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9-30 母と娘 (5)

「ダキア様、あなた様の母君は、覚悟を持って自死されたのです」



 娘との無理心中など、それは地獄行きの通行手形を自らの意思で掴む行為。


 一人の人間として、一児の母として、最低最悪の禁忌なのですから当然です。



(しかし、それは表向きな情報を見ているだけ。その裏に潜む真意に気付けば、母君の覚悟が見えてきます)



 残念ながら、ダキア様ご自身もこれに気付いていない。


 しかし、気付いていないだけで、“受け継いでいる”のは間違いありません。



「身投げした母が、あたしを殺そうとした母が、覚悟を持っていたですって? なんの根拠があって!?」



「この屋敷こそが、その証明です」



「この屋敷が? まあ、結構手入れには気を使っているし、みんなが快適に過ごせるようにあれこれ手を加えているけど、それがなんだって言うのよ?」



「実に単純な事です。“愛”を知らない者が、他者に対して気遣いが出来るとでもお思いでしょうか?」



 愛とは、慈しむ心の事。


 血煙で彩られた暴君が、自分の悦楽や興のためではなく、他者のために何かをするなどと言う事はありません。


 大切なものを守る、見つめる、育てる。


 それは“愛”が無くては決してできないのですから。



「ダキア様の生い立ちは、確かに不自由なものでした。生まれてこの方、幽閉先の塔の中しか知らず、見る顔触れも指で数えれるほどしかおりません」



「ええ、その通りよ。父と、母と、二人の使用人、そして、あたしの五人だけの世界。たまに“雲上人セレスティアーレ”がやって来て、父を尋問するくらいね」



「そう、それだけの、本当に狭い狭い世界。しかし、不幸ではなかったはずです」



「はぁ!? 知った風な事を! 幽閉生活が幸福だったとでも!?」



「不自由である事と、不幸である事、これは必ず等号で結びつくものではありません。不自由ではあっても、ダキア様はその小さな世界の“四人”によって、世界中の誰よりも愛されていたのですから」



 話を聞いている内に、私も理解しました。


 確かに、塔の中は狭い世界なのは間違いありません。


 しかし、それだけにそこにいた四人の大人から、慈しまれて育ったのです。


 父、母、二人の使用人は、それぞれのやり方でそれを成した。



(父であるマティアス陛下は、囚われの身であろうとも常に毅然とした態度を貫き、貴人の、大公のなんたるかを娘に示した。言葉ではなく行動や態度で示すべし、そう無言の内に告げたのでしょうね)



 現に、ダキア様は誰からも教わった風でもなく、すでに王侯の風格を身に付けています。


 それは“父”という最高のお手本を、その眼に焼き付けていたからに他なりません。


 しかも、時の流れによって風化するどころか、逆に美化すらしているようで、より人の上に立つ雰囲気を醸成しているようにも見えます。


 百年もの間、ゆっくり流れる時の中においても、決して色褪せない“父への憧憬”。


 憧れるからこそ追い求め、自分もそうあるべしと努力できる。


 その努力の賜物として、今のダキア様があるのですから。



(従者の二人、特にユラハはおそらく“生前”も、私のように魔女としての知識や経験を持っていたのでしょうね。人の生き血を与えることなく、吸血鬼ヴァンピーロになりつつあったダキア様の面倒を見て、生き永らえさせたのですから)



 多少の医学知識があるだけではまず不可能。


 魔女の知識と、それを臆することなく実践できる胆力があって、初めて“怪物を育てる”という荒行をこなせる。


 主君への忠誠ゆえでしょうかね。



(でもまあ、その全てを上回っていたのが、カトリーナお婆様なのですけどね。マティアス陛下が成せなかった教会改革を成し、“雲上人セレスティアーレ”どころか、“集呪ガンドゥル”さえ、交渉と知恵比べでねじ伏せてしまわれたのですから)



 そう考えると、改めて祖母の深さ(・・)に感銘を受けてしまいます。


 僅か一代で、それもさしたる地位や権力もない、一己の“人間の魔女”がそれらを成し遂げたのですから。



(しかし、それも“魔女狩り(カッチアーレ)”によって散逸した魔女の知識を、上手くかき集めて祖母の下へと集約したのが大きい。そう考えると、ヤノーシュ、コルヴィッツの裏切りと、その後の魔女の保護が効いていますね)



 結果として、魔女の知識は保存され、より濃度が濃くなり、それをカトリーナお婆様が集めて体系化したのですから、それはそれで怪我の功名。


 世の中、どこで何が繋がっているのか、分からないものですわね。



(そして今、ダキア様に最も必要なもの、それは“母の温もり”)



 勘違い、誤解なのです。


 母は耐えきれなくなったからでも、怪物となった娘を殺そうとしたのでもない。


 神にすら抗う覚悟で、身を投げ出した。


 それを教えてあげなくてはなりません。



「いいですか、ダキア様。自殺とは、自身への殺人であり、神の与えたもう命という名の尊きものを、己が手で破壊する愚劣な行為なのです」



「だからこそ、母は逃げたって言ってるじゃない! 幽閉されようとも、名誉が徹底的に汚されようとも、父は常に毅然とした態度で臨まれていた。その妻たる母が、真っ先に折れてどうするのよ!?」



「いいえ、折れたのではありません。かかる過酷な運命を押し付けた神に対して、戦う事を決め、覚悟を以て身投げされたのです」



「自殺が戦う覚悟!?」



「そうです。自殺は神への冒涜行為。それを敢えて選択された。母として娘と共に、地獄で戦う覚悟を固めた上で」



 それは最も過酷な道。


 愛する者のために、地獄行きすら受け入れたのですから。


 地獄の業火は何よりも熱く、意識を残したままひたすらに苦痛を受ける。


 地獄の更に奥底は、空気すら凍り付く氷の世界だとも言われています。


 その凍結した世界において、娘が凍える事のないように、母としてしっかりと抱き締めて命を散らせた。


 それは自殺ではない。母としての慈愛であり、娘への献身に他ならない。


 神が地獄行きを命じるのであれば、甘んじてそれを受け入れ、そして、耐えてみせようという覚悟の表れ。


 娘が本当の悪魔に成りきる前に、その時間を止めるため、名誉を守るため。


 自らの名誉と命を懸けて、神に挑みかかった。


 ダキア様、あなたの母君もまた、父君同様に気高き御仁なのですよ!

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