10-24 甘い歌声は届かない
なんとも奇妙な事になりました。
本来であれば、『天国の扉』は完全予約制のお店ですから、“飛び入り”は認められておりません。
しかし、上得意であるアロフォート様が強引に席を作ってしまったのです。
私の部屋に、酒と料理を“三人分”。
私とゴスラー様が向かい合うように座り、それに挟まれる形でアロフォート様が席に着かれました。
そして、その顔は完全にニヤついております。
(面白そうな事があると、す~ぐ顔を突っ込みますからね、この方は)
酒と料理が大好きな方で、酒の肴になりそうな悲喜劇もまた大好物。
現在進行しているゴスラー様の求婚を、面白そうだと判断した結果ですね。
まあ、見られてしまったからにはやむなしと、一部始終を話す事にしました。
ゴスラー様の借金の事、それの支払いの猶予を与えるマリアンヌへの求婚の事、それらすべてをです。
「なるほどなるほど、そんな面白そうな事をやっておったのですか」
「面白そうだと!? こちらは大真面目なのだが!?」
「そもそもの話として、侯爵が借金を作って、首が回らなくなったのが悪いですからな。自業自得ですぞ」
「運がなかっただけだ。継ぐつもりのなかったアールジェント侯爵家の家督を継ぐことになった上に、侯爵家の象徴でもある銀鉱山が枯渇したからだ」
「運がないと言えばそれまでですが、だからと言って“遊び”を止めなかったのはダメですな。自身の財布と相談して、本業に支障のない範囲で遊興に耽るべきでした」
さすがはアロフォート様。
侯爵相手に物怖じしないその物言い、各地を冒険して身に付けた胆力は並ではありませんね。
実際、正論であるため、ゴスラー様も返す言葉がありません。
酒をグイっと飲み干す事しかできませんね。
「……で、その問題の修道女に相手にされなかったと?」
「そ、そうなのだ! あれほど甘い声で歌い、気を引こうとしたのだが、くそ、やはりこの頭巾が邪魔だな!」
懐から取り出しましたのは、薄汚れた頭巾。
私はゴスラー様にマリアンヌを口説く際に、決して顔や素性を明かさないようにとの条件を課しております。
社交界一の美男子に言い寄られたら、大抵の女性は一瞬で落ちます。
しかし、それでは“恋愛結婚”にはならないと考え、あえて薄汚れた格好をさせ、“容姿”や“身分”に惚れるのを防いだわけです。
(そう、心だけで落とさなくてはならない。いやむしろ、マリアンヌに“裏”を勘繰られないように)
普通は訝しむものです。
醜い容姿のために家族から棄てられ、修道院に押し込められたというのに、いきなり“白馬の貴公子”が現れたら不審に思うでしょう。
こいつ、何が狙いだ、と。
(当然ながら、この最初の失敗は織り込み済み。一応、昨日訪問した際に私と同席しておりますので、私の知己だというのは含ませておりますが、それでもいきなりの求婚は不自然極まる。だからこそ、必要なのは“熱意”!)
愛情の深さは熱量であるというのが、私の持論。
燃え上がる程に熱くなり、身も心も焦がしてこその“恋愛”です。
まあ、私は“疑似恋愛”を売りにしておりますので、相手を騙す際には、自分自身すら騙すのです。
客人を私に惚れさせるためには、娼婦もまた惚れなければならない。
一種の自己暗示のようなものです。
嘘の恋愛感情であっても、騙せるほどに偽装は完璧です。
何度も何度も繰り返している内に、色恋の熱量さえ自在になってしまいました。
目の前の方を本気で愛している、そう自分すら騙す事により、本当に部屋の中では恋人になれるという訳です。
私が期待しているのは、まさにそれ。
(今、ゴスラー様は借金の返済という圧力が加えられ、それの解消のためにはマリアンヌを口説き落とさなくてはいけない。しかし、失敗。今まで落とせなかった女性はいないという放浪の騎士にして吟遊詩人。ある意味で、自尊心を大きく傷つけられた事でしょう)
負けを知らない、特に女相手には“常勝”と呼べるほどの貴公子。
その最も得意とする戦場で、よもやの負け戦。
“容姿”と“家柄”が使えぬというだけで、こうも落ちる、自分の格が。
だからこそ、なおの事、負けられない。
次は勝つ、口説き落とす、という気構えが生じる。
(恋愛において、もっとも重要なのはその“熱意”。相手をいかにして気を引くべきか、好意を持たれるようにはどうするべきか、悩み、動き、そして、実る。ゴスラー様にはそれが足りなかった!)
しかし、此度の負け戦でがらりと変わる。
負けられない戦に、よもやの負け戦。
あれだこれだと考え抜き、今まで持ちえなかった“熱意”が生じる。
そして、最後は自分すらも騙す。
(敵を騙すにはまず味方から、と申しますしね。そして、その味方とは自分自身。自分が色恋に燃えていると錯覚し、告白の回を重ねるごとにそれは事実であると思うようになる)
ゴスラー様とマリアンヌ、真逆の二人を“恋愛結婚”させるには、これしかないという私なりの結論。
あとは着いた炎がずっと燃え続ける事を願うばかりです。
少なくとも、マリアンヌが心を開き、あなたの手を取るその瞬間までは。




