8-3 若すぎる花嫁
“市長夫人”であるヴィニス様とは、婦人会での顔合わせが初対面と言うわけではありませんが、特に親しいという間柄でもない関係。
まあ、宴の席で二度三度、顔を合わせて、挨拶した程度。
せいぜい「顔と名前と家業を知っている」くらいでありましょうか。
ヴィニス様は元々、ジェノヴェーゼ大公国随一の銀行『パリッチィ銀行』の支配人のお嬢様でした。
彼女は内気な性格で表にはあまり出歩かず、趣味の刺繡や読書をして過ごされるばかりで、こうした社交の席に出ることも珍しかったようでございます。
国内有数の資産家の御令嬢で、何不自由なく暮らしていましたが、それが急変しましたのは三月ほど前の事。
父親の命で、港湾都市ヤーヌスの市長グリエールモ様に嫁ぐことになってしまったのです。
市長のグリエールモ様は極めて優秀な方で、私が知る政治家の中では一、二を争う程の辣腕でございます。
公都ゼーナは大公陛下の直轄領であり、その運営は陛下親政の下で運営されております。
一方、港湾都市ヤーヌスは陛下のご領地の一部ではありますが、その市政は大幅な自治が認められており、市評議会がおおよそ切り盛りしている状態。
そして、市政の頭を勤めておりますのが市長であり、市評議会の議員から選出され、それを陛下が市長として任命し、市政を任せるという形が取られています。
そして、グリエールモ様は陛下の信頼を一度も裏切る事もなく、何かと問題の多いヤーヌスの市長をこなしてこられました。
各ギルドの利害調整のみならず、円滑に商売を行えるようにと法整備を行い、貴族と庶民の間を取り持って諸問題に対処しました。
グリエールモ様が市長に就任されて十年ほどになりますが、ヤーヌスは大いに住みやすい場所になったと、住民の視点からも確信しております。
そんな辣腕の市長なのですが、最近になって奥様を病で失われ、独り身となられました。
そこに滑り込んだのが、『パリッチィ銀行』の支配人というわけです。
まだ未婚の娘がいたという事でこれをグリエールモ様に薦め、後妻として娶り、両者の関係をより良いものにしたいと考えたのです。
グリエールモ様としても、国内随一の銀行一族との縁は重要であると考え、ヴィニス様と結婚なさり、再婚と言う運びとなりました。
まあ、これも上流階級、名士層ではありがちなお話です。
結婚などと言うものは、親や家長が勝手に決めて、当人の意志などお構いなし。
個人の感情よりも、家や組織の繋がりを優先させ、その確たる証としての婚姻という結び付き。
今回もまた、その例に倣っての話というわけです。
そして、数々の問題が浮かび上がって来たのでございます。
もちろん、市長、市政の話としてではなく、家庭内の問題が、です。
なにしろ、グリエールモ様は六十も手前を数えるほどに齢を重ねておりますが、ヴィニス様はまだ十四歳。
親子どころか、孫でも通用しそうなほどの齢の差婚。
夫は仕事一筋の大真面目な男で、市政を熱心に切り盛りする辣腕の政治家。
一方の妻はというと、内気で引き籠りがちな少女が、いきなりの嫁入りで困惑するばかり。
丁重には扱われているが、そこに“愛情”は存在しない。
仕事人間な上に大きく年の離れた夫と、多感なお年頃の少女の組み合わせ。
問題が起こらない訳もなく、よくもまあ、こんな組み合わせを考えたものだとヴィニス様の親御さんに苦言の一つも呈したいところです。
まあ、私も『パリッチィ銀行』とはお付き合いがある、どころかとある事業に大きく関わっているのですから、あまり波風を立てたくはないというのが本音です。
こうして婦人会の集まりでヴィニス様を見かけても、他の方々も接し方が分からないと言った感じで、どうにも“間”が悪い。
(まあ、一人だけ、明らかに年齢的に浮いていますからね)
私もこの中では若い部類に入りますが、それでも二十代も半ばを過ぎています。
周囲は大店の主人の配偶者であったり、あるいは各ギルドの幹部の夫人であったりするので、年齢的には高めです。
そんな中に十四歳の少女が紛れ込んでも、話題が嚙み合いませんし、ますます孤立する一方。
元々内気な性格でありますし、余計に引っ込み思案になってしまわれています。
取りあえず“市長夫人”としての立場もありますから、席には着いていますが、特に積極的に話題を振るでもなく、逆に振られても適当に相槌を打つ程度で、会話がチグハグになっています。
これは良くない。
家庭にも社交の場にも居場所が無くては、心を病んでしまう可能性があります。
そう考えた私は、婦人会の中では年も近い事もあって、彼女を宥めすかし、状況改善に動く事にしました。
もちろん、市長と懇意にしたいという邪な感情を抱えながら。
将射んとすれば馬より射よ。市長夫人と懇意になり、次いで我が家と市長との関係もより厚く構築する。
そんな下心と共に、彼女に接近するのでした。




