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イスカリオテのぼくと、マグダラのわたし  作者: 稲葉孝太郎
第11章 アイドルの黄昏
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 カミサマ倶楽部。その初会合が、老人ホームの一室、只居武文のこざっぱりとした部屋で開かれようとしていた。余生を送る老人は、ベッドの上に座り、清潔なシーツを腰のところまで被せている。彼の澄んだ瞳は、壁の風景画ではなく、その横に掛けられた時計へと伸びていた。

 時刻は五時五十九分。時計の針がカシャリと音を立てたところで、笠井が口を開く。

「結局、三人しか集まらなかったわけだけど、どうする気?」

 笠井の非難は、椅子に座る入穂の横顔へと向けられていた。

 先ほどから薄笑いを浮かべていた少女は、余裕の態度で言葉を返す。

「そう焦らないでください。……皺が増えますよ」

 ムッと口元を歪めた笠井だが、それ以上唇を動かすことはなかった。黙って両腕を組み、立ったまま少女の視線を追う。その先には、唯一の出入り口である白い扉が控えていた。

 客の気配はない。

「ほんとに来るの?」

 笠井は、単刀直入に尋ねた。

「来ます……必ず……」

 なぜそう言い切れるのか、笠井は疑問に思う。まさか、自分と同じように、四人目も弱みを握られているのだろうか。そんなことを考えながら、笠井は只居老人を盗み見た。

 彼女が脱税の相談を持ちかけられたのは、今から三年前のことだった。初めは断った笠井だが、父親の入院費用を肩代わりするという老人の提案に乗せられ、帳簿の書き換えを行ってしまった。いつばれるかと、夜も眠れぬ日々が続く中、一年経ち、二年経ち、事実は明るみに出ないまま終わった。笠井はそれ以来、自分の罪をなるべく忘れようとしていた。

 誰がリークしたのだろうか。答えは決まっている。只居だ。尋ねこそしなかったものの、笠井はそれを確信していた。共犯者であるにもかかわらず、なぜ十代の高慢な少女に脱税の秘密を漏らしたのか、笠井は訝しく思う。

 入穂が使徒だからか。……そうではないだろう。何のメリットもない。笠井は、全く別の動機を模索していた。カミサマ倶楽部。少人数制の、それでいて全能の存在。そのサークルを結成することが老人の目的であるとすれば、脅迫もまた納得のいく行為だ。そう推理した笠井だが、背後に隠された意図があるのではないかという予感を、払拭できないでいた。目の前の老人は、あまりにも無欲に、時計の針を見つめている。

