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イスカリオテのぼくと、マグダラのわたし  作者: 稲葉孝太郎
第11章 アイドルの黄昏
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 夏休みの図書館。学校の、ではない。地元の公立図書館である。役場に併設された、書斎のような空間。その片隅で今、悠太は新聞の山に囲まれ、小さな文字と格闘していた。蔵書が貧相とは言え、新聞だけはきちんと保管されている。少年はその中から、中国地方のローカル紙を選び、順繰りに日付を追っていた。

「……」

 図書館特有の無音状態。時折聞こえるのは、絹擦れのように小さな足音と、バーコードを読み取る貸し出し機の電子音。そして、職員がたまに放つ、空咳だけであった。

 雑音に集中力を削がれることもなく、悠太はひたすら紙面をめくっていく。開館と同時に腰を据え、時計の針は今や十二時を回ろうとしていた。昼食にふらりと出掛ける時刻だが、少年は空腹を感じない。

「……」

 ネット検索の時代にもかかわらず、悠太は、地道な作業を強いられていた。新聞社がローカル過ぎて、大手のようなデータベースを用意していないのである。無限に続くかと思われるインクの染みが、少年の瞼を重くする。

 

 カミサマのチャットルーム……あれは米軍基地にサーバーがあるんです……

 

 自ら命を絶った旧友の置き土産が、悠太の集中力を支えていた。八向はこの一言で、何かを使えたかったのではないだろうか。漠然とした予感に促され、悠太は膨大な情報の海に、身を沈めていた。

「……あった!」

 大声を上げた少年に、受付からコホンと咳払いが聞こえた。悠太はそれを無視して、目の前の記事を指先で丁寧になぞっていく。

 

 二〇〇七年四月二十一日。I市米軍基地の司令部は、昨年の爆発事故を踏まえ、五月五日の基地開放後において、打ち上げ他一切の夜間イベントを禁止すると発表した。この決定に対して一部から不満の声が出ているものの、司令部は「あのような事故が二度と起こらないようにするため、方針に変更はありえない」とコメント、禁止が解除される可能性はないことを明らかにした。この事故に家族二名が巻き込まれたウィリアム・スガ氏は、本紙の電話取材に対し、「遺族が関与する問題ではない」と述べ、コメントを控えた。同氏の妻・真理奈さんは事故現場で死亡、長男・クリスくんは意識不明の重体に陥り、現在も帰国先のアメリカで治療を続けていると言う。

 

「これだ!」

 椅子から飛び上がった悠太は、ふと周囲の視線を感じる。振り返ると、室内にいる人々が皆一様に、叱責の眼差しを向けていた。

 悠太は意味もなく喉を鳴らして、静かに腰を下ろす。

「……」

 粗末な椅子に身を委ねた少年は、顎に手を添えて目を閉じ、しばし瞑想に耽った。重要な記事を発見したという喜びは、いつの間にか消え去り、難解なパズルだけが、手元に残されている。

 只居と出会い、一度は探偵役を引き受けた身だ。情報の乏しさと行動力の限界に、数日で忘れかけてしまったその責務を、悠太は再び背負う決心をする。たとえその遂行が命の危険に繋がるとしても、悠太はそれを厭わなかった。

 ……いや、厭わなかったというよりは、半ば自暴自棄になっているのかもしれない。悠太は、マリアに振られたことを思い出し、ふと自分の蛮勇に苦笑した。

「……」

 事件とは無関係に見える自己分析を止め、悠太は腕組みをする。大きく息を吐いた。これまで集めた情報によれば、全部で六人の使徒が死んでいるはずだ。シモン、ヨハネ、バルトロマイ、ペトロ、マルコ、そしてヤコブAである。

 マルコの死を、悠太は日曜日の午後には確信していた。ヤコブAが飛び降りた後、一日を虚ろに過ごした少年は、長谷川から名刺を受け取ったことに、ふと気付いたのだ。公衆電話から繰り返しその番号を呼び出してみても、長谷川が出ることはなかった。自宅を訪ねようかとも思ったが、第一発見者になる可能性を考慮すると、さすがに憚られた。これで警察に目を付けられれば、平戸と対峙した努力が水の泡になる。少年は、そう判断した。

