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ラテリアちゃんはチュートリアルちゅう?  作者: 篠原 篠
ドールマスター
102/119

27


 冷んやりとしていた空間が熱気に包まれた。

 一瞬の光と、ガラスを割るような音を境に、カエルの合唱が鳴り止む。


 そんな中、ノノアの視力が機能していたのはとても幸運なことだった。

 人形から発生したと思われる、なんとも言えない気配に恐怖し、思わず発光のタイミングでたまたま目を瞑ったのだ。

 そして、まぶたの上からでも感じ取れる強い光に、手でも目を保護したおかげだ。


 まだボンヤリする視界の中、人形と対峙していた少年の姿が消えていることに気づく。

 それと同時に、ムワッとした熱い空気を大きく吸って、思わずむせ返る。


「な、なにが起こったの」


 涙目になりながらも、隣に目をやる。

 そこには回復薬を使って元に戻った手で両目を抑え、眉間みけんに深いしわを寄せているロルフの姿があった。さっきの光で目をやられたのだろう。


「光の色を取り戻せ《カラーズ》」


 最近習得した視力回復のスキルをかけてあげる。

 ノノアの使うスキルの中に、目潰しの効果を持つもの、酒場でロルフに使った《シリウスの閃光》がある。

 このスキルを戦術に混ぜ込んですぐの頃、自分の目も潰す機会が多かった。これは誤射などではなくて、相手の攻撃を避けながらこのスキルを使う場面が多かったためだ。避けるためには目を開けていなければ難しいから。

 だから、ノノアは誰も習得していないような視力回復のスキルをたまたま持ち合わせていた。

 まさかこんな所で役に立つなんて思ってもみなかった。


 視力が回復したロルフが途中までゆっくりと瞼を上げ、途中からは驚いたように目を見開く。


「なんだこれ」


 遅れてノノアもその光景を見て驚愕する。

 そこにはさっきまで見ていたボスルームはなかった。

 湿っぽく、水溜りが散乱していた筈の地面は枯れ果て、代わりに黒ずみ、亀裂の入った地表が広がっている。

 亀裂には赤い光が薄っすらと残り、鈍く光る。煙が燻るのを見ればそれが高熱を帯びていることは一目でわかった。

 

 そして人形から一直線に地面が大きく抉れている。

 それは物凄いエネルギーを持った何かが通過したのだろうと理解するだけなら、ノノアとロルフでも難しいことではない。

 その抉れたラインを追っていけば、さっき人形と対峙していた少年が立っていた。

 HPの減少は見られない。

 なにがどうなって少年が無傷なのか、ノノアとロルフ。いや、この場では少年と人形以外には知る由もない。


 少年が手に持っているのは盾だろうか。

 三角剣が変形したようなひし形のそれは、黒いすすをつけながらも輝きを保っている。

 あの武器がダンジョンの地形を変えるほどの攻撃を無効化したとでも言うのだろうか。


 そして、それ以上に存在感を放っているのは、突然現れた二体のモンスター。

 人よりふた回りも大きく、個性的な形をしたモンスターが鎮座している。

 見たこともないそのモンスターの両方、レベルは150。

 その数値は今のフィーニスアイランドのプレイヤーではトッププレイヤーを集めたパーティで手を出すのがやっとか、無謀かの領域。それが二体。あの人形を守るように立ち、少年を見ている。


 なにもかもが2人の想像を絶するものが目の前に広がっている。

 この場にいる場違い。そもそもあの少年と人形が同じゲームをやっているのか疑問に思える。

 これらが可能と結びつけるなら安直にズルをしている、だろうか。

 ひと昔のオンラインゲームにはチートというズル行為が存在したらしい。しかし、チートという単語が死語になりつつあるこの時代で、更に最先端の技術を使ったゲーム。更にはゲームの仕組みに疎い子供しかいないこのゲームでそんな事が可能なのだろうか。