「……来ました」

 笠井は、扉の向こう側に耳を澄ませた。絨毯をこする音が聞こえてくる。それはだんだんと大きくなり、そのままドアの前で止まった。

 コンコンと、慎重なノックが鳴る。

「どうぞ」

 入穂の返事に、笠井は息を呑んだ。

 ゆっくりと、ドアノブが回る。

「……」

 ドア枠に現れたのは、ラフな格好をした、今時の少年だった。その容姿には、どこか非凡なところがある。地元の高校生だろうか。初対面の少年に、笠井は警戒心を抱いた。

 そんな笠井を他所に、入穂は腰を上げた。

「ようこそ、真飛先輩」

 少女の馴れ馴れしい呼びかけに、笠井はふたりが知り合いであることを察した。

 真飛と呼ばれた少年は、入穂の挨拶を無視して、笠井に視線を伸ばす。お互いの目がかち合った瞬間、先に口を開いたのは笠井だった。

「あなたが……ヤコブB?」

「あんたは?」

 がさつだが、思ったよりも優しい声で、少年は尋ね返した。

「……マタイよ」

 その回答を疑うこともなく、真飛は、ベッドの老人に興味を示す。

「そこの爺さんは?」

「……」

「おい、無視すんなよ」

 ムッとした真飛と老人の間に、入穂が割り込む。

「こちらはタダイさんです」

「タダイ?」

 真飛は、信じられないと言った顔を一瞬した後、目の前の老人をにわかに凝視する。

「あんた、何で一度も会議に出席してないんだ?」

「……」

 沈黙する老人。真飛は頭を掻き、それ以上迫るようなことはしなかった。入穂へと向きを変え、話題を転じる。

「で、これは何の集まりなんだ? フィリポさんよ」

「そんなつっけんどんに言わなくてもいいじゃないですか、ヤコブB先輩」

「うっせえ、その名前で呼ぶな」

「だったら、私をフィリポと呼ぶのも止めてください」

 笠井は、両者のやり取りに苦笑する。この好青年が入穂から一方的に追い回されている姿を、笠井はイメージしてしまった。

「それにしても、よく真飛先輩が使徒に選ばれましたね」

「ああ……いきなり頭の中に名前が聞こえたときは、びっくりしたぜ……しかも変な手紙が届くしよ……って、おまえ、俺のこと馬鹿にしてんのか?」

 真飛はそう言って、フィリポを睨みつけた。だが彼女の指摘には、笠井も首肯せざるをえない。正直なところ、ヤコブBは十二人の中で、最も場違いな存在である。失礼だとは思いつつも、笠井は前々から、そう思っていた。

「で、何を話し合うんだ? メールでは、使徒同士の大事な話としか聞いてねえんだが?」

 あくまでも傍観者に徹する笠井と、返事すらしない只居、そして本題から逸れ続ける入穂に愛想が尽きたのか、真飛は唐突に本題へと戻った。

「真飛先輩って、意外とせっかちなんですね。これじゃ夜の方も……」

 再び的外れなことを口にする入穂。真飛は眉間に皺を寄せ、一歩にじり寄る。

「おまえなあ……」

「そろそろ始めてくれんかね?」

 突然口を開いた只居に、他の三人が振り返った。彼らの視線をかわしつつ、老人は、壁に掛けられた時計を見つめている。

「時間がないんじゃよ」

「時間がない?」

 笠井が代表して、老人の真意を尋ねた。

「六時半になったら、職員さんが来るけん……早うしてもらわんと……」

 三人は、一様に時計を確認する。長針が、既に2の数字を回ろうとしていた。

 残り時間が少ないことを悟り、さすがの入穂も司会を務め始める。

「まず最初の議題を提出します。真飛先輩も、私たちの中に裏切り者がいることは、よくご存知ですよね?」

「……」

「ご存知ですよね?」

「……さあな」

 真飛の曖昧な返事に、入穂は冷ややかな眼差しを向けた。

「ここにきて、駆け引きですか?」

「駆け引き? ……俺がそういうことするタイプに見えるか?」

 入穂は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「……見えませんね」

「俺はな、死人が出てるとは思うが、殺されたかどうかについては中立を保つぜ。確かに、不気味なことばかりだけどよ……俺たちの中に、人殺しがいるとは思いたくねえしな」

「そういう甘い考えは、死を招きますよ?」

 入穂の脅しに、真飛は表情を変えた。

 今までの会話とは打って変わった、真剣なそれに、笠井は動揺してしまう。

「……かもな」

 睨み合うふたり。これでは時間のロスだ。そう考えた笠井は、おずおずと口を挟む。

「ねえ真飛くん、私たちの中に裏切り者がいるかどうか、それは保留しましょう。ただ、その可能性を考慮して、まずはその裏切り者の処罰を、カミサマに頼みたいの。協力してくれるわよね?」

 ユダのときよりも、遥かに簡潔な説明。彼女と入穂は、あれから事前に打ち合わせをし、相互扶助の項目を削除することに決めたのだ。その理由は、単純である。もし使徒の中に裏切り者がいて、彼あるいは彼女がカミサマに制裁されれば、使徒の総数は五人となる。その過半数は三なのだから、既に人数は足りているというわけだ。真飛ことヤコブBには、裏切り者の処刑だけを手伝ってもらえばいい。それが、入穂の悪知恵だった。

