自分探し中の兄からRPGを教わる事になりました。転移したので仕方なく……
大井田葉月
年齢二十二歳 好きな食べ物→福神漬け 嫌いな物→ゲーム 嫌いな人物→兄
大学を妹に相談なく中退し、自分探しという名目でフラフラしている兄を軽蔑している。大学を卒業し就職に向けて引っ越し準備をしていると、ひょんなことから兄の部屋にて古いノートを見つけた。
それはほんの少しの興味だった。ノートを開いた瞬間、眩い光が部屋を包み込み私は気絶してしまう。
目を覚ますと見知らぬ部屋のベッドで眠っていたようだ。不意に声をかけられ振り向くと大嫌いな兄がそこにいた。
「葉月、お前は異世界転移したんだ」
異世界? 中高時代クラスの男子が寄ってたかって読んでいたアレ? 冗談じゃない!
挙げ句の果てには〈女神〉と名乗る女もやってきて私の平穏は一体どうなっちゃうの!?
臭い。表現しようのない悪臭。
私が兄の自室に入る際、呼吸を止めるようになったのはいつからだろう。
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『父親や男兄弟の匂いを不快に感じてしまうのは、近親者同士で子供を作らないよう遺伝子に組み込まれているからだそうです』
いつの日だったかテレビ番組でコメンテーターがこんな事を言っていた。夕食時ラジオ代わりに付けていただけなので、メインの題材は覚えていない。しかし何故だかその文言だけ脳裏にこびりついている。
理屈はわかる。それでも一組の男女が恋に落ち、結婚寸前というところで生き別れのきょうだいだった! ……なんて一例も無きにしも非ずではないか。漫画や小説の読み過ぎ? わかってる。私が言いたいのは、遺伝子だけが全てではないという現実問題だ。
以前中学で自分のきょうだいが好きかどうかの話題になった。
「今まで好きとか嫌いとかそんな感情を持った事がない。家にいて当たり前だしそれが普通だと思っている」
いまいち納得いかない。詳しく話を聞いてみると、休日一緒に外出するような仲ではない。それどころか家庭内で交わす会話も「醬油取って」くらいなものらしい。しかし敵意を向けるでもなく、部屋の出入りも自由にしているようだ。なお同級生とは異性の立場だが、着替え途中でもお互い堂々としていると聞いて更に驚いた。
兄を嫌う理由は趣味の不一致だと結論づける。母親から月に一度お小遣いとしてそれぞれ五千円を貰っている。その使い道は服やアクセサリーを買う事が多い。しかも古着がほとんどで両親や友達からは「やりくり上手」と太鼓判を押される程だ。
一方兄はというとゲーム代に消えていくらしい。「らしい」と断定しないのは母親のボヤキをたまたま聞いた事による推測だから。私も小学校低学年の頃、パーティーゲームを兄と一緒に遊んでいた。だが高学年に上がり趣味が確立してくると、その類に見向きもしなくなった。ゲームなんて時間や金の浪費にすぎない。学校のテストで高得点を出したり、部活の試合で結果を表彰された方がずっと達成感味わえると思うのだけれど。
ただ黙々とテレビに向き合っているならまだ良い。しかしあいつの場合はボイスチャット? なるもので会話をしている。廊下を歩いていると奇声が嫌でも聞こえてくるのだ。
「うわぁあああああ!!」
「死んだぁあああああ!!」
うるさくてたまらない。私の訴えにより、母親から夜の十時以降になると小声にするよう約束させた。しかし部屋が隣同士の為、コントローラーのボタンのカシャカシャした音も気になってしまう。そのせいで眠る際は好きな音楽をイヤホンで聞きながらウトウトするするしかなかった。朝までスマホ画面が付いている時もあり、充電はすぐになくなるしどうしてこっちが気を遣わなければいけないのかと頭を悩ませるのだ。
「男はみんなゲームするもんさ。そのうち飽きてやめるよ」
父親に直談判してみても話にならない。この放任主義め。
しかし私のこういった鬱憤もある日突然解消される事になるなんて知る由もなかった。
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それは私が高校一年の頃だったと思う。
「おはよう、葉月ちゃん! お兄さんの事聞いてきてくれた?」
朝学校で同級生と顔を合わすなりこの発言である。兄の話題が出る度に気分がダダ下がりなのだが、数少ない友達を失いたくないので取り繕う事にする。
「ゴメン、なんだっけ?」
「ちょっとー、昨日言ったじゃない! 葉月ちゃんのお兄さんに彼女いるかどうか聞いてきてって!」
そういえばそんな事もあったような……あんな男のどこが良いんだか。
「ゴメン! 勉強で忙しくてついつい忘れちゃった。私の兄さんよりもっとクラスの男子に目を向けた方がいいと思うな」
「だって前に遊び行った時めちゃくちゃカッコよかったんだもん! さすが美人の葉月ちゃんのお兄さんって感じ」
確かにあいつはモテる。毎年バレンタインデーになると、手作りらしきチョコレートが冷蔵庫の一角を占領しているからだ。確かに成人式でスーツ姿を見た時は不覚にもドキッとしてしまった。しかし極度なゲームとアニメ好きなところ知ってしまうと幻滅するだろう。って……ちょっと待って。
