17.皇宮からの書状
アグネストは、憤っていた。
社交界では笑いものになっていたあのリーシャが、まさかリンドベルド公爵家に嫁いで、今では話題の中心人物になっている事に。
本人は、今も昔も社交嫌いのせいで、ほとんどパーティーに顔を出すことが無いためか、その実家であるベルディゴ伯爵家がやり玉に挙がっていた。
ベルディゴ伯爵家は歴史が古いだけの影響力の無い家。そう思われていただけに、まるで盗人のごとく周りに知られる事なく行われた今回の婚姻は、皇族を含む有力貴族にとっては晴天の霹靂だった。ゆえに、皇族に遠慮していた伯爵家より上位の存在からは嫌味を言われ、笑いものにされていた。
それを受ける立場にいるのはリーシャのはずなのに!
自分は、求婚の場にいた。
だからこそ、あの二人が純粋な恋愛結婚だったとは思っていない。むしろ、それを確信していた。
そもそも、あのリーシャに恋心を抱くなど普通考えられない。
肌も髪もボロボロで、女としての魅力は皆無。社交場でだって、その見た目を嘲笑われていた存在。
少なくとも、アグネストにとってみれば取るに足らない存在、それがリーシャだった。
それなのに、聞こえてくる噂は恋愛結婚とか、愛し合っているだとか。あり得ない。
アグネストは、リーシャに初めて会った時、本家直系の娘として何一つ苦労していないような顔に苛立った。
自分だって、伯爵家の血を引いているのに、この格差はなんだと子供ながらに感じた。それはアグネストの母も思っていたようだ。
即座に、リーシャの味方を排除し、自分の都合のいい使用人だけを残した。
さすがに総括執事だったラグナ―トを切って捨てることが出来なかったが、リーシャを不遇な立場に追いやる事には成功した。
そうすると欲が出る。
ベルディゴ伯爵家の跡取りという座が。
リーシャが継げば、自分たちが追い出される未来しかない。
だったら、その座を奪うほかない。
特権階級の仲間入りをして、色とりどりのドレスや宝石に囲まれて、使用人にちやほやされる。そんな生活に慣れたら、貴族になる以前にはもう戻りたくないと思った。
実際、家臣からはリーシャよりもアグネストの方が次代を継ぐのにふさわしいのではないかとも言われていた。
直系の血筋ではないが、父は傍系の血を持っていたおかげだ。
一定数、直系の血にこだわる存在もいたが、社交界での振る舞いや影響力を考えればどちらがふさわしいかなど、考えるまでもない。
そして、長年リーシャへの悪意ある噂を流し続け、アグネストへと跡継ぎが変わった。
リーシャが伯爵家にとって、まあまあ使える存在なのは少しは分かっていた。面倒な仕事を父や母が押し付け、それなりにやっていた。
アグネストが跡継ぎになっても、寛大な気持ちで仕えさせてやろうと思っていた。
それなのに――!
まさか、この国で知らぬ者はいない貴族であるリンドベルド公爵家の若き当主に見初められて結婚するとは信じがたかった。
ベルディゴ伯爵家の跡取りの座よりも何倍も魅力的な公爵夫人の座、それはリーシャよりも自分の方がふさわしい。誰が見てもそれが真実だ。
公爵が訪れた際に訴えた。どちらが上かを。どちらを選ぶ方がいいのかを。
男なんて、見た目が整っている方が好意的にすり寄って来る。それは経験上知っていた。ちょっと、困ったように上目遣いで見つめれば、意のままだ。
しかし、公爵はそんなアグネストに対して嫌悪感をあらわに追い出した。
その事に対して、今思い出しても怒りがわく。
まるでリーシャより格下のような扱いを受け、特殊な趣味の男なのだと言い聞かせた。しかし、自分よりも上位の存在になったリーシャに頭を下げなければならないと思うと、やはり身体が震えるほど力が入る。
「ちょっと、何してるのよ! 早くお湯の支度しなさいよ!」
ここ最近は邸宅内が上手く回っていない。
その事にも苛立たされる。
少し前までは、こちらの意図を察して先回りして準備されていることが普通だった。
「も、申し訳ございません……」
機嫌が悪いと分かっているせいか、使用人も委縮して、それが悪循環になっている事をアグネストは理解していない。
「本当に使えない! ちょっと、最近たるんでるんじゃないの? 前にいた侍女はどこ行ったのよ!」