「タダイさん、あんたは同意してんのか?」

 真飛の質問に、笠井はドキリとした。

 しかし、計画がバレたわけではない。笠井は強気に出る。

「ええ、同意してくれてるわ」

「本当かい?」

 真飛は、只居に確認を求めた。只居は少年の顔をちらりと見、首を縦に振った後、すぐに時計へと視線を戻した。

「そっか……」

 只居の素直さに、笠井は感謝した。実を言えば、老人は、裏切り者の抹殺に同意しているだけではなかった。その後、自分たちの願いを叶え合うという提案にすら、何の躊躇いもなく賛同してくれたのだ。そのことを、ヤコブBは知らない。

 ただ、笠井にも分からないことがあった。それは、なぜ只居がここまで、入穂に譲歩するのかである。入穂の話が本当ならば、カミサマ倶楽部の提案者は、只居らしい。ところが老人は、倶楽部の運営に一切干渉せず、入穂に全ての決定権を委ねていた。まるで、資金は提供するがその見返りは要らないと言わんばかりの、ボランティア精神であった。

 笠井は、三年前の只居像と、目の前にいる只居本人とを重ね合わせた。確実に歳を取ってはいるものの、風貌はほとんど変わっていない。そして彼の内面もまた、変わっていないように思われた。あのとき只居は、飄々と脱税の話を持ちかけながら、金に執着している様子を見せなかった。そのことを笠井は、今更ながら疑問に思う。

「あのさ……そういう嘘は、止めてくれないか?」

 嘘。その一言で、笠井の中に緊張が走る。楽屋裏はバレていないはずだ。そう信じた笠井の予想に反して、真飛は先を続ける。

「あんたらが企んでるのは、それだけじゃないんだろ?」

「……何のこと?」

「裏切り者を始末した後も、つるんで何かする気なんじゃないか?」

 どうやらこの少年、妙なところで勘が働くようだ。そのことに気付いた笠井は、事務的な口調で、真飛の疑念を逸らそうとした。

 ところがそこへ、入穂が割り込んでくる。

「私は待ってたんです」

 笠井は唇の動きを止め、入穂の横顔を見やった。

 真飛も怪訝そうに、少女の意図を尋ねる。

「何を?」

「ずっと……ずっと……」

「だから何をだよ?」

 入穂は、カメラの前では決して見せられない、邪悪な笑みを浮かべた。

「使徒の数が減るのを、です」

 真飛の手が、狼狽した動きを示す。

「使徒の数? そいつは、どういう……」

「使徒の数が減れば、過半数のラインも下がる……そうですよね、先輩?」

 入穂は、それ以上の説明を加えなかった。しかし、彼女の言いたいことを、笠井はとうに察していたし、真飛も遅ればせながら、事態を把握したように見えた。その証拠に、真飛の顔は、少女の邪な忍耐力を前にして、石のごとく強ばっていた。

「おまえ……最初から数合わせのために、俺を追っかけ回してたのか……?」

「それと、恋心半分ってところですね」

 真飛は、軽く舌打ちをした。笠井もまた、内心で舌打ちをしていた。今この場で必要なのは、あくまでも事務処理なのだ。入穂のように、追いつめられたヒロインを演じることではない。少女の目立ちたがりな性格が、ここで大きくマイナスに働いてしまっていた。

