4-22 二人だけの秘密
“魔女の館の塔の部屋”は誰にも邪魔されることなく、密議を交わす事が出来る場所。
お婆様がこれを建てた時から、ずっとそのように使われてきました。
時に国家の運命を左右されるほどの重大な密議が交わされ、今また私の運命を決するがごとき重要な案件が決められました。
そう。“雲上人”というまさに雲の上のこの世の支配者、それと事を構え、数々の謎に挑む、という事に。
それも、目の前の貴公子が手を貸すとも述べて。
(私自身の生まれの事、雲の上にいると思われる母の事、お婆様が築いたこの状況と数々の宿題、解き明かすべき謎は多い。しかし、一人ではできない事も、二人ならばあるいは)
なにしろ、目の前にいるのはジェノヴェーゼ大公国の密偵頭のアルベルト様。
取り扱う情報量は、私の手の届く範囲よりも遥かに広く、長く、そして、深い。
これ以上にない助勢でございます。
しかし、不安材料もございます。
「アルベルト様、今宵の一件は、大公陛下には御内密にお願いできますか?」
「ふ~む、あくまで“個人”で動く腹積もりか?」
「最悪の場合を想定して、火の手が広がるのは、予防線を張っておくべきかと。お忘れですか? 百年ほど前にあった、“ラキアートの動乱”の事を」
「ああ、あの件か。それについては、考慮すべき案件ではあるな」
具体的な事例を持ち出したので、アルベルト様も納得して頷かれました。
“ラキアートの動乱”とは、五大公の一角を占めますらラキアート大公が、突如として“雲上人”に反旗を翻し、それがロムルス天王国全土に波及した事件の事でございます。
事の発端は、教会への不満が原因であったと言われています。
当時のラキアート大公家当主マティアス陛下が横暴なる教会の態度に腹を据えかね、数々の改革案を打診し、結果、黙殺されました。
しかし、教会への不満は大公一人の問題ではなく、数多の貴族達の共感を呼ぶことになり、次第に教会へ糾弾する声も膨れる一方。
“改革派”と称される一団を形成するに至り、事の重大さにようやく“雲上人”も重い腰を上げる。
教会は“雲上人”が下界を支配する出先機関のようなものであり、それへの攻撃は決して容認できるものではありません。
その結果はまさに“騙し討ち”でした。
年に一度、教会総本山にて数多の貴族が参集し、会議を持つのが今なお続くならわしなのですが、当時もまたその例に倣い、改革案について話し合うので、貴族すなわち“熱き心の百人組”は参集すべしと発せられました。
しかし、それこそが“雲上人”が仕組んだ罠。
会議の席で改革案を推し進めようとした“改革派”は、議場手前の回廊にて捕縛。そのことごとくが首を刈られて、晒し首となった。
唯一人、生き残ったマティアス陛下は子を身籠っていた妻と共に塔へと幽閉され、見せしめのためにジワジワ数年間も嬲るように拷問が加えられ、死亡したと伝えられています。
死体は幽閉された塔の上から投げ捨てられ、“妻子”も同様の運命を辿ったと言う。
「……で、マティアス陛下が捕縛された原因は、弟と盟友の裏切りだったかな?」
「はい。表向きはマティアス陛下が数々の不正を成し、度し難い残虐行為を働いたと言う事になっております。重税と、それに従わぬ領民への圧政の数々……。それらをでっち上げたのが弟のコルヴィッツであり、唆したのがマティアス陛下の親友であったとされる五大公の一つガドゥコラ大公ヤノーシュ」
「だな。ラキアート大公家の家督はコツヴィッツが奪い、土地や財産のいくばくかをヤノーシュが掠めた。もちろん、世間的には『残虐なるマティアスを討ち取った功績である』という事にしてな」
何のことはありません。
“雲上人”への反乱という事実は嘘で塗り固められ、隠されてしまいました。
“ラキアートの動乱”という事件も、単なる貴族同士の足の引っ張り合いへと変わってしまったのです。
“雲上人”や教会のあずかり知らぬところで、貴族同士が勝手にやり合った。そういう事になったのでございます。
