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9-4 仮面の大公女

 狩場の喧騒は、場を盛り上げる演奏のごとし。


 本当の主役、あるいは獲物はチロール伯爵ユリウス様の伴侶の座。


 それを狙って、貴族の皆様が競っている状態です。


 なにしろ、ユリウス様はフェルディナンド陛下の甥っ子であり、非常に可愛がられているという事。


 それに加えて物腰柔らかで礼儀正しく、実力、見識共にも二十歳前の若者とは思えないほどに深い。


 すでに礼部省の次官補にまで出世しており、将来は宰相の地位に就くのではと目されている優良株。


 当然、その縁故となるべく、自身の一族から適齢の娘を嫁がせるべく、ユリウス様の後見役でもある陛下に売り込んでいます。



(ジュリエッタが私の本当の妹か娘なら、オススメしたのですけどね)



 いくらなんでも、娼婦を伯爵家の当主に嫁がせるわけにも参りませんし、せめて“男爵夫人バロネッサ”の肩書でもあればと思わないでもありません。


 もっとも、ジュリエッタ自身、思うところは色々とあるようではありますが、そこは叶わぬ夢、客と娼婦の関係と割り切っているようです。



お師匠様(パドローネ)、ユリウス様は陛下の甥っ子なんですよね?」



 ここでリミアからの質問が飛んできました。


 リミアから見ても、ユリウス様は義理の従兄になるわけですから、多少は意識するようですね。



「ええそうよ。陛下の姉君であるアウディオラ様の忘れ形見ね」



「忘れ形見って事は、すでにお亡くなりに?」



「もう十年くらい前になるかしら。アウディオラ様とその夫がお出かけになられた際、事故にあわれてましてね。自宅で留守番をしていたユリウス様だけが生き残ってしまい、それを陛下が引き取って養育されたというのが経緯。私と同い年だったはずだから、二十代半ばの若死にでしたわね」



 しかも、当時は先代大公陛下もお亡くなりになられ、他にも大公家の縁者が次々と亡くなられた事から、他国からの謀略ではないかとまことしやかに語られました。



(結局、事の真相が分らぬままに、フェルディナンド陛下が大公位を継がれ、カトリーナお婆様が事態の安定化のために奔走され、一応は落ち着く事になった)



 理由はよく分かりませんが、カトリーナお婆様がふらりとどこかに出かけられ、それからしばらくして“雲上人セレスティアーレ”を伴って戻って来られました。


 それ以降、大公国内での不審死がパタリと止み、国内は落ち着きました。



(あの時、しばらく『魔女の館(わがや)』に逗留された“雲上人セレスティアーレ”の男性、結局、名前すら教えてもらえませんでしたね。『風来坊ヴァガボンド』と名乗っていましたが、その名の通り、いつの間にかいなくなっていましたし)



 事件の鎮静化の事もあるので、おそらくは何らかの形で関わっていたのでしょうが、今となっては調べようもありません。


 あるいは、またどこかで会えればとも思いますが。



「そのアウディオラ様って、妙じゃありませんか?」



「妙、とは?」



「だって、ユリウス様って、チロール伯爵家を継ぐまでは、リグル男爵を名乗り、所領を持たない部屋住みだったのでしょ? 母親が大公家の第一大公女なわけですし、家の規模があまりに小さいなと思って」



「ん~、それもそうなんですけど、アウディオラ様は“景品”でしたからね」



「景品?」



「先代大公様がかなり大規模な武術大会を開催され、優勝者にはアウディオラ様を与えると、参加者を他国にまで募ったのよ」



「うわ~。武術大会の景品として、自分の娘を出しますか~」



「見ようによっては面白いですけどね。近隣諸国にまで募ったのですから、勝者は当然、方々に武名を轟かせる武芸者ですし、それを娘を使って吊り上げるという事ですから」



 やり方はともかくとして、娘の夫が近隣最強の戦士なわけですから、それを利用しない手はありません。


 自身の護衛にするもよし、あるいは戦場での働きに期待するもよし、利用価値はいくらでもあります。



「で、結局、優勝したのはチロール伯爵家の先代ハルト様の従甥じゅうせいで、その血縁があったからこそ、ユリウス様がチロール伯爵家の家督を継ぐに至ったのよ」



「でも、自分の一人娘にその扱いはないと思うな~。アウディオラ様ってどんな人だったのですか?」



「不明」



「不明?」



「それがね、お会いした事はあるのですが、ご尊顔を拝したことはないのですよ。人前では仮面を被って、素顔を見せなかったので」



「え? それって、アルベルト叔父様と同じじゃないですか」



「何か理由があって素顔を晒せなかったのか、それとも単なる怪我か、未だに謎なのですよね」



 アルベルト様は、フェルディナンド陛下の双子の兄弟。


 表向きは腹違いの兄弟となっていますが、その素性を隠すために、普段は仮面を始めとする変装をして、人前に出ています。


 仮面を着けるのには、必ず理由があるものです。



「謎なんですね、その仮面の大公女は」



「母親も誰なのか不明ですしね」



「え? そうなのですか?」



「妾腹であったのは間違いなさそうですけどね。丁度、先代大公陛下が先妻を亡くされ、フェルディナンド陛下やアルベルト様の生母である後妻を迎えられるまで、“やもめ暮らし”をしている間に生まれた方ですから」



「ん~、てことは、仮面の理由って母親に関係しているのかもしれませんね。母親に容姿が似ていて、それによって母親の正体がバレるような事を避けるためとか」



「それは考えないでもなかったですが、当人がお亡くなりになった今となっては、探りようもないですからね」



 おそらく、その正体、素性を知っているのは、フェルディナンド陛下だけ。


 昔は姉上姉上と言っては、アウディオラ様にべったりでしたから。


 一人立ちしたのは、私が陛下の“筆おろし”をした前後くらいでしょうか。


 案外、あれが大人の階段を登らせ、色んな意味で一皮むけたのかもしれません。


 などと思考を巡らせつつ、リミアと話していたその時でした。


 不意に近くの茂みから大きめの猪が飛び出してきたのです。



「ブヒィィィ!」



「キャ!」



 突進してきた猪は私の乗っていた馬を掠めるように走り抜け、その勢いに当てられた馬が暴走を始めました。


 大きくいなないたかと思うと走り出し、あまりに急な事でしたので馬の制御もままならず、しがみ付くのがやっとの状態。


 とにかく振り落とされまいと馬にしがみ付き、そのまま森へと飛び込んでしまいました。


 鬱蒼と生い茂る、深い森の中へと。

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