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八雲は生れながら心臓に病気を患っていた。
それは重いもので、病院から殆ど出たことがないそうだ。
病院の中だけという、小さな世界の中で八雲はこれまで生きてきた。
学校にも通ってなく、友達もあまりいない。
同じ病院に入院している同年代の子供も何人かいたが、怪我で一時的に入院するだけの子や、八雲より重い病気で、亡くなってしまい子がほとんどだった。
自分自身、他の子と比べて可哀想なんだと、周りの大人……主に両親を見ていれば、幼くてもわかった。
そんな八雲が唯一親しかったのが実の姉である玉藻だった。
病院内でのことを振り返れば、必ずと言っていいほど姉さんが隣にいてくれる。それくらい、いつも姉さんと一緒にいた。
当時はそれが当たり前だと思っていた。でも、今の歳になってわかったことがある。
姉さんには学校の友達もいたはずだ。
仲のいい友達に放課後遊ぼうと言われたことだってあったはずだ。
でも、姉さんは毎日欠かさず八雲の部屋に遊びにきてくれた。
多分、友達の誘いも断って、学校のある日も、休みの日も、嵐の日にだって、必ず来てくれた。
姉さんは八雲が1人ぼっちにならないように、いつもそばにいてくれたのだ。
毎日励ましてくれたり、楽しい話をして八雲を笑顔にしてくれた。
姉さんはなによりも八雲を優先してくれる、妹思いの優しい姉だった。
だから、周りには可哀想と思われていても、自分にはこんなにも優しい姉さんがいる幸せ者なんだと、そう思うようにしていた。
外に出られなくても、
友達がいなくても、
姉さんさえいてくれればそれで十分だった。
それから、病院からの許可がでて姉さんと一緒にフィーニスアイランドで遊ぶようになる。
生まれて此の方、体を思いっきり動かしたことのなかった八雲に気遣って、モンスターとの戦闘などは避けて、あちこち回って色々な景色を見る。それが八雲と玉藻のフィーニスアイランドでの遊び方だった。
今まで外の世界を知らなかったぶんを取り戻すかのように、夢中で色々なところを見て回る。
毎日が楽しかった。
窮屈な病室の世界の外が……いや、姉さんと一緒に色々なものを見れることが、とても楽しかった。
そんな幸せな毎日が続いたある日。
姉さんと海に遊びに行った時だった。八雲はどこからか流れ着いたような人形を拾い上げたのは。
それは黒い人形だった。
お世辞にも可愛いとは言えない、可愛そうなほど朽ちて、痛々しく見える人形だった。
誰かの落し物かなと姉さんに渡すと、人形を手にした姉さんの表情が不自然に固まった。
虚ろな目で人形を見つめ、ぶつぶつと何かを言ったと思うと、人形を持ったまま無言でどこかに行ってしまう。
その姉さんの後ろ姿に、なんとも言えない恐怖を感じた。
姉さんがどこか手の届かないどこかへ行ってしまう。八雲はなぜかそう思ったのだ。
姉さんは何かに取り憑かれたかのような足取りで、どんどん離れていってしまう。
八雲は必死で追いかけようとした。
でも、なにか不思議な力に抑え込まれているかのように身動きができず、口を開くこともできない。
そしてとうとう目の前から姉さんはいなくなってしまった。
今でもあの日の事を夢で見ることがある。
あの悪夢なような出来事は、八雲の奥深いところに刻まれた。
翌日。姉さんはいつもと変わらない様子で八雲の部屋に訪れた。
でも、海で拾った人形のことを聞くと、なんのこと? と首を傾げていた。
まるで昨日のことが無かったかのように、なぜか姉さんは拾った人形のことを忘れていたのだ。
もしかしたらあの海での出来事は本当に夢だったのかもしれない。そう思うことにした。
それから突然、姉さんは対人戦に興味を持ち始めた。
当時、ちょうどグランド・フェスティバルの予選が開催されていて、それを観戦した影響かもしれない。
姉さんは今まではしてこなかったレベル上げに夢中になった。八雲と一緒にダンジョンに潜り、効率よくモンスターを倒す日々に変わった。
姉さんは変わらず八雲のそばにいてくれるし、それがつまらなかったわけでは無いけど、なにか姉さんに違和感を感じるようになった。