 この場に残った事を少しばかり後悔しながらも、頭の片隅でそんな事を考える。


 その一方で、この目の前の光景こそ、現フィーニスアイランドで最高位の戦いなのではといった考えもぎる。

 ノノアはテトこそがホワイトアイランドで最強のプレイヤーだと思っていた。ロルフもそうだ。

 でも、そのテト自身が自分より強い奴がいると言ったことをさっき知った。

 それが本当なら、ノノアが知らない更なる高みがあるという事だ。

 ラテリアは少年のことをイトナと呼んだ。

 その名前には聞き覚えがある。情報を重要視し、高みを目指すノノアがそれを思い出すのは、それ程時間がかからなかった。

 ノノアがフィーニスアイランドを始めた頃、周りが口を揃えて最強と言ったギルド。そのメンバーの1人と同じプレイヤー名。

 それに気付く頃にはノノアの中で、不安や戸惑いは消え、期待だけが胸の中に膨らんだ。


 今は自分はとても貴重な一部始終に立ち会っているのではと。


 少なくとも、ノノアとロルフは、ゲームでは済まされない致命的な危険がすぐ側にあるなんてなんてつゆ知らず、

 ただ、目の前の至高の高みを視観するのだった。



÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷



 ミスティアの怒りが頂点に達したと同時、全力のスキルを放った。

 それは前方一直線に放つもので、〝避ける事が可能な〟攻撃だったはずだ。


 避けることの難易度が大なり小なりかかわらず、イトナは必ず避ける事ができる。


 それは特化した敏捷ステータスと《未来視悪魔ラプラスノ魔眼》での未来視が組み合わさることで可能としている。

 なのに、


 なぜ攻撃が当たった?


 今の一撃は感情によるものではない。

 この日のために、何度も練習した、前から決めていた初手である。

 しかし、それは回避されることを想定していた。


 イトナにとって、避けるより防御した方が都合が良かった?


