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魔女で娼婦な男爵夫人ヌイヴェルの忙しない日々  作者: 夢神 蒼茫
第8章 魔女に捧げる愛の詩
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8-12 抑圧と解放

 ヴィニス様より送られてきた手紙、と言うより詩文。


 何度読み返そうとも、それだけしか書かれておりません。


 中身は、その、判断に困る内容。少女が魔女の手籠めになり、ウッフンアッハンな描写が文章のそこかしこに散りばめられています。


 強いて言えば、少女のつづった“妄想の産物”と呼ぶべき代物。


 とんでもない劇物を送り付けられた気分です。



「ん~。恋文ぃ……、でしょうかね? しかも、艶事てんこ盛り」



 固まる私にジュリエッタが横から覗き込むように話しかけてきました。


 そこでハッと正気に戻った私は、もう一度手紙を読みましたが、もちろん内容は変わりません。頭がますます混乱してまいりました。



「さすがです、ヴェル姉様。市長夫人を完璧に篭絡できましたわね」



 篭絡、という点では、確かに当初の想定通りの展開です。


 寂しい思いをしている市長夫人のヴィニス様に優しく接し、そこを伝手にしてグリエールモ市長との強い人脈を構築する。


 そういう意味においては、ヴィニス様の心をがっちりつかんだという点では成功。


 しかし、ガッチリ掴み過ぎて、私の予想を超えるような展開が始まろうとしているのが、この送り付けられた詩文から想定されると言うものです。

 


「……薬が効き過ぎましたか、これは」



「みたいですね。でもまあ、これも予定通りではありませんか?」



 ジュリエッタもまた手紙を何度か読み返していますが、内容が変わるわけではありません。


 狙い通りに心を撃ち抜くも、逆に聞き過ぎて大爆発までしてしまったということでありましょうか。


 十四歳の少女の妄想力を侮っておりました。



「ちなみに、ヴェル姉様、手紙の内容は事実ですか?」



「ほぼ虚構です。大半は妄想の産物」



「ほぼ、ということは、一部はやっている、と」



 まあ、確かに情報収集のために多少の肌の触れ合いはしましたが、相手の肌を軽く擦る程度の手や指を滑らせた程度です。


 それでここまですらせれるのですから、想像力と、そこから紡ぎ出された歪んだ劣情は大したものです。


 その標的が私でなければ、素直に称賛したことでしょう。



「あぁ~、これはあれですね。寂しい思いをしている自分に突然、親身になって優しく接してくれる人が現れて、幾度も楽しいひとときを過ごす。“恋物語”の出だしとしては、王道ではありませんか?」



「何を言っているのですか、ジュリエッタ。私、そんなつもりは一切ないのですが!?」



「この場合は、“受け手”の問題でしょう。相手がどう思っているのかが重要なのであって、ヴェル姉様の意図はこの際、埒外なのですから」



「それはそうかもしれませんが、いくらなんでもない! ない、ない、ない! 私、女なんですけど!?」



「色恋を一切知らない女の子に、男女の別があるとでも? まして、普段から窮屈な思いをしている女の子に、唯一親身になってくれる存在ですしね、ヴェル姉様は」



 ジュリエッタのツッコミが一々痛い。


 確かに、ヴィニス様は若い身の上で嫁ぐことになり、恋愛なんぞ一切する事無く結婚してしまいました。


 おまけに嫁いだ先は、四十以上も年の離れた男で、色恋から卒業した仕事一本、真面目な老人。


 そこに愛情が芽生える可能性は薄い。


 あくまで“やり手の市長と大銀行の御令嬢”の組み合わせと、関係強化の証としての婚儀ですから、子作りなんぞ端から望まれてもいない。


 そのいびつさが、更なるゆがみを生んでしまったと。



「親身になって接してくれる、初めての相手がヴェル姉様。しかし、突然の音信不通。普段顔を合わせている婦人会の集まりに、突如として現れなくなる恋しい人!」



「ヴィニス様視点だと、そういう感じになるのですか……」



「手指にて梳かれる自分の髪、そして、頬に残る人肌の温もり。その熱が、想いが忘れられず、今まで以上に不安と寂しさに締め付けられ、居ても立っても居られない! うん、これも“恋物語”の王道ですわね」



