7-37 化粧の本質
ガタゴト揺れる馬車は、来た道を戻っています。
目的地は林道を抜けた少し先にある農村で、そこでアルベルト様と合流する手筈になっています。
先程、森林にこだまする大絶叫を聞きましたので、アルベルト様が待ち伏せる場所に、まんまと飛び込んだようでございます。
哀れな賊共は、物言わぬ躯、どころか形すら残らない土塊へと姿を変え、木々の養分になっている事でしょう。
ババア呼ばわりした連中には、似合いの末路ですわ。
「あの~、ヌイヴェル様?」
「ん~? なにかしら?」
尋ねてきたのはリミア嬢。
馬車の中で私と隣り合うように座り、私にもたれかかるように腰かけています。
指一本触れさせなかったとはいえ、さすがに集団誘拐犯のど真ん中にいたのですし、心理的圧迫というのもあったのでしょう。
少し怯えていましたが、今はすっかり落ち着いています。
被っている鬘が落ちぬように気を付けながら、そっと頭を撫でてやると、なんとも可愛らしい笑顔を返してくれますね。
いや、本当にこのままボーリン男爵の所へ返してしまうのが惜しいくらいです。
ちなみに、アゾットは向かい合うように座り、オノーレは御者台で馬車を動かしています。
「先程の事なんですけど、あのまま私達二人を人質にして逃げれば、あるいはどうんかなったのでは?」
「そう、その通り。実は私達を守る者は何もなく、その気になれば人質にはできた。しかし、それをやらなかった。なぜじゃと思う?」
「分かりません」
「素直で結構。まあ、あれじゃ、“化粧”の魔力ですよ」
そう言って私は着ていたチュニックの袖を捲り、腕を見せました。
黒ずんでいて、白い肌が台無しになっていますね。
もちろん、これは化粧、というか炭を塗りたくっただけです。
「よいか、リミア嬢。化粧というものの本質は、“相手を騙す”事にある。色とりどりの化粧を施す事により、普段の自分ではない、別の自分を作り出す。それを相手に見せる事で印象を変えるのです」
私は手拭いで右腕をふき取りますと、いつもの白い肌が姿を現しました。不思議な光景を眺めるように、リミア嬢の眼は私の腕に釘付けです。
「ヌイヴェル様、これはどういうことなのですか?」
「簡単じゃ。まず、私の持つ本来の白い肌の上に炭で黒く色付けして、その上からさらに水で流れ落ちる白の塗料を塗っただけ。水をかければ、白い肌がいきなり黒くなったと錯覚するのです。さらに、服の下の肌もあらかじめ黒を施しておけば、まるで全身が黒くなったと見間違えます。白から黒に転じれば、余計に映えます」
「なるほど。確かに急に黒くなったら驚きますよね。でも、何と言いますか、不自然さも同時に感じます」
「それは正しい。実際、不自然ですからね。そこは演出で誤魔化します。ちゃんと注意深く見れば不自然な点も見受けれましょうが、あの時は、薄暗い森、夕闇、光源は松明のみ。揺らめく明かりに誤魔化され、黒死病の名前に震え上がり、不自然さを見破るための“観察力”を奪ったのです」
種を明かせば、どれも単純なものばかり。要はそれを、見破らせねば良いだけの事です。
魔女の知恵、娼婦の話術、合わさればあの程度の事、他愛無し。
「私の功績も忘れないでいただきたいですな」
そうアゾットが口を挟んでまいりました。
実際、こやつも必死で動いてくれていましたからね。
「実はな、アゾットはここ数日、噂をばら撒いていたのじゃ」
「噂、ですか?」
「ええ。『西方の国々にて、黒死病が蔓延している』とな」
「ああ、それで先程の奴らは怯えていたのですか」
「そういう事です。天然痘、麻疹、虎列剌、そして、黒死病。流行病はいつも隣に存在し、老若男女はもとより、身分の貴賤すら関係なく人の命を奪っていく」
死は誰にでも訪れる。
遅いか早いか、あるいは満足の内に死ねるか、未練を残して死ぬか、それだけの差でしかありません。
「ああいう悪党連中ほど、そこらを流れる噂話には耳聡いものよ。美味しい話が転がっていないかと、いつも聞き耳を立てているものです。そこでアゾットの出番」
「今回は、“疫病の噂話”でしたのでね。本職がばら撒いた方が効果的なのですよ。まあ、実際は流行っておりませんので、すぐに鎮静化しますが、今回の一件で動いている期間くらいは、黒死病の話で持ち切りになっていれば十分」
「流行ってもいない疫病を、さも蔓延しているかのように話す。とんだヤブ医者もいたものよのう」
「ええ、それはもう。なにしろ副業で、性悪な魔女の従者をしておりますので」
「お~、抜かしおるわ」
まあ、性悪な点は嘘偽りありませんけどね。
魔女として人を騙し、娼婦として男から色々と巻き上げ、最後に男爵夫人としてニッコリ笑って終了。
それが私、ヌイヴェル=イノテア=デ=ファルスという女なのですから。
「それにしてもアゾットや、医者であるお主にまで荒事に使ってしまって、正直な話、すまぬと思っておる。人を助けるのが本分である医者に、詐欺の片棒を担がせたのですからね」
「こちらは一向に構いませんよ。国と言う体より、病巣を取り除いただけにございますれば、これもまた医者の務めでございます」
「ホホッ、上手いことを言うのう」
こやつも本当にたくましくなったわ。魔女の従者に相応しい機微な男になったものです。
今更ながらに、こやつを拾っておいてよかったと思った事はありませんね。
そして、視線を再びリミア嬢に戻し、こちらにも笑顔を向ける。
「つまりです、リミア嬢、魔女と黒死病、二つの“悪名”が我ら二人を守る壁となったのでございますよ」
私は綺麗になった右腕をリミア嬢の後ろに回し、頭を優しく撫でて差し上げました。
「リミア嬢、悪名もまた、名声の一つの形なのでございます。要は使いどころや使い様なのです」
「なるほど、さすがはヌイヴェル様、勉強になりました!」
「化粧は人を騙す魔術の一種。何も美しく見せるだけが、化粧というものではない。何度も言うが、化粧は“人を騙す”事がその本質。時に醜く、薄汚く見せるように化粧を施すのもまた、化粧に内包される魔術的要素なのですよ」
「疫病を操る魔女、それを見せかける小道具としての化粧。つまり、恐怖や不気味さを化粧として施した、そうなのですね?」
「そうそう。なんと物分かりの良い娘か」
素直に感心して頷く様はなんとも可愛らしい。このまま連れて帰ってしまいたいくらいです。
たまには魔術の講義をするのも、悪くはないですね。




