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 その夜、悠太は早々と自室に引っ込み、上機嫌で携帯のアドレス帳を眺めていた。ついに教えて貰えたのだ。マリアのメールアドレスを。

 それは本当に、唐突なイベントであった。駅前でさよならを言おうとした悠太に、マリアの方から、携帯のアドレスを交換しないかと持ちかけてきたのだ。

 震える手で赤外線通信を終えた悠太は、にやけ顔を見られないよう注意しつつ、家路についた。Y駅に到着し、ホームへ降り立ったところで、少年はようやく、心の均衡を得ることができた。但しそれは、恋愛の前途に対する希望と、春園の死に場所を前にした絶望との間に揺れる、哀しいバランスであった。

 自宅の玄関をくぐってからも、その微妙な揺れは続いていた。食事や風呂の最中にも、あの日の春園の顔と、今日見たマリアの顔が、交互に現れては消えて行った。

 けれども、夜の十時が近付くにつれて、愛する人の重みが、少年の中でだんだんと優勢になっていた。久しぶりにログインしよう。悠太は、あの日から一度も、使徒会議に参加していない。ただ、相も変わらずキセキが行われていることは、リアルでもネットでも確認済である。ひとつだけ気になるのは、予言の内容が、日を追うごとに陳腐化していること。カミサマも最近は元気がないなと、陰口を叩く書き込みも散見された。

 悠太は、時計の針を見やる。ジャスト十時。ブラウザにURLを打ち込み、ユーザーネームとパスワードを入力する。

 長期間病欠し、久々に教室へ足を踏み入れるときのような気まずさを覚えながら、悠太はマウスをクリックした。

 

 ユダさんが入室しました!

  

 その一行に、チャットルームはしばらく反応を見せなかった。

 招かれざる客扱いかと心配したところで、全く正反対のコメントが、空欄を埋め尽くす。

 

 ヤコブB ユダきたー!

 マタイ お久しぶりです

 ルカ どこ行ってたんですか? みんな心配してましたよ

 マルコ 生きてたんですねえ 良かった良かった

 

 予期せぬ歓待ぶりに、悠太はパソコンの前で身構えた。

 しかも、マルコには死人扱いされていたことを知り、悠太は軽いショックを受けた。欠席していた自分が悪いとは言え、あまりいい気はしない。

 

 ユダ ええ、生きてますよ

 マルコ ということは、死んだのは他の人なんですね

 

 マルコは、再び死について言及した。少年は、キーボードを打つ手を止める。そして、自分が不在の間に行われたであろう議論を推測した。

 シモンが死に、ヨハネが死に、そしてバルトロマイが死んだ。残る使徒は九人。それは、過半数が五になったことを意味する。マルコたちも、いつしかそのことに気付き、三人の死者が誰なのかを、詮索していたのではないだろうか。マルコたちの視点からすれば、四人死んでいる可能性すらある。そのような状態で欠席を繰り返せば、死人扱いされるのも納得がいくというものだ。

 そう推論したところで、ペトロの名前がチャット欄に現れた。

 

 ペトロ マルコさん

 ペトロ まだ死人が出たと決まったわけではありません

 ペトロ 慎重に判断しましょう

 ヤコブB いやもうこれは決まりでしょ

 マルコ 絶対誰か死んでますよ

 ヤコブB だって5人でキセキが起こせるんだぜ?

 ルカ 私はペトロさんに賛成です

 マルコ 3〜4人いなくなってるはずです

 ルカ 基準が下がった=誰かが死んだとはまだ言いきれません

 

 なぜペトロとルカがこれほどまでに頑迷なのか、悠太には理由が分からなかった。使徒の数は減っているのだ。マルコとヤコブBの、一見軽率に見える判断の方が、遥かに現実と合致していた。

 慎重論も考えものだと、悠太は自分の襟を正す。そして、執筆済の質問を送信した。

 

 ユダ どなたがいらっしゃらないんですか?

 

 悠太の問い掛けに、メンバーは、錯綜した回答を与える。

 

 ヤコブB 7人いないんだよ!

