7-72 魔女と法王 (10)
魔術と認識していなかったからこそ、“魔術の交換”ができない。
つくづく奇妙な状況ですわね。
「それも止む無き事でしょうか。そもそも、教会側が散々、魔術を否定し、“魔女”を狩り立てていたのですからね。それがいきなり魔術を肯定せよなどといわれても、“裏”に何かあると勘繰られて、より警戒されるのがオチ、というわけでしょうか」
「おそらくはな。幽閉され、外の状況が分からぬままに、ただひたすらに“雲上人”から訳の分からぬ説教をされても、混乱するだけだ」
「そして、そうこうしている内に悲劇が起こった、と」
「悲劇? ……ああ、妻が生まれた娘共々、身投げした件か」
聖下にとっては“反言霊”云々が重要であって、同じく幽閉されていた他の家族はあくまで交渉材料に過ぎないといった態度ですわね。
しかし、人間の感覚では、間違いなく悲劇です。
(いつ終わるとも知れない幽閉生活。全く分からない外の状況。神経が擦り切れていったのでしょうね。そして、とうとう幽閉されていた塔から、自らが産み落とした娘と一緒に身を投げた。やれやれ、交渉材料を損なうなど、見張りや“雲上人”の落ち度ですわね)
人質は生きてこその人質です。
それが損なわれたら、より頑なになるのは明白。
マティアス陛下から“反言霊”を抜き出すにも、ますます困難になったでしょうね。
「それで、その後はどうなったのですか?」
「塔から身を投げた妻は、墓標無き共同墓地へと葬られた。一切の記録を残さないための措置だ。ゆえに、あの塔での出来事、その“裏”を知っているのは、当時の法王の手記を読んだ者だけだ」
「……あれ? 妙ですね?」
「何がだ?」
「身投げした奥方が、共同墓地に葬られたのは分かりました。では、娘の方は?」
「……知らん。手記には“マティアスの伴侶を葬った”とは書かれていたが、娘に関する記述はない」
「え? ないのですか!?」
「あとは、マティアスが伴侶を失った衝撃から物を食べなくなり、そのまま衰弱死したくらいだな」
「マティアス陛下は衰弱死……。しかし、娘についての点がぽっかり空いている。これはまた不可解な……」
また妙な点が出てきましたね。
葬られたのでしたら、手記にもそう記すはずです。
奥方だけ葬って、幼子の件は一切かかれていないなど、不自然極まる。
(塔からの身投げですよね!? 幼子が“生きているはずがない”のは当然の事。しかし、記述がないのは……!?)
聖下が嘘をついているようにも見えませんし、本当に記述がないのでしょう。
ならば、その事情はなんなのか?
「一つ解けば、また一つの謎が出てくる。無限に湧き出てきますわね」
「謎が謎を呼び、更なる深淵へと誘う。真実への探求は遠いぞ、魔女よ」
「そのようですわね」
「しかし、今の段階で君に聞きたい事もない。どうやら今回はこれで打ち止めといこうではないか」
「残念ですが、致し方ありません」
質問の投げ合いは、どうやらお開きのようです。
得た情報も大きいですが、それによって引き起こされた新たなる謎もまた大きい。
やはり、カトリーナお婆様の領域にまで到達するには、まだまだ研鑽が必要ですし、説かねばならない謎もまた多いですわね。
などと一人で悶々と自問している内に、聖下は馬に跨っていました。
改めてその姿を見てみますと、思っていた以上に凛々しい御姿ですわね。
最高位の神職に相応しい紫色の法衣、金髪金眼で実に整った顔立ちをしています。
それでいて、齢がもうすぐ五十路になるのですから、見た目は本当に若いですわね。
「あら、お一人でお帰りですか? 供回りは?」
「いらんよ。“言霊”で大抵の事はどうにでもなるからな」
「“言霊”の効きが悪い魔女に出くわすかもしれませんよ?」
「なに、魔女なんぞ、そうそう出くわすもんではない。今宵は二人も魔女と見えたのだ。さすがに三人目はなかろうて」
「そういう油断の時にこそ、思わぬ事態が起きるものなのですよ」
「なに、花嫁を迎えるまでは、死ぬに死ねんさ」
豪快に笑っていますが、本気で私を娶るつもりのようですわね。
任期明けまであと二年。さてさて、本当にどうしましょうか。
血が繋がっていないとはいえ、兄に嫁ぐのはいささか考え物ですわ。
