表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
258/406

9-31 母と娘 (6)

「断言して述べさせていただきます。ダキア様、あなたの母君は我が身がどうなろうと構いなく、娘の名誉を守るため、自らの命を以て神へと抗う道を選ばれた、と!」



 自殺は神への冒涜。命尊きを破る行いなのですから。


 神からの賜りものを突っ返し、その上で天に唾するようなもの。


 しかし、母君はそれを選ばれた。


 何があろうとも、共に地獄へ落ちようとも、娘を決して放さないと覚悟を決めて、身を投げられた。



「もし、あのまま塔の中で過ごされていれば、いずれダキア様は完全に“ガンド”に支配され、荒れ狂う“集呪ガンドゥル”となり、方々で暴れていた事でしょう。しかも、“雲上人セレスティアーレ”の祓魔師エゾルジスタすら退けられるほどですし、被害が如何ほどになろうか……」



「人を呪わば穴二つ、ってところじゃない? あたしらラキアート大公一家に対してたっぷり呪詛を浴びせてきたんだもの。呪い返されても文句は言えないわよね?」



「仰る通りではありますが、そうなってはダキア様の名が完全なる悪魔となり、人々に忌み嫌われる存在になることでしょう」



「フンッ! 人を呪っておいて、その結果が今のあたしなのよ!? いくらでも嫌ってくれていいわよ! 泣き言を耳にしながら。胃袋に収めてあげるだけだわ!」



 半ばヤケクソとも思える言葉ですわね。


 本来であれば、大公家のお姫様として蝶よ花よと可愛がられたでしょうに、生まれた時と場所が悪すぎました。


 一家揃って幽閉生活という閉ざされた世界。


 しかも、人々が発する呪詛が“ガンド”となって形作られ、自身は怪物へと成り果てる。


 その後に塔を抜け出し、太陽かみさまに目を背けて今に至る。


 これでは多少性格がスレてしまっても、やむを得ないでしょうね。



(ですが、そうではない。この目の前の小さな暴君は、その狭き世界の数少ない大人達から、あらん限りの“愛”を注がれて育った。無意識にそれを感じているからこそ、神話や伝説に語られる“集呪ガンドゥル”にならずにいる)



 もし、伝説に語られる通りの存在の化物ならば、周囲に不幸と災厄を振り撒ているはずです。


 しかし、そうではない。


 自我と理性を保ち、人ならざる者を屋敷に住まわせ、見事に統制している。


 それこそが彼女の本質の顕現!



「ダキア様、その姿は怪物になったとしても、父から受け継いだ気高き王侯の志と、母から受け継いだ愛情を胸に抱き、真に貴人となられております。決して御自身を卑下なさらぬよう、竜の後継者。竜の娘は、やはり竜なのです!」



「でも、あたしは母からは……」



「受け取っているはずです。はっきりと言わせていただきます。塔から身を投げた後、それでもなお生きていたダキア様は、母君の血を吸ったのではありませんか?」



 高所から身を投げたのであれば、人間であれば当然死にます。


 しかし、ダキア様は不完全とは言え、怪物になりつつあった。


 そうであるならば、死ななかった事にも説明がつきます。


 そして、その場で完全な怪物になる手段があったのですから。



(血とは、魂と肉体を繋ぐ赤い通貨。呪術的要素として、相手の血を取り込む事による結合や強化を行う場合もある。まあ、そんなものは迷信ではありますが、吸血鬼ヴァンピーロであるならば話は別。伝説の通りであるならば、血を吸った相手を取り込んだり、あるいは下僕化すると言われていますからね)



 怪物に関しての知識は書物によるもので、実際に確認する術はありませんでした。


 神話や伝説、おとぎ話の存在など、所詮はあやふやな伝承を元にした作り話、そう考えていた時期もありました。


 しかし、自身の魔術への目覚めからその現実と幽世かくりよの境界がぼやけていき、ついには“集呪ガンドゥル”と直接話すという経験に至り、そうした伝承にも真実が含まれているのだと確信いたしました。