 マルコ もう会議が成り立たないくらいいないんですよ

 ヤコブB あ、今は6人か

 マタイ タダイさん、シモンさん、ヨハネさんに

 ルカ 今書き込んでる人で全部です

 マタイ あとフィリポさんとヤコブAさんもいないわ

 マルコ バルトロマイさんを忘れてますよ>マタイさん

 

 誰かまとめてくれ。そう叫びかけた悠太の前で、ペトロが本当にまとめを入れてくれた。

 

 ペトロ 出席者は今いる6人です

 ペトロ 欠席はタダイさん、シモンさん、ヨハネさん、

 ペトロ バルトロマイさん、フィリポさん、ヤコブAさんの6人

 

 欠席者の一覧を見て、悠太は唖然とする。

 これでは、学級閉鎖並みの出席率ではないか。

 

 ユダ そんなにいないんですか?

 ヤコブB しかもユダが休んでたから

 ペトロ そうです

 ヤコブB 毎回満場一致がデフォだったんだぜ?

 マタイ ほんとどうなってるのかしらね

 ユダ すみません

 マルコ みなさん頑張り過ぎて病気になったんじゃないですか?

 ヤコブB いや別にいいんだけどさ

 

 この一週間でキセキの質が低下した理由を、悠太は初めて悟った。五票必要な状況で五人しかいないのだから、アイデアは著しく限定されてしまう。勝手に気落ちして休んでいたことを、悠太は深く反省した。

 しかし、これで疑問が解決したわけではない。タダイ、シモン、ヨハネ、バルトロマイがいないのは分かるとして、なぜフィリポとヤコブAまでもが欠席しているのか、少年は首を傾げざるをえなかった。まさかこのふたりも、寿命を全うしたというのだろうか。

 ……いや違う。少年は、その可能性を否定した。仮にそうであるならば、過半数は四になるはずだ。五ではない。それが、悠太の読みだった。

 他の使徒たちがこの状況をどう捉えているのか、悠太は探りを入れてみる。

 

 ユダ 理由は分からないんですか?

 マタイ さあ

 ルカ 全員無断欠席です

 ヤコブB 欠席するときは今度からあらかじめ理由を言うことにしようぜ

 マルコ あ、それいいですね

 

 少人数の会議にありがちな、アットホームさを醸し出すチャットルーム。離脱する同士が増えることで、お互いの親密感が増したのかもしれない。そんなことを頭の隅に置きつつ、悠太は別の事柄に意識を集中していた。

 ここは一か八か……悠太は、キーボードに手を掛ける。

 

 ユダ 休み明けにいきなりで申し訳ないのですが

 ユダ 少し相談したいことがあります

 

 普段からあまり喋らないユダの自発的な書き込みに、ログが止まった。

 しかし、それも一瞬のこと。相手はすぐに、好奇心を覗かせ始める。

 

 ペトロ 何ですか?

 ヤコブB おいおい、早速欠席届けか?

 ユダ シモンさんたちの件で話し合いたいことがあります

 

 相談の内容に、他の使徒たちは複雑な感情を抱いたようだ。余計な書き込みが消え、司会役のペトロだけが、自分の職務を淡々とこなしていく。

 

 ペトロ 重要なことなのですね?

 ユダ はい

 ペトロ ではどうぞ

 ペトロ なるべく手短にお願いします

 ユダ シモンさんたちが死んだ可能性について

 ユダ みなさんはどうお考えなんですか?