 思考を巡らせるが、その意図にはたどり着けない。どう考えてもミスティアが有利になる行動だ。

 想定と違ったが、今は深く考察している暇はない。


 初手の攻撃が当たった。

 防がれはしたが、あのガラスを割ったような音。

 あれはイトナがよく使うスキル。

 最初に与えられたダメージを無効化するバフスキルが解かれた音だ。


 ただでさえ攻撃を当てるのが困難なイトナに、初手でそれを外せたのは嬉しい誤算。

 ミスティアはその状況判断を恐ろしいほど瞬時に終わらせると、決めていた次の一手を打つ。


 手加減なく、指先に力を込める。

 想いとイメージはスキルの効果を驚くほど上昇させる。

 手慣れたようにこの世界のことわりを利用し、自分のスキルを最大限に発揮させる。


「《最高位サモン機械式自動人形召喚・スプレマシー・オートマタ》」


 指を振り落とすと、正面に二体の機械式自動人形オートマタが召喚された。


 ミスティアのクラスでは機械式自動人形オートマタの召喚は対モンスター、対プレイヤーでも定石の初動である。

 これは皮肉にもイトナに教わったものだ。


 機械式自動人形オートマタは壁にして戦うのも良し、強化にして主力にしても良しの幅広い戦術を兼ね備えている。

 本来、ミスティアのクラスは機械式自動人形オートマタを主力にして戦闘するクラスと言われているが、心操を伸ばしてきたミスティアは特別だ。

 後衛として優秀なスキルを多数習得しているミスティアは、壁として使用することが多い。


 しかし、今回は別。

 強固な防御域を張り巡らせている今、対イトナに特化した機械式自動人形オートマタを選別した。


 一体は《キラー・クラウン》。

 ポールのように細い胴体から6本の骨の腕が伸び、下半身は獣のように4足。

 全てが骨のようなデザインで構成で、すらっと長く伸びる胴体の先には、笑顔と泣き顔が半々に象られた仮面を被っている。


 二体目は《ルースレス・エクスプロード》。

 見た目は大玉乗りをしている腹の出た親父である。

 腹は薄く透け、なかで歯車が一定速度で動いている。

 手入れのしていないボサボサの髪と髭に、突き出たゴーグルを装着している。

 そして、乗っているのは大玉では無く爆弾で、腰回りにはありとあらゆる爆発物を巻きつけていた。


 それら二体の機械式自動人形オートマタは範囲攻撃を得意としている。

 敏捷の高いイトナへのダメージの期待値を少しでも上げるために手数を増やす考えだ。

 全て避けられても、行動にある程度の制限をかけられる。


 そして共にLv.150。


 ミスティアにとっては雑魚に部類するレベルだが、今のイトナには脅威になり得る数値だ。


 そして今までシミュレートしてきた事をなぞるように、次のスキルを追加する。


「《滑らかな油スモース・オイル》。《ゼンマイ巻きスプリング・ワウンド》ーー」


 機械式自動人形オートマタへのバフスキルをかけるーーその途中でイトナが動き出した。


 遅れて、とてつもない殺意が熱風と共にミスティアの元へ届く。

 その途端、背筋に怖気が走った。


 瞬きをしたら見失うほどの鋭い速度を見て、前の世界でのイトナを思い出してしまう。

 それはミスティアにとって最強の象徴だ。

 そんな高速移動の中、イトナの赤い眼と目が合う。

 その眼はミスティアの知っている優しさの温度を感じない、痛いほど冷たく、鷹のように獲物を仕留めるような目。


 肩がぶるりと震える。

 目の横に汗が流れるのを感じた。

 泣きたくなるほどの恐怖が押し寄せてくる。

 逃げてしまいたい。

 目を瞑ってしまいたい。


 しかし、今のミスティアの本体は目を堅く閉じ、ミスティア人形の目を通している。

 そのおかげで瞬きの必要がなく、なんとかイトナ動きに思考はついていけた。

 大丈夫、落ち着けと自分を言い聞かせる。

 準備は万全だ。


 イトナが三角剣ワールドエンドから黒い双剣へ武器を変えた。

 更に速度を上げたイトナが最初に刃を向けたのは、機械式自動人形オートマタの一体、キラー・クラウンだった。


 想定通り。

 バフで強化され続ける機械式自動人形オートマタを無視することはできない。

 シミュレート通りだ。


 瞬く間に距離を詰めたイトナは、這うように低い体勢から竜巻のように螺旋の斬撃を捲き上げながら飛び上がると、キラー・クラウンの細い首にクロスされた双剣が添えられる。


「《デス・バイト》」


 死のひと噛み。


 それがキラー・クラウンの首に噛み付く。

 しかし、火花を散らすものの、切断には至らない。


 イトナはそれが致命的な攻撃になり得ないと判断したのか、無表情のまま、武器を双剣から蒼いハルバードへと持ち替える。

 そして、その斧と槍を融合したようなその武器が、しなる速度で振り下ろされる。


「《サドン・スマイト》」


 キラー・クラウンの顔面直下。

 稲妻のように落とされたそれは、激しいエフェクトに反してガギンッと悲鳴のような音を鳴り響かせながら、弾き返された。

 キラー・クラウンの仮面にヒビが入る。

 HPも1割に満たない程度減っている。

 だが、それだけだ。


 イトナの攻撃は全力だったはずだ。手加減のないスキル選びに、反撃の時間を与えない、流れるような連続攻撃を受けた。

 受けて、その程度だ。

 全然ダメージを与えられてない。

 イトナのスピードに圧倒されたが、火力は無い。


 ここでミスティアの頬が初めて緩む。


 いける。

 想定以上だ。

 圧倒的なステータスの差と、前準備が、イトナとミスティアの実力の距離を縮め、逆転にまで至っている。

 そもそも力のステータスが乏しい今のイトナ単体では格上に致命打を与えるのは難しいのではないのだろうか。

 これなら殺せる。


