10
「はい。どーぞ」
ニアが部屋のドアを開けて、イトナを招いてくれる。
ニアの部屋はとても綺麗に片付けられていて、物が少ない大人しめの部屋だった。
まぁそれもそだろう。ゲームの世界に自室があっても使いどころはあまりない。でも、女の子プレイヤー曰くゲーム内でもプライベート空間は必要らしい。この前のリエゾン誌でそんな記事を見たことある。
「ごめんね、皆んなうるさくて。ここまで来ればもう大丈夫だから。あ、そこ座って」
そう言って少し疲れた顔を見せるニア。確かにあれほどの個性的なメンバー達をまとめるんだから大変そうだ。ギルドマスターの大変さをしみじみ思いながら勧められた椅子に座る。
「それで相談ってなに?」
「あ、うん。昨日のことなんだけどーー」
それから昨日のラテリアの件を話した。
男性恐怖症のクエストのこと。ラテリアがコールの妹ということを。
「ニアなら男性恐怖症の治し方とかアドバイスを聞けるかなって」
「それで女の子が一番多いギルドのマスターである私に相談って訳ね。それにしても、コールさんに妹いたんだ。懐かしいなぁコールさん」
懐かしむように宙を見るニア。昔のパレンテを知っていて、なおかつ関わりのあったプレイヤーは今ではほとんどいない。
若くして、いや幼くしてフィーニスアイランドを始めていて、パレンテのライバルギルドだったサダルメリクに所属していたニアはその数少ないプレイヤーの一人である。
「それでどうかな、男性恐怖症」
「んー。男の人が苦手っていう理由でうちに入った子は何人かいるけど、それは逃げるために入って、治すために入ったわけじゃないから」
「そっか……」
良く考えてみればそうだ。サダルメリクには女の子はいっぱいいるけど、男の子は一人もいない。
「そのコールの妹さんってイトナくんのことも怖がってたの?」
「凄い怖がられた。僕が立ち上がろうとしただけで泣きそうになってたし」
「泣きそうって……重症ね。イトナくんが怖いなんて……イトナくんがなんかやったとか無いの?」
「まだなにもしてないよ。触ってもないし」
「まだ? 触る?」
言い回しがあまり良くなかったみたいだ。ニアから不信な目が向けられる。
「まぁいいわ。絶対にこれが正解って言えないけど、なんとなく分かるわよ。男性恐怖症」
「ほんと!?」
「うん。私は男性恐怖症じゃないけど、時々怖いって思うことがあるし。男の人」
「え、ニアが?」
それは意外だった。イトナの知っているニアはいつも堂々としていて、あまり動じることはないから。ついさっきだって一応男であるイトナを揶揄ってたわけだし。
「フィーニスアイランドだと男の人相手でも私の方が強いしあまり無いけど、リアルだと自分より力のある大きな男の人は少し怖いって思うときあるもの」
そういえばラテリアも昨日の話で、大きな男の人は特に苦手で、会話することも難しいって言っていたかもしれない。
「イトナくんだってガラが悪くて明らかに自分より力のある人が目の前にいたら少しは怖いでしょ?」
「確かに……そうかもしれない」
目つきが悪くていわゆる不良みたいな人は近寄りがたいものがある。
「じゃあ、考えてみて。イトナくんはなんでその人が怖いの?」
「えっと、自分より強いからじゃないの?」
「うん。でも、そうだな。例えばスペイドさんとか怖かった?」
スペイド。昔、パレンテが六人いた時のギルドマスターで、ギルドで一番強かったプレイヤーの名前が挙げられた。確かにスペイドはイトナより強い男の人に当てはまる。でも。
「怖くないよ。だって同じギルドだし……」
そんなの当たり前の事である。一緒に冒険した仲間で、その強さは怖いではなく言うなれば頼もしいだ。
ニアがなにを伝えたいのがイマイチわからなくて首を捻る。
「んー。じゃあ話が変わるけど、イトナくんハチは怖い?」
「ハチってあの虫の?」
「そう。黄色くて刺されたら凄い痛いあの虫。ハチが近くを飛んでたらどう思う?」
「それは……まぁ普通に怖いよ」
「なんで?」
「えっと、刺されるから?」
「うん。そうだね。そう思うのが普通だよね。でも今はちょっと普通じゃないことを言うね」
ニアがニッコリと笑う。
「イトナくんは当たり前のように刺されるって言ったけど、もしかしたらそのハチさんは優しくて、そんなことしないかもしれないじゃない?」
「へ?」
いきなりメルヘンな話になってきた。優しいハチさん?
