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始まっちゃった……。
どうしてもマイナス方向の気持ちが心の中に漂ってしまう。イトナが帰って来た時も思ってしまった。帰って来ちゃったなと。
ラテリアはイトナの事を嫌っているつもりはない。むしろ男の人でここまで会話ができたのは初めてと思うほどだ。
でも身体が勝手に反応してしまう。そいつは男だ。逃げろと。
「じゃあ、やってみようか」
ラテリアの視線の外からイトナの声が聞こえる。視界に入れなければなんとか話しができていたけど、イトナの出した訓練内容は目を合わせることだった。
「はい……」
会話とか、何もしなくていいからただ目を合わせるだけ。簡単なことだ。おずおずと視線を動かしてイトナの目と合わせる。
同い年の男の子だけど年下にも見える幼い顔が映る。自分の顔が赤くなるのを感じた。
ラテリアは目を逸らしたい気持ちをなんとか抑えて、唇をキツく結び、真っ直ぐイトナを見つめた。
大丈夫、怖くない。
大丈夫、怖くない。
大丈夫、怖くない……。
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ラテリアにはなにも良いところがない。褒められるのはいつも外見だけ。外見だけは可愛いとよく褒められる。
でも蓋を開けてみればラテリアにはあまり良いものは入っていない。勉強は苦手。運動も苦手。生まれて十四年、これまでなにも賞を取ったことがない。そしてトドメに男性恐怖症。
それに比べてお姉ちゃんは凄い人だった。なんでも出来た。お母さんがお父さんと別れて、働くようになったお母さんの代わりに家事をこなしていた。
できる姉と比べられる事は無かったけど、凄い劣等感だった。
劣等感を感じ始めてからは自分から進んでお姉ちゃんに近づかないようになった。近づいたら自分がダメなところが目立ってしまうから。
でもお姉ちゃんは距離を置くラテリアを放っておいてはくれなかった。時間があればいつも話かけてくれる。自分で避けていたはずなのに、お姉ちゃんから来てくれるのは凄く嬉しいと思ってしまっていた。
「莉愛。莉愛は好きなことある?」
「ないよ、そんなの……」
「お姉ちゃんね、今ゲームにハマってるんだけどすっごい楽しいのよ」
「ゲーム?」
「うん。オンラインゲーム。いろんな人と冒険ができるの」
意外だった。なんでもできる完璧な姉がゲームをやっているなんて。
それからだった。男性恐怖症で家に籠もりがちだったラテリアの唯一の楽しみはお姉ちゃんのゲームの話になったのは。
その話にはいつもイトナという男の子の名前が出てきた。驚くことにその男の子はラテリアと同い年と言う。
お姉ちゃんと肩を並べて冒険する同い年の少年。時にはお姉ちゃんを助ける場面もあった。あの完璧なお姉ちゃんを同い年の男の子がだ。それだけでラテリアが興味を持つのには充分だった。
羨ましかった。自分もお姉ちゃんとそんな冒険をしてみたい。いつしかそう思いながら話を聞くようになった。
「ねぇ、莉愛もギルドに入ってみない?」
「え?」
突然の誘いにラテリアはとてもびっくりした。
「だって莉愛いつも部屋に一人でいてつまらないでしょ? ギルドに入ったら絶対に楽しいから」
「でも……」
やらない言い訳はいっぱいあった。お姉ちゃんのギルドには男の人がいるし、そもそもラテリアはフィーニスアイランドというゲームをやったことがない。
興味は凄くあった。だってお姉ちゃんがあんなに楽しそうに話すから。でもその時は動くことができなかった。
それから少ししてから、ラテリアなりにいっぱい考えて、フィーニスアイランドを始めることにした。でもちょっとだけ遅かったようだ。
お姉ちゃんはラテリアと入れ違いにフィーニスアイランドを卒業してしまったのである。
凄くがっかりした。お姉ちゃんがいないのなら始めても仕方がないから。
「え? やめちゃうの?」
「だってもうお姉ちゃんいないし……」
「お姉ちゃんがいなくてもいいじゃない。お姉ちゃんがいなくても絶対楽しいもん。そうだ。私のいたギルドに入ろうよ。みんな卒業しちゃったから今イトナくんしかいないの」
