9-22 裏切りの報酬
たった一冊の本、それも内容がデタラメな“偽書”がその後の歴史を作った。
それを知った時、ダキア様の怒りは頂点に達したようでございます。
悔しさをにじませ、行き場のない怒りを拳に叩き付け、幾度となく机や椅子の肘置きに向かって力任せに振り下ろす。
それこそ、何もかもをぶち壊してしまえと言わんばかりに。
しかし、私は容赦なく畳み掛ける。聞きたくもないであろう“現実”を知らしめるために。
「ダキア様はコルヴィッツとヤノーシュの両名がどうなったか、御存じでしょうか?」
「知らない。百年間、この屋敷と、その周辺程度しか出かけてなかったし」
「で、ありましょうな。少々世間ズレしているお嬢様のようにも感じましたので」
まあ、怪物に、“集呪”に成り果てた身の上では、表に出る事も難しいでしょうからね。
以前であった首無騎士ガンケンにしても、アルベルト様が初めて遭遇なさったときは森の中だったようですし。
(橋、森、崖、水面、そうした“境界”があやふやになり易い場所に、幽世の入口が開きやすいということですが、それは間違いなさそうですわね)
この屋敷に迷い込んだ者も、まさにそうしたあやふやな境目をうっかり跨いでしまった者ばかりなのでしょう。
かく言う私もその一人。
まあ、魔女ですから、そうした霊的な存在とは縁近くありますから、それで呼び寄せやすいとも言えますがね。
「ガドゥコラ大公ヤノーシュは“親友”を売り飛ばした対価として、ラキアート大公の領地と財産をいくらか受け取り、“兄”を売り渡したコルヴィッツはラキアート大公の位を継承しました。ダキア様のご実家とも言うべきラキアート大公家は現在、そのコルヴィッツの血筋で引き継がれ、今はその玄孫が現当主に収まっていますね」
「何よ! 結局、欲の皮が突っ張ってただけじゃない!」
「そうとも言い切れません。なにしろ、二人揃って“英雄”として、今でも讃えられているのですから」
「はぁ!? 英雄!? 裏切り者の二人が英雄ですって!?」
こちらの論評に更に気を悪くしたのか、ダキア様は席を立ち、バンバン机を叩いて怒りをあらわにしてきました。
まあ、ダキア様視点で言えば、あの二人は間違いなく“父を裏切った痴れ者”なのですからね。
「世間一般の認識を申せば、悪魔に魂を売ったラキアート大公マティアスを成敗した、という事になっておりますので」
「ふざけるな! 世界の欺瞞を暴き、世を正すために戦ったのが父上なのよ!? それを親友と実弟が裏切るなんてありえないわ! まして、英雄だなんだと!」
「視点の問題です。あるいは、立場というものもありますので」
「視点!? 立場!? 裏切りによって、それが正当化できるとでも!?」
「できます、二人の裏切り行為の正当化は」
私はきっぱりと言い切りましたが、ダキア様は当然納得していません。
殺意や怒りがこちらに向きかねない程の剣幕で、こちらを睨みつけてきています。
しかし、始まったからには後に引くつもりもなく、私はまず少女を宥めすかし、席に着くように促す。
そこで少しは落ち着いたのか、小さな体をまた椅子に乗せ、話を続けるようにと言ってきました。
さすがに怒り心頭ではありますが、初見の考察に触れている最中に打ち切るような、了見の狭さは持ち合わせていなかったようです。
「二人にも“立場”というものがあります。ガトゥコラ大公家の当主、ラキアート大公の実弟としての立場が」
「その立場とは?」
「領地領民に対しての責任です」
そう、領主たるものまずもって自分の領地について考えなくてはなりません。
自家の財産であり、その繁栄によって家門の糧をえているわけですから。
どうすれば領地を富ませる事が出来るのか?
どうすれば降りかかる災厄から守ってやれるのか?