 悠太はそこで、全身を軽く震わせた。死に対する耐性が、ついてしまったのだろうか。八向が彼のそばに身投げしたのは、わずか三日前のことである。普通ならば寝込んでしまいそうな衝撃を、悠太は、たった一日で克服してしまった。その理由のひとつに、旧友の死を無駄にしたくないという思いがあったにせよ、尋常な立ち直り方ではなかった。

 悠太は、自分の様変わりに戦慄する。

「……」

 事件だけを見据えよう。悠太は、手元の情報を整理していく。最初に特定しなければならないのは、使徒たちの死因であった。殺人から事故死まで、少年は可能性の幅を、出来る限り広く取る。そして、最も簡単そうなところから、当て嵌めを開始した。

 ……ヤコブAは自殺したと、少年は信じている。彼は、カミサマに反抗すると言った。それは、制裁される前に自ら命を絶つという、使徒に残された最後の自由だったのかもしれない。仄暗い憶測を、悠太はそっと、胸の奥に仕舞い込んだ。

 では、残りの五人に共通しているものは、何だろうか。そう問うた悠太は、すぐに彼らの共通点を探り当てた。ルール違反……キセキの私的流用……それが、少年の下した結論である。シモンとヨハネは、自分たちの理想を叶えるために、バルトロマイは、妹の結婚資金を調達するために、ペトロとマルコは、寄付金を集めるために、それぞれカミサマの力を使おうとした。

 悠太は、使徒心得の第一条を思い起こす。

 

 他の十二使徒たちと協力して、世の中を善くしましょう

 

 この条文に、罰則は書かれていない。しかし、ペナルティがなければ守らなくてもよいという、その油断が死を招いたのではないだろうか。悠太の解釈は、肯定と否定との間で揺れ動く。

「……」

 数分ほど頭を捻った末、少年は、この問いを棚上げにした。手掛かりが少な過ぎる。さらに、このルールを定めた人物の意思が分からないということもあった。合理的な解釈など、いくらでも提示できる。そう考えた悠太は、全く別の、かねてから胸中にあった仮説を取り出す。……マリアが、ルカなのではないだろうか?

 その問いを発した瞬間、少年は激しい心の痺れを感じた。この組み合わせが脳裏に過った正確な時期を、悠太は覚えていない。ただ、マリアの謎めいた振る舞いと、他の使徒たちが登場するタイミングとの妙な重なり合いに、少年はいつしか、疑惑の目を向けるようになっていた。

 とはいえ、悠太は、マリアが殺人犯であるとは思っていなかった。それは、彼女に対する依怙贔屓ではなく、ある程度の推論にもとづいていた。マリアがルカであり、かつ裏切り者であるならば、真っ先に死んでいるのは、悠太のはずであった。

 

 ユウタは、選ばれた存在ですか?

 

 転校初日に、彼女はそう尋ねてきた。今思えば、黒過ぎる発言である。しかし、黒過ぎるからこそ、悠太の生存が不可解であった。スケープゴートにされているのだろうか。他の使徒たちは、悠太を疑っていない。一般人は、なおさらである。そもそも、殺人の可能性すら考えていないだろう。平戸だけが、唯一の例外だった。

 分からない。ただ、マリアよりも、遥かに怪しい人物がひとりいる。……タダイだ。正確に言うと、只居武文である。悠太は、二〇〇六年五月六日付の記事を発見し、老人が爆発事故の生存者であることも突き止めていた。無実の推定が働くとすれば、それは只居が、老人ホームに住んでいるということ。行動範囲の狭さである。春園、江東、長谷川の三人が、彼を訪問したという保証はない。

 いや、それとも……少年はもう一度、想い人に立ち返る。

「須賀……スガ……」

 悠太は、マリアの名字を小声で呟いた。須賀……ルカ……母音は一致している。当初は馬鹿馬鹿しいと思われていた符号だが、今となってはそれを覆すサンプルがない。強いて反証を挙げるとすれば、下野であろう。末尾の母音が一致していないのだ。しかし、ンにはもともと母音がないのだから、決め手にはならなかった。

 そして、そのシモンに声を掛けられたのは、マリアとの待ち合わせ場所である。ヨハネのときも、マリアを待っていた。ペトロとマルコに出会ったのは、マリアが彼を病院に連れて行ったから。米軍基地における七年前の事故も、彼女の関与を強く匂わせていた。