「でも……」
イトナは男の子。ラテリアにとって天敵でもある男の人と二人っきりなんて想像しただけで泣きそうになる。
「大丈夫。イトナくん優しいからきっと莉愛も好きになるよ。せっかくフィーニスアイランド始めたんだもん。もう少し頑張ってみよ。きっと莉愛のためになるから」
「うん……。分かった。頑張ってみる。頑張って、お姉ちゃんのギルドに入る」
それからラテリアはフィーニスアイランドを始めるようになった。ギルドに入って楽しめる為にLvを上げて、男の人に慣れるようにパーティも組んできた。そうやってここまで来たんだ。
だからラテリアはこれくらい。イトナと少し目を合わせることくらい、どおってことない。そう自分に強く言い聞かせた。
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カチ、カチと時計の針が時を刻む。
時折本の捲れる音も聞こえる。
多分セイナがページを捲ったのだろう。
そんな音が何度もループしているように感じられた。
視界の中にいるのは一人の男の子、イトナだけ。
「えっと、ラテリア? そろそろ……」
「な、なんですか? 大丈夫です。まだ行けます!」
ラテリアの気合いと集中力はもはや限界に近づいていた。男性恐怖症を絶対に治したい。治して、ギルドに入ってみたい。自分の夢と憧れのために。イトナの目、一点をただただ見続ける。
顔が沸騰するくらい熱い。
目がクルクル回る。
頭もクラクラしてきた。
どれくらい時間が経ったのだろう。もう三十分は過ぎたように感じてるけど、きっとまだ少ししか経っていないに違いない。時間ってそういうものだ。
「いや、もう結構時間が経つけど……」
「いえ! 時間は少ししか……! え?」
その言葉に、やっとイトナから視線を剥がす。時計の針を見ると、あれから三十分ほど時間が過ぎていた。
嫌なことは時間が長く感じる。集中していると時間が速く感じる。その二つが相殺し合って普段通りの時間感覚になっていたのだろうか。
「大丈夫? 顔真っ赤だけど」
「だ、大丈夫です。はい。全然大丈夫……」
熱い顔をパタパタと手で扇ぐ。
「急に頑張りすぎちゃったかな。何度か声をかけたんだけど凄い集中力だったから……。でも最初は普通三十秒ぐらいだよね。ごめん」
「いえ、これくらい頑張らないと良くならないと思うので……」
何故だか体全体が熱い。何故だか前よりもイトナに目を合わせづらい。
「今日はこれくらいにした方がいいかな。頑張りすぎても良くないと思うし」
「そ、そうですね。今日はこれくらいで……」
赤くなった顔を隠すようにしてそそくさと立ち上がる。結局足早に立ち去りたい気持ちがある自分にがっかりする。全然治っていない。
「あ、外に出ないで」
「え?」
ギルドホールを出ようとするとイトナに呼び止められる。
振り返ると、そこにいたイトナの表情はさっきとはだいぶ違っていた。三十分も見ていたから分かる。少し鋭い目をしていて、ちょっと怖い。
「な、なんでですか?」
「いや、特に理由もないけど明日もあるしさ。ここでログアウトした方が移動の手間とかいらないかなって」
「そう、ですよね。明日もありますもんね。ではここで失礼します……」
イトナの言う通り、ここを出ても特にやる事はない。自分のホームを持っているわけじゃないし。
イトナの目に違和感を感じながら、ラテリアはログアウトをした。
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「…………………あれ?」
現実世界に戻った莉愛は両手で顔を抑える。
顔の火照りが治らない。なにも考えていないはずなのに、勝手にイトナの顔が浮かんできて自分の顔の熱が増す。
「イトナくん、かぁ……」
頭の中に浮かぶ少年の名前を口にすると、顔がさらに熱くなるのを感じた。
「うぅ~~っ!」
枕に顔を埋めて足をバタバタさせる。視界を遮って真っ暗のはずなのに、さっきまで見つめていたイトナの顔が焼きついてしまったのか映ってしまう。
「もーどうしちゃったの私~~!」
男女が十秒以上見つめ合うと好きになる。そんな都市伝説をラテリアはまだ知らない。




