10-17 いざ、修道院へ! (3)
訪れました修道院は、極めて質素な造りをしています。
正面には、祈りを捧げる礼拝堂。
それを中心にしまして、周囲には書庫や倉庫が立ち並び、食堂、宿舎と、本当に必要最低限といった感じの佇まいです。
「ふむ。修道院という場所は今まで特に縁のなかった場所であるが、本当に質素なのだな。神学校とは大違いだ」
キョロキョロ視線を泳がせるゴスラー様ですが、その美顔はすでに頭巾の中にしまわれており、それを眺める事はできません。
私やジュリエッタにしても、ここに来るに際して、割と地味目の服装にしていますし、極力目立ったないようにしています。
「さて、それでは彼女を探す事にしますか。この時間ですと、山麓の畑の方かしらね。オノーレ、積んできた干し魚、私からの差し入れだと言って、食堂の方に運び入れておいて!」
「かしこまりました!」
御者のオノーレに荷下ろしを任せて、私達三名は山手に続く道を歩き始めました。
道の沿線には畑が広がり、野菜や小麦の畑が広がっています。
のどかな農村を思わせる道ですが、本当に静かな良い場所です。
神との対話を求めるのであれば、喧騒などと言うものは邪魔にしかなりませんからね。
こうした町から離れた場所に修道院があるのも、そうした事が理由なのですから。
しばらく道なりに進んでいますと、私はお目当ての人物を見つける事が出来ました。
「マリアンヌ!」
私が彼女の名を叫ぶも、反応なし。
お構いなしに鍬を奮い続けております。
汚れた衣服に、汗と砂ぼこりでボサボサになった髪、とても伯爵令嬢とは思えない出で立ちですが、ここでの生活に馴染み切っている証です。
呼びかけても応じないのは、神との対話の真っ最中であるからで、一心不乱に鍬を振るっているから耳に入らないだけです。
それを分かっているからこそ、私はそれ以上声をかけず、“対話”が終わるのをじっと待つ事にしました。
そして、待つ事、五分ほど、鍬を振るう手が止まりました。
首にかけていた手拭いで汗を拭い、そして、ようやくこちらに気付いて振り向いて来ました。
「あら、ヌイヴェル、来ていたの。お久しぶり」
返事も素っ気なく、一応幼馴染みでもある私に対してこれ。
何も感じず、何も変化せず、ただ日々を過ごしている。
生きているのではなく、“存在しているだけ”。
それが、目の前にいる私の幼馴染みの“元”伯爵令嬢マリアンヌ。
かつては癖のない滑らかな金髪も、いまでは汚れていてボサボサ。
服もボロであり、継ぎ接ぎだらけ。
そして、何よりも“顔”。
彼女がこちらを振り向いた際、初顔合わせのジュリエッタも、ゴスラー様もギョッとしたほどの“醜女”。
醜く歪んで、傷だらけの直視しがたい容貌の持ち主、それがマリアンヌ。
昔、彼女の住む屋敷で火事があり、その際に顔に大きな火傷を負って、醜く歪んでしまったのが今の彼女なのです。
そんな彼女の顔に尻込みする二人をよそに、私は構わず話を続けました。
「相変わらずの畑仕事?」
「ええ。何も考えず、ただ土を弄っているだけの方が気が落ち着く。大地に、風に、そして、太陽に、神の力を感じます」
「万物の根源たる神力は、常に我々の隣にある」
「ええ、そうよ。ヌイヴェル、あなたもたまには日の下に出て、畑で鍬を振るってみれば? 娼館で欲望と怠惰に身を委ねるよりも、余程いいわよ」
娼婦相手に売春を真っ向批判。
まあ、修道女は娼婦とはまさに真逆の存在ですからね。
一心不乱に神との対話を求める者にとって、娼婦と言う存在は七つの大罪の内、色欲と怠惰の融合物としか考えないでしょうからね。
ゆえに、私は気にもかけない。
幼馴染みと言えど、今となっては住んでいる世界が違い過ぎるのですから。
(しかし、お婆様の言では、“修道女”こそが完成された娼婦。修道女のごとく、寡黙で勤勉で命令に絶対服従ともなると、監視する店側としてはこれ以上にない存在)
もし、彼女の性格そのままで娼婦に成れば、なるほど、確かに“完成された娼婦”でありますわね。
しかし、完成されているからこそ、面白味がない。
私やジュリエッタのように、変幻自在であるからこそ、喜びを与える接客もあるのですから。
ただ床入りするだけの娼婦にあらず。
高級娼婦こそ、不完全でなくてはならない。
不完全であるからこそ、その足りないものをもとめて補おうとするのですから。
その後、とりとめのない世間話をいくつかした後、その場を離れた。
住む世界の違う幼馴染みは、“相変わらず”だった。
(そう、ここに家族から棄てられたものね)
理由は言わずもがな、あの顔。
まともに直視できない程に歪んだ顔を持つ醜女。
彼女が悪いのではない。住んでいた屋敷がたまたま火事になり、それによって生じた傷なのですから。
しかし、彼女の家族は“家族としての情”よりも、単純明快な“損得勘定”によって彼女をここに押し込めた。
(女の価値は何で決まるのか? それは“顔”と“持参金”。そして、彼女はそのどちらも失った。だから利用価値のない道具は修道院へと投げ捨てられた)
誰にも見られず、ただこの場で死にゆくだけの“意思のない人形”。
朝起きて、誰とも話すことなく畑仕事やその他雑務に従事し、そして、また眠る。
その繰り返し。
(誰か彼女に手を差し伸べる者はいるのでしょうか?)
そして、私はいまだに頭巾をかぶったままのゴスラー様に視線を向ける。
他でもない。この御方こそ、彼女をここから連れ出し、“人生”というものを教えてあげて欲しいのです。
よろしくお頼みしますよ、放浪の貴公子様。