 但し、この推理には、ひとつだけ問題があった。バルトロマイである。バルトロマイが線路に落ちたとき、マリアは姿を見せていない。ホームにいたのは、悠太だけだ。

 少年は、この穴を埋めようと試みる。

「……待てよ」

 一分ほど考えたところで、悠太は前提が間違っていたことに気が付く。バルトロマイが死んだとき、あの場にいたのは悠太だけではなかった。先にトイレから出てきたのは、瑠香である。春園ではない。瑠香と春園は、彼と出会う前に、何か話をしていたはずだ。少年は、その蓋然性を深く確信した。

 もしそうだとすれば……。

「……え?」

 悠太は、稲光のように閃いた、ある可能性に声を漏らす。……瑠香は、バルトロマイのときにだけ姿を現したのではない。ペトロとマルコのときも、彼女は病院に来ていた。瑠香の骨折を診たのは、江東自身なのだ。その拍子に彼女が長谷川と出会ったシチェーションも、想像できなくはなかった。

 ……いや、そんな馬鹿な。そう自分に言い聞かせようとしたところで、悠太はさらなる状況証拠を得てしまう。ヨハネに声を掛けられたとき、待ち合わせ場所を知っていたのは、悠太とマリアだけだろうか。……否である。なぜなら、マリアは瑠香の前で、待ち合わせ場所を指定したのだから。ヨハネ、バルトロマイ、ペトロ、マルコ。四人の死と瑠香は関連付けられ、残すはシモンのみ。下野はあのとき、別の使徒と会うようなことを仄めかしていた。その相手が瑠香だとすれば、どうだろうか。……全ては辻褄が合う。

 ルカと瑠香、ルカと須賀。振り子のように揺れ動く少年の推理。それとも、この振動自体が間違っているのか。どちらにも決めかねた悠太の耳に、八向の声が聞こえる。

 

 これを知ってるのは君と僕と……それからカミサマだけでしょうかね……?

 

 悠太は、自分の見落としに驚愕する。なぜ肩書きのある人物が十二人だと思い込んでいたのか、少年は自分の安直さを罵った。十三番目の席は、用意されていたのだ。最も重要な人物のために……。

 悠太は、ほとんど青ざめたような顔で、十三番目の席を埋める。

「マリアさんがカミ……」

 

 ピリリリ ピリリリ

 

 少年の声を押し潰すように、携帯の着信音が鳴った。それは、はっきりと悠太のポケットから聞こえてくる。後方で、あからさまな舌打ちが起きた。悠太は慌てて席を立ち、閲覧室を出る。新聞を放置して行く少年に、受付の男性職員が、怪訝そうな眼差しを向けていた。

 悠太は全てを無視して、役場の玄関を出ると、人気のない裏手へ回った。幸いなことに、呼び出し音はずっと鳴り続けていた。

 少年は端末を引き抜き、番号も確認しないまま通話ボタンを押した。

「もしもし?」

《もしもーし》

 女の明るい声。風俗の勧誘と認識し、悠太は急いで通話を切ろうとした。

 その気配を察知したのか、それとも相手の反応などどうでもよいと思ったのか、電話の主はすぐに言葉を継いだ。

《仮屋先輩ですかあ?》

 どこか聞き覚えのある声音に、悠太はぼんやりと記憶を辿った。

 喫茶店Flyでの一幕が、突如フラッシュバックする。

「……入穂さん?」

 悠太は、自分でも聞き取れるかどうか疑わしいほどの小声で、その名前を呟いた。

 一瞬の沈黙を挟み、再び少女の声が聞こえてくる。

《よかった。私のこと、覚えていてくれたんですね。どの番組ですか?》

「どうして僕に電話を?」

 入穂の見当違いな喜びを無視して、悠太は恒例の問いを放った。

 しかし、今度ばかりは少年の中でも、答えが出ていた。入穂。該当しそうな使徒の名を、悠太は忘れていない。

《どうしてだと思いますか?》

 自ら理由を明かさない入穂数江。悠太は、カマをかけてみる。

「君が……使徒だからじゃないかな……」

 少年の挑発に、会話が途切れた。

 入穂の驚きが、電波越しに伝わってくる。

《……さすがです……隣にいる誰かさんとは大違いですね》

 謎めいた言い方をされ、今度は悠太が肝を冷やした。電話の向こう側に、もうひとりの使徒が間違いなく同席している。依然として行方の知れぬルカだろうか、それとも……裏のかきあいになり始めた状況を整理し、悠太は事実確認へと奔走した。

