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024 7月10日

 セミは成虫になってから二週間しか生きられないから儚い生き物だと遠い昔誰かが言ったらしいが、起きている間ずーっとけたたましく鳴き続ければそりゃ死ぬ。だから儚いんじゃない。自業自得。

 ぎゃんぎゃんと鳴く暇があるのなら少しはそのテンションを抑える(すべ)を学ぶべきだと切に思う。

「……………………………………暑」

 エアコンの効いたひんやりとしたコンビニの屋内から外に出るとじわりとした汗が額から噴き出す。

 行きたくない。それが素直な感想だった。

 しかし俺を逃がすまいとして背後を伏見ががっちりとガード。

「じゃ、行こっか。高坂くん♪」

「…………………………………………………………………………はい」

 恨む。

 ぐーを出した俺を激しく恨む。

 いつまでも恨めしく自分の握り拳を眺めていても時間の無駄だと悟った俺は観念して、首を垂れる。

「ほらほらじゃんけんに負けたのは高坂くんなんだから、そんなに落ち込まないの。これじゃこっちがまるでパワハラしてるみたいじゃないか」

「………………何でそんな元気なんですか店長」

「…………僕も負けたんだから元気に行こうよ。高坂くんはまだ若いんだし」

「店長より二つも年上だけど」

「二つしかでしょ。……って、まあそれはいいや。それよりちゃんと分かってる事の重大さ」

「……あのクソガキ一生恨んでやる」

「大人気ないこと言わないの。仕方ないでしょ、壊れちゃったものは」

「にしてもよりにもよって本棚を壊すこともないでしょうに。それにこういうの普通夜にやったりしません?」

「本はコンビニの生命線だからね。知ってるでしょ、コンビニの本を立ち読みしている人たちの集客率。結構馬鹿に出来ないよ。だからこそすぐにでも本棚の代わりを用意しないといけないんだ。あまり文句を言わないで付き合ってよ、ね」

 と、そういうことになり、コンビニから歩いて一五分ほど離れた家具屋を目指して俺と伏見の二人は移動して、無事到着。

「じゃ、すぐに買ってくるから。簡易的なやつだから本当に応急処置にしかならないけどね」

 買い物もすぐに終わり、細長い直方体のダンボールで梱包された棚が目の前に置かれる。

 棚は組み立て式のものらしく、想像していたよりは大きくないがそれでも結構な重労働の予感。だがいつまでも棚の前で固まっている訳にもいかないので、頬の両面に平手打ちをして気合注入。

「これはちょっと……気合入れないとな、……せーのっ!」

 掛け声と共に伏見の二人で棚を持ち上げる。二度にたびのじゃんけんの結果、俺が後方で伏見が前方。じゃんけんが弱いにも程がある。

 しばらくは歩道に沿って道を歩くだけなのでさほど苦労はない。大の大人が二人大きな荷物を運んでいることもあり、歩道を歩く人はある程度避けてくれる。とてもありがたい。

「高坂くんー、大丈夫?」

「……大丈夫じゃないって言ったらこれ下ろしていいですか」

「だめー♪」

「ですよね……」

「あ、そこ段差あるよ。気をつけて」

「……っと。どうもです」

「ははっ、いいっていいって」

 話しながら少しでも疲労感を誤魔化しながら数メートル進む。……まだ数メートルしか進んでいない事実に驚愕。

 それからもまた他愛の無い話を重ねながら少しずつ前進。

「あ、赤信号だ。高坂くん一回止まって」

「え、あ、はい」

 伏見の声に俺は一度横断歩道の前で停止。

 横断歩道があるってことは結構進んでいたのか。

「ふーっ……大丈夫高坂くん?」

「駄目」

「たはは……これ夏にやるようなことじゃないね。目に汗が……」

「同じく」

 一度目に入りそうになる汗の雫を半袖の袖で拭う。

 どれだけ歩いたのかは分からないが、少なくとも五分近くは歩いていたような気がするのであと一〇分も歩けばいいということか。

 横断歩道の信号が青になり、聞き慣れたメロディが響き渡る。

「さてと。それじゃ行こうか」

「……はい」

 休憩は一分にも満たず、疲労感を払拭することを叶わないまま歩みを進める。

「…………それにしても」

 歩みを進めながら伏見が不意に口を開く。

「はい?」

 妙に安心したような声色で伏見が言う。

「よかったよ。高坂くんが手伝ってくれて」

「じゃんけんに負けたんだから仕方ないですよ」

「あー、うん。そうじゃなくてね。今までのキミだったらこういうの何かに理由を付けて逃げていたような気がしたんで、ちょっと……安心? という感じがしてね。……変わったかな、って」