 

 その議題が本来ならばタブーであることを、悠太は自覚していた。けれども彼は、三人の使徒の死を知っている。それが殺人である可能性についてすら、それなりの状況証拠を掴んでいるのだ。

 だとすれば、どのような形であれ、それを仲間に伝えなければならない。そう考えての行動だった。

 悠太の果断に一番乗りで反応したのは、マルコだった。

 

 マルコ やっぱりユダさんもそう考えてるんですね

 マルコ 私もシモンさんは死んだと思います

 マルコ それ+2人くらい死んでるんじゃないでしょうか

 

 悠太は、マルコの無頓着な断定に、言いようのない違和感を覚えた。マルコは、ルカやペトロのように理詰めで物事を考えるタイプでもなければ、ヤコブBのように勘で直進するタイプでもない。

 そのマルコが他人の死を平然と語れることに、悠太はキャラクターの不一致を見出す。もしかしてマルコは、日頃から死に触れる生活を送っている者、例えば葬儀屋か何かかもしれないと、少年はあやふやな憶測を働かせていた。

 液晶越しの推理を他所に、ルカが割り込んでくる。

 

 ルカ そう考えるのはまだ早いと思います

 ルカ 証拠がありません

 ヤコブB 何でそこまで否定するの?>ルカ

 ペトロ すみません

 ルカ 否定してるわけではないです

 ペトロ ちょっと混乱してきたので、挙手制にしましょう

 ルカ ただ、肯定する根拠がないと言いたいのです

 ルカ 失礼しました

 

 そこで会話は途切れた。誰が手を挙げるのか、お互いに様子を窺っているようだ。

 悠太は、自ら叩き台になる覚悟を決めた。

 

 ユダ ノ

 ペトロ ユダさん、どうぞ

 ユダ 確かに証拠は出せないのですが

 ユダ 危機管理の面から考えると

 ユダ シモンさんたちは死んだと考える方が安全だと思います

 ヤコブB 危機って?

 ヤコブB 世界が滅びるとか?

 ペトロ ヤコブBさん、発言するときは挙手を

 

 悠太は、ヤコブBの挙手を待つまでもなく、解説役を引き受けた。

 

 ユダ:殺人の可能性です

 

 本来ならば、このような始め方をすべきではないのだろう。少年も、そのことは重々承知していた。だが、要点をぼかさないようにするため、敢えてこの手法を選んだのである。画面の前で釘付けになっている他の使徒たちの様子が、悠太には透けて見えるような気さえした。

 説明を求めているのか、それとも呆れて物が言えないのか、他の使徒たちからは、何の反応もなかった。手を挙げる者すらいない。悠太は、独り舞台で書き込みを続ける。

 

 ユダ 使徒は12人しかいないはずです

 ユダ それなのに3人も死んでいるということは

 ルカ ノ

 ユダ 誰かが僕たちの正体を外部に漏らしているのではないでしょうか

 

 悠太はひとまず、筆を置いた。ルカが反応している。

 

 ペトロ ユダさん、以上でよろしいですか?

 ユダ はい

 ペトロ ルカさんどうぞ

 ルカ ユダさんの意見についてですが

 ルカ 死んでいるかどうかも分からないのに殺人と考えるのは

 ルカ 話が飛躍し過ぎだと思います

 ユダ ノ

 ルカ 3人も人を殺すなんて、それこそ重大事件ですよ?

 

 頑迷なルカに、悠太は若干の苛立ちを感じ始めていた。

 すぐに手を挙げ、一秒でも早く書き込もうと、うずうずする指を抑え込む。

 

 ペトロ ルカさん、反論は以上ですか?

 ルカ はい

 ペトロ ユダさんどうぞ

 ユダ 別に殺人が起きたと断定しているわけではありません

 ユダ ただ、用心した方がいいと思っただけです

 ユダ それにバルトロマイさんの一件もあります

 ユダ 彼女は脅迫されてると言ってたじゃないですか

 

 そこまで打って、悠太はアッと叫んだ。

 とてつもないミス。誰も気付かないように祈った瞬間、すぐさま横やりが入った。

 

 マタイ 彼女?

 ルカ なぜバルトロマイさんが女性だと分かるんですか?

 ペトロ 挙手をお願いします

 ヤコブB え? 俺も女だと思ってたけど?>バルトロマイ

 マタイ 理由は?

 ヤコブB なんか書き込みが女っぽかったじゃん

 ユダ そうですよね>ヤコブBさん

 マルコ 雰囲気で判断するのはいかがなものかと

 ヤコブB でもさ、誰も俺のこと女だとは思わないっしょ?