「私が美人って何?」
「クラスの周りでみんな言ってるよ? 成績優秀、スポーツ万能。次期生徒会長間違いなし! って。『付き合えたら最高!』なんて事も言ってたなー」
また出たよ。「みんな言ってる、みんなやってる」ってさ、ひとりひとり聞いて回ったの? 私が勉強やスポーツに努力するのだってあいつに負けたくないから。普段ゲームとバイトばかりなはずなのに全国模試一位だったっけ? 歳が四つ離れているから同じ高校にいないわけだけど、何度か「あの大井田朝陽の妹」と呼ばれた事がある。努力も知らないで一人前に人気者になっちゃってさ、妬ましくて仕方ないわ。
「ま、あんまり期待していないからさ、タイミング合った時に聞いておいてよ」
「う、うん……わかった……」
話が一区切りついたところで予鈴が鳴った。本当にあんな男のどこがいいんだろう。
その日の放課後、友達からハンバーガーを食べに行かないかと誘われたが「ダイエット中だ」と言い訳し真っ直ぐ家路についた。彼女の話は流行りの音楽やアイドルの事ばかりだし、見せてくれるファッション雑誌も話題が噛み合わない。彼女はパステルカラーを好むのに対して私はモノトーンや落ち着いた色を好む。ちなみにダイエット中という言葉は嘘じゃない。でも無愛想でノリの悪い私に根気よく付き合ってくれるところには感謝している。今度美味しいクッキーをプレゼントしてあげよう。
「ただいまー」
「あら、おかえりなさい」
合鍵で解錠し玄関を抜けると専業主婦の母親が私を出迎えてくれた。カバンをダイニングテーブルに乗せて冷蔵庫を物色する。
「コラ、家に帰ったら手洗いうがいでしょ?」
「おやつ見つけたらやるってば」
もう高校生になったのだから健康管理くらい自主的にさせてほしいものである。おやつは前日の夜に仕込んでおいた低カロリーゼリーだ。
「あ、そうそう」
「んー?」
「お兄ちゃん、大学辞めたって」
……え?
「ちょっとそれ本当?」
「うん、なんでも自分探しをしてみたいとかで」
「お父さんは知ってるの?」
「もちろん。『学費はちゃんと働いて返す。悔いのないように生きていきたい』なんて言われたら反論する気力も失せたみたいで」
何それ。ほんの数秒前までおやつの出来栄えを楽しみにしていたのに。気付いた時には自室のベッドに顔を埋めていた。おやつなんて食べる気分になれない。お父さんもお母さんももっと反論してよ! これから先将来どうするの!? この考えなしのバカ兄貴!
その日から兄は家に帰って来なくなった。
□
友達の宣言通り、成り行きで生徒会長の仕事を任されるようになった後に高校を卒業した。国立大学をストレート入学し家族に胸を張れる人生を送ってきたつもりだ。厳しいと言われた就職活動も終わり、引越しの準備に追われていた。
必要な食器類にダンボールに詰め、蓋を閉じようとすると中途半端なところでガムテープが終わってしまった。ストックがないのかと母親に尋ねてみる。
「ねぇねぇ、ガムテープ他にある?」
「うーん、お兄ちゃんの部屋にあるかも」
「えー……」
「嫌な顔しないの。こっちは手が離せないから自分で取りに行って来なさい」
そう促され渋々重い腰を上げた。わざわざ車を出してもらうよりこっちの方が早いのは確かだ。
兄の部屋に入るのは中学ぶりかもしれない。その時に嗅いだ悪臭が忘れられず無意識に呼吸を止める。さっさと要件を済ませようと周りを物色しているうちに何かとぶつかった。
バサッ
どうやらノートが落ちたようだ。その表紙にはマジックで「ゲームシナリオ」と書かれている。ゲーム好きだとは思っていたが自らこんな事をしていたなんて。
いつまでノートを見つめていただろう。呼吸が苦しくなり酸素を肺に取り込んだ。母親が定期的に換気しているのか思春期に感じたあの匂いはあまり感じられなかった。
それはほんの興味だった。あまりにも酷い内容なら掲示板に晒してやろう。そんな感覚で。
私は意を決してノートのページを開いた。その瞬間、眩い光が部屋中を覆い尽くした。意識を失う瞬間、こんな展開の漫画あったな……なんて呑気に考えていたと思う。
□
「いつになったらお姉ちゃん起きるの?」
「ま、そのうちな。そろそろご飯できるから手洗って来な」
「はーい!」
子供の声と青年の声が聞こえる。あれ、私さっきまで家にいたよね? それにこの声って……パチリと目を開けるとまさかの人物と出くわした。
「なんであんたがここに!?」
「おいおい、仮にも俺は兄貴だぜ? あんた呼びはよしてくれよ」
「だって……」
「あ、お姉ちゃん起きたー!」
寝ていたベッドから起き上がると、先ほどの子供に声をかけられた。ん……? 耳がとんがってる……?
「やっぱりビックリするよな。生のエルフを見ると」
「エルフ……?」
ベッドから飛び降り窓の外を眺めると、深緑色の空に真っ黒な草原が広がっていた。ここってもしかして……いや、考えたくない考えたくない!
「葉月、お前は異世界転移したんだ」
だから言わないでってば!
神様、私何か悪い事しましたか? 平穏を戻して下さい。
「あと女神もいるぞ」
「うるさい!」





