クロエ・フィルメリア
「精神的に向上心の無いものは馬鹿だ。この言葉をご存じですかぁ?」
「エッ、夏目漱石の『こころ』のヤツ……」
「はぁい♪ わたくしは常にそう思っています! ライバー生活にかまけるのも結構。伸びる数字に増長するのも結構。ですが、向上心を失い、今に満足した人間に未来はありませぇん」
☆☆☆
まさかまさかの出来事である。
歌唱レッスンの応募フォームに応募してから二日後、申請が無事に通ったあたしは案内メールに従い講師との顔合わせを行っていた。
カメラオンでの対面にあたしは非常に緊張したが、直接会うわけでもないので何とか平常心を保つことができていた。
そして現れたのは途轍もない美女。
銀髪ボブの碧眼に雪のように真っ白い肌。
スタイルは抜群で、あたしの断崖絶壁とはまるで違う豊満さが全身から溢れ出している。
さらには、身に着けている青色のドレスは妖艶さが染み出していて、彼女の雰囲気によく似合っていた。
で、問題はここから。
前述の言葉は彼女が開口一番に叩き出した言葉である。あまりに急すぎるだろ。
「レイナさんは見た限り怠惰で無関心な気配がしたので、まさかレッスンに参加するとは思っていませんでした。あ、わたくしに敬語はいりませんよ」
「ああ、そう……。いや──あたしはただ負けず嫌いなだけだよ。本質はあんたの言う通り怠惰で不貞腐れた人間だぜ?」
「それも一種の向上心だとわたくしは思いますよ」
なんかやけに全肯定だなコイツ……。
にしても、怠惰で無関心とは痛いとこ突くじゃねーか。
あたしの本質は、基本的に面倒くさがり屋で無気力で、ありとあらゆることを諦めている。
そりゃいきなり男から女に……しかも誰もが認めるロリ体型に転生だなんて人格形成が狂ってもしゃーねぇだろ?
だが──相反するようにあたしは凄まじく負けず嫌いだ。そしてプライドがクッソ高い。
同じ土俵に立っている人間に負けることは屈辱でしかなく、耐え難いほどの虫酸が走る。
あたしは今まで土俵に上がることを避けていた。
勝負しなけりゃ勝ち負けもねーからな。
しかし、あたしはVTuberという土俵に立った。
始めは適当な気持ちだったさ。
楽して稼げそうだし、変なとこで自己肯定感の高いあたしが声とペシャリで何とかイケるだろう、と踏んだから。
実際は、自信のあった歌は採用基準に満たず。
上を見上げりゃキリのねぇ界隈で。
だからこそ──負けたくねぇと思ってしまった。
──精神的に向上心の無いものは馬鹿だ。
これを最初に言った当本人は結局、カウンターマジレスされて散っていく定めにあるが……あたしは至極真っ当な言葉だと思っている。
──という自語り前置きはさておき。
初対面かつ開口一番で言う言葉じゃねぇな!?
妙に説得感あったせいで色々考えちまったがな!
そんな文句を垂れ流していると「ごほんっ」と体裁を整え直した銀髪の女性が、不意にスカートをつまみ上げてお辞儀をした。
カーテシーってやつだな。
「さてさてさて、どうもこんにちはレイナ・アルミスさん。わたくしは歌唱レッスンの講師を務めさせていただきますクロエ・フィルメリアと申します」
「あ、レイナ・アルミスでs……だ。よろしく」
「はぁい♪」
敬語はいらないと言われた本人が敬語を使っている場合はどうすれば良いのか。
対面コミュ障のあたしにはまったく見当もつかねぇ。
今は"半"対面みたいなもんだから何とかなってっけど。
「レイナさんは歌は上手いほうだと思いますけど、どうして歌唱レッスンを受けようと思ったんですかぁ?」
上手い《《ほう》》……?
あたしはクロエの言葉に引っ掛かってピクリと眉を上げたが、一々変に突っかかるのもどうかと思って心のうちに留める。
まあ、別に嘘をつく必要もないな。
「上手いかもしれねーけど一番ではねぇ。武器を磨く手段があって、それを使わないのは勿体ないだろ? 今回はレッスンがその手段だったってわけだ」
「ふんふんなるほどなるほど。実に──素晴らしい!!」
「うわびっくりした!」
突如大声を出したクロエにあたしは驚く。
なんかめちゃくちゃ瞳輝いてんだけど。
「素晴らしい向上心ですよ、レイナさん。やはりライバーとはかくあるべし。嘆かわしいことに向上心を失った者から大体辞めていきますからね」
「他に歌唱レッスン受けに来たライバーとかいねーの?」
「いるにはいるんですが、長く続かないようで……三回目には大体来なくなりますね……悲しいです……」
しょんぼりと眉尻を下げるクロエ。
……んー、まあ活動の一環で"歌"という武器を使用するライバーは多いが……主軸はあくまで配信だからな。
そこまでレッスンに時間かけてらんねーよ、って感じでやめたんじゃねぇかと予測できるが。
とはいえ──もう一つ考えられることとして、この講師の歌唱力があまり秀でていないせいで、レッスンに意味が無いとやめていったライバーもいる可能性だ。
もしもそうならあたしだってやめる。
やめる側に理由があるのは常だが、やめられる側にも問題があることはそれなりにある。
ま、そこはレッスンが進めば分かるだろ。
なんて楽観的に構えていたあたしに、早速判断のチャンスが与えられた。
「そうですね、初回のレッスンですし……わたくしの歌を聴いてもらって終わりにしましょうか。講師になる人の歌唱力も気になると思いますからね」
「……よろしく頼む」
ふふふ、と笑うクロエの瞳は怪しい光が灯っていた。
それは自信の現れなのか、はたまた過信なのか。
ま、どうでも良いが見極めてやる。
そんな上から目線で耳を傾けた瞬間──耳朶を打った声色は、誰もが聞き惚れる美しい歌声だった。
「〜〜♪」
「────は、ははっ」
勝てねぇ。
勝てる気が、しねぇ。
あたしはクロエ・フィルメリアという人間に圧倒的な敗北感を与えられ、初日のレッスンを終えた。