 ヤコブB それと一緒だよ

 ペトロ すみません、少しチャットを中断してください

 

 ペトロが大文字で、場を制した。紛糾しかけた議論が止まり、チャットルームは平穏を取り戻す。

 誰も口を挟まなくなったところで、ペトロは、悠太が期待していたのとは違う提案を書き込み始めた。

 

 ペトロ 司会の権限を濫用するというわけではないのですが

 ペトロ この話はもう止めにしませんか?

 ペトロ 証拠がない以上、水掛け論になると思いますので

 ヤコブB ノ

 ペトロ それよりも明日のキセキについて話し合うのが大事かと

 

 ヤコブBの挙手を受けて、ペトロは議事進行を中断した。バトンを譲る。

 

 ペトロ ヤコブBさん、どうぞ

 ヤコブB 俺はユダの意見に賛成

 ヤコブB この問題を真面目に考えるべきだと思う

 ヤコブB バルトロマイが脅迫されてたのは事実なわけだし

 ルカ ノ

 ヤコブB あ、俺は以上で

 ペトロ ルカさんどうぞ

 ルカ バルトロマイさんが脅迫されていたかどうかは

 ルカ 実際には分からないんじゃないでしょうか

 ルカ バルトロマイさんの妄想だった可能性もあります

 

 悠太は人差し指で、パソコンの端を叩いた。なぜルカは、ここまで強情なのだろうか。よくよく思い返してみれば、ルカはいつも、シモンたちの死に懐疑的であった。いや、懐疑的なら、まだいい方だ。マタイも、煮え切らない態度を取っているのだから。

 だが、ルカとペトロは違う。このふたりは、使徒死亡の可能性を示唆されると、全力でそれを潰しに掛かっているように思われた。少なくとも悠太は、ふたりの話の進め方を、そのように捉えていた。

 少年の中で、疑いの芽が育ち始める。

 

 ペトロ ひとつ提案なんですが

 ペトロ このテーマについて話し合うかどうかを、多数決に付しませんか?

 ペトロ 但し、この場の参加者だけで

 ペトロ つまり、4人賛成なら欠席中の使徒の話を続ける

 ペトロ それ未満なら明日のキセキの話に移る

 ペトロ いかがでしょうか?

 

 巧みな誘導だ。悠太は、ペトロの手際に感心せざるをえない。

 反対意見が出ないのを見て、ペトロは採決を取る。

 

 ペトロ では賛成・反対の書き込みをどうぞ

 

 ルカが先陣を切ると同時に、票が入り乱れた。

 

 ルカ 反対

 ヤコブB 賛成

 ペトロ 反対

 マルコ 賛成

 マタイ 反対

 

 悠太が票を投じる暇もなく、決着はついた。ルカとペトロの強硬な反対は、六人という少人数の合議体にとって、痛過ぎる障壁だった。

 悠太はしばらくの間、憮然とした表情で画面を見つめた。それから短い文章を足し、送信ボタンをクリックする。

 

 ユダ 賛成、ですがダメなようですね・・・

 

 悠太はルール違反を承知で、さらに言葉を継いだ。

 

 ユダ それでも僕はこの12人の中にいると思います

 ユダ 裏切り者が

 ペトロ ではキセキの話し合いに移ります

 

 悠太の書き込みは、全員からスルーされた。少年は話し合いの間中沈黙し、小学校の給食のプリンが増えるというマルコのどうでもいいアイデアに賛成した後、ぱたりとパソコンを閉じた。釈然としない何かが、少年の心の中にわだかまりを作っている。

 もう寝よう。悠太が腰を上げたとき、机の上で何かが震動した。

 携帯だ。画面を見ると、メールが一通届いている。瑠香だろうか。昼間のことで謝りたいのかもしれない。いや、反対に謝らせにきた可能性もある。

 びくつきながら未開封メールを開いた瞬間、少年の中で時が止まった。

 

  Dear Yuta!

 

  今日は駅まで送ってくれてありがとう

  明日の朝10時、T海浜公園にきてください

  待ってます 必ずきてね

 

  Yours,

  Maria

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