15.領地返還の利点と欠点
旦那様の執務室の扉を叩くと、中から声がかかる。
ミシェルが扉を開けてくれて、わたしを先に中に入れてくれた。
その部屋の中には、旦那様とディエゴがいる筈だった。しかし、そこにいたのはその二人の他にもう一人。
「リーシャ、なんの用だ?」
「あの、ヴァンクーリの件で色々とまとめたんですけど……」
「ああ、こちらに」
一瞬だけわたしとミシェルを見るとすぐに書類に向かう旦那様は、手を差し出してきた。
静かに近寄ると、旦那様と先に話していた人物、ラグナートがいつも通りにわたしに微笑んだ。
「ラグナートは、何か報告?」
「そのようなものです」
曖昧な返答に、眉を寄せつつわたしは手に持つ書類を旦那様に手渡した。
「いますぐ返事は必要か?」
「いえ、特別急いではいませんが、早めにご意見いただけるとありがたいです」
なにせ、公爵領に住み着いているヴァンクーリたちは今が一番脂が――ではなく、上質な毛を刈る事が出来るようですので。
少しでも早く色々準備したいところだ。
少なくとも、専門の人間は隣国から呼び寄せた方がいいとは思っている。
ただ、隣国の専門業者がこちらに来てくれるかはわからないけど。なにせ、向こうは国家事業。
色々独自の研究結果があるだろうし、技術の漏洩はしたくないでしょうしね。
「それなら、今は時間あるか?」
顔を上げ、下から見上げる旦那様に、なんだろうと首を傾げた。
「ええ、まあ。時間があるといえばありますけど?」
「少し、話がしたい。別に聞きたくなければ構わないが、ベルディゴ伯爵家の事だ」
「……この間、結論は出ませんでしたっけ? そのように姉にも伝えていたように思えますけど」
「その通りだが、あちらの状況が思っていたほど良くない。良くない事は分かっていたが、これほどとはと思うほどだ」
「わたしは別にその事実に驚きませんけど? 姉が身売りしなくちゃいけない状況だっていうのは分かりましたし、そうなったのならきっと本当にまずい状況なんだろうなとは思います」
望まない結婚って言ってたし、相手は姉にとっては眼中にないような存在なんだろうなと思う。特に見た目に関しては。
身売りの状況って事は、きっと相手にお金はかなりあるはず。普通だったら喜ぶことだろうけど、喜べないのなら外見が気に入らない、という事が大きいと思う。
女性を宝石のように扱う男性がいるけど、女性にだって男性の見た目を重視するような人は存在している。
その一人が姉なんだけど。
「一応聞いておくが、どれほどまずい状況だと思う?」
「皇帝陛下に領地を返すレベルでしょうか?」
わたしがさらりと答えると、旦那様は一瞬目を見開き、次にくくくと笑う。
「なるほど。自分の実家の事は良く分かっているという事か」
「正確には、自分の実家の人たちですけどね」
「ラグナートも同じ事を言ってたな」
わたしの隣で話を聞いているラグナートは、頭を軽く下げる。
「同じく苦楽を共にしてきましたので」
「ラグナートでもあの生活を苦ととらえるんだね。わたしは初めて知ったけど?」
絶対そんな事を思っていなさそうな顔のラグナートを軽く睨む。
苦楽を共にというのなら、ぜひあの激マズ粥を一週間三食食べてほしいところだ。
あれは栄養価だけは高いし、粥だから食べやすいし、高齢のラグナートにはぴったりなんじゃない? と若干思わなくもない。
「とりあえず、最悪なところまでいっているという認識ではあったのか」
「むしろそれ以外考えられないと言いますか、どう思うラグナート?」
「私としましては、よくこの数か月を持ちこたえたなといったところでしょうか」
「主従そろってベルディゴ伯爵家の財政に関して誰よりも詳しいな。当然だろうが」
「本当のところは、どうなんですか?」
「まずまず正解と言ったところか」
旦那様から正解だと言われ、やはりなという思いだ。