「イトナくんはハチに刺されたことあるの?」
「ないけど……」
「じゃあなんで刺されるって思ってるの?」
「それは、そう教わってるから……」
「そう。そう小さい頃に大人に教わって、周りも言ってるから、ハチは危ない。そう〝思い込んでる〟んだよね。自分より力のあるガラの悪い男の人もそう。自分が怖いと思い込んでるだけで、話をしてみたら本当はとても優しい人かもしれないじゃない?」
なるほど。なんとなくニアの言いたいことが見えてきた。ハチの例えは極端だけど、ラテリアにとって男の人はハチと近いのかもしれない。
「ラテリアは小さい頃に酷いことされたから……」
実際に酷いことをされれば、刺されたこともないイトナが今怖いと思うハチとは比べ物にない程に怖いと思ってしまうかもしれない。だって身をもって経験しているのだから。だから本能的に男は危険、そう判断してしまうんじゃないだろうか。
「無意識に思い込んているんじゃないかな。男の人は危ないって」
「じゃあどうすればいいかな?」
「簡単よ。イトナくんはハチじゃないんだから。ハチと仲良くするのはちょっと難しいけど、私たちは人間同士よ。話をして、少しづつでも怖くないって分かってもらえればいつかは治るんじゃないかな。イトナくんだってスペイドさんとずっと一緒にいて、信頼していたから怖くなかったんでしょ?」
言われてみれば、最初にあった頃のスペイドは歳もずっと上で勿論体格差も大きいし怖い印象があったかもしれない。
「そうか。うん。なんとなくわかった気がする。流石ニアだよ」
「絶対じゃないからね。私は病院の先生じゃないんだから」
「うん。でも凄いよ。なんかニアの話は納得できた」
なるほどなるほどと頷く。会話をして少しづつ慣らしていく。それならイトナにでもできることだ。
「コールの妹さんはイトナくんと会話はできるんだよね?」
「うん。目は合わせられないけど、話はできたよ。とりあえず目を見て会話ができるようになるが最初の目標でいいかな?」
目を合わせながら会話、とまでいかなくても今夜はイトナとある程度の時間目を合わせられるようになる。でもいいかもしれない。
「いいんじゃない? でも……」
ニアがニヤリと笑う。
「イトナくんが女の子とずっと目を合わせられるの? 私と話すとき目を合わせて話してくれないこと多いじゃない」
「うっ……」
痛いところを突かれた。言われてみれば長時間ニアと目を合わせていられないかもしれない。今だって、時折視線を外してしまう。
「なんでかなー?」
ニアが揶揄いモードに入る。
なんでって、それはニアほどの女の子とずっと目を合わせていたら照れちゃって、それに耐えきれずに目をそらしちゃうからだ。
そんなこと恥ずかしくて自分の口から言えないけど、きっとニアはそれを知っててわざと聞いてくる。でも、いつまでもニアから揶揄われっぱなしではいられない。
「その気になれば……逸らさないよ」
強気に出るイトナ。
「ふーん。じゃ、試してみる?」
「い、いいよ?」
「じゃ、一分。一分間私から目を逸らさないでね」
もうその一分は始まっているのか、無言でジッとイトナを見つめてくるニア。
イトナも負けじとニアと目を合わせているのに、一方的に見られているような感覚。早くも視線が少し揺らぐ。
「十秒~」
ニアがカウントを取る。
長い……。
まだ十秒?
もうだいぶ経ったと思っていたのに。
「……二十秒~」
ニアが上目遣いや色々な角度で攻めてくる中、イトナは無心になっていた。
心頭滅却。
ニアの顔、ただの人のじゃないか。別に何も意識する必要なんてない。
……あれ?
それ気づいてからは驚くほど楽になった。
なんだ。意外と簡単じゃん。そんな事を心の中で呟いていると、目の前のニアの顔は明らかにつまんなそうにしていた。
すぐに照れて、目を逸らしちゃうって思っていたんだろう。やろうと思えばニアと目を合わせることくらいどおってこと……。
「……そえばイトナくん。男女が十秒以上見つめ合うと好きになるって言うけど、そろそろ私の事好きになった?」
「っへ!?」
イトナの保っていた無心の心はあっけなく音を立てて崩れた。
「はい。私の勝ちー」
「ずるいでしょ! そんなこと言うの!?」
それに勝ち負けあったの?
