017 7月8日
「…………お前、いじめられてんの?」
夕食時。
俺は追及すべきかしないべきかを悩みに悩んだ結果。
色々と面倒臭くなって、ストライクゾーンど真ん中のコースに直球をぶん投げた。
その結果。数刻の間、二人は黙って見つめ逢った。
「……………………………………はい?」
「いや、俺の勘違いだったら謝るけどさ。お前もしかしていじめられてんじゃねーのかって思って」
「…………何を根拠にですか?」
「何となく?」
「なんですかそれは」
「………………何か、今日お前の学校の制服と同じ恰好のヤツがウチのコンビニに来てた。一人がピアス少女。何かその中のリーダーっぽかった。後の二人はおまけって感じだな。でこ少女とそばかす少女。んでー、色々とその子たちが話しているのを立ち聞きした」
「…………多分その相貌が私の考え通りならきっと山岸さんたちですね」
「……やっぱ知り合いか」
なんとなくそうではないかと思っていたが、侑子の言葉を聞いて確信に至る。
あの制服は侑子の学校のものと同じで間違いない。
「…………ご飯が冷めてしまいますよ」
「…………」
侑子は明らかに話を逸らそうとする。
当然と言えば当然かもしれない。
何せ、あの三人組が話していた内容が内容だったので、聞かれたくない話だろうから。
聞くべきではない。
彼女のことを知った人間でさえ立ち入るべき話ではない。それが知り合って数日の間柄であればなお更だ。
侑子は表情には出さないにせよ、この会話をさっさと終わらせたいような面持ちで、静かに視線を食卓から俺に。
あー……くそ。
何やってんだか。馬鹿か俺は。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
長い沈黙の果て。
ようやく侑子が小さく唇を噛む。
それを見て、
「侑子」
初めて名前を呼ぶ。驚きと戸惑いのまま侑子は顔を上げた。
見つめ合って微動だにしない二六の男と一八の少女。シチュエーションだけ見ると、教師と生徒みたいだ。
侑子は不安げにメガネの奥の瞳を揺らす。俺はその瞳を、メガネの奥の瞳を逃すまいとして、まっすぐと直視し続ける。
「……はい」
観念して、小さく返事をした。
小さく息を吸って、吐く。彼女はそんなことを幾度か繰り返してから。
「……私、去年まで今通っている学校とは違う所へ通っていました」
「県を跨いでか?」
「はい」
この話には驚いた。
制服がよく似合っているから通い慣れていると思ったが、そうか別の学校から。ということは侑子は三年からの編入ということになるのか。
「県を跨いでの転校や編入はそう珍しくありません。親の仕事の都合で転校をしたのは小学二年生の頃が初めてでした。一年間通ってまた転校。また一年通って転校。早い時は三ヶ月弱で転校したこともありました」
素直に早い、と思った。
親の都合なら仕方ないと思うが、それでも早いサイクルで転校をしている。
「そんな風でしたので、あまり友達と呼べる人は周りにはいませんでした。小さな頃は私も友達を作ろうと頑張っていたと思います。……でも友達がようやく出来始めた頃にまた転校をしなければいけなくなって、そんなことが何度か繰り返されて、私は友達を作ることを諦めました。だって……仕方ないじゃないですか。どれだけ頑張って友達を作ることを頑張っても出来た頃にはまた転校しなければいけなくなってしまうんです。だったら最初からそんなもの作らなければいいと思ったんです」
何となく、分かる。
初めから望まなければ痛みも無い。
それは、すごく、すごく。――分かる。
「だから……今通っている学校でも大人しくしていました。無難に挨拶をして、目立たないように一人きりの時間を過ごして。いつまた転校するんだろうって……そう思いながら、学校生活をぼんやりと過ごしていました。でも……ある日、声をかけられたんです。その人はクラスの委員長よりもクラスの中心にいて、本当に私とは対極にいるような人でした。その人は『一人でいてつまんなくないの?』って言ってきました。もう聞き慣れた言葉でしたので、私は『別に』とだけ。それだけを言ってその人から離れました。それが……あの人の、山岸さんとの出逢いでした」
山岸。あのけだるそうな顔のヤマヤマと呼ばれていたピアスの少女のことだろう。
「私は別に一人でも辛くありませんでしたし、寂しくも、つまらなくもありませんでした。でも山岸さんにとって見れば、私はとてもつまらなさそうに見えたんだと思います。次の日もまた、山岸さんは私に声をかけてきました。その日もまた、私は『大丈夫です』と言って、山岸さんから離れました。――次の日も、山岸さんは声をかけてきました。次の日も、次の日も――次の日も。その後もずっと毎日。私に声をかけてきたんです。そんな日が何日が過ぎて、トラブルが起きました」
「トラブル?」
「突き飛ばされました。――山岸さんに。教室の中で山岸さんが私を突き飛ばしました。私の態度が気に入らなかったんだと思います。当然です。毎日声をかけてきてくれていたのに、私の態度はそっけない態度そのものでしたから。他人から見ても自分から見ても相当イラついてしまってもしょうがないかと思います。それからだと思います。……教室の中の雰囲気ががらりと変わって。クラスの中で孤立して。……今まで目立たなかった私が槍玉に挙げられるようになってきて。……駄目に。そう、色々駄目に……なっていきました」
頑なに侑子はいじめという言葉を使わない。
もしかして彼女の中でいじめという言葉を無意識のうちに拒絶していて、それが態度に表れているのかもしれない。
「……でも誰も悪くない。……私が、……私だけが悪者だから。仕方ないと思ってました。……でも、それでも、……やっぱり辛かったから。お父さんとお母さんに相談してみたんです。……そうしたら、『今年で卒業するんだから一年ぐらい我慢しろ』って、甘えるなって、怒られて……気が付いたら家を飛び出していました」
「……じゃあ、もしかして」
「……はい。あの日、慶介さんと出逢った日。それが私が家を飛び出したその日だったんです」
繋がっていく。
散らばった欠片が。
「家を飛び出した私は、行く場所を見失ってしまいました。……だって私には友達がいませんでしたから。どうやって夜を過ごそうか考えて、公園で寝泊りすることも考えましたけど、どうしてもそれが怖くて出来なくて。そうして夜の街をぶらぶら歩いていると、目の前にコンビニが見えてきて。気付いたらその前に立っていて、しばらくすると男の人が声をかけてきました。慶介さんが追い払ってくれた人でした」
「あぁ、あの」
あの焼け野原が思い浮かぶ。
「はい。最初は何で声をかけてきたのか分かりませんでしたけど、話を聞いていく内にそういうのが目的だって分かって。それが分かった途端、私は怖くなって……緊張してしまって……何も答えられなくなってしまって、それがその人の神経を逆撫でてしまったんだと思います。……そうしたら」
「俺がいた、と」
侑子は答えずに黙って首を縦に振る。
侑子は長い物語が一段落すると、小さく息を吐いた。
「罰ゲームじゃなかったんだな」
「違うって言いましたよ?」
「まぁな」
少しふざけてみせたが、やはり侑子の表情は固い。
元々こんな顔だったような気もするが、それでも固く見えた。
俺は彼女の物語を聞いて、一つ分かったことがある。
この子は俺にとてもよく似ている。
彼女の苦しみも、痛みも、孤独も、俺には到底理解出来そうもない。俺は彼女ではないのだから。
それでも。
それでも、似ていると思ってしまった。
この子も失ってしまった。居場所を。――自分自身を。
そうか。
だから俺は放っておけないのか。
この子を。
何だ。分かってみれば簡単なことだったんじゃないか。
――その日。
俺と侑子はそれ以上会話を続けることも無く、床についた。