「あのな、人の命をなんだと……」

「取引しましょう」

 笠井に代わって、入穂がもう一度この場を仕切り始めた。もはや、マニュアルが通じるような雰囲気ではない。そう判断した笠井は、見に回る。

「取引……?」

「ええ、取引です。真飛先輩に入会してもらうお礼として、津川瑠香さんとの仲を取り持ってあげる……というのは、どうでしょうか?」

 入穂の提案を、真飛は鼻で笑い飛ばす。

「瑠香は、おまえみたいなのが大嫌いなんだよ。話も聞いてもらえねえだろうな」

「誰も説得するとは言ってません」

 それだけ言って、入穂は口を噤んだ。その表情は、既に勝利を確信しているかのようだ。

「なるほどね……そういうことか……」

 真飛は、その端正な顔を歪めた。

「どうです? いい条件だと思いませんか?」

「……」

 押し黙る少年。勝ちだ。笠井がそう判断した瞬間、少年は踵を返し、そのまま部屋の入口へと向かった。

 入穂はふらりと前に出て、右腕を少年の背中へと伸ばす。

「せ、先輩?」

 真飛はドアノブを握ったまま振り返ると、軽蔑を含んだ声で、こう尋ねた。

「最後にひとつ訊くが……入穂、おまえは何を叶えようとしてたんだ?」

 笠井は、その問いが自分自身にも投げ掛けられたような錯覚に陥った。そして、答えに窮する。自分がカミサマ倶楽部で得る利益を、彼女は未だに思い描けていない。金か……名誉か……あるいは、幸せな家庭だろうか。笠井は、妄想を膨らませていく。

 一方、入穂は、さも当然と言った顔で、答えを返す。

「全国区のアイドルになること……それが、私の夢です」

 少女の断固とした願いに、真飛は肩をすくめてみせる。

「全国区のアイドル? ……カミサマは、市内でしか面倒を見ちゃくれないぜ」

 ふらりと、入穂の目が泳いだ。

 間違いを指摘され、ハッとなったのだろうか。しかし、笠井にはそれが、何かのシグナルであるように思われてならなかった。

「……そうですね。まずは、市内からです。全国デビューは、その後で……」

「どうやって? おまえが全国デビューできないのは、人気がないからだろ?」

 あからさまな指摘に、笠井の方が肝を冷やした。少女の横顔を盗み見ると、緋色の唇が微かに震えている。

 入穂は数秒沈黙し、それから声を荒げた。

「……だからどうしたって言うんですか? 真飛先輩が津川さんに相手にされないのも、同じことですよね?」

「ああ、だから俺は断るんだよ」

 真飛はそう告げて、静かに入穂の反応を待った。

 少女が何も答えないことを確認した彼は、自ら言葉を継ぐ。

「人の心を無理矢理振り向かせてどうするんだ? ……空しいだけだろう? 愛してもらうことと、愛させることとは違うはずだ。そうじゃないのか?」

「……くだらない理想主義ですね」

 少女の、地の底から湧き出たような声が、笠井の背筋を凍り付かせた。演技とは程遠い、存在否定の音色。

 一方、真飛の瞳には、微かな憐れみの光が宿る。

「……くだらないかどうかは、俺が決める。入穂……おまえじゃない……」

 そう言って真飛は、三人に背を向けた。敷居を跨ぎ、振り向き様に室内を一瞥する。

「……じゃあな。暇つぶしにはなったぜ」

 扉が閉まる。少年の姿は、白いドアの向こう側へと消えた。

 後には、緊迫した静寂が漂う。

「……!」

 我に返った笠井は、入穂へと首を曲げた。

「ど、どうするの? これじゃ、キセキを起こせないわ」

 感傷に浸っている場合ではない。勧誘は失敗したのだ。動揺する笠井を尻目に、入穂はスマートフォンを取り出した。

「まだルカがいます……難しいかもしれませんが、今から彼女を……」

「その必要はないけん」

 唐突な制止を受け、ふたりの女は、一斉に只居を振り返った。

 老人は、相変わらず時計の針を見つめたまま、ベッドの上で厳かに背を丸めている。

「必要がない……? どうして?」

 老人は身じろぎもせず、笠井の問いに呟き返す。

「もう時間切れなんよ」

「……?」

 笠井は時計を見る。時刻は、六時二十八分を指していた。

「じ、時間切れって、どういうこと?」

「……」

 老人は答えなかった。職員が来て、この場がお開きになるという意味だろうか。だが、笠井の体に、それとは異なる得体の知れない恐怖が、まとわりつき始めていた。まるで、自分たちの死を予感させるような……。

「⁉」

 強烈な目眩。笠井は、視界がぼやけていくのを感じる。老人の顔が背景と一体化し、世界が暗転し始めた。

 右膝が崩れかけたところで、笠井は老人の最後の言葉を聞く。

「全ての使徒に審判は下ったけん……ワシらの中から今夜、新しいカミサマが、お生まれになるんじゃ……最初から、そう決まっとったんよ……」

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