 ミスティアは嬉々として次の手を打つ。


「ルースレス・エクスプロード!」


 叫ぶように機械式自動人形オートマタの名を呼ぶ。それに応えるように、攻撃を開始した。


 攻撃は爆発物の投下。

 放物線を描いて放たれるそれらに、重力以上のスピードは無い。

 物を避けることは容易い。だが、それらの爆発範囲を考慮すればどうだろうか。


 イトナは武器を双銃へと切り替える。

 そう、複数の物体を撃ち落とすならば、その武器が有効だ。

 それに持ち替えるのも計算通り。


「《一方通行の網ワン・ウェイ・ネット》!」


 ミスティアはすぐさま予め考えておいた対応手を打つ。


 蜘蛛の巣状のネットが、爆発物とイトナの間に張られる。

 これは一方からの攻撃はどんなものでも遮断、その逆からの攻撃を通すものだ。

 一般のプレイヤーなら切り札になる程のスキルを出し惜しみなく使っていく。


 これでイトナは爆発物を撃ち落とすことはできない。


 全て先手だ。

 先回りを意識する。

 後手に回っては何をされるかわからない。


 撃ち落せないと理解したイトナは素早く辺りを見渡すも、回避が難しいと知る。


「《シャドウ・テレポーテーション》」


 ずるりと、沼に沈むようにイトナの体が地面に埋まっていく。


 シャドウ・テレポーテーション。

 それは影を使用した緊急回避スキルだ。


 しかし、それはミスティアの知っているスキル。

 それ故に、先手は打っていた。


 シャドウ・テレポーテーションは自身の陰に潜り、別の陰へ転送させるスキル。

 イトナの体が全て陰に沈む頃、投下された爆発物が派手な音を立てて破裂する。

 花火のような華やかな爆発は、キラキラと輝き、辺りを満遍なく照らす。


 このダンジョンは鍾乳石が垂れ、影は豊富だ。

 しかし、こう満遍なく照らす事で、ある程度の影を消せる。


 未だ数多の数の影は存在するが、その全てに罠を仕掛ける時間がミスティアにはあった。


 ピピッとセンサーが何かに反応したような電子音が鳴る。

 ミスティアはその音の方向へ瞬時に反応する。

 それと同時に、天井から垂れる鍾乳石の影からドーム状の紫電が薄く広がった。


 発動すれば、一定時間その範囲からの身動きを封じ、スリップダメージを与える罠だ。


 これを回避する手立てはかなり限られる。

 捕らえたイトナに集中砲火したいのをグッと堪え、次の一手を見定める。


 攻撃は罠を脱出したその後だ。


 目を皿にしたように、視野を広く、集中力を高める。

 そして、罠の中から静かに一つの剣が投擲されるのをミスティアは見逃さなかった。


 投擲された剣はミスティアを狙ったものでは無い。

 それはぐさりと地面に突き刺さる。


 ミスティアの口角が吊り上がった。

 この場面でこの動き。間違いなく《相棒の呼び声》での回避だ。

 でも、この剣はフェイント。

 双剣であるその剣と離れた場所に、もう一つの剣転がっていた。


 しかし、これも罠だ。

 焦るな、落ち着けと言い聞かせる。

《相棒の呼び声》は武器の元に瞬時に移動するスキル。

 つまり、現状二択だ。


 突き刺さった剣か、奥に転がっている剣か。


 でも、実際は二択じゃない。

 ミスティアが先に予想を立てて攻撃をしても、イトナには未来視がある。


 予想はダメだ。

 イトナが行動を確定させてから、行動を決める。


 そして、片方の、突き刺さった方の剣にスキルの輝きが灯った瞬間。

 瞬時にそれを包囲するように魔法陣を展開させる。

 同時に、キラー・クラウンが無数のナイフを投げ、ルースレス・エクスプロードが爆発物をばら撒いた。


 これで逃げ道はない。

 ないはずだ。

 そして全ての範囲からの攻撃の中央に、イトナが転移するのを確認してーー。


「っ!!」


 包囲する攻撃のすき間からイトナと目が合った。

 焦ることもなく、表情を変えないまま、ただ一直線にミスティアを見ている。

 そのイトナの手には短いステッキが握られ、真っ直ぐミスティアに向けられていた。


「え」


 今のイトナは窮地にいるはず。

 だというのに、反撃の体勢でその場に現れたのだ。


 視界の端に輝きを感じる。

 気づけば、ミスティアもまた、多数の魔法陣に包囲されていた。


 不意の出来事に息を呑む。


 そして、お互いの魔法攻撃スキルが発動しーー。


 ミスティアの視界は黒い炎と黒いいかずちに覆われた。


 冷やっとした。

 背中から滝のように汗が噴き出したような気がした。

 しかし、それは杞憂だ。

 ミスティア人形にダメージは無い。

 そう。

 今のミスティア人形は鉄壁の防御域にいる。


 たとえ防御域の中で魔法を発動させても、高密度に張り巡らせた糸が、それを弾く。

 現に、イトナの魔法は水を弾くようにして、ミスティア人形を避けている。

 予めそうなるようにこれを設計していたのだから。


 準備してきた過去の自分に感謝しながら、はとスキルのエフェクトでイトナの姿を確認できないことに不安を覚える。

 あの場面で反撃に出たのだ。ただでは済まないはず。


 そのはずなのに、ミスティアは反撃出来るくらい、あの状態がイトナにとっては余裕だったのではと、そう考えをぎらせてしまう。


 魔法のエフェクトが止む。

 そして目の前にある光景に、ミスティアは息を詰まらせるしかなかった。


 イトナはあの場から動いていなかった。


 そして、イトナを中心に、一定の空間が色を失っていた。


 白と黒だけの世界。


 その空間の境目はぼんやりとしている。

 もう攻撃を終えているはずの、包囲していた魔法陣や、その他の攻撃はその色を失った世界の中に未だ存在し、動きを止めていた。


 念力の類い?

