチカチと不気味な足音が迫ってくる。
一筋の赤い線がイトナとラテリアのすぐ横を通り過ぎていった。
「走って!」
後ろを振り向かず走る。
走る。
走れ!
進め!!
言うことの聞かない左足に鞭を叩きながら必死に動かす。こんな状態でも自分の高い敏捷力でなんとかラテリアについていくことが出来れば……。
前を走るラテリアは心配そうに、ちゃんとイトナが付いてきているか時折振り返っている。ラテリアは明かにイトナに合わせてペースを落としているのだ。
イトナのせいで後ろからから迫るアラーネ・リーパーを離せない。それどころか差が縮まっているように思える。
見つけた曲がり角は全て曲がる。少しでも怪物の視界から逃げられるように。それでも後ろから迫る足音は一向に消えてくれない。
「そんな……!」
いくつか曲がった角でラテリアの足が止まる。通路の先にはアラーネ・リーパーが一体。
「ギギ……」
後ろからは逃げてる道中に増えに増えたアラーネ・リーパーの大群が波のように押し寄せてくる。
「……っ。わ、私がっ!」
「大丈夫。僕がまた引き付けるからラテリアまた走り抜けて!」
「でも、もうイトナくんが……」
「大丈夫。まだ回復薬あるから」
とうとう最後の回復薬を乱暴に口にする。
苦い薬の味が口いっぱいに広がって、回復薬が喉を通るのと合わせてHPゲージがグングン回復していく。半分ほどの回復薬は口から溢れ、イトナのHPは八割まで回復。
「よしっ!」
気合いを入れる。もう回復する手段はない。一体だけならノーダメージで切り抜けられるように頑張ろう。
もう立ち止まってる暇はない。一気に詰めて脚の関節を狙う。
鉄のような脚は硬い。銃弾を弾く。でも何度も同じところに打ち続けれる。
銃弾を弾く軽い音が連続で鳴り響く。
蓄積していくダメージは確かなものになる。隙間なく、雨のように打ち続けた結果、とうとう脚を損壊した。
それと同時にラテリアがスタートする。イトナもロスがないように後ろに回り込む。
二人同時に抜けた。さっきの回復薬のおかげで不自由なく走れる。これで撒ければ万々歳だ。
「イトナくん後ろ……!」
後ろは真っ赤に染まっていた。
逃げ回って、ダンジョン中のアラーネ・リーパーを引き連れてしまった結果がこれだ。
通路を埋め尽くすほどのレンズが全てイトナ達に向けられている。この状態でレーザーを撃たれたら避けるなんて不可能だ。
「急いで! 早く曲がらないとっ!」
曲がり角は見える場所にある。でもこのままじゃ間に合わない。
「ラテリアごめんっ!」
「ふぇっ!?」
両足が動くならイトナの方が断然速い。横を走るラテリアの手を握って、体を抱き寄せ持ち上げる。そして一気に加速した。
間に合えっ!
ラテリアを押し出すようにして思いっきり曲がり角に飛び込む。
真っ赤な光を尻目に足先になにかが掠ったような感覚を感じながらも、イトナたちは地面に転がりこんだ。
間に、合った……?
そんな疑問と同時にラテリアをまだ抱いていることに気づいいた。柔らかい感触に慌てて離れる。
「ご、ごめん! さっきのは咄嗟でこうするしかなくて……!」
緊急事態とはいえ、断りもなしにラテリアを触ってしまった。触らないって約束したのに。
動かないラテリアにイトナは必死に謝る。
「本当にごめんっ!」
何度も繰り返すイトナの謝罪にラテリアの言葉が返ってこない。
「ラテリア?」
「……イトナくん! 見てください、出口です!」
「え?」
ラテリアが指をさすのは長い一本の通路の先。
その奥から光が見えていた。見間違えることは無い。あれは外の光。
無我夢中に逃げていた結果、出口に辿り着けたのだ。
通路の奥に見えた光を見つけて、ラテリアは嬉々として駆け出した。
「ま、待って!」
すぐそこにあるゴール。
でもダンジョンは、特に未開地はそう簡単に出してもらえるほど甘くはない。
今までベテランのプレイヤー達がこの迷宮の奥地まで進行出来なかったと同じように、この迷宮の主はプレイヤーを目的地に進ませてくれない。それは出口を目指す時も同じ。
このダンジョンに彷徨い始めてから二日目。
一日目はあんなにもしつこく追ってきたヨルムンガンドが今日は一度も姿を見せていない。いったいどこに行ってしまったのか。もう見失って諦めたのか。
いや、そんなわけがない。このダンジョンを知り尽くしている主が見失いはしてもイトナ達をそう簡単に諦めるわけあるはずがない。だって、奴も出口の場所を知っているのだから。
「ッッ!?」
突然、出口から漏れる希望の光が巨大な何かによって遮られ、ラテリアから息を呑むような悲鳴が聞こえた。
その巨大な何かはドシン、ドシンと鞭を打つようにダンジョンを震わせながら勢いよく上下し始める。
見計らったようなタイミングで現れたそれは、白い爬虫類の尻尾のようだった。
色、通常のモンスターと比べて圧倒的な大きさ、それはどう見ても……。
「ヨルムンガンド……」
先回りをしてずっと待っていたのだ。出口に辿り着くイトナ達を。
地に叩きつける尾からは徐々に毒である透明な粘液が滲み出て、びちゃ、びちゃと音を変える。その粘液が飛び散る範囲ギリギリのところでラテリアの足が止まった。
「い、イトナくん……」
ヨルムンガンドの尾からゆっくりと距離を取りながらどうしようと振り返る。イトナを見るなりラテリアは目を大きくし、両手で口を抑えた。
後ろから物凄い殺気を感じる。昨日ここでも使えるようになった 《視線察知》のスキルがビービー警告音を鳴らしている。ラテリアの様子からして間違いない。きっと後ろには……。
分かっていても勝手に首が後ろに回る。振り返らなくても分かっていた奴がそこにいた。
通路を埋め尽くす巨大な顔。
真紅の二つの目。
大きな口からは細く、真っ赤な舌を飛び出している。
白蛇神ヨルムンガンド。
「シャアアアアアアアアア!!」
このダンジョンの主がイトナ達を見据えている。とうとう獲物を捕らえられて嬉しいのか蛇らしからぬ野太い声で咆哮した。
薄々感ずいていた。ヨルムンガンドの姿を見なくなった今日、もしかしたらと。だからこの時のために準備してきた。スキルを使わずに。ここまで厳しい選択肢を選んできたのだ。
「に、逃げましょう!」
いや、逃げられない。
ヨルムンガンドの頭と尻尾に挟まれたこの通路に曲がる道など無い。完全に閉じ込められているのだから。
「どうしよう……」
逃げられないことに気づいたラテリアの不安な声が耳に近かった。尻尾から大分離れてイトナのすぐ側まで戻ってきたらしい。
これを止めるしかない。止める準備はしてきた。でも……。
「イトナくん? イトナくん!」
あの男性恐怖症のラテリアがイトナの肩に控え目に触れた。希望が見えてからの絶望だ。相当動揺しているのだろう。そう思いつつも、イトナもそう変わりない。焦りで汗が流れ、心臓がバクバク鳴る。
勝てるか?
一人で、勝てるのか?
でも、もうやるしかない。それしか選択肢が無いのだから。
「僕がヨルムンガンドを引き付けるから。ラテリアはなんとかしてダンジョンから抜け出して!」
「え?」
作戦はアラーネ・リーパーの時と同じ。覚悟を決めて武器を抜く。
かつてあの五人で挑んで敗れた強敵にたった一人銃口を向けた。