「そこに誰かいるの? ルカさん? それとも、ヤコブBさん?」

《……誰だと思います?》

 少年は、携帯をグッと握り締める。汗ばんだ手のひらに、湿っぽい皮膜が広がった。

「なぞなぞなんか、してる場合じゃないと思うんだけど?」

 悠太は、苛立ちをわざと隠さずに、そう告げた。

《……普段大人しい人ほど、怒ると怖いって言いますけど、本当みたいですね》

 悠太は、通話を切ろうとすら思った。ぎりぎりで自分を制御し、会話を繋ぎ止める。

「で、誰なの?」

《マタイさんです》

 マタイ。その三文字に、悠太はどう反応してよいか分からなかった。十二人の使徒たちの中で、最も影の薄い存在。いったいマタイの身に、何があったのだろうか。

 そう疑問に思ったところで、ふいに雑音が入った。電波障害かと思い、悠太は場所を変えようとする。

《もしもし? ユダくん?》

 聞き慣れぬ女性の声。それに合わせて、入穂の抗議する声が混じった。どうやら、マタイの方から痺れを切らして、携帯を取り上げたようだ。

 ピンチヒッターの登場に、悠太は狼狽しつつも、話を続ける。

「マタイさんですか?」

《そうよ……君がユダくんなのね?》

「……はい」

 マタイが偽物である可能性を、悠太は切り捨てた。仮に偽物ならば、フィリポは死んでいるはずだ。そう考えたのである。

 ふたりの間を、沈黙が襲う。初対面にありがちな気まずさだった。

「……この電話は何です? なぜ僕に電話してきたんですか?」

《率直に言うわね……カミサマ倶楽部に入ってちょうだい》

 カミサマ倶楽部。悠太は、マタイの意味不明な提案に、眉をひそめた。

「何ですか、その……カミサマ倶楽部というのは?」

《使徒の相互扶助団体よ》

 たった一言の解説。しかし、悠太は全てを察した。

 また同じ過ちを繰り返すのか。怒りに震えながら、唇を動かす。

「お断りします」

《え……まだ、何も……》

「使徒同士で、願い事を叶える団体でしょう?」

 期待された返事の代わりに、何やらひそひそ話が聞こえる。大方、この後の展開を相談しているのだろう。少年は、そう推察した。

《……何だかよく分からないけど、説明の必要はないみたいね。とりあえず、断る理由を教えてちょうだい》

「死にますよ……」

《え?》

「そんなことをしたら、死にますよ……シモンもヨハネも、ペトロもマルコもバルトロマイも……みんなそれで死んだんです……キセキを自分のために使っちゃいけないんです。だから……」

