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041 7月13日

 風呂桶に湯が溜まっている光景を見たのは一体どれくらいぶりだろうか。

「…………ふぅ」

 髪を洗い、髪の先から滴り落ちる水滴を眺めながらしばらくぼんやりとしたのち、ため息を吐く。

 湯船に浸かってもまだ緊張が解けない。

 …………というか。そうか。俺は緊張しているのか。

 一緒に寝ようと言われて。

 最後の思い出を作りたいと提案されて。

 俺は緊張してしまった。

 でも、ま。駄目だよな。相手は高校生だ。

 どんな理由があろうと下心を表沙汰にしてはいけない。それが大人としての最低限のマナーとモラルだろう。

 両の頬を思い切りパチンと叩いて気持ちを引き締める。

 何も無い。

 …………よし。

 大丈夫。気持ち切り替えた。

 出しっぱなしにしていた蛇口を捻りお湯を止める。

「…………まったく。あのむすめはとんでもないことを言い出すな」

「はあ……。すいません」

「すいませんじゃねえよ、まったく」

「はあ……。すいません」

 気のせいだと思った。

 いや。

 気のせいだと思いたかった。

 同じテンションの同じトーンの同じ声の同じ言葉が聞こえた。

 ギギギと首を動かす。そして戻す。

 あー……今だけは心霊現象とかそういう類の話を信じるから。お化けだって言ってくれ。

「どうかしましたか?」

「………………な、なんで……」

 いた。

 もう言う。いた。

 何故か浴室の中に侑子がいた。


 タオル一枚で前を隠しただけの侑子が不思議そうな顔を浮かべながら俺の真後ろに立っていた。


「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 慌てて俺は大事な部分をタオルで隠す。

 こういう反応をするのは普通女子のはずなのに、何故か俺は黄色い悲鳴を上げて見られたくない部分を慌てて隠した。

「な、なにやってんだテメエ!」

 思わず食って掛かりそうになったが理性でそれを必死に制する。

 何考えてんだこのアマ

 危うく風呂場ですっ転びそうになった。

「えっと……」

「いいから出ろ! 何考えてんだお前!」

「…………それは」

 と、俺はそこで気が付いたが、侑子の顔は少し赤い。

 まあ……考えてみれば何の不思議もない。パンツを覗かれて顔を真っ赤にしていたのだから、今のこの状況が恥ずかしくないわけがない。

 だったらなぜこんなことをいう考えがぎる。

「あーもう。お前が出ないなら俺が出る。ちょっと目瞑ってろ」

「…………あ、あのっ」

「何だよ。見たくもねーだろ別に」

「ち、違いますっ」

「は?」

「いえ……決して見たくないからそう言ったのではなくて。……えっと……その。違うってのが違くて」

「?」

「……………………あ、あのっ……。その…………ご迷惑でなかったら、その……。お願いが……ありまして。………………ふぅ。……え……えっとですね……、その、……慶介さんの……お、…………お背中を流させてはもらえないでしょうか!?」

 何度か深呼吸を繰り返してようやく言葉に出来たのか侑子の顔は茹でだこのように真っ赤に染まっていた。

 が。

 そんなことどうでもいい。

「い、今なんて」

「で、ですから…………慶介さんのお背中を……流させてください」

 ………………き、聞こえてんだよ。二度言うな。

「な、何で……」

「そ……それは」

 問いに侑子はもごもごとして、答えを濁す。

 言いたくないのか。それとも言えないのか。

 どちらにせよ、このままでは話が一向に進まない。

「…………お前、無理してないか?」

「えっ」

「したくないんじゃないのか? こんなこと」

 もし、無理をしてこんなことをしているのならやめて欲しい。そう思い訊ねた。

 しかし、

「してません」

 はっきりと侑子は宣言。

「してませんよ。無理なんて。…………したいんです。…………慶介さんに、してあげたいんです」

「う……」

 そんな真っ直ぐな目でそんな殊勝なことを言われると…………何というか困る。その……困る。

 はたしてどうするのが正解なのだろう。

 ここで力づくで彼女を追い出すことはそう難しくは無い。力づくでなくとも強い口調を用いれば侑子の性格からしてしぶしぶと諦めることも容易に想像がつく。

 それに侑子だってこの思い切った行動に羞恥を感じていないわけがないのだ。表情があまり表に出ない少女でさえ、その表面温度は誤魔化しようがない。

 ならば、俺はその想いを拒絶してしまってもよいのだろうか。

 今日という日を持って、この侑子という少女との関係は終わる。それは彼女自身でさえ自覚していると思う。だからこその、行動なのだろう。だったら俺は彼女がせめて後悔をしてしまわないようにして、想いに応えてやることこそ、大人の、男としてやらなければいけないことなのではないのだろうか。

 確認……してみる。

「………………………………………………本当にしたいのか?」

 こくり。

 侑子は小さく頷いてから、

「で、……………………でも、やっぱりお嫌ですよね。…………ご、ごめんなさいっ」

 それでもやっぱり首を大きく横に振る。

 まるでこの行動の全てが間違いだったと指摘しているようで。侑子は自分自身で後悔するように。

 それを見て、俺は駄目だなと後悔しそうになった。

「……………………分かった。頼む」

 言葉に侑子は心底安心したように吐息を漏らす。それを見て俺は侑子に後悔させないで済んだと侑子と同じくらい大きく安堵の息を吐く。しかし、それと同時にこれから起こりえる問題に対する緊張感が高まる。

 いや。

 大丈夫だ。

 侑子はただ俺の背中を流すだけだ。なにもやましいことなどない。

 だったら俺は毅然きぜんとすればいい。

 たったそれだけのこと。

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