そんな日々が続いてある程度レベルが高くなった頃、姉さんはギルドを作った。
ギルドの名前はナナオ騎士団。
姉さんと、八雲の尻尾の数を合わせて七尾。ギルドの名前にはそんな意味が込めらた名前だ。
嬉しかった。
ギルドのメンバーは姉さんがどこからか連れてきた男のプレイヤー。
八雲は姉さん以外のプレイヤーと交流したことがない。
仲良くなれるか少し不安だった。
ギルドはすぐに大きくなった。メンバーが多くなって、友達も増えた。
姉さん以外の子供の友達。
レベルを上げたり、ギルドを作ったのはこうして八雲に友達を作ってくれるためだったのかもしれない。
姉さんのおかげで、友達ができた。
初めてギルド戦を体験した。
結果は負けちゃったけど、友達と一緒に勝利を目指して頑張るのは、八雲にとって新鮮で楽しかった。
次のギルド戦では勝つことができた。
前回の負けを反省して、みんなで考えた作戦が成功しての勝利だった。
初めての勝利に、八雲は今までにない達成感を感じた。
でも、その勝利を一番喜んだの姉さんだった。八雲がびっくりするくらい、姉さんは勝利を喜んだ。
それを境に、ナナオ騎士団にルールが設けられた。
レベルアップのノルマ。
みんなで目標を作って、一緒に頑張って行こう。そんな想いを込めたノルマだ。
最初は小さなノルマだった。普通に遊んでいれば達成するくらいのノルマ。
でも、ギルド戦に負けるたびにそのノルマが上がっていった。
姉さんはギルド戦の負けに敏感だった。勝った時の機嫌はとても良いけど、負けた時は目に見えてイライラしていた。
その時はギルドの雰囲気がとても悪くなる。
そんな姉さんを見るのは初めてで、初めて姉さんのことを少し怖いとも思った。
ノルマがキツくなって行き、遂について行けなくなるプレイヤーが出てきた。
姉さんは躊躇いもなく、そのメンバーを切り捨てた。
それを見ていた、かろうじてノルマについて行けていたメンバー達からも不満の声が上がる。
ギルド内で強い口調の口論が起きた。
八雲は口には出さなかったけど、心の中では姉さんの意見でなく、ノルマなんて無くそうと言う意見に賛成していた。
話せば姉さんも分かってくれる。そう思っていた。
でも、姉さんは意地を張った。
多分、引くに引けなくなってしまったのだろう。
遂には、口答えをしたメンバーもギルドマスターの権限で追放してしまった。
おかしいと思った。
姉さんはこんな事をする人じゃないのに。
少し熱くなっただけだと、今までは思っていたけど、姉さんは人が変わってしまったのだろうか。
その日多くのメンバーが抜けた。
でも、ギルドが無くなることはなかった。
姉さんがすぐにメンバーを補充したのだ。
加入してくる新しいメンバーは怖そうな人ばかりだった。
ひたすら強さを求め、人に勝って優越感に浸りたい人ばかりが入った。
その中には八雲が仲良くなれそうな人は1人もいない。
でも姉さんがいればと、姉さんと一緒ならと思った。
しかし、日を重ねるごとに、姉さんとのこと距離が離れていくのを感じる。
姉さんは強い人と仲良くした。
八雲との会話も少なくなって行き、一言も話す事のない日もあった。
姉さんは強い人に夢中になる。
だから八雲は姉さんに忘れられないようにと、必死にレベルを上げた。
幸い、病院生活の八雲には時間があって、レベルだけならギルド内で三本の指に入るくらいを維持し続ける事が出来た。
そのおかげで、ギルドの代表パーティに選抜され、なんとか姉さんの隣に立つ事が出来た。
この時くらいからだろうか。姉さんと一緒に遊べて楽しいと思っていたのが、姉さんと一緒いれるために頑張らないと、と思い始めたのは。
ナナオ騎士団は瞬く間に強くなっていった。
色々なギルドから強いプレイヤーを引き抜いては、ついてこれなくなったメンバーを追放した。
そんなある日、珍しく姉さんから頼まれごとをされた。
姉さんから声をかけてくれる事は本当に久しぶりで、八雲は舞い上がるくらいに嬉しく思った。
姉さんの頼まれごとは、つい最近に解散したと噂されている有名ギルドのメンバーの勧誘だった。
そのプレイヤーがイトナである。
姉さんの頼まれごと。勧誘に成功すればきっと褒めてくれる。
八雲はなんとしてでもイトナをナナオ騎士団に入れようと、努力した。
