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5-6 入れ替わる死体

 ユーグ伯爵家の邸宅の一室、そこにサーラ様の御遺体が治められた棺があり、ヴェルナー様はそこにずっと詰めておられます。


 棺に縋りついては泣いたり、あるいは動かぬ妻の顔を見ては悲しみに耽り、思い出したかのように立ち上がっては叫び、とても正気の人間とは思えぬ行動です。


 実際、最愛の妻を失って、半狂乱になっているのは間違いないのですから。



(早く何とかしないと、色々とマズいですわね)



 部屋の鍵穴から見えるそのお姿は、見るに堪えません。


 聡明で闊達であった頃のヴェルナー様が、ああも変貌されたと言う事は、それだけ夫人との絆が強かったという証。


 今回はそれを利用して、二人の仲に割って入り、“生と死の境界”をすっぱり分けて差し上げねばなりません。


 このままでは、死者の列にヴェルナー様が加わりかねませんので。



「……動きました。皆さん、準備よろしいですね?」



 部屋を出る素振りを見せたヴェルナー様を確認した私は、近くに潜んでいた伯爵家の方々に視線を送ると、全員が準備万端と頷きました。


 近くの物陰に潜み、屋敷の一室に設けられました死体安置所から、ヴェルナー様が出てくるのを確認。


 そのまま廊下を進んで、かわやの方へと向かわれました。


 ほぼ部屋に籠っておりますヴェルナー様ですが、厠には行きます。



(生きている者にとっては、避けては通れぬ生理現象ですからね~)



 愛する妻の眼前で汚物をぶちまけるのだけは、どうにも我慢ならないご様子で、それはこれまで行動から把握済み。


 そして、無人になりました部屋に、静かに、そして、急いで私と数人の召使い達が突入しました。


 私は数名の召使いと共に部屋に入り、取り急ぎ棺の中身を確認します。



「あ~、やはりですか……」



 案の定、腐乱が始まっていました。


 肌がどす黒くなり、瘴気を溜め込んだ体が膨らんできていました。


 冬場で進み具合は遅めでしたが、このままでは生前の面影が完全に崩れ去り、醜い姿を晒すことになるでしょう。



「父上! もういい加減にしてください!」



 少し離れた廊下の方から、ヴィクトール様の大声が響いてきました。


 無論、これは足止め。


 少しでも長く部屋からヴェルナー様を引き離しておかねばならないからです。



「皆さん、急いで!」



 静かに催促する私に、召使い達も静かに、かつ急ぎました。


 まずは死体の運び出しです。


 サーラ様がお休みになられている棺を担ぎ上げ、それを部屋から出しました。


 もちろん、向かう先は伯爵家が代々使っております専用の墓所。冬場とは言え、一月ほども放置されましたので、腐敗が進んでおります。


 早く埋葬しなくては、悪霊にでもなりかねません。


 それを皆が分かっているので、その動きには微塵も迷いはない。


 たとえ主君の意に反しようとも、このままではよくないと誰もが認識していればこそです。


 代わりに運び入れましたのは、“空っぽの棺”でございます。


 見た目はサーラ様の入っている棺と同じで、それを祭壇の上に置き、これで棺のすり替え完了です。


 同じ形の棺ですので、見た目としては変化はありません。


 しかし、中に死体が入っていません。


 なので、そこに私が入り込みました。


 そう、これからは私が“死体”を演じるわけです。



「よし、これでいいわ。皆さんはすぐに退避! 後は私に任せて!」



 召使いの皆さんは無言で頷くと、さっさと出ていきました。


 サーラ様が入っている棺を出し、運び入れた空の棺には私が入る。


 これで“死体の入れ替わり”が完了しました。


 これで埋葬して一件落着といけばよいのですが、残念ながらヴェルナー様は死者に取り憑かれております。


 このまま埋葬して離ればなれにしてしまえば、半狂乱となって何をするか分かりません。


 そのため、魔女たる私が一芝居打たねばなりません。


 そのために、棺の中身を入れ替えたのですから。


 運び込まれた棺には私が死体として入り、そして、ヴェルナー様を待ちます。


 着込む衣装は葬儀の際に身に付ける黒いドレス。漆黒の死装束(コストゥミディモーテ)に包まれし魔女とは中々に似合いそうなのですが、のんびり眺めている余裕はありません。


 ヴィクトール様が多少の足止めをして下さってますが、準備に時間をかけれません。私が棺に入ると蓋が閉じられ、召使い達も仕掛けを動かす一人を除いて出ていきました。


 そうして棺の中で待機していると、ヴェルナー様が戻ってこられ、当然のごとく棺に歩み寄ってきました。



「おお、サーラよ、寂しい思いをさせてしまったね」



 部屋の中にヴェルナー様の声が響きますが、間近でその声を聴くと、やはり生気を感じられませんでした。


 私の記憶する以前の声色よりも遥かに弱々しく、死にかけの病人のように感じました。なにしろ、一月近くも暗鬱の中に身を沈めておられたのですから、死に近付いても不思議ではありません。


 さて、では始めますかと、私は棺の側面をドンッと叩きました。何事かとヴェルナー様は棺に近寄る足を止め、数歩離れた位置から棺を凝視されました。


 さらに、棺の蓋を隠れた場所から縄で引っ張り、独りでに開いたかのように見せました。そして、私は開いた棺から腕だけを出し、ヴェルナー様に向かって手招きをしました。


 私の体は白一色。死人と変わらぬ色合いにて、まるで死体が動いたかのように見えましょう。もちろん、不自然な点は多々ありますが、狂気に囚われている衰弱した者の目には、それがどう映るのか予想はつくというものです。



「おおぉ! サーラがあの世より立ち返ってきた! 偉大なる主神デウスよ、その慈悲によりサーラを我が手に戻してくださりましたか!」



 やはり乗ってきました。魔女として人をそそのかし、惑わすのはいつものことでございますが、仲睦まじい夫婦の間を引き裂かねばならないのは少々胸が痛みます。


 棺から出した私の手を掴もうとしたその瞬間、逆にヴェルナー様の体を掴んで棺に中に引きずり込みました。部屋の中に潜んでいた下男が素早く棺の蓋を閉め、そして、閂を差し込んで封印しました。


 これで棺の中は完全な暗闇が支配する小さな世界。そこには妻の死を嘆く夫と、それを告げに来た天使のフリをした魔女のみとなりました。



「な、なんだ! どうなっている!?」



「お静かに、ヴェルナー殿」



 私はいつもとは少し声色の語気を強め、威厳ある態度にて応じました。魔女ではなく、死告天使ザラキエールとして顕現したのでございますから。



「我が名はザラキエールなり。ヴェルナー殿、落ち着かれよ」



 優しい男爵夫人はこれにておしまい。


 ここからは冷徹なる魔女として、死を告げる天使(ザラキエール)を演じてみせましょう。

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