9-31 母と娘 (6)
「断言して述べさせていただきます。ダキア様、あなたの母君は我が身がどうなろうと構いなく、娘の名誉を守るため、自らの命を以て神へと抗う道を選ばれた、と!」
自殺は神への冒涜。命尊きを破る行いなのですから。
神からの賜りものを突っ返し、その上で天に唾するようなもの。
しかし、母君はそれを選ばれた。
何があろうとも、共に地獄へ落ちようとも、娘を決して放さないと覚悟を決めて、身を投げられた。
「もし、あのまま塔の中で過ごされていれば、いずれダキア様は完全に“呪”に支配され、荒れ狂う“集呪”となり、方々で暴れていた事でしょう。しかも、“雲上人”の祓魔師すら退けられるほどですし、被害が如何ほどになろうか……」
「人を呪わば穴二つ、ってところじゃない? あたしらラキアート大公一家に対してたっぷり呪詛を浴びせてきたんだもの。呪い返されても文句は言えないわよね?」
「仰る通りではありますが、そうなってはダキア様の名が完全なる悪魔となり、人々に忌み嫌われる存在になることでしょう」
「フンッ! 人を呪っておいて、その結果が今のあたしなのよ!? いくらでも嫌ってくれていいわよ! 泣き言を耳にしながら。胃袋に収めてあげるだけだわ!」
半ばヤケクソとも思える言葉ですわね。
本来であれば、大公家のお姫様として蝶よ花よと可愛がられたでしょうに、生まれた時と場所が悪すぎました。
一家揃って幽閉生活という閉ざされた世界。
しかも、人々が発する呪詛が“呪”となって形作られ、自身は怪物へと成り果てる。
その後に塔を抜け出し、太陽に目を背けて今に至る。
これでは多少性格がスレてしまっても、やむを得ないでしょうね。
(ですが、そうではない。この目の前の小さな暴君は、その狭き世界の数少ない大人達から、あらん限りの“愛”を注がれて育った。無意識にそれを感じているからこそ、神話や伝説に語られる“集呪”にならずにいる)
もし、伝説に語られる通りの存在の化物ならば、周囲に不幸と災厄を振り撒ているはずです。
しかし、そうではない。
自我と理性を保ち、人ならざる者を屋敷に住まわせ、見事に統制している。
それこそが彼女の本質の顕現!
「ダキア様、その姿は怪物になったとしても、父から受け継いだ気高き王侯の志と、母から受け継いだ愛情を胸に抱き、真に貴人となられております。決して御自身を卑下なさらぬよう、竜の後継者。竜の娘は、やはり竜なのです!」
「でも、あたしは母からは……」
「受け取っているはずです。はっきりと言わせていただきます。塔から身を投げた後、それでもなお生きていたダキア様は、母君の血を吸ったのではありませんか?」
高所から身を投げたのであれば、人間であれば当然死にます。
しかし、ダキア様は不完全とは言え、怪物になりつつあった。
そうであるならば、死ななかった事にも説明がつきます。
そして、その場で完全な怪物になる手段があったのですから。
(血とは、魂と肉体を繋ぐ赤い通貨。呪術的要素として、相手の血を取り込む事による結合や強化を行う場合もある。まあ、そんなものは迷信ではありますが、吸血鬼であるならば話は別。伝説の通りであるならば、血を吸った相手を取り込んだり、あるいは下僕化すると言われていますからね)
怪物に関しての知識は書物によるもので、実際に確認する術はありませんでした。
神話や伝説、おとぎ話の存在など、所詮はあやふやな伝承を元にした作り話、そう考えていた時期もありました。
しかし、自身の魔術への目覚めからその現実と幽世の境界がぼやけていき、ついには“集呪”と直接話すという経験に至り、そうした伝承にも真実が含まれているのだと確信いたしました。
魔女狩りが吹き荒れた暗黒時代を経てもなお、そうした知識は継承され、私の下へと届いたのです。
ならば、伝承通りに事を運ぶだけです。
(吸血鬼は、血を介して、世界を統べる存在である、と)
あるいは、魔女ユラハもそれに気付き、ダキア様が生き血を求めても決して与えず、血のソーセージで誤魔化していたのかもしれません。
完全に覚醒してしまえば、手に負えなくなると感じて。
それによって体のみならず、心までも怪物になる事を恐れて。
「母君は覚悟された。娘が体のみならず、心まで怪物になる前に、それを防ごうとして身を投げた。自死は不名誉であり、罪悪であったとしても、無辜の怪物が完全無欠の悪魔となり、人々から恐怖と憎悪を一身に受ける前に決着すべきであると!」
「分かっている、分かっているわよ! だから私は潰れた母の遺体から、血肉を食らったのよ! 侍女が家畜の血でどうにか誤魔化してきたけど、あたしの渇きは癒える事はなかった! 塔から抱えられて落ちた時、あたしも大きく傷ついたわ! でも、潰れなかった!」
「それもまた、人々の浴びせた呪詛の影響なのでしょう。怪物が、塔から落ちた程度で死ぬはずがない、という想像の下……」
「だからもう、あたしも躊躇わなかった! 日を追う毎に体が変調したもの! 耳は尖って来るし、目は赤く染まるし、牙も生えてきた! おまけに、鏡に映るあたしの姿も、どんどんぼやけて見えなくなってきたわ!」
「……吸血鬼は鏡に映らないと聞いておりましたが、それも真実でしたか」
その際の絶望感は、想像を絶する事でしょうね。
子供は未来の象徴であり、親にとっては何よりの宝。
そんな幼子が徐々に怪物に変じてこようなど、母として幽閉生活以上に耐えられなかった事でしょう。
だからこそ、それを自分の命と名誉を引き換えに、身投げしたのでしょうが。
「血は魂と肉体を繋ぐ通貨。母の血を吸う事により、完全な吸血鬼となった」
「そうよ! あたしが母を殺したのよ!」
「死因は身投げであって、ダキア様が殺したわけではありません」
「その原因を作ったのは、あたしが化物になったからじゃない!」
「そこは母君の覚悟を受け取るべきです。……いえ、すでにダキア様は受け取っています。母の温もりと、優しさと、愛情とを、ね」
かつての事を思い出し、ダキア様は取り乱していますが、それこそ怪物でない証。
その気になれば、即座に私ごときを捻り潰せるでしょうに、話に耳を傾けているのですから。
「ダキア様、あなたの受けた“愛”は本物です。地獄の業火に焼かれぬよう、あるいは氷の世界で凍えぬようにと、ジッと娘を抱きしているのが母の姿なのですから。それを見て、感じて、そして、吸った」
「そうよ、私は吸ったのよ! まだ生温かった潰れた体から、血と、命と、何もかもを食らったのよ!」
「だからこそ、ダキア様の中で母君が生き続けているのです。温かみのある愛情の苗床として、今もあなたと共にある」
人の体には魂があり、死して血が止まれば、魂もまた消える。
しかし、ダキア様はそれを吸った。
かつて生きていた証をそのままに、母親の血を吸った。
血が体と魂を繋ぐ通貨である以上、血を吸ったという事は、その魂をも取り込んだという事に他ならない。
だからこそ、ダキア様は怪物の身でありながら、“愛情”に溢れている。
全てを包み込む、“母の温もり”を血と共に取り込んだのですからね。
父からは気高き魂を、母からは心優しき温もりを、それぞれ引き継いだ。
それでどうして怪物だと罵れましょうか?
目の前にいる小さな暴君は、誰よりも気高く、誰よりも優しい、王たるに相応しい御方なのですから。