 それともまさか、

 時を止めている?


「思想詠唱の腕を上げたね。今のはクリスに匹敵する速度だったよ」


 イトナはゆっくりと歩み、攻撃の包囲から抜け出す。

 これで仕切り直しと言わんばかりに、最初の位置にイトナが立った。


「内側からの魔法攻撃も効かない……か。近接も効かなそうだし、今の僕だと勝ち目はなさそうだね」


 そうだ。ミスティアの負けはない。

 イトナの強さは想定を上回っているが、まだ圧倒的有利は変りないはずだ。

 ステータスと卓越した技術をもつイトナにとって、スキルによる回避に頼るのはやむを得ない切り札。


 そして回避系のスキルのクールタイムは長く、連続で使用することはまずありえない。

 そんな有限で貴重な切り札を一枚、また一枚と抜いていく事はミスティアの勝利に近づいていることに違いない。


 だというのに。

 なぜだ。


 イトナの表情に変化がない。

 それが不気味で仕方ない。

 まるで、まだまだ余裕で、イトナもまた、負けはあり得ないと思っているかのようだ。


 イトナの態度に不安の波が押し寄せてくる。

 でも、ミスティアはそれを首を振って振り払う。


 ハッタリだ。

 そういう心理戦に違いない。

 イトナも言っていたじゃないか。

 今のイトナのステータスではこの防御域をどうにかすることはできない。

 今なのだ。

 今こそイトナを仕留めるタイミング。


 よく見ればイトナは無傷ではない。

 HPは3割ほど削れ、心なしか、肩が上下に揺れている。

 なにかの攻撃がかすったのか、はたまた、罠の時のスリップダメージが効いたのか。

 なんにしても、イトナは無敵ではない。

 このままいけば勝てる。

 勝てない相手ではない。

 続けていればいつかはミスティアが勝つ。


 対イトナに用意したスキルはまだまだある。

 改めてミスティアは行動に出ようと、魔力を込める。


 そこで初めてミスがでた。

 一瞬の気の緩みか、予備動作なしに高速移動を行なったであろうイトナの姿を見失ってしまう。


 油断した。

 後悔しても遅い。

 目にありったけの集中力を集める。

 その瞬間、あろうことか、目の前。防御域ギリギリのところにイトナが現れた。


「……っ!?」


 不可解な行動に、混乱する。

 想定外にミスティアの判断が遅れる。

 その間に、イトナはステッキをミスティアに向けた。


 武器を向けられたことに怯むが、冷静を保つ。

 無駄な事だ。

 魔法でも、この防御域には……。


 イトナのステッキの先が輝く。

 詠唱、スキル名は無い。

 最速で発動された魔法は、ミスティアの左右斜め下から現れた。

 巨大な白い結晶のような塊が、ミスティアを押し潰そうと姿を現わす。

 魔法による物理ダメージなら通るとでも考えたのだろうか。


 しかし、結晶は防御域の糸によって、ごなごなに切断されていく。

 ミスティアはその様子を確認するよりも、イトナの姿を凝視する。

 先の失敗を繰り返さないように。


 バキンッと結晶は砕かれ、その破片が飛び散る。

 それが、ミスティアの古い記憶のなにかと一致することに遅れて気づく。


 このスキルには見覚えがあった。


 このスキルは、ルミナスパーティ、青の魔導師の……。


 失敗した。

 その後悔と同時に、カッと強い輝きがボスルーム一面に広がった。


「っく!」


 見失わないと、凝視していた視界が焼かれた。


 眼を閉じて人形との視界を繋げているミスティアは〝瞼を閉じる〟ことが出来ない。

 それ故に視力回復には時間がかかる事をすぐに理解する。


 やられた。

 いや、

 しかし、だからなんだというのだ。

 確かに防御域では防げない攻撃を仕掛けてきた。


 でも、それはHPを削るものでは無い。

 なら、視力が回復するのを待てばいいだけ。

 これが負けに繋がることはない。


 一度、落ち着くように深呼吸をして精神を整える。

 整えて、

 整え終わろうと、息を吐ききる直前で、

 とんでもないミスをしでかしたことに気付かされた。


 負けに繋がることはない?