「いやいやいやいやいや! そんなつもり、一切ないですからね!」



「ですから、ヴェル姉様の意図など、埒外なんですって! 置物である事を望まれる精神的な圧と、その寂しさを埋める愛しい人との邂逅! 抑圧と解放なんて、“恋物語”の主軸ではありませんか! 妨害がある程、燃え上がるものです!」



「そうかもしれませんが、全くそんな事は想定していませんよ!?」



「無意識に出たんじゃないですかね~。“高級娼婦コルティジャーナ”なんて、一般の娼婦と違い、床入りだけでは終わらない“疑似恋愛”を売り物にする商売ですから」



 そうまで言われると、続く言葉がありません。


 確かに、“高級娼婦コルティジャーナ”と一般の娼婦との違いはそれ。


 さっさと床入りして出すもの出すのが、程度の低い娼婦の仕事。


 しかし、“高級娼婦コルティジャーナ”のお相手する客層は、貴族や富豪、芸術家や大学教授といった富裕層、知識人層が主流です。


 その趣味趣向に合わせた接客をしなくてはなりませんから、会話の内容も専門家と話ができるように深い教養を求められます。


 仕事や趣味の話ができる女性、というものは貴重であり、自身の奥様ではできないからこそ、高い対価を払ってまで高級娼館に足を運んで来られます。


 私の場合は、上客の中に“陛下”まで混じっていますし、おまけに床入り無しの仕事内容。将棋スカッキィを打ち、会話を楽しむのがいつもの事ですからね。



「ヴェル姉様、最近忙しかったですからね。婦人会の方にほとんど顔出しして無かったじゃないですか。これ、恋愛的視点で見た場合、“焦らし”と捉えられても仕方がありませんよ」



「そんなつもり、全然なかったのですけどね~。本当に別件の仕事が重なって、そちらまで手が回らなかったのだし」



「優先順位からすればそうなんでしょうけど、それはあくまでヴェル姉様の主張。市長夫人からすれば、“恋しい魔女様とのひととき”こそ、最優先ですから」



「焦らし、という点では確かにその通りですわね。急に音信不通になったら、親密度が高ければ高い程に焦るもの」



「その焦りが、色恋の感情を爆発させたというわけです。届けられた手紙がその証」



 私のジュリエッタの視線の先には、先程の色艶全開の詩文が綴られた、ヴィニス様からの手紙があります。


 もはやこれは、「こういう事、してほしい!」とおねだり(・・・・)されているに等しい。



「そうまで思い詰めたからこそ、とうとう筆を手に取って手紙を書いた、という事ですね。艶事たっぷり、『魔女様、私を掻っ攫って!』と言わんばかりに」



「……私にどうしろと?」



「手紙の内容を現実のものにするべきです。そうすべきです!」



 他人事だと思って、ジュリエッタは簡単に言ってくるものです。まあ、体の構造は男も女も熟知しておりますからやってやれなくもないですが、私はごく普通に殿方と睦み合いたいのです。


 私個人の色恋に関しては、腕っぷしが強くて、頭がよく回り、資産家で、顔立ちも整った男なのですから。


 夫婦になるのであれば、それくらいの条件は欲しい。


 ヴィニス様には申し訳ありませんが、“女”という時点で恋愛の対象としては落第点ですわ。



「今度お会いしたときには、どうにかごまかす算段でもしておかねばなりませんね」



「えぇ~、つまらないなぁ~」



「他人事だと思って……」



「実際、他人事ですからね。どういう結末になるにしろ、自分に関係ない色恋沙汰なんて、悲劇であれ喜劇であれ、所詮は見世物の範疇ですから」



 まったくもって、身も蓋もないジュリエッタの言葉に、私の気分はどんどん重くなっていきます。


 気分を切り替えるために、杯に残っておりました豆茶カッファを飲み干しましたが、当然解決策など思い浮かぶべくもなし。


 下心から始まった私とヴィニス様の関係。


 その“下心”が互いの求めるところの差異を生じさせ、思わぬ事態となりました。


 ああ、悩ましい。本当に悩ましい。

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