もちろん、世間でそう述べられているだけで、“裏”の事情を知る者はおりますが、そのことごとくが口を噤んでいるのが現状。
マティアス陛下の二の舞になるのを恐れての事です。
「しかし、その分厚い壁に風穴を開けたのが、他ならぬ我が祖母カトリーナ」
「だな。完全とは言い難いが、それでも教会への改革がなされ、以前に比べて遥かに風通しが良くなった」
「マティアス陛下の件もありますので、お婆様は表から攻め込むような真似はせず、裏で手を回したのでしょうが……」
「そう考えると、やはりお前の祖母は規格外だな。大公が直訴しても覆らなかった案件を、完全ではないとは言え、ある程度の成功を収めたのだから。それも、貴族でもなんでもない、ただ一人の魔女が、な」
「その通りです。何をどう交渉したのか、訴えたのか、未だに謎ですからね」
祖母は身一つで世界の支配者に挑みかかり、それを認めさせたのですから、本当に大したものです。
その真相は不明。墓の中まで、秘密を持って行ってしまったのですから。
ですが、私もまた、それに挑まねばなりません。
私が欲する“謎の答え”は、遥か高みの雲の上に存在するのですから、その関係者である“雲上人”と関わらない訳には参りません。
多少の伝手はありますが、それもどこまで通用するかは分かりかねます。
それでも“雲を掴む話”を掴むため、手段は選んでいられないのもまた事実。
今宵、“幽世の力”に触れたのも、アルベルト様の協力を取り付けられたのも、何かの契機かもしれません。
「しかし、“ラキアートの動乱”の二の舞だけは防がねばなりません」
「あくまで、私やヌイヴェルだけが動いた。他の身内は関係ない、と強弁するための措置は必須か」
「と言うより、本当に信用できるのか、という点もです。マティアス陛下を売り飛ばしたのは、他ならぬ“弟”と“親友”だったのですから」
「それどころか、我がジェノヴェーゼ大公と敵対しているネーレロッソ大公がこれを嗅ぎ付ければ、嬉々として利用しかねんしな」
「はい。秘密を知るのは、本当にごく少数だけにしなくてはなりません」
そう考えますと、絶対に裏切らない“駒”というのは貴重。
従弟や従者を関わらせて良いかどうかは、今のところ保留ですわね。
従妹の事もありますし、生まれてくる赤ん坊の為にも、あまりその周囲を騒がしくしたくはないと考えるのは、やはり“甘い”のかもしれませんが。
(そう考えますと、お婆様の魔術【絶対遵守】は破格ですわね。契約さえ結んでしまえば、それこそ“雲上人”でさえ、縛ることができるのですから……。むしろ、その辺りかしら? お婆様が“雲上人”との取引が出来たのは)
知略や行動力もさる事ながら、私とお婆様とでは持っている魔術の質が違いますからね。
私の【淫らなる女王の眼差し】は肌の触れ合った相手から、情報を抜き出すというもの。
強力ではありますが、“お肌の触れ合い”があって初めて成立するもの。
条件を満たさねば、目の前の貴公子からでさえ、情報を抜き出せません。
実際、アルベルト様に触れた事は一度もありません。
先程の握手でさえ、手袋越しですからね。
ましてや、同衾なんて望むべくもありません。
(誘ってはいるんですけど、この点は兄弟揃って身持ちが固い。フェルディナンド大公陛下も“筆おろし”の時以来、触れてもいませんからね)
あの時得た情報なんて、もう古すぎて使い物になりません。
情報は定期的な刷新があってこそ、価値があるのですから。
(でも、お婆様は違う。情報を得る手段は知略と話術でのことですが、それを材料に交渉する段にまでなった後は、まさに最強。絶対に破れない契約を交わせるのですから。後になってから『はい、や~めた!』が出来ないのは大きい。例え騙された、焼石を掴まされた、そう気付いたとしても、絶対に破棄が出来ない)
その事跡は、机の上に置いたままの宝箱の中身、すなわち“契約書”の束によって示されています。
今なお有効な契約の数々。
お婆様、あなたは本当に規格外の“本物以上の魔女”ですわ。




