第373話 魔王教
取り残され、私たちは呆然としばらく立ち尽くした。
ベルベットさんは詫びるように両手を合わせてくれていたけど、何がなんだかよく分からなかったなぁ。
「イルゼさんのお父さんが来てからは、嵐のような感じでしたね。お別れもまともにできませんでしたし」
「ですね。クッキーも渡そうと思っていたんですけど……」
アソートパックを購入していたため、まだクッキーが残っている。
個包装だし、王都に戻ってからでも食べてほしいと思っていたんだけど、本当にすぐ帰ってしまったため、渡すタイミングすらなかった。
「反応からして、思っている以上に大事なことだったようだな。誘拐の時点で十分大事ではあるが」
「『魔王教』と言っていましたね。それに、イルゼさんのお父さんもどこかで見たことがあるような気がします」
ベルベットさんがわざわざ付き添うくらいの方だし、貴族としても有名な人物なのかもしれない。
ただ、貴族にしては立派すぎる鎧を身に着けていたし、体つきもかなり鍛え上げられていた気がする。
「ひとつ聞いてもいいですか? 先ほどから話題に出ていた魔王教というのは、なんでしょうか?」
「佐藤さんは魔王教を知らないのか?」
「佐藤さんはこちらの世界に転移してきてから、一度も関わることがなかったですもんね」
「そんなに有名な存在なんですか?」
「悪い意味で有名ですね。魔王教を一言で伝えるなら、魔王を崇拝している人たちのことを指しています」
魔王を崇拝している……人?
人間が、人間の世界を攻め込もうとしている魔王を崇拝しているってこと?
同じ言葉を頭の中で繰り返したけど、全く理解が追いつかない。
「どういうことですか? なんで人間が、人間を滅ぼそうとする魔王を崇拝するんでしょうか?」
「私にも理解はできませんが、世界の破滅を願う人が一定数いるようなんです。そんな人たちが作り上げた宗教が『魔王教』ですね」
「世界の破滅を願う……? 凄い方々もいるんですね」
魔王教は、いわゆる破滅願望を持った人たちということだろうか。
私も小学生の頃は、台風が来て学校が休みにならないかなぁ、なんて考えたことはあったけど……それの究極版みたいなものかもしれない。
日本でも、ネットなどで世界の滅亡を願う人を見かけたことがあったような気はするけど、実際に出会ったことはない。
それどころか、この世界では破滅させるために実際に行動しているようだし、失うものがない人たちはやっぱり怖いなぁ。
「エルフの国も、一度魔王教に攻められたことがあった。力はなかったが、行動力は見張るものがあったな」
「そうだったんですか? ここが平和すぎて分かりませんでしたが、やはり物騒ではあるんですね」
この辺りがあまりにのどかで、私はすっかり平和な世界だと思い込んでいた。
けど、魔王軍からの攻撃を受けたり、魔王教による誘拐を目撃したりと、最近は物騒な一面を垣間見た気がする。
ここだけは絶対に守りたいから、やはり戦力は集めておいた方がいいかもしれないな。
「――あっ、思い出しました。イルゼさんのお父さん、帝国の英雄だと思います」
「えっ? 帝国の英雄……ですか?」
「はい。帝国騎士団の元将軍で、魔王軍の侵攻を何度も食い止めたという噂を聞いたことがあります。どこかで見たことがある気がしたんですが、ようやく思い出せてスッキリしました」
「そんな凄い方だったんですね。確かに、装備も立派でしたもんね」
元将軍ということなら、色々と合点がいく。
貴族にしては、ずいぶんと鍛え上げられた体をしていたもんね。
イルゼちゃんが狙われたのも、娘を人質にイルゼちゃんのお父さんを封じようとしていたのかもしれない。
とにかく、魔王教は警戒すべき組織であることは間違いない。
「イルゼのメンタルが強かったのも納得だな。誘拐されたことに気づいてなさそうではあったが、それでもあの年齢なら泣きじゃくっていてもおかしくはないからな」
「ですね。将軍の血が色濃く受け継がれているのかもしれません。将来は凄く強くなるかもしれませんね」
ルチーアさんたちに馬をやらせて喜んでいたのも、お父さんの血の影響かもしれない。
イルゼちゃんの才能をひしひしと感じながら、私たちは話を終えて作業へと戻ることにした。
この数時間で色々あったけど……イルゼちゃんが無事で良かった。
そして何より、ライムとマッシュが帰ってきてくれて本当に嬉しい。





