帰宅
「………」
文也は自宅を見上げた。
奇声をあげて、逃げ出した家に戻るのは足が重くなるが、一生帰らないわけにもいかない。
「ただいま……」
おそるおそる、帰宅のあいさつをしてみたら、何事もなかったかのように返事がした。
気を使っているのか、修二のフォローが良かったのか、それとも桧毬が記憶処理をしてくれたのかは、わからないが、それを突き止める気になれず、部屋に寝っ転がった。
「……何が裏切り者だよ」
帰宅してほっとできた文也の口は、修二に対する不満を口にし、腹部の痛みを思い出した。
「……」
売り言葉に買い言葉だったとはいえ、修二に対する不満がふつふつと沸き上がるが、自分に対するもやも存在している。
「今度あったら、ただじゃおかないからな……」
息を吐き出してから、文也は起き上がり、改めて部屋を見渡した。ベランダに続く窓が閉められてはいる以外、あの時のままに過去と魔界からの手紙達が、机にいた。
「……」
文也はエギュラメからの黒い手紙を手にする。
脳に伝わってくる『あの人』の想い。
黒い手紙を置いてから、文也は三番目の手紙を改めて目を通した。
予測を超えた真実に、それどころではなかったが、まだ、何かを告げる言葉がその手紙に書かれていた。
「桧毬……ちょっと良いか?」
日が暮れて、隣の明かりが着いたのを確認してから、文也はベランダに続く窓を開けて、桧毬を呼んだ。
「文也……大丈夫なのか?」
隣のベランダを軽々と跳んできた桧毬は昨日の騒動もあるが、それ以上にボロボロな文也に、心配になった。
「修二と喧嘩しただけだ。それよりも」
「エギュラメ様に返事を書いたのか?」
「それは、まだ。もしかして修二とデートだった?」
「そうなのだ」
桧毬の白いワンピース姿に『デート』以外のイベントはない。
修二も喧嘩後で、文也から考えるのを回避するためか、デートという行動を選んだようだ。
「桧毬、三番目の手紙を最後まで読んだ。
エギュラメ様の手紙、お前に食べさせてたんだな」
「……」
桧毬は、文也に背を向けた。ツインテールの黒髪とワンピースがひらりと揺れる。
「ヤギだった桧毬がなぜ、エギュラメ様に仕えているのか考えた。
俺のせいだったんだな。ごめん、桧毬」
「桧毬はその前のも含めて、食べた手紙に何が書いているのかわかるのは。エギュラメ様の手紙を食べて、エギュラメ様の魔力を得たからなのだ。
でも、それはエギュラメ様の怒りを買ってしまった。エギュラメ様から見れば勝手に食べて、魔力を得たのだから」
「ごめん……桧毬」
謝る事しかできない文也に対し、桧毬は夜空を見上げあの日の出来事を思い出した。
「覚悟はしてたのだ。
10年前のあの日、怯えた小童が黒い物体を抱えて、ヒマリに食べさせようと差し出した時、ヤギながら気づいたのだ『これを食べたら、エラい事になる』って。
とはいえ、怯えた小童の差し出した物を拒否することはできなかった。あの時はもう、ヤギ、ヒマリはお婆ちゃんで寿命は1年あるかないかと感じていたから、どうなっても良いと思ってもいた」
『だけど』と、桧毬は視線を落とし首を振る。
「エギュラメ様に肉体と魂を切り離され、10年も生き続けるなんて予想もできなかった。もし、黒い物、エギュラメ様の手紙を食べなければ、ヒマリはじい様に、看取られて旅立ち、じい様もその3年後に旅立って……こんな。こんな、じい様も懐かしい小屋も屋敷もない、変わりはてた未来なんて、知る必要なんてなかったのだ」
振り向いた桧毬は、哀しげな表情をしていた。
「返して。ヒマリとしての時間を返して」
「……。ごめん」
桧毬は文也から離れ、背を向けた。
「わかっているのだ。今の文也が謝る事しかできなければ、あの時の文也がこの事を予測していない事も。
あの時に戻ることもできないのも」
「……」
「だから、罪を償ってほしいのだ」
振り向いた桧毬は寂しげに笑った。
「文也は一刻も早く、エギュラメ様に返事を書いてくれなのだ。
そうすれば、文也の返事を届けなければならない桧毬の役目が終わる。
桧毬は、この無意味な世界から解放されるのだ」
「解放……」
「桧毬の寿命はエギュラメ様次第なのだ。
桧毬にとって、悲しい事ではない。だって、あっちの世界で、大好きなじい様に会えるのだから」
にっこり笑う桧毬に、文也は何も言えなかった。