「流石に仕事をサボったりなんかしませんよ?」

「いやーそれも違くて。……何て言ったらいいのかな? ……あ、こういう、さ。共同作業みたいなやつ……高坂くん嫌いでしょ?」

「…………え?」

 そんなことはないと言いかけて、止まる。

 合っていたから。

「流石に一年近くも付き合ってたらそれぐらい分かるよ」

「そういえば……もう一年になるんですね。俺が店長のコンビニで働き始めて」

「あー、もうなるねー。そっか……もう、一年か」

 感慨深く伏見は小さなため息を一つ。

「……どうしたんですか?」

「……いや、うん。まぁ……ちょっと考え事をね」

「そうですか……」

「ま、そんな大したことじゃないから大丈夫大丈夫。……にしても本当によかったよ。ちゃんと伝えておくね。高坂くんは大丈夫だって」

「はい?」

「あ、もしかして知らなかった?」

「何をですか?」

 と聞き返すと、伏見はわざとらしく口元を歪めて、言葉で言い表すとにやにやとしながら。


「高坂くんってホモなんじゃないのーって。僕を含めた従業員全員のもっぱらの噂なんだよ」


「はぁっ!?」

 滑った。落とした。

「こ、ここここここ高坂くんっっっ! 高坂くんーっ!! 高坂くんんんんんんんんっ!?」

「誰がホモだ!」

「分かってる分かってるから! いいから早く持って!」

「え……あ、す、すいません!」

 そこでようやく俺が手を離したせいで伏見が一人で結構大きめの棚を一人で抱えていることに気が付いた。

「本当……すいません。あの……後で何か奢るんで、その」

「別に怒ってはいないから大丈夫だよ。……あ、でも後でお茶を貰おうかな」

「……はい」

 バランスが戻り、伏見の顔から赤みが消える。

「……まあ、でも気持ちは分かるよ。男ならホモ疑惑がかかれば白だろうと黒だろうと慌てちゃうよね。……うんうん。やっぱり、高坂くんは白か」

「……あのなんだってそんな噂に」

「うん? だって高坂くん、他の人の誘いに全然乗らないじゃないか。酒は毎日飲むほど好きなのに飲みに誘われても行かないし、合コンも全部パス。かといって風俗に通っているって噂一つないし。……でもって、彼女とかの噂も一切ない。そりゃ、立っちゃうよね。ホモ疑惑」

「不名誉極まりないんですが」

「ははは。ま、それだけ高坂くんのことみんなが気にしているってことなんじゃない?」

 凄く嫌な気にされ方だな。

「…………それを言ったら店長の方がホモなんじゃないんですか」

「お? 反撃?」

「……この前俺のことじーっと見てたじゃないですか」

「この前?」

「ほら。俺に昼のバイトを頼みに来た時ですよ。覚えてませんか」

 伏見はしばし逡巡してから、

「あー、あれ。……うーん、まー……見てた、かな?」

 ばつが悪そうな顔をして目を逸らす。

「でもあれだよ。掛け算をしていたとかそういうんじゃないかね。流石に社会人にもなって掛け算とか……うぅ、学生時代を思い出す……。こんな顔だから女の子たちによくからかわれててさー」

「……掛け算?」

「え……? 伏見×高坂、的な……あれ。伝わらない……の?」

×(クロス)?」

 どうしよう……。意味がまったく分からない。

「あー! 知らなくていい知らなくて! 全部忘れて!」

 ぶんぶんと勢いよく首を振ってから思い切り叫ぶ。

 そして、

「見てたのは……別に大したことじゃないよ。……ただ、結構長い付き合いだけどいつまでも名前を呼んでくれないよなーとかあの時少し思っただけなんだ」

「え」

「まぁ……いくら上司と部下の関係であってもさ、高坂くんの方が歳は上じゃない? だからいつまでも店長呼びだなってちょっと気になっちゃって。もし高坂くんの方が遠慮しているって言うなら、言っておくね。僕はそういうの全っ然気にしないから、いつでも名前で呼んでいいからね」

 気にしないでと付け加えてから伏見はそこで会話を区切る。

 訊ね返そうとも思ったが、何となく(はばか)られた。

 どうして名前を呼ばないのか。上司だから。本当にそれだけなのだろうか。

 結局分からないまま、俺と伏見の二人はコンビニ前まで到着した。


 ところで×(クロス)ってほんとう、何なんだろうか。……若い人なら知ってて当たり前の言葉なんだろうか。機会があれば……侑子にでも聞いてみるとしよう。

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