毎日パレンテホールに出向き、誠意を見せた。
でもダメだった。
なんど頭を下げても、イトナはナナオ騎士団に入ってくれない。
ギルドを移る気なんて全くなかったのだろう。次第に煙たがられはじめいるのにも気づいていた。
それでも、諦めるわけにはいかない。
姉さんのために。
それから年単位で時間が経ち、ナナオ騎士団は歴史的快挙な速度でギルド戦のランキングを登っていく。
ギルドが強くなる度に姉さんが離れていくように思えた。
そして、姉さんの案でセイナの誘拐が実施された。
NPK事件の事だ。
なんでNPCであるセイナに目をつけたのか、八雲には分からない。でも、姉さんの言うことだ。イトナの勧誘に失敗し続けてきた八雲に逆らう事はできない。
これ以上姉さんに嫌われるわけにはいかないのだから。
今思えばどうかしていた思う。
姉さんの機嫌を取るためだけに、NPCとはいえ人と変わらないものを殺そうとしたのだから。
言い訳にはならないけれど、その時はどうしようもなく焦っていたのだ。
NPKの作戦は失敗した。
サダルメリクの乱入で、想定が大きく狂ったせいだ。
内心ホッとする八雲の横で、姉さんの苛立ちを感じた。
数日後、唯一上手くいっていたギルド戦で、久しぶりの黒星をつけることになる。
勇者テトを入れた万全な黎明の剣に上手いことしてやられた。
負け点は姉さんの分だっただけに、ギルド内でも近寄りがたい程荒れていた。
そして、その怒りの矛先はサダルメリクに向けられた。
遊び半分でギルドメンバーを煽り、メンバーのみんなは面白がってサダルメリクに乗り込んだ。
サダルメリクとの戦いは熾烈を極めた。
圧倒的な戦力で攻めたはずなのに、気付けば戦局は拮抗。
ここぞというところで、八雲のリアルの体に持病の発作が襲いかかった。
リアルの体に異常をきたすことを知らせる警告音が鳴る中で、姉さんが怒りの目で怒鳴り散らすのが見えた。
もう、姉さんは全く八雲のことを気にしてくれていない。
そう確信した。
それから病状が落ち着いてログインしたのが今日。
イトナと玉藻のやり取りをたまたま聞く事が出来た。
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「……以上になります。なにかわかった事はあったでしょうか」
八雲の話はなんとも不憫なものだった。
正直、そんな話を聞いて戸惑ってしまった。
まさか、人格を狂わせる事で自分は疎か、周りの人まで大きく影響が出てしまうなんて。
「よく話してくれたわ。十分よ」
セイナが珍しく優しい口調で言う。きっとセイナにも思うところがあったのだろう。
それにしても、本来の玉藻はイトナの知る玉藻とはだいぶ違うようだ。それほど、玉藻には強い心操が施されているということだろうか。
これで、本来の玉藻の事を知る事ができた。次はどう戻すかだ。
「まず、できる事から順に試して行くしかないわね。望みは薄いけど、効果がありそうな薬をいくつか用意するわ。それを飲ませることはできる?」
「大丈夫だと思います。姉さんのぶんの回復薬も用意するこどがあるので」
「で、それを作る素材なんだけど……」
セイナがイトナを見る。
黄金の卵の殻のことだろう。
リセットの薬を調合するにはあれを取ってくる必要がある。
「近いうちに行く予定があるから、なんとかするよ」
「……まぁ、今回はしょうがないわね」
単騎でLv.175のダンジョンに挑むのは普段のセイナなら許さないところだけど、今回は許しが出そうだ。
なに、別に倒してやろうなんて思ってはいない。アイテムを入手するだけ。
それに、今回は事前情報があるし、心配することはないだろう。
「あの、私も何か手伝える事があれば」
「いや、この件はイトナ1人の方が都合がいいの」
「そうですか……」
悪いけど、Lv.175までになると、現状ではループプレイヤー以外は足手まといになってしまう。
「あとは……そうね……イトナは実際に話して、なにか気づいたことはないの?」
気づいたこと。
なにか、玉藻の心操を解くヒントはあっただろうか。
最後、玉藻の様子がおかしかったことをよく覚えている。
もしかして、これがヒントになるかもか?