 そんな行動をイトナがするわけがない。

 目の前のことに必死で、抜け落ちていたイトナの最も恐ろしいスキルを今更ながら思い出す。


 〝それは反則にも近い、自身強化のスキル〟


 ミスティアが最も危険視していたはずのスキル。

 その中で最も条件が緩いものが、敵とする相手の目の前で13秒間の待機時間……。


 今、何秒たった?


 心臓の脈打つ音が鮮明に聞こえる中、今更ながら脳内で秒針が動く音が響く。

 深呼吸なんかしている余裕は、ミスティアには無かったのだ。


 どうする?

 どうしようもない。

 もはや、当てずっぽうで攻撃し、イトナのスキルをキャンセルさせるしかない。


「っき!」


 ありったけの範囲に攻撃を仕掛ける。

 もし仮にそのスキルを使用していたなら、13秒間動けないはず。


 しかし、これはシミュレートには無かった事態。

 これが正解なのか、不安でしょうがない。

 一心不乱に魔法を畳み込む。


 いつから狂った。

 イトナを見失ってから?

 いや、この防御域に慢心し過ぎた。

 先手を打っていた筈なのに、一つのミスで後手に回っている。

 

 視界に色が戻ってきた。

 ぼやける視界が鮮明になりつつある。

 早くイトナの確認を……。


「っな!?」


 イトナの姿を確認する。

 イトナはすぐに見つかった。

 しかし、その場所はミスティアの予想だにしない所だった。


 あろうことか、イトナは防御域の中にいた。

 両腕と片足を失い、HPは1割残っているかどうかまで削れている。

 身を削って防御域に進入し、ミスティアの範囲攻撃から逃れていたのだ。


 刹那。

 時計の秒針が時を13回刻んだ音を耳にした気がした。


 ぶわりと殺意が音を立てて押し寄せてくる。

 赤いオーラがイトナを包み、髪を逆立て、顔つきがガラリと変わった。

 その顔つきは殺意という言葉を具現化したようなものだった。


 目の前の敵を殺すと決意した顔つき。

 それがミスティアを捉えている。


 そして、赤いオーラがイトナに収束しーー。


「《不倶戴天ふぐたいてんノ敵意》」


 イトナの瞳孔がキュッとすぼまる。

 殺意が凝縮された鋭い眼がブレた。


「しま……!?」


 一瞬でイトナを見失う。

 そして、あちらこちらでパリンパリンとガラスを割ったような音が響いた。

 薬品のような匂いが漂う。

 ダンジョンには雨のように、なにかの液体が降り注がれる。


 それが回復薬だと察する頃には、五体満足のイトナが、蒼いハルバードを防御域の目の前で横に構えていた。


 力強く薙ぎ払われたその斬撃は防御域に阻まれることなく、プップッとピアノ線を切ったような音を立てながら、振り切られる。


 それは、文字通り、音を立ててミスティアの防御域が崩されたことを意味していた。


 《不倶戴天ふぐたいてんノ敵意》。

 そのスキルの効果は一番高いステータス値と他のステータス値を同値にするもの。


 例えば、力:10 体力:10 敏捷:100 魔力:10なら全てのステータスを100に引き上げる。

 Lv.200のミスティアの割振れる総ステータス値は20100。仮にイトナのレベルが150なら、11325。


 あり得ないが、これを全て敏捷に割り振っているとすれば、《不倶戴天ふぐたいてんノ敵意》の効果で、イトナの総ステータスは45300となる。

 敏捷を上昇させる装備をしていればもっとだ。


 もはや、ステータスの圧倒的有利は失い、逆に倍以上の差をつけられた。

 たった一つのスキルで。


 これがイトナの真骨頂。

 真の切り札の一枚。


 全てのステータスランクがS+になったであろうイトナを見るのは、ルミナスパーティをも苦戦させた大災害以来だ。


 敏捷に続いて、力、魔力のステータスがS+に達したイトナには、もはや弱点は存在しない。


 ここで初めてミスティアは逃げるように奥へ移動する。

 恐ろしくほどの速度で振り回されるハルバードが、ミスティアが年単位で築き上げてきた防御域を壊して行く。


 こうなっては、純粋な戦闘でミスティアの打つ手は残されていない。

 もはや逃げても一寸の時間稼ぎにしかならない。

 だが、勝負を捨てるわけにもいかない。


