047 7月13日
「…………俺は自分の感情をコントロール出来なかった」
だからこんなことになってしまった。
「……馬鹿だろ、俺」
やっとの思いで出てきたのはそんな、台詞。
馬鹿。
本当に馬鹿だった。
あんなことをしなければ俺は今、こんなオンボロアパートにここが都だっていう言い訳をすることなく、生きていたかもしれない。
後悔。
あれから俺はずっと後悔して生き続けてきた。
何も言い返せず。
ただただ感情に振り回されて。
否が応にもそんなものを背負う羽目になってしまった俺が、果たしていい人であっていいのだろうか。
「あの……もしかして慶介さんが今ここで一人暮らしをしている理由も……」
今まで話を聞いてきてたまに言葉を挟んできていた侑子だったが、このことを聞くのには流石に勇気が必要だったのだろうか、言葉に覇気がない。
でもそんなことに構うほど俺は鈍感なつもりはない。
「ああ。……あんなことがあって。俺が暴行事件を起こしたせいで両親から勘当されてな。今でも連絡は取り合っちゃいない。でも……ま。元気にやっているんじゃないのか」
「だから……私にあんなことを」
まあ……そうだ。
家族を失う寂しさを俺は知っていたから。どれだけ居心地が悪くなろうとも、家族を失ってしまうよりはるかにマシだと俺はその時に思い知った。だから侑子に厚かましくもそんなことを言った。
…………でもそれだけじゃない。
俺が侑子のことを気にかけていたのは他にも理由がある。
話すべきか迷う。
このことを話せばきっと侑子は俺のことを軽蔑する。そんな予感が俺に次の言葉を発する労力を削ぐ。
心臓は今まで感じたことがないほど早鐘を打ち、今にも爆発してしまいそうだ。
不安に殺されそうになってしまう。
「…………それにな。俺はやっぱりお前が言うほど優しい人間なんかじゃない。俺はお前に俺を重ねていたんだと思う」
けれど、言う。
「重ね……て?」
不安に心臓を突き破られそうになっても、言う。
今日でこの子と逢うのが最後だって言うのならば、言わなければならないだろう。
「あの日……コンビニの前で一人きり突っ立っているお前を見て……何となく、過去の俺に思えた。どこへ行けばいいかも分からずに、ただぼーっとしているだけのお前を見て俺はお前の姿に過去の俺を重ねていたんだと思う。あの時……俺は誰にも手を指し伸ばしてもらえなかった。そうなったからこのザマだ。…………だから、もし。あの時に俺を助けてくれる人がいたとして、万が一にそんなことがあったのならどんな風に俺は変われたんだろうって……空想して――妄想して……。お前につい……手を伸ばしてしまったんだろうって思うんだ。……だから、俺のことを優しいだなんて言わないでくれ……」
偽善を優しいと言われるのは辛い。
それがほとんど無意識だったらなお更だ。
俺は優しくない。ずるい人間だ。
そこまで伝えて一旦、深呼吸。
しんと静まり返った部屋。
沈黙が支配する世界で後悔に押しつぶされそうになる。
言わなければよかった。
完全に嫌われた。
そりゃそうだ。俺がしたことは全て自分の中の後悔の念を誤魔化すために侑子を利用したものなのだから。
でも。せめて。
誤解して欲しくない大切な言葉を聞いてほしい。
「………………お前が俺を嫌っても……俺はお前を嫌ったりはしない。それだけは……それだけは覚えておいてくれ」
一方通行の想いでも。
そのことだけは誤魔化したくなかった。
静寂の世界。
もうこれ以上何を話せばいいのか分からなくなった俺は、自嘲気味に小さく笑う。
と。
今まで音が消え去った世界だったのに、急にどさりとした音が聞こえ、そのまま侑子が俺の背中に抱きついてきた。
「なっ」
突然のアクションに俺は何がどうなったのか分からなかった。
侑子の意図を理解出来なかった俺の耳元に小さな声で、
「そんなこと……言わないでください……」
そう囁く侑子。
「そんな風に……言わないでください。私が……慶介さんのことを嫌いだなんて……そんな寂しいことを言わないでください……」
「嫌いに……ならないのか? 俺はお前を利用して……自分の心を軽くしようとしたのに」
「利用なら……私もしました。慶介さんの優しさを利用して一週間も慶介さんのお世話になりました。お互い様です……」
「……あ」
「…………一緒です……一緒……」
そう、か。同じ、……同じなのか……俺とこいつは。
歳も離れて。性別も違くて。境遇も何もかもが違うのに。
同じ、人間だった。
「私は……何があっても慶介さんの味方でいます……いさせてください。私を救ってくれたあなたをずっと尊敬します。……嫌いになんか絶対になりません……なるわけないですっ……」
味方。
そう言ってくれた侑子の体温に嗚咽を押し殺す。
もう俺を味方だなんて言ってくれる人間がいるだなんて思いもしなかった。発想すら過ぎらなかった。
だからこそ味方というたったの一言で俺の枯れた涙腺が潤うのを感じ取れた。
「…………味方……」
「はい……ずっとです」
子供を諭すみたいな母親のような優しい侑子の声に俺はもうどういう風に声を出していいかも分からずに、背中に抱きつく少女の暖かさにその身を委ねることしか出来なかった。
自分ではコントロールできない感情が俺の顔を真っ赤に染める。
「…………ありがとう」
その日、「おやすみなさい」という就寝の挨拶が「ありがとう」という言葉に変わる。




