036 7月12日
山岸が落ち着いてから、しばらくの時間が経って。しばらくと言っても分で言えば一分もないぐらいの短い時間。
俺はチャンスだと思って、少し踏み込んだことを聞くことにした。
「お前は……えっと……山岸、さん?」
「山岸でいい。さんとか付けんなよおっさん。反吐が出るから」
物凄く失礼にさん付けを拒否られた。
まあ……その方が楽でいいけど。
「お前と侑子はどういう風に会ったんだ?」
「……出逢いは別に普通。春ごろだったかな。そのくらいに侑子がウチのクラスに転校してきたの。……一目見て、ああ……合わない子だなぁ……って思った。だってものすごく暗いから。挨拶も何の捻りもなく、名前と歳だけ言って、それで終わり」
第一印象で気に食わなかったとかそういうのはなかったのか。
だったら何かきっかけがあったのか?
「そんなんだったから……あまり話すこともなかった。なんていうの……クラスの中でも関わらないとまではいかなくてもいてもいなくても一緒、みたいな感じ。特に興味もないって言えばいいのかな。それが私にとっての侑子。……他のみんなもそうじゃないのかな。侑子は誰とも関わろうとしないから」
「だろうな」
俺は侑子が他人と関わらない理由を知っているが、他の連中からすれば『暗い』のたったの一言で済んでしまうだろう。
「転校生ってさ、レアだから結構最初のうちはみんな侑子と話すようにしてたの。けど、空気みたいにあの子、話しかけてもうんともすんとも答えないで聞き流してた。いくらレアでも反応がなかったらそりゃ飽きちゃうよね。だから一週間も経たないうちにみんな侑子の周りから離れていったよ」
「そりゃまあ……転校生デビュー大失敗してんなあいつ」
「はは……だね」
苦笑を覗かせる山岸は、ただの女子高生にしか見えない。
「だったらなんでいじめたりするんだ? 言葉は悪いかもしれないけどさ、どうでもいいだろそんなやつ。……反応もなければいじめてても面白くないんじゃないのか?」
「――――いじめる気なんて……なかった」
意外な言葉が返ってきた。
――いじめる気がなかった?
……もう少し踏み込むか。
「気に食わないのか、侑子が」
「気に入るとか気に入らないとかそういう話じゃないんだよ、おっさん」
だったら、どういう話なんだよ。
気に食わないからいじめる。
――――そういうもんじゃないのか?
「俺はまだあいつと出逢って、まだ数日しか経ってない。けど、あいつの場合……あれが素だろ。悪気も何も無いんだ。ただ物静かに構えてるからっていじめることはねーだろ。つまらないからって理由だけでいじめられたらたまったもんじゃねーぞ」
わざと強めの口調で言ってみた。
山岸の口から本音を引き出すために。
「だから違うって言ってんでしょ!!」
漏れた。本音が。強い口調となって、山岸の口から漏れ聞こえた。
ここは非常に大事なことだ。
だから俺は冷静さを保ったまま、
「違わないだろ」
言った。
「あいつは言葉にはしないが、いじめられていることを理解していると思うぞ。お前だってそうだ。いじめてるって理解してる。だから後ろめたさを感じてる。違うか?」
またもや、正拳の反撃が来るかと思い、身構える。
しかし、
来ない。
正拳の反撃は――――飛んで、来なかった。
その代わりに、
「そういう意味で言ったんじゃない」
「なに?」
「私が違うって言葉はそういう意味じゃないって言ってる。…………バリバリいじめる気があったみたいに言うけどさ、そんなの最初っからないの」
弱々しい山岸の言葉が返ってきた。
「…………突き飛ばしたんだろ。侑子を」
「……………………した」
返ってくるのはやはり小さな声。
そして。
「いじめるつもりはなかったっ! 突き飛ばすつもりもなかったっ! ただ、あの子にお礼がしたかっただけなのっ!」
「え……?」
力限りの怒声に俺は肝を抜かれかけた。そして胸の中のもやもやしたものを全て吐露するかのように叫んだ山岸の瞳がうっすらと濡れていた。
時間が停止したかと思うほど、間が空いて、
「ど、どういうことだ……?」
訊ねた。
思わず訊ねてしまったことを後悔する。