「ギルドを作る以前の話を聞こうとすると、凄く機嫌が悪くなった」
「どういうこと?」
「わからないけど、異常な程だったんだよ。自分でもわからないけど、昔の話をするとイライラするって言ってたし、普通じゃなかった」
そう。あれは普通じゃなかった。自分でもわからないと言っていたってところが、誰かによって操作されているように思えてくる。
「ギルドを作る前って言うと、心操がかかる前とか、かかって間もない頃ね。八雲はそこら辺に思い当たる事は?」
「私も同じです。昔の事に姉さんはすごい敏感でした。なので昔の話はなるべくしないようにしています」
昔の話。つまり、本来の玉藻だった頃の話をしたくない、思い出したくないってことだ。
「アイツが意図的にそうなるようにしたのかも」
「僕も同じ事を思った」
「どういうことですか?」
「玉藻が昔の事を思い出したくないってわけではなくて、ミスティアが玉藻に昔のことを思い出させたくないってことよ」
そうだ。それなら色々と繋がるものがある。
「昔の、本来の玉藻を思い出すと、ミスティアにとって都合が悪い。どんな風に都合が悪いと言うと……」
「姉さんが元に戻るからですか!?」
普通に考えればそんな風に思える。
本来の人格と、心操によって変えられた今の人格。昔のことを思い出すことによって、自分自身のギャップに気づくと同時に、心操の効果が解かれる……。
「玉藻に人形の話やミスティアの話、人格を変えられてるって事を話したら耳を塞いでギルドホールを追い出されたんだ。もしかしたら、人格を変えられてるって事に気づかれるのを嫌がっているのかも」
少し短絡的な考えだろうか。
けれど、思い当たる事は片っ端からやってみるしかない。
「今のところ、それが一番辻褄が合って有力かもしれないわね。これは……」
「私がやります」
「そうね。あなたの話を聞いた限り、それが一番効果的かしら」
八雲はナナオ騎士団のメンバーってところも大きい。イトナはさっきので会う事すら難しくなったしね。これは八雲が適任だろう。
これで二案でた。玉藻の接触で八雲に会えたが大きく、玉藻の有力な情報も手に入った。初日としては上々だろう。
「今日はこれくらいかな。あとは持ち帰って定期的に情報交換をしていこう」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げる八雲に、セイナは手を差し出した。
「今まで色々とあったけども、よろしく頼むわ」
「え、は、はい! とんでもないです! こちらの方が、よろしくお願いします」
八雲は両手でセイナの手を握り、硬く握手を交わした。
「とんでもないのはこっちの方よ。自分たちの尻拭いなんだから……」
「え?」
「なんでもないわ。忘れて」
セイナがぼそりと言葉を漏らすと、八雲から手を離す。
「僕も、よろしく頼むよ」
「はい! ありがとうございます」
イトナも握手を交わす。
八雲の手はまるで今まで陽に当たった事がないかのように、綺麗な白色をしていた。