 イトナはあらかたの防御域を破ると、三角剣ワールドエンドへ武器を変え、イトナは驚異的なスピードで肉薄してくる。


「っふ!」


 光にも匹敵しそうな超高速の一振りになんとか反応し、蜘蛛の巣状の防御壁を張る。

 ミスティアの持つスキルの中で、最も優れた防御壁だ。


 だが、それに衝撃が来ない。

 イトナの手元には三角剣ワールドエンドが消え、ステッキが握られていた。


 防御壁は無意味に終わり、両サイドから魔方陣に挟まれる。


 この瞬間、ミスティアの思考は驚くほど冷静で鮮明だった。

 全てがスローモーションで見えるような感覚を感じながら、先の一手を閃く。


 ここだ。

 この状況で長期戦をしても不利になる一方。

 なら、短期で勝負をつけるために、早々にミスティアも切り札を切るべきだ。

 あの魔法剣士さえ操った心操スキル。あれで逆転の目を掴むしか……。


 ミスティアは瞬時にスキル発動までのシチュエーションをイメージする。

 そして、両サイドの魔方陣から魔法が吹き荒れた。


 ミスティアはそれを避けようとはしない。

 ミスティアもまた、イトナと同じく最初のダメージを絶対回避するスキルを用意していたからだ。


 ダメージの嵐がミスティア人形を包む。

 それと同時に、ボンッと気の抜けた音が鳴った。


 《空蝉人形うつせみにんぎょう》。

 他の人形にダメージを肩代わりしてもらい、本体は別の場所に転移するスキル。


 これはイトナに見せたことの無いスキル。

 転移後のこのタイミング。

 この時こそが最後のチャンス。

 イトナの背後に回ったミスティア人形が強く輝く。


「《マリオネッーー》っ!?」


 視界が大きくぶれた。

 スキルを発動する前に、視界がもの凄いスピードで移動する。


 何が起こったのか理解が追いつかない。

 次に衝撃と共に、視界が止まる。


 人形の腹に、短剣が突き刺さっていた。

 体を貫通し、壁に深く突き刺さっている。

 HPも残り2割手前まで減少していた。


 まさか、あのタイミングの転移に反応された?

 いや、そもそもの前提として、イトナには《未来視悪魔ラプラスノ魔眼》がある。

 転移先はお見通しだったわけでーー。


 突き刺さった短剣から、視界を上げる。


 そこには腕を真っ直ぐ伸ばし、銃を構えるような姿のシルエットがあり、

 それを目にした瞬間ーー。


 ミスティア人形とのリンクがぷつりと途絶えた。



÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷



 まるで悪夢から目覚めたかのように、ミスティアは目を見開く。

 びっしょりとかいた汗で、服が纏わりつく。

 だが、ミスティアはそんな事を気にしている場合ではなかった。


「……なんで」


 硬く、痙攣した舌を動す。


「なんで……なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでああああぁぁぁぁ!!」


 肺にあった全ての空気を吐き出し、下唇を強く噛みしめる。血が滲もうと、もはやどうでもいい。


「うっ……くぅ……」


 なにが。

 なにが勝率5割だ。


 内心、必勝を確信していた。

 それ程全てを捧げた戦いだ。

 全ての不安を払拭するように、時間を掛け、妥協なく取り組んできた。

 負けるなんてありえない筈だった。


 けど、負けた。


 圧倒的だった。

 イトナの変わらないあの表情が今でも頭から離れない。

 そのせいで、何度やったって勝てるビジョンが浮かばなかった。

 それ程にコテンパンにやられた。


 チュートリアルで仕留められなかった。

 次は本番。

 イトナ同等プレイヤーを4人同時に敵に回すことになる。


「どうすれば……いいの?」


 交渉は決裂し、ミスティアは狩られる立場。

 絶望の未来しか待っていない。


「私は、生きたいだけなのに。生きるためだけに努力したのに……どうすれば……」


 心折られたミスティアは、膝をつき、死んだような目で、真っ暗な未来を遠く見つめるしかなかった。


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