「そ、それは……その――……」
「全く、高い給金支払っているのだからそれ相応の仕事をしなさいよ! こんな仕事ぶりなら減給どころじゃないわ!」
申し訳ありません、と頭を下げて浴室に姿を消す侍女の姿に、栄えある伯爵家に仕えているくせに、これでは困ると眉を寄せる。
少なくとも、今自分に仕えている侍女は、解雇かもしくは減俸すると心に決めた時、不意に外が騒がしい事に気付いた。
何事かと窓によると、外には父がいて、焦ったように相手に何か言っているようだった。
相手の身なりは、皇宮に仕える文官制服を着ている。しかも、その色はかなり上位の存在を示すものだ。
あくせく働く下級貴族などただの使用人と思っていても、皇宮で働く公人がかなりの力を持っている事はアグネストでも知っている。むしろ、トップクラスの公人は、上級貴族の当主が兼任していることが多い。
その知識から考えるに、相手は父よりも上位の存在の可能性がある。
父がわめいていても、相手の頑なな態度がそれを一層顕著に感じさせた。
嫌な予感がする。
相手が、踵を返し門前に止まっている馬車に乗り去って行く姿を確認すると、アグネストは部屋を出た。
そして、階下でざわつく中、父に近づくと、手に持つ書状を握り潰すように持っていた。
「お父様」
声をかけると、ぎらぎらするほど怒りを宿した父がアグネストを睨みつけた。
「お前、何をした!」
いきなりの事で、アグネストも一体なんのことかと苛立つ。
もともと、機嫌が悪かったアグネストが、初めてと言ってもいい父からの叱責のような言葉に、言い返す。
「何のことでしょうか? 何もしない当主のお父様の代わりに、わたくしは伯爵家のためにこうして日夜かけずりまわっているのに、一体何に対しおっしゃっているのか理解できません」
「父親になんて口のきき方だ! これならまだリーシャの方が従順でよかった!」
リーシャと比べられ、アグネストはカッとなる。
「従順? リーシャを使用人の一種とおっしゃったのはお父様ですよ! 使用人が従順なのは当然です! まさか、わたくしを使用人程度とお比べになられるとは思いもしませんでした」
「ふん、使用人と比べても劣る血筋というのは、どうやら伯爵家を窮地に落とすことしか出来なかったらしいな」
母の血筋を揶揄され、同時に自分も貶められて、アグネストの身体が震えた。
この伯爵邸に仕える使用人よりも劣る母親の血。その血を受け継ぐアグネスト自身も、卑しい血の持ち主だとはっきり父に言われ、リーシャよりも優れていると言われ続けてきたアグネストは、父の突然の豹変が受け入れがたかった。
「お前が、方々に伯爵家の現状を訴えているのは知っている。全く、お前はバカすぎてこちらも苦労する」
「何をおっしゃって!」
「いいか、貴族にとって体面がいかに大事か知らないのか? まさか、伯爵家が落ち目であると言いふらして、それで同情が誘えるとでも? ああ、母親に似たお前なら同情した男が金で買ってくれるかもしれないな。むしろ、それしかないか?」
「お父様! 言っていい事と悪い事がありますわ!」
「この際言っておくが、お前が伯爵家の現状を訴えていること自体が、社交界の人間から敬遠されている原因だ。誰が、落ち目の家の手を取りたいと思う? そんな事も分からないのか? おかげで、こんなものが皇宮から送られてきた」
苦々しく顔を歪めながら、握りつぶした書状をアグネストに突き出した。
言いたいことは山ほどあったが、アグネストはそれを受け取って中を読む。
そして――。
「な、何よ、これは!」
ぐしゃりとすでに潰されている書状をアグネストは再び握りつぶす。
「分かったか? これで我が家は終わりだ。まさか、こんな強引な手に打って出るとは思ってもいなかった。今まで、静観していたリンドベルド公爵家が動き出すきっかけがあったはずだ。もう一度、聞くが――、お前は何をした? 確か、リーシャと話を付けてくると以前言っていたな?」
アグネストは、ぐっと言葉に詰まる。
父に睨まれ、何か言わなければと思いながらも、頭が真っ白になった。
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