 魔女狩りが吹き荒れた暗黒時代を経てもなお、そうした知識は継承され、私の下へと届いたのです。


 ならば、伝承通りに事を運ぶだけです。



吸血鬼ヴァンピーロは、血を介して、世界を統べる存在である、と)



 あるいは、魔女ユラハもそれに気付き、ダキア様が生き血を求めても決して与えず、血のソーセージ(サングイナッチョ)で誤魔化していたのかもしれません。


 完全に覚醒してしまえば、手に負えなくなると感じて。


 それによって体のみならず、心までも怪物になる事を恐れて。



「母君は覚悟された。娘が体のみならず、心まで怪物になる前に、それを防ごうとして身を投げた。自死は不名誉であり、罪悪であったとしても、無辜の怪物が完全無欠の悪魔となり、人々から恐怖と憎悪を一身に受ける前に決着すべきであると!」



「分かっている、分かっているわよ! だから私は潰れた母の遺体から、血肉を食らったのよ! 侍女が家畜の血でどうにか誤魔化してきたけど、あたしの渇きは癒える事はなかった! 塔から抱えられて落ちた時、あたしも大きく傷ついたわ! でも、潰れなかった!」



「それもまた、人々の浴びせた呪詛の影響なのでしょう。怪物が、塔から落ちた程度で死ぬはずがない、という想像の下……」



「だからもう、あたしも躊躇わなかった! 日を追う毎に体が変調したもの! 耳は尖って来るし、目は赤く染まるし、牙も生えてきた! おまけに、鏡に映るあたしの姿も、どんどんぼやけて見えなくなってきたわ!」



「……吸血鬼ヴァンピーロは鏡に映らないと聞いておりましたが、それも真実でしたか」



 その際の絶望感は、想像を絶する事でしょうね。


 子供は未来の象徴であり、親にとっては何よりの宝。


 そんな幼子が徐々に怪物に変じてこようなど、母として幽閉生活以上に耐えられなかった事でしょう。


 だからこそ、それを自分の命と名誉を引き換えに、身投げしたのでしょうが。



「血は魂と肉体を繋ぐ通貨。母の血を吸う事により、完全な吸血鬼ヴァンピーロとなった」



「そうよ! あたしが母を殺したのよ!」



「死因は身投げであって、ダキア様が殺したわけではありません」



「その原因を作ったのは、あたしが化物になったからじゃない!」



「そこは母君の覚悟を受け取るべきです。……いえ、すでにダキア様は受け取っています。母の温もりと、優しさと、愛情とを、ね」



 かつての事を思い出し、ダキア様は取り乱していますが、それこそ怪物でない証。


 その気になれば、即座に私ごときを捻り潰せるでしょうに、話に耳を傾けているのですから。



「ダキア様、あなたの受けた“愛”は本物です。地獄の業火に焼かれぬよう、あるいは氷の世界で凍えぬようにと、ジッと娘を抱きしているのが母の姿なのですから。それを見て、感じて、そして、吸った(・・・)



「そうよ、私は吸ったのよ! まだ生温かった潰れた体から、血と、命と、何もかもを食らったのよ!」



「だからこそ、ダキア様の中で母君が生き続けているのです。温かみのある愛情の苗床として、今もあなたと共にある」



 人の体には魂があり、死して血が止まれば、魂もまた消える。


 しかし、ダキア様はそれを吸った。


 かつて生きていた証をそのままに、母親の血を吸った。


 血が体と魂を繋ぐ通貨である以上、血を吸ったという事は、その魂をも取り込んだという事に他ならない。


 だからこそ、ダキア様は怪物の身でありながら、“愛情”に溢れている。


 全てを包み込む、“母の温もり”を血と共に取り込んだのですからね。


 父からは気高き魂を、母からは心優しき温もりを、それぞれ引き継いだ。


 それでどうして怪物だと罵れましょうか?


 目の前にいる小さな暴君は、誰よりも気高く、誰よりも優しい、王たるに相応しい御方なのですから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