「だってイトナくん、本当に目を逸らさないからーー」
ニアが途中まで言った言葉を切り、勢いよく立ち上がる。鋭い目がイトナを通りこしてドアへと注がれる。
イトナもそこで気付く。部屋のドアの前に誰かがいる。
気配を感じた。なんて大袈裟な直感じゃない。ギシッギシッとドアを強く押して軋む音がするのだ。
ニアが素早くドアまで移動すると、勢いよくドアを開けた。
「っひゃ!?」
人間雪崩が起きた。
「重い~! だから押さないでーってー!」
雪崩の一番下に潰れている人が悲鳴を上げる。
「あなた達クエストに行ったんじゃないの!?」
小梅に引きずられてクエストに行ったはずのユピテルが雪崩の一番下でもがいている。その上に重なるのはそれに同行していたプレイヤー達。それ以外のプレイヤーもいる。
「……もしかして盗み聴きしてたの?」
ニアの抑揚がガクンと下がる。部屋がピキリと凍りついた気がした。
「ち、違うんですニア様!? 私達はニア様を野蛮な男からお守りしようと!」
「そうです! ニアさん、早くその男から離れてください! 汚れちゃいますっ!」
雪崩がギャーギャー騒ぎ始めるが、ニアの一睨みでそれが凍結された。
「ユピテル、なんでこの子達止めなかったの。あなた一応サダルメリクのサブマスターでしょ」
「ニアちゃん違うの~。私はちゃんと止めたんだよ~」
「じゃあなんで一番下にいるんだよ……」
雪崩の一番下にいるという事は扉の最前にいたってことだ。つまり主犯格ってわけで。
「イトナくんの裏切り者~!」
裏切りって、いつから仲間のつもりだったんだろうか。
「全員この部屋から出て行きなさい。今、すぐ!」
ドアの向こうを指差すニアの号令により雪崩がどんどん捌けていく。とうとうユピテルが立ち上がって、流れに乗って部屋を出ようとするけど……。
「ユピテル。あなたはここに残りなさい。話があるから!」
腕をニアに掴まれ、部屋に引き戻されるユピテル。
「ひーん! ニアちゃん目怖い! 一応私の方が歳上なのにぃ!?」
「私より歳上なんだからもっと大人らしくして」
ニアが手を腰に当ててため息を漏らす。
「ニアちゃんだってイトナくんに私のこと好きになっちゃった? とか言ってたくせに……」
「なにか言いましたか」
「いえ、なーんにもー」
ささやかなユピテルのカウンターが入り、そこからニアの説教が始まろうとする。そこでドアがノックされた。
「ニア様、イトナ様。お茶とクッキーをお持ちしました……」
入ってきたのはえらく萎れた様子の小梅だった。お盆にティーカップ一式を持つ小梅はメイド服を着ているせいか、その姿はとても様になっていた。
「小梅、クエストはどうしたの?」
「あのクエストは嘘つきです。全然伝説の剣じゃありませんでした」
「報酬はちゃんと伝説の剣って書いてあったんじゃないの?」
イトナが尋ねるとぶすっとした顔で依頼書を渡してくる。
「目的のダンジョンに着いたら既にクエストを達成したパーティがたくさんありました……。そのパーティ全員が持っていたんです。伝説の剣。そんな大量生産の伝説なんて、全然伝説じゃありません」
小梅が口を尖らせて言う。
なるほど。レアで難易度が高いクエストなら先着一名のいわゆる伝説級の武器が貰えることがあるけど、それは本当に稀だ。
どうやらこのクエストは達成すれば誰でも貰えるもので、名前だけの然程大したことの無い報酬だったのだろう。
「私はその光景を、幼い子供がサンタさんに会おうと楽しみに起きていて、その正体がお父さんという悲しい現実を知ってしまった時の様な目で、一分ほど眺めて帰ってまいりました」
「そ、そうなんだ」
「はぁ、伝説の剣……」
よっぽどガッカリしたのか恨めしそうに伝説の剣と呟く。今度小梅が喜びそうなクエストがあったら教えてあげよう。
力なくテーブルにティーセットを並べ終えると、そのままとぼとぼと部屋を出て行ってしまった。
「小梅~。たすけてよぉ~」
この後、ユピテルがニアに絞られる様子をクッキーを齧りながら眺めるのだった。
次回は明日の20時投稿です。