心のうちを吐露して、唇を噛んで、恥じるように俺から視線を逸らしているこの少女が全てを話してくれるかどうかなんて分からないのに、どうして訊ねてしまったのだろうかと後悔した。
しかし、
「…………五月か、六月か……それぐらいの時、クラスで席替えがあったの」
その後悔を山岸は払拭してくれた。
視線を逸らしたまま。それでもぽつりぽつりと。
山岸と侑子の関係を。
「席替えがあって、私と侑子は席が隣同士になった。……でも、最初は嫌だった。だって話してもつまらない子が隣になるなんて、つまらないし、面白くないし、本当に本当に嫌だった。……でも、決まっちゃったものは仕方がないから、特に何かが変わるわけがないって自分で言い聞かせて、クラスの席替えを終えた。
しばらくは別に……なんでもなくて。クラスの席替えなんてそんなもんだし。
そんなある日、私……数学の授業でちょっとトチっちゃったの。で……その数学の担任教師ってのがさ、まー嫌なやつで。ほんと漫画みたいなやつ。宿題を忘れたら延々と説教を垂れるわ、ちょっと間違ったら嫌味をたらたらたらたら長ったらしくして話すわで、もう本当最悪なやつ。しかも……さっき漫画みたいなやつって言ったけど、その漫画ってのが少年漫画とかじゃなくてエロ漫画みたいなやつだったの。その教師の中で一番最悪なのがセクハラ。もうこれが本当に最悪なの。
答案を返すときは可愛い女の子だったら絶対に手を触ってくるし、褒めるフリして頭を触るとかなんて日常茶飯事。もう学校中の女の子からは嫌われまくってる。
んで。そのエロ教師は私がトチったのを理由にして、それから目をつけてきたの。私って……ほら、見た通り可愛いから。
それからあいつ……私にセクハラしてくるようになってきたの。腰とかお尻とかを触るようになってきた。普通ならアンタにしたみたいにして問答無用で顔面に拳を叩き込んでやるところなんだけどさ、そいつ『教育委員会や親、警察に言ったらお前の単位を落としてやる』って言ってさ、脅してきたの。私の弱みに付け込んで……汚らしく。
こんなこと当然嫌だったけど、私は我慢を選んだの。結構単位はヤバかったし。でもこんなこと誰にも相談出来ずにいて、しばらく時間が過ぎていった。
ある日、あいつ……授業中に私のお尻を触ってきたの。……私は我慢した。触られても騒がないでいた。
そしたらね……授業中、カシャって音がしたの。何の音だろうって思ったら、授業中……あの子が、侑子がスマホを取り出して私のお尻を触っているエロ教師の写真を撮っていたの。多分、席が隣な分……よく見えたんだと思う。
もちろんエロ教師は慌てた。『なにしてるんだ!』って侑子からスマホを取り上げようとした。侑子はそれを軽く避けて、『警察に電話します』って言い放ったの。誰もそんなことしようとしなかったのに。話もろくにしたことがない私を助けようとしてくれたの。
無理矢理スマホを取り上げようとして、あいつは侑子に手を上げたの。それでも侑子は『あなたがしていることは犯罪です。山岸さんが嫌がっているのが分かりませんか? 分からないと言うのならあなたは教師を名乗る資格を持ち合わせていません。間違っていることを間違っていると正すのが教師だと私は思います』って言ってくれて。……その後警察が来て、確か……傷害と公然わいせつ罪で連れてかれた。
侑子は頬が腫れたまま、いつものように静かになっていってて。……私……本当にあの子には感謝してる。何も出来なかったから。……本当に今も何も出来なかったと思う。もし……あの教師の行動がエスカレートしていったらどうなっていたんだろうって思うと今でも体が震えるもん。
本当に……本当に感謝してる」
話を聞いて、なんとなくらしいと思った。
言いたいことを言う。思ったことを言う。そういうのは侑子らしいと素直に思えた。
――――気に入るとか気に入らないとかそういう話じゃないんだよ、おっさん。
この子の言うこの言葉の意味を理解出来た。
山岸にとって侑子は自分の窮地を救ってくれた恩人なのだろう。だからそんなことをしようと思う発想すら出てこない。
それが恩人という言葉の重み。
だったらなお更解せぬ。
一体何がどうなってそういうことになってしまったのか。
俺は、聞かなければならないだろう。この子から。本当のことを。