 少年の視界に、使徒たちの顔が浮かんでは消えていく。全ては、自分のせいなのかもしれない。もっと早く、もっと強く反対していれば、あるいは彼らの命を……。

 真夏の汗とは異なる何かが、悠太の頬を伝う。

《もしもーし?》

 少年の悲しみを打ち破るように、陽気な声が響いた。

《もしもーし? フィリポに変わりましたよお?》

 耳障りなテンションに、悠太は苛立ちを募らせる。

「……何だい?」

《カミサマ倶楽部についてなんですけどお》

「断ると言ってるだろ!」

 大声を上げた悠太は、ハッとなり、周囲を見回した。

 ……誰もいない。静まり返った役場の駐車場に、陽炎がゆらめいている。

 あまりの幻想的な光景に、思考停止しかけた悠太だが、入穂はそれを許さない。

《何を怒ってるんですかあ?》

 少年は、携帯を握り直す。

「怒ってなんかないさ……ただ……」

《ただ?》

「何でこんな馬鹿げた計画を持ち出すのか……それが知りたいだけだよ……」

 馬鹿げた計画。悠太は、躊躇うことなく、そう表現した。

 ところが電波の向こうからは、少女のおどけた笑い声が聞こえてくる。

「……何がおかしいんだい?」

《アハハ……仮屋先輩ってば、私のこと馬鹿にし過ぎです……確かに、番組ではそういうキャラ設定ですけどね……イヤだなあ……》

「だから、何がおかしい?」

 悠太は、危うく怒鳴りかけた。それを思いとどまらせたのは、彼の中に残っていた最後の理性というよりも、入穂に翻弄されて疲れ切った肉体の桎梏であった。

 少年の憔悴など気にも留めず、入穂は先を続けた。

《カミサマ倶楽部は、使徒たちの助け合い運動です。最初にすることは、もう決まってるんですよ》

 入穂は、そこで言葉を切った。悠太は、何も答えない。答えたくもなかった。

《分かりませんか? 正解は……》

 入穂は間を置いた。クイズ番組にありがちなその引き延ばしは、少年の心の琴線に擦りもしない。悠太は、回答の権利を放棄して、司会の少女に全てを委ねた。

《裏切り者の粛清でぇす》

「裏切り者の……粛清……?」

 入穂の一言が、悠太の気力に息を吹き込んだ。

《アハッ、やっと喋ってくれましたね……そうです。まず最初に、シモンさんたちを殺した裏切り者の抹殺。これをカミサマにお願いします。いいアイデアだと思いませんか?》

 そのような自衛手段を、少年は一度も考えなかった。あまりに発想が単純過ぎたのか、それとも別の要因が重なっただけなのか……悠太は苦悶する。これほど明快な解決手段も、他にない。そう考えた悠太の前に、ふたつの壁が立ち塞がる。ひとつは、裏切り者など存在せず、下野たちが単に制裁された可能性、もうひとつは……。

 悠太は、瑠香と遊んだ子供時代を思い出す。まるで、昨日のことのようであった。

「……断る」

 それが、悠太の答えだった。

《……なぜですか? まさか、ユダ先輩が裏切り者なんじゃないでしょうね?》

「それは違う……誓ってもいい……」

《愛する人に誓いますか?》

 入穂の気取った表現に、少年はマリアの美しい面影を追った。

「……誓う」

《そうですか……じゃあ、もしかして……》

 入穂は、探るように声を潜めた。悠太は、言いようのない危険を感じ取る。

《犯人を庇ってるとか?》

「……」

 悠太は、答えを返さなかった。本当に庇っているからではない。誰が裏切り者なのかを、少年は知らないのだ。ただ、ふたりの有力な容疑者が、彼に二の足を踏ませていた。

 ……マリアと瑠香。このふたりのどちらかが、犯人ではないのか。それが、少年の悲しい推理だった。

《本当ですか? ヤコブAは勝手に死んじゃったそうですけど、裏切り者は五人も殺した凶悪犯なんですよ? 匿うのは、よくないと思います》

 正論だった。少年もまた、犯人を追っている。

 だが、それにもかかわらず、悠太は震える声でこう答えた。

「知らない……」

《本当に……?》

「知らない」

《……正直に答えてください》

「知らないって言ってるだろ!」

 驚いたアブラゼミがジジッと鳴き、木の幹から飛び去って行く。

 もはや、誰が聞きつけてもおかしくはなかった。荒々しく肩で息をしながら、少年は流れ落ちる涙の川を拭いもせず、嗚咽を漏らし続けた。

《……いいですよ。まだ当てはあります。気が変わったら、電話してください。明日の新聞に、先輩の訃報が載らないよう、祈ってますね。ではでは》

 気軽な挨拶を残して、入穂は電話を切った。悠太は、役場の白い壁にもたれ掛かり、天を仰ぐ。なぜ空は、こんなにも静かなのだろう。少年はふと、不思議に思う。

 

 ピリリリ ピリリリ

 

 二度目の電子音。悠太は、携帯の液晶に視線を落とす。

 諦めの悪い女だ。そう毒づいた少年の目に、予期せぬ番号が飛び込んできた。悠太は震える指先でボタンを押し、抵抗する腕に逆らって、携帯を耳に当てる。

《もしもし? 悠太?》

 少年は、声を詰まらせた。

 二、三度喉を引き締めた後、絞り出すように返事をする。

「瑠香……?」

《ちょっと話があるの……今夜九時に、小学校のグラウンドまで来てくれない?》

「今夜九時……? 小学校……? どういう……」

 そこで、通話は途切れた。ツーツーという単調な音が、波紋のような広がりをみせる。

 それから少年は、新聞を片付けさせに来た職員が声をかけるまで、呆然と日陰に立ち尽くしていた。

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