領地は皇帝陛下から与えられるもので、売る事はできない。唯一現金化することができるのが、皇帝陛下に与えられた領地を返す時だ。
その土地の税収から換算して、一部を生涯年金として受け取る事が出来るようになる。
普通は不名誉なことなので、土地を皇帝陛下に返す事なんてしない。それに、返すよりもすべての税収を受け取れる領主でいた方が絶対的に生涯の受け取り金額が上だ。
なにせ、国に返せば一部しかもらえないのだから。
しかし、代わりに一番の特典が、家の借金も国が肩代わりしてくれるということだ。
領地を返納してくれるという事は、長い目で見れば黒字になるのでそれぐらいならするよ、ということらしい。
それに、褒賞として与える事もできるしね。
領地持ちの貴族と言っても上と下とで天と地ほどに違いがある。
その一つが人材だ。
人材がいなければ何もできない。そして、弱小貴族に付き従う国民はいないし、領地をもっているだけで赤字になる、なんてこともあった。
人がいなければ領地なんて金のかかる持ち物でしかない。
領主には最低限納めなければならない税金というものがあるので、税収が0だからといって免除はされないのだ。
「ここ百年くらいはなかったはずですよね? きっとベルディゴ伯爵家もそれだけは避けたいでしょうけど……」
「借金による領地の返還など、笑いものにしてくれといっているようなものだからな。社交界はほぼ追放だな」
「むしろ、領地がなくなったらただ伯爵家の称号だけが残りますけど、それも返還することになるでしょうね」
貴族は優雅でうらやましいと言われているが、そうでもない。
貴族の称号に関しても、代替わりの瞬間に一定の金額を支払わなければならないのだ。つまり、貴族であるためにはとにかくお金がかかる。
「代替わりの税を支払う事もできないでしょう、アグネスト様が融資してくださる方を見つけない限りは」
「無理でしょう? だって称号って言っても領地を返還したら地に落ちる評判のものでしかないし、悪評の伯爵家にお金出す酔狂な人間なんていないでしょう。見込めるものは何一つないじゃない」
「領地を返還する前に、結婚すれば問題はないな」
「領地を国に返すほどの借金なんて、支払いたいと思う人がいるでしょうか? これで土地が良ければそれなりにはいるでしょうけど、北部はあまり税収が良くない傾向にありますし。特にベルディゴ伯爵領なんて、どこにあるのその領地って思われても不思議じゃないくらいには田舎ですよ」
田舎だけど、それでもわたしにとっては生まれ故郷でもある。
代々守ってきた土地なのだから、本当のところは行く末に全く興味がないとは言えない。領民にも色々言われたけど、彼らだって被害者だと思えば、許せないわけじゃなかった。
「でも、正直このまま実家の人たちの手で苦しめられるくらいなら、返した方が領民にとってはいいのかなと思います」
いわゆる皇族の直轄地になるのだから、今より悪くなることはないと思う。
何かしらの手が入るだろうし、借金のために領地財政は黒字にしなければいけないのだから、任される役人は必死にやるはずだ。
「ベルディゴ伯爵家は、当然それだけは回避したいがために動いている。まあ、どれだけ切羽詰まった状況か分かっているのならいい。ただ、そうでないのなら知った方がいいかと思って話した」
「もしかして、ラグナートがここにいるのはその件ですか?」
ベルディゴ伯爵家の現状を調べてもらっていたのではないかと視線を向ければ、旦那様は肩をすくめた。
「ベルディゴ伯爵家の事を少し調べてもらおうと思ったが――存外に詳しく知っていた」
主人の考えを読み取って動くことが執事としての役割、というには少しできすぎている。
はじめからすべて知っていたと考えた方がいい。
わたしと旦那様の視線を受けたラグナートは何食わぬ顔でいつもの笑みを浮かべていた。
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