050 7月16日
侑子には家の近くの公園で少しだけ待ってもらい、俺は近くの自動販売機で缶コーヒーを二つだけ買ってから公園のベンチに戻る。
「ほら」
「ありがとうございます」
ベンチの上でコーヒーを受け取った侑子は頬に冷たいコーヒーの缶をあてがう。
「……冷たっ」
夜とは言え、この季節は温度も高い。温暖化だ温暖化だと騒がれているが本当に都心の温度は俺が子供の頃よりも二、三度どころか一〇度近くは温度が上昇している気がする。それは侑子も肌で直接感じているのかクールの冷たい缶コーヒーを頬に当てて、少しでも涼を満喫していた。
その反応がなんだか面白かったので逆の方から俺の缶を当ててやる。
「ほれ」
「…………ひやっ!?」
予想外の冷却に侑子は少女とは思えないほど素っ頓狂な声を漏らす。
「で? どうした」
おふざけはここまでにして本題に移る。
「……学校で浮いてるとかか?」
「……いえ。別にそんなことは。以前までに無視されていたなんてことが嘘だったみたいにみなさんの態度はすっかり元に戻って、流石理佳だって思うくらいですよ」
学校は問題はない、のか。
「じゃあ……家か?」
「家……も問題ないと思います。そりゃあ家出してしまったことはすごく咎められましたけど、多分それはごく一般的な家庭的な折檻だったと思いますし、……私としては家出をした割には上手くいっている方だと」
家も問題はないと侑子。
だったらどうしてそんなに暗い顔をしているのだろうか。
「………………あ、あの……!」
侑子の悩みについて頭を捻っていると、侑子が突然隣に座っている俺の方へと顔を向ける。
「お、おう」
「えっと…………あの…………ごめんなさい。私……嘘をつきました。……散歩じゃないです」
懺悔のような侑子の告白に、
「うん。分かってるけど」
淡々と応える。
「ええっ!」
何を驚いてんだか。
「いや…………流石にあれは嘘だってすぐに分かるだろ。多分お前、嘘超下手だぞ」
多分と付け加えて少しでも彼女へのダメージを減らす努力。
を心掛けたのだが、どうにもいらぬ世話だったらしい。侑子はすぐに体勢を戻して、話を続ける。
「あの……その……ごめんなさい。実は……慶介さんと別れてからも、実は慶介さんのことを見ていました」
「見ていた?」
「……はい。やっぱり……その、忘れられなくて」
「忘れられないってなあ……」
主語が抜けているが話の流れ上、その忘れられないというのは俺のことだろう。
まあ……感想としては嬉しい。確かに嬉しいのだが少し大げさじゃないだろうか。
「別に死別ってわけじゃないだろ。忘れたくなかったら忘れなくても別にいいじゃねえか。…………忘れたいならともかくさ」
「そ、そんなわけありませんっ!」
突然跳ね上がるようにして、背筋をピンと張りコーヒーの缶を中身が入っていることも忘れて握りしめる侑子。
「わ、……忘れたいだなんて……そんなこと思っているわけありません。で、……でも……忘れないといけないのかな……って思っちゃうんです」
「またどうして」
背筋はまた元に戻る。
「本当に……私、慶介さんのことばかり考えてしまうんです。学校で勉強しているときも、家でご飯を食べているときも。いつも……考えてしまうんです」
思わず顔を背ける。そんな俺の行動に対し、侑子はまた不思議そうな顔をする。
分かっているのだろうか。今、自分がどれだけ恥ずかしいことを言っているのかを。
「い、…………いいんじゃねえのか……別に。そんくらい」
「……え?」
「いや……その……なんだ……。俺も……多分お前と同じだから」
「同じ?」
「…………っ!?」
言えるか――――――――!!
言葉にしてしまってからの後悔。
だが、言えるわけもない。
曖昧に言葉を濁すことは出来たが、具体的な内容は言葉にした瞬間死んでしまうような気がして、どうしても続きを言うことは出来なかった。
俺は慌てて自分の口を塞ぐ。
当然侑子は不思議そうな顔をするが。すまん。これは言えん。絶対に!
…………根性なしと罵るなら罵るがよい。
「…………やっぱり……無理してましたか?」
途端侑子の口から零れ落ちた言葉。
「……見ていてずっと思っていたんです。慶介さん……私と別れてから、何だか笑顔が増えたなって。以前深夜でアルバイトをしていたときの慶介さんは笑っているような印象がなかったのに、私と別れてからはなんだかよく笑うようになっていて。……もしかして、慶介さんは安心したんじゃないかって、ずっと思っていました。私という……存在から解放されて、嬉しいんじゃないかって」
表情はよく見えない。
俯いたまま侑子は顔を上げもせず、胸を抱いたまま動かない。
だが言いたいことは分かった。
――――やっぱり……無理してましたか?
はあ……そんなわけない。
笑うようになった理由も侑子と過ごした日々のおかげ。真正面から人と交わることを逃げないで立ち向かおうと決めたこと。その全てが侑子のおかげだった。
なのに、無理をしているとかしていないとか。
そんなことを思っているはずも無いのに、侑子はそれが本気だと思っている。
…………ったく。本当にこいつは。
どこまでネガティブで不器用なんだろうか。
「ごめんなさい!」
「あっ!」
どうしてこの馬鹿に説明してやろうかと考えていると侑子は立ち上がって俺の体を押しのけて公園の外に駆け出してしまった。
しばらくは呆気に取られていた俺だったが、その後ろ姿を追いかける。
俺は馬鹿だ。
お前は知っていたんじゃないのか。侑子がとことん不器用で、そのくせとことんまで優しくて。何かが上手くいかないと全部自分のせいにしてしまうような、そんな女の子だって。
だったら恥など捨ててしまおう。
それが侑子を安心させることが出来るのならば。
それも悪くない。




