3. イヌイ伍長、サルノ伍長、キジマル伍長
悲劇は、何の前触れもなく幕を開けた。
焚火の炎が、突如として轟音とともに天井へと噴き上がった。青白く揺れていたはずの火は、瞬く間に漆黒へと変わり、まるで闇夜が燃え滾っているようだ。炎の中に、見たこともない異形の影が蠢いている。
「……な、な、な、なんたることだ」
呪術師の女が杖を取り落とし、膝をついた。羽根と水晶の衣が焦げ、蛇骨の杖が床に転がる。彼女の顔は蒼白に染まり、額には冷や汗が滲んでいる。
「おい、女、説明しろ! これはいったい何事だ!」
イヌイ伍長が焚火の前に駆け寄り、呪術師の肩を揺さぶる。
「な、何が起きているんだ……」
モモタ男爵が立ち上がり、夫人を庇うように抱き寄せる。夫人は怯えた目で炎を見つめ、腹を押さえて震えていた。
「おい、誰か水を! 火が、火が暴れ狂ってるぜ!」
サルノ伍長が叫ぶ。
「炎よ、静まれ……静まれ……」
呪術師はかすれた声で呟いたが、炎はさらに勢いを増し、天井の光苔すら焼き尽くさんばかりに燃え盛った。
「おお、神よ、惨い……あまりに惨い」
呪術師が顔を上げた。瞳は虚ろに光り、口元が震えていた。
「皆のもの、よく聞け。突如として、神より災いのお告げだ。この村に未曾有の災いが訪れる。魔物が村を襲うぞ。皆殺しだ……」
「な、なんだって?! ま、魔物が村を襲う?!」イヌイが叫ぶ。「それはいつだ?!」モモタ男爵が声を荒げる。
「――お告げによれば……たった今」
「たった今???」
「――そして村で一番はじめに死ぬのは――」
その瞬間、鋭い風切り音が洞窟に響いた。呪術師の胸に、黒鉄の矢が突き刺さる。彼女の身体が仰け反り、口から鮮血が噴き出した。
「――はじめに死ぬのは、この私……」
かすれた声でそう呟くと、彼女は崩れ落ち、二度と動かなかった。
「伏せろッ!」
イヌイが叫ぶ間もなく、入口の木戸が爆ぜるように吹き飛び、そこからなだれ込んできたのは、十数体の魔物たちだった。
どれもイヌイの倍はあろうかという巨体。赤みを帯びた白い肌に、太く濃く絡まる体毛。青く光る双眸は、理性の欠片もない殺意に満ちていた。鉄の鎧が軋み、鹿の角を模した鉄兜が天井にぶつかる。彼らは異界の咆哮を上げ、村人たちへ襲いかかった。
「武器を取れ、戦闘態勢だ!」
イヌイが双刃の槍を抜き放ち、最前線に躍り出る。
「夫人を守れ!」
モモタ男爵が叫び、剣を抜いて魔物に立ち向かう。
「くそっ、何が何だか。でもやるしかないぜ」
サルノ伍長が素早く身を翻し、背後から迫る魔物の足元に短剣を投げつけた。
「キジマル、援護を頼む!」
イヌイが叫ぶと、キジマル伍長はすでに弓を構え、冷静に矢を放っていた。
だが、魔物たちは怯まない。矢が刺さっても、槍が突き刺さっても、平然と突進してくる。
イヌイの脳裏にあの見慣れぬ船の影がよぎった。あれは、災いの予兆だったのだ。