「しかし、聖下、私を娶ると言っても、あと二年もあります。その間に私がどこぞの殿方と、添い遂げるやもしれませんが?」
「そうなった場合は“言霊”で、その殿方とやらを翻意させるさ」
「しかし、聖下の“言霊”は、後ろめたさを増幅させ、その畏怖を以て相手に命令を強制させる魔術でございます。法王と相対する畏怖や恐怖よりも、私への思いがそれ以上に強ければ、あるいは“言霊”が弾かれる事も有り得るかと」
「それもまた、道理ではあるな。おまけにお前の回りにいる男共は、揃いも揃って素質ありと我は見ている」
「おや、聖下もお目が高い。揃いも揃って優秀なのですよ、私の回りにいる男衆は」
実際、優秀なのがズラッと顔を並べていますからね。
普段はしっちゃかめっちゃかな言動ばかりではありますが、いざ事が起これば判断も動きも早い。
それでいて理に適い、情も持ち合わせています。
素敵な男衆ですわよ。
「ああ、それとだ、最後に一つだけ命じておく事がある」
「なんでしょうか?」
「聖下などと他人行儀ではなく、今後は“お兄様”と呼ぶように」
「妙な噂が立ちかねませんので、丁重にお断りいたします」
何を言い出すかと思えば、法王という地上の支配者でありながら、軽いですわね。
余程気に入ったのでしょうか、“お兄様呼び”が。
「では、こうしよう。今一つ妹のために重要な情報を渡しておきたいのだが」
「お聞かせください、“お兄様”」
「フフフ……、あっさり前言を覆すか、魔女め」
「安い対価だと考えた結果ですわ」
「そういう現金な部分もまた、よきかなよきかな」
満足そうに頷いているのが、若干イラっと来ますわね。
まあ、彼我の実力や権力の差を考えれば、笑顔の一つでも向けておかねばならないのは道理ではありますがね。
「マティアスが塔に幽閉され、外界から隔絶されたが、完全に断たれたわけではない。理由は分かるか?」
「そうですね……。考えられる事として、“訪問者”か、あるいは“世話係”といったところでしょうか?」
「正解だ。マティアスの魔術目当てに、時々“雲上人”が説得を試みる事があった。あわよくば、自分のものにしてしまおうという輩も多い」
「その際に、差し障りのない外の情報を軽く与えて、揺さぶりをかけた、と」
「そうだ。そして、大公夫妻に加え、塔の中では娘も生まれたのだ。当然、それを世話する者もいる」
「近侍や従者ですわね。貴族の回りには普通はいるものです。しかし、それは機密保持の観点からマズくはありませんか?」
「そうだ。なので、そうした世話係は少数精鋭。口が堅く、中の情報を漏らさず、逆に外の情報を持ち込まないようにと、口止めされた者を選んで配した」
当然の措置ですわね。
一応、表向きにはマティアスは騒乱の廉で捕らえられ、耐えがたい刑罰を受けている事になっています。
それが真っ赤な嘘であると、知られたくないのは当然です。
しかし、幽閉して自由を制限している以上、世話係は必須。
口の堅いもので、かつ大公夫妻の信任篤き者が最良でしょうか。
「で、その世話係は二人。しかも、兄妹だ。兄の方は元々のマティアスの護衛騎士で、妹の方は夫人の侍女をしていた」
「まあ、顔見知りでもありますし、世話係としては打って付けですわね」
「そうだ。そして、兄の方の名前はガンケン、妹の名前はユラハだ」
「……え?」
その名前は聞き覚えがありました。
以前であった首無騎士とその妹の魔女の名前です。
「……偶然の一致?」
「そう思うか? ちなみに、夫人が身投げした後、二人も忽然と姿を消したそうだ」
最後の最後で、またとんでもない情報を渡して来ましたわね。
偶然の一致ではありません。
そもそも聖下もガンケンとユラハを知っていた以上、何らかの記録が残っていたのでしょう。
(つまり、マティアス陛下の世話係の兄弟と、私が出会ったあの二人は同一人物である可能性が高い! そう考えると、答えは一つ! 人は化物に変じる可能性がある、という事!)
実際、ガンケンは「カトリーナは人間のままで」という台詞を残しています。
なんの事かと思いましたが、人が怪物に変じるのであれば話は別。
何かしらの条件の下で、人は死後に怪物に、“集呪”になってしまう事を意味します。
やれやれ、。最後の最後でとんでもない置き土産を用意しましたわね。
本当に性格の良い“お兄様”ですこと!