領主であれば、当然の思考です。
かく言う私もファルス男爵家の一員として、領地である漁村の運営には気を使っているものです。
蛤の人工養殖を始めとする事業を手掛け、それを中心と商いを行い、富を循環させる。
“男爵夫人”として、領主である従弟のディカブリオを補佐し、領地領民を慰撫するのも仕事の一つですからね。
領地が嵐でひどい目にあった時などは、娼婦としての稼ぎを回した事もありましたね。
それほどまでに、貴族と領地は切っても切れないもの。
領地領民あっての貴族であり、その栄枯盛衰の影響を最も受けるのが貴族なのですから。
その貴族の視点があれば、二人の正当化など容易い事です。
「ダキア様、当たり前の話ですが、教会とその後ろにいる“雲上人”は強大です。なにしろ、世界の支配者ですからね」
「言われなくても分かっているわ。だから、その神の名を騙る不遜な存在に掣肘を加えるのが父だったのよ!?」
「そう、掣肘を加える。世の欺瞞を晴らし、世間に正義を広める。確かに素晴らしい事です。ですが、そこに一つの疑問が生じます」
「その疑問って?」
「マティアス陛下は、本当に改革を成し遂げられたのかどうか、という点です」
「はあ!? そんなの確実よ! 教会側の騙まし討ちが、あの二人の裏切りが無ければ、絶対に勝っていたわ!」
「その根拠は?」
と、ここで言葉に詰まるダキア様。
そうそれなのですよ、最大の案件は。
あのマティアス陛下がやろうとしていた教会への改革、それが本当に“達成できたか否か”という疑問。
(確かに、マティアス陛下の“反言霊”によって、支持者が増えていたのは事実です。教会側が危惧した状況が展開されていたのですから。しかし、そうした指示が“一枚岩”であったとは限らない)
“地上の人間側の視点”から見て、その改革が達成されるかどうかなど未知数ですからね。
だからこその“裏切り”。
正確に言うと、“守るべきものの軽重”とでも申しましょうか。
「あの二人には、当時の状況からこう考えたのではないでしょうか? 『改革が達成されなかった場合、“雲上人”からの過酷な報復があるのではないか?』と」
「…………!」
「改革がなされれば、それは良かったのでしょうが、そうでない可能性もある。あるからこそ、失敗した時の事が脳裏によぎる。自身の家門が、あるいは領地領民が、怒りを買った世界の支配者から苛烈な罰を受けるのではないか」
「それはそうかもしれないけど、それで親友や実兄を裏切ると!?」
「先程も申しましたが、立場の問題です。例え当人同士が好き合っていても、“組織”に属している以上、それに対しての責任が発生します。栄えある大公家が、お取り潰しになるかもしれないという危機。それに対して、“確実に生き残る道”を選択したのではないでしょうか?」
裏切りの報酬として、家門の保護を約束させるのは良くある話です。
内通者を敵方に作る際は、そうした所領や一族の安堵を確約しておくなど、珍しい事でもないですからね。
「動乱の中心人物は、もちろんマティアス陛下です。そのすぐ側にいたのがヤノーシュとコルヴィッツの二人。親友と実弟ですから、否が応でも巻き込まれる。つまり、もっとも全体を見渡せる位置にいた、という事です」
「視界が広かったからこそ、却って不安になったと?」
「当初はおそらく身内だけの、ただの愚痴から始まったのでしょう。しかし、マティアス陛下には“反言霊”がありました。教会の、法王の権威を無意識的に無力化してしまう程の威力があります。日増しに拡大していったでしょうね、教会改革を目指す一派の勢力が」
「燻ぶっていた感情に火が付き、すぐに消せる小火程度のものが、気が付けが世界を覆いつくさんばかりの大火へと変じた。その騒動の渦中にいる事の危険性を考えた結果、裏切ったというの!?」
「確実性を取った、ということでしょう。動乱の後の粛正劇、そして、魔女狩り、これらを踏まえますと、“生き残る事”に重きを置いた二人の判断は間違っていなかったと言わざるを得ません」
裏切り行為は決して褒められたものではありませんが、彼らにも彼らの立場や考えがあるのです。
それゆえの裏切り。
あの動乱期において、何が何でも一門を生き残らせるという覚悟。
親友や実兄を裏切ってでもどうにかしたいという発想。
貴族にとっては、一族の繁栄こそ最も考えねばならない案件である以上、騒動の渦中に身を置くのは危険極まりない。
まして、騒動の中心人物の最も近くにいたとなればなおさらです。
生き残りをかけて裏切った。
もちろん、これは私の推察に過ぎませんが、十分に有り得る話。
ただ、裏切りの対価を“支払わされた側”からすれば、たまったものではないでしょうけどね。
ダキア様、その心中はお察しします。
怒りに震えるその小さな体こそがその証。
耐えがたい事でしょうが、どうか“現実”を受け止めてくださいな。




