エギュラメ
長い通路の先に、両開きの扉と、左右に番をする黒いローブを着た者たちが、近づいてくる2人をずっと見つめていた。
フードを深くかぶり、フワフワと浮くいていて、足は見当たらない。
番兵らしい者たちは、細い棒のような槍を斜めにし、扉の前でクロスさせて侵入を拒んでいたが、2人が数メートルまで近づくと槍を真っ直ぐにした。
番兵が桧毬と判断したのか、その先にいる主が許可したのかわからないが。難なく先に進めそうだ。
「桧毬、エギュラメ様がお待ちだ」
それだけ言うと、2人は扉を開け、文也たちを中に入れた。
背中の扉が閉まると、文也はまず、広すぎる空間だと認識してから、外に出たのかと思ってしまった。
黒い芝生のような大地に薄曇りの空、2人以外にその2つしかないのだから。
薄曇りの空は雨が降ることも晴れる様子もないまま、どこまでも続いている。
「うわっ」
黒い芝生を改めて観察した文也はぎょっとした。芝生と思っていた大地が蠢いていたのだから。
「文字の地なのだ」
文也の反応に気づいた桧毬は教えてくれた。
桧毬に言われ改めて観察してみると、黒い文字が地面を作っていると判断できた。それもありとあらゆる世界で使われている文字たちが、ここの空間の地になっているのだ。
文也は文字の地から、視線を上に向ける。
その者は音もなく姿を現していた。
暗書を司る者であり、魔王の娘、エギュラメ。
混乱した文也の前に現れた時と同じく、床に着くほど長い髪と肩を露出しボディラインをくっきりとさせるシンプルなドレスは地二つかず、アルファベットたちが揺らいでいる。
修二はエギュラメの数メートル離れたところにいた。
「修二」
立っているが、目を閉じ、足は地になく、空中に浮いていた。
「桧毬の時と同じく眠っているのですね」
文也が口を開くよりも早く、桧毬が説明するように発言した。
修二の体がストンと地についた。それと同時にまぶたが開いた。
「……ん?あれ、ここは……え、何だ?」
目が覚めた修二は見たことのない空間に驚き、近くにいる魔王の娘がいる事に驚き、慌てて2人の後方に移動した。
「エギュラメ様」
修二を確認してから、桧毬はエギュラメの前まで移動した。
それから桧毬は膝をつき、深く一礼してから両手で文也の書いた手紙を差し出す。
「ご命令通り、手紙を預かってきました」
「ご苦労」
手紙を手にしたエギュラメは愛しそうに封筒を見つめ、それから同じ視線を文也に向けた。
「…………」
エギュラメの美しすぎる視線に、文也は固まってしまった。そんな文也を更に見つめてから、エギュラメは封筒を開けようとしたが、桧毬は申しわけなさそうに主の名前を呼んだ。
「エギュラメ様、これで桧毬の役目は果たしました。
桧毬を無にしてください」
「そうだな。よかろう」
エギュラメは手を伸ばした。
額に触れると、桧毬から白と黒2色の小さな球体が現れた。
白い光を放つ球体は真っ直ぐ上昇し小さくなって消えていった。一方、黒い球体は手を伸ばしていたエギュラメの手のひらの中へ吸い込まれていった。
この光景をただ見る事しかできない文也でも桧毬の魂と、彼女を人間、に近い存在にするための魔力で、その力が必要なくなった今、持ち主のエギュラメに戻っていったのは、理解できた。
魂とそれをつなぐ魔力がなくなった時『桧毬』と呼んでいたその体はさらりと崩れ始めた。
まるで風に吹かれた砂の固まりのように。この空間に風は感じないが、その物体は崩れてゆく。
黒髪のツインテールも白い角も、白い紙片となり上空に舞い上がっていく。
「桧毬ちゃん」
彼女に何が起こったのか理解した友人から悲鳴のような声があがった。
「桧毬ちゃん」
もう原型もとどめなくなった桧毬の紙片たちを、それでも抱き留めようと修二が腕を伸ばすが、触れる直前で紙片に変わり、空中にまってゆく。
「桧毬ちゃん」
悲鳴のような声で桧毬の舞い上がる紙片をかき集めようとするが、桧毬の紙片は雪のように、修二の手のひらで溶け、消えた。
それでも悲しくあらがう修二だが、それがすべて消えてしまうと、両手を床二つき、叫び声をあげた。
「………」
その有り様を、エギュラメは冷静に見つめ、文也は動けないでいた。
「うわあぁぁぁ」
修二の声が途絶えた時、彼はエギュラメを見上げた。
目がつり上がり、怒りの声と行動を起こそうとした。
「まて、修二」
文也は彼を止めようと、駆け出す。
しかし、それよりも早く、エギュラメは手を伸ばした。
「……」
文也の目の前にいた修二は黒一色の固まりと化した。
熱を浴びたチョコレートのように友人だった固まりは、どろりと溶けてゆく。
溶けて床に一体化し、そして何もなくなった。
「………………」
文也は、ただ友人のいた床を見つめることしかできなかった。言葉どころか声も出ない。
「…………」
文也は力が抜け、その場に座り込んだ。
友人は、本当に消えてしまった。
その現実を理解しようとするも、心が拒否して受け入れようとしない。
「文也、お前は、これでも、好意をもてるのか?」
エギュラメは問いかけで、凍りついたまま永遠になりそうな空間を壊した。
「好きになるのに、理由はないが、好きで居続けるにはリスクがある」
「…………」
「我は、文也に興味ごある。好意を持つ。
我が意見に拒否はない。
文也、お前が断れば、我に好意を持たない者に怒りを持ち、今すぐお前を消去する。
それが魔王の娘。エギュラメの考え方だ」
「………………」
文也は何も言えず、まだ床を見つめたまま、動けないでいた。
「文也の言葉を待つ」
反応がないのを察したエギュラメは文也に背を向けて数歩進み、それから姿を消した。




