アゼリア初出勤.1
本日一話目です
次の日の朝、いつものようにレイモンド様と馬車でお城へと向かう。
レイモンド様は昨晩帰りが遅く、時々あくびを噛み殺していた。
朝の王城の門前はいつも長い馬車の列。
門番にお城の入場許可証を見せなくては入ることができず、その手続きは身分が高くても馬車に紋章があっても省くことはできない。徒歩で登城する人もいるのでなかなか時間がかかる。
馬車を降り研究室の前まで行くと、すでにアゼリアが来ていた。今日は彼女の初出勤だ。
「おはよう、随分早く来たのね」
「おはよう、ドキドキして昨日はあまり眠れなかった上に、早く目覚めてしまったの」
胸に手を当てるアゼリアは心持ち頬も赤い。
レイモンド様は鍵を取り出し扉を開ける。臨時職員の私とアゼリアは鍵を貰えないけれど、レイモンド様達はそれぞれ一本ずつ持っている、のだけれど。
「ジェイムス様は昨晩も研究室に泊まられたのですよね」
「帰って来なかったからそうだろう。でも、寝る時もこの扉は施錠しているよ、ここにある実験結果はどれも金の卵だからね。二人とも、俺は城の図書室で探したい文献や論文があるので、悪いが先に中に入って待っていてくれないか」
「分かりました。ジェイムス様を起こして朝ごはんを食べて貰いながら待っています」
持ってきたバスケットの中には、料理人が作ってくれた朝ごはんが入っている。私がそのバスケットを持ち上げた時。
「きゃぁ!」
アゼリアが悲鳴を上げながら抱きついてきた。何があったのかと身構える私の横でレイモンド様が腰の短剣に手を伸ばす。
「どうしたの、アゼリア」
「そ、そこに蜘蛛が……」
「えっ!? 蜘蛛?」
震える指で差す方を見れば、確かに蜘蛛が糸を張っている。
なんだ、と思った瞬間バタッと激しい音を立てながら実験室の扉が開き、ジェイムス様が飛び出してきた。
「アゼリアさん、大丈夫か!?」
「……兄さん、メイド達が何度起こしても起きないのに、アゼリアさんの悲鳴だと随分寝起きがいいんだな」
「い、いや。それは……女性が悲鳴を上げれば、なぁ」
レイモンド様の冷めた瞳に加え、私が蜘蛛を指差せば、ジェイムス様は状況を察したのか素早く紙で蜘蛛を捕らえ窓から逃がされた。寝起きとは思えない素早さだ。
呆れながら一連の行動を見ていたレイモンド様は、「じゃ、オフィーリア、俺は行くね」と出て行かれた。ごくごく普通のお二人。でも、なんだか兄弟間に流れる雰囲気が少し変わっていて私はホッと胸を撫で下ろした。
朝食をテーブルに並べ、台所の使い方をアゼリアに教えながらジェイムス様の珈琲を用意する。アゼリアがどこに何があるか覚えたいというので、台所の扉なら自由に開けていいと伝えた。
アゼリアを台所に残し、作業机の前に座るジェイムス様に珈琲を渡せば、受け取りながら照れくさそうに見上げてくる。
「レイモンドから聞いたか」
「馬車の中で少し。レイモンド様が提案された方向でこれから研究されるとか」
昨日、レイモンド様が立ち去って少ししてから私も研究室へ戻った。そのあとはハリストン様に言われた実験器具の手入れと洗浄をしていたのだけれど、お二人とも私が帰るまで実験室から出てこなかった。レイモンド様が帰宅されたのは深夜だったから、詳細を聞けたのは出勤途中の馬車の中。
「俺はいつの間にか完璧でなくてはいけないと思い込み、本来の目的を見失っていた。周りからの期待が年々高まり、また結果を出していたことでどこか驕っていたのだろうな」
「私はそのように感じたことはないのですが」
「いや、現にレイモンドの意見をまともに聞こうとしなかった。どこかで俺のやり方のほうが正しいと思っていたんだよ。ま、あいつに対する嫉妬もあるんだが」
「ジェイムス様がレイモンド様に嫉妬?」
研究にしか興味がなく、その道で将来有望とされるジェイムス様が? と首を傾げると苦笑いされた。
「当たり前だろう。あいつはなんでもそつなくこなす。人当たりも良く友人も多いし、勉強だけでなく剣術も得意、それに加えあの容姿だ。自慢の弟ではあるが、研究しか取柄のない俺とは違う。だからこそ俺は研究にのめり込んでいたのかもな」
自嘲気味に笑う顔は、昨日見たレイモンド様と良く似ている。
この二人、やっぱり兄弟ね。お互いを尊敬しながら、羨ましく思っている。
どこか引け目を感じているから、今まで腹を割って話せなかったのかも知れない。
「そういえばハリストン様が昨日、お二人にとって良い機会だと仰ってました。こういうことだったのですね」
「ハリストン殿がか? あの人には敵わないな。男の妙な矜持まで分かっている」
はは、と笑うジェイムス様はどこかすっきりしているように見える。
「ま、ハリストン殿には新人時代に随分迷惑をかけたからな」
「迷惑? ジェイムス様がですか?」
「そうだ。実は研究室に入ってすぐに実験室を爆発させた」
「えっ!?」
そういえば、ハリストン様の実験室と比べ壁や床板が新しいと思っていたけれど、まさかそんなことが。
「お怪我はありませんでしたか?」
「火傷を少々。修復中は急遽建てられた簡易小屋で実験をしていた。小窓さえなく換気も悪いし、洗い場もない。最悪だったな、悪いのは俺だけれど」
そんなことがあったのですね。なんだか親近感が湧いてくる。聞けば、今は使わない実験器具や書類、本を置いている倉庫になっているらしい。
ジェイムス様が身を乗り出し、私に近づく。
「この話はアゼリアさんには黙っていてくれ、恰好悪いだろう?」
「……ジェイムス様、一つ教えて差し上げます。女性は完璧だと思っていた人の失敗談には親近感を抱くものですよ。弱いところを見ると支えてあげたいと思うものです」
「そういうものなのか?」
「はい」
大きく頷く私に対し、ジェイムス様は思案気に「でもな~」を繰り返す。本当、男の矜時は面倒ね。
と呆れていると、背後からグイッと肩を掴まれぎゅっと抱きしめられた。
「……兄さん、何してるの? ちょっと距離が近くないか?」
あっ、もう一人いたわ。面倒くさく愛しい私の婚約者がジロリと実の兄を牽制していた。
アゼリア初出勤です。
ジェイムス→研究以外はポンコツ設定です。だからまだ独身。
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