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ようこそ、ようこ探偵社 事件簿ファイル零 ―北アルプスのエメラルド殺人事件―

 キタキツネの霧子。ホンドギツネの房咲子。フェネックのロタ。三人は千年の時を生きてきた妖狐であり、親友であり、同じ大学へ通う学友であり、ミステリーの愛好家仲間だった。この物語は、後に妖狐探偵社を結成することになる三人が手掛けた最初の事件。

 謎解き好きが高じてクローズドサークルものを疑似体験できないかと、北アルプスの山荘にやってきた三人。ここで突然の吹雪に閉じ込められ、殺人事件が起こり、宿泊客の中から犯人を割り出す……そんな妄想を楽しむだけのつもりが、雪に閉じ込められ、本物の殺人事件に巻き込まれる。

 連続毒殺事件の犯人は? 動機は? トリックは? ミステリー小説の知識をフル動員して推理を試みる三人。しかし、宿泊客全員に動機があり、アリバイが無いために容疑者が絞り込めず、いきなり推理は息詰まる。果たして、ミステリーが好きなだけの素人探偵妖狐三人に、この事件を解決できるのか!?

―― kill(キル) :命を奪う行為

―― murder(マーダー) :謀殺

―― mans(マンス)laughter(ローター) :過失死


 男は酔っていた。目は充血し、顔ばかりか、禿あがった頭頂部まで真っ赤だった。でっぷりと太った体を高価な服に押し込んでいるが、ヨレヨレに着崩した様は、お世辞にも紳士とは言い難い。カードキーを探すのにも四苦八苦。あらゆるポケットをまさぐり、三巡目でようやくジャケットの右ポケットにそれを探り当てた。その間も体は前後左右に揺れていた。

 んふぅ、んふぅ……と荒い息を漏らし、カードキーをドアロックに差し込む。


 ピッ


 解錠の小さな音を覗き込みながら男は部屋に入った。男に続いて部屋に入る者がいたが、酷く酔っていた男は気が付かない。ドアを入ると短い廊下を挟んで、右側に浴室と洗面台とトイレ、左側にクローゼット。奥にはベッドとテレビとテーブルと一脚の椅子があるだけの、簡素な寝室があった。ベッド脇を抜けて部屋の奥に進むと、男は重い体をどかっと椅子に投げ出した。そのまま動かない。


 小一時間ほどで男は目を覚ました。喉がピリついて痛い。テーブルにはグラスに注がれた水が置かれていた。まだ酔いの覚めない男は、なんの疑念も覚えることなく、その水を口にした。

 んふぅ……水はひんやりとして心地良かった。喉の乾きを潤そうと男は一気に飲み干す。程なく、吐き気に襲われた男は、ふらふらと洗面台へと向かう。洗面台に上半身を投げ出してうずくまると、発作の痙攣を起こし……男はそのまま動かなくなった。


 ※※※


 すっかり葉の落ちたイチョウの木が、今にも雪の降りだしそうな空に手を広げて震えていた。キャンパスに敷き詰められたレンガは、すっかり落ち葉に隠れて見えない。学生がそぞろ歩く通り道だけがレンガの小道のように取り残されて、それ以外は一面、黄色の絨毯のようだった。


 ――「黄色いレンガ道」の逆ね。この道じゃエメラルド・シティには行けない。


 桐琉宇(きるう)霧子(きりこ)は、突然の休講で出来た隙間時間を持て余し、喫茶室からぼんやりとキャンパスを眺めていた。大きなテラスのある喫茶室だが、この寒空の下、テラス席に陣取る勇気はさらさらなく……。室内の大きなガラス窓のそばでキャンパスを眺めながら、微かな日差しを集めて暖を取る作業に勤しんでいた。

 キツネ色にこんがりと焼けた食パンを思わせるミドルボブの髪とダークゴールドの瞳、タートルネックの白いニットを着た女の子が窓の中からぼんやりと霧子を見返していた。霧子があくびをすると、窓の中の女の子も大きく口を開けるのだった。


「ワォ。ここの眺めはステキ景色デス。So goodbye(さようなら) yellow(黄色い) brick road(レンガ道)〜」


 霧子と似たような想像をしたとみえる学友のロタ・曼栖(マンス)が、同じく学友の萬田(まだ)房咲子(ふさこ)と連れ立って霧子に近づいてきた。

 ロタは人目を惹く真珠色のロングに漆黒の瞳。大学生なのに、高校生どころか中学生に間違えられてもおかしくない程に華奢で小柄な体型だ。ゆったりとしたゴスロリ調のドレスと相まって、お人形のようだった。

 一方、房咲子は黒地に銀のメッシュを散らしたショート。べっこうの細いフレームの眼鏡の奥からぎらりと鋭い眼光を放つ。背の高さに加え、大きな胸が印象的な、まるでモデルのようなスタイルだった。


 ツイードのコートを脱ぎながら、房咲子が関西弁で切り込んだ。

「それ、オズの魔法使いやのぉて、エルトン・ジョン?」

 どっちだって良さそうなものだが、房咲子は細部までこだわり、詮索の手を緩めない。


 霧子、房咲子、ロタの三人は高校の頃からの親友で、同じ大学に通う今もこうして連れ立って行動することが多い。


 三人には共通点があった。

 一つは三人ともミステリーが好きなこと。そして、もう一つの共通点。それは、彼女たちが、千年以上の時を生きてきた妖狐だということ。

 霧子がキタキツネ。房咲子がホンドギツネ。どちらもネコ(もく)イヌ科キツネ属アカギツネの日本固有の亜種だ。ロタだけは、同じキツネ属ながら、別の種。フェネックだった。


 千年以上も生きてくると、人生(狐生)に刺激が足りなくなってくる。そんな彼女たちが人の世で暮らす中で出会ったのがミステリーだった。ドイル、クリスティ、クイーン、乱歩、清張、正史……。彼女たちは、洋の東西を問わず、ミステリーに夢中になった。謎解きに夢中になった。古典も新鋭も本格もサスペンスも、ミステリーなら片っ端から読み漁り、そして常に新たな謎に飢えていた。


「ハーイ、ここでロタちゃんからクゥィズ!」

 唐突な話題転換も唐突なクイズも、ロタのお家芸のようなものだ。霧子も房咲子もこの程度では動じない。


「ズバリ! 名探偵に必要な物はなんでしょう!」


「うーん。推理力?」と霧子。

「そんなん、殺人事件やん」と事もなげに房咲子。そして、「あんた『ズバリ』なんて、どこで覚えたん?」と付け加えるのも忘れない。

「オノマトゥピアは、ジッシンありマース!」

 そう言いながら、ロタは左足を後ろへ引いて腰を落とすと、一気に鞘を払って刀を抜いた。そして見えない刀で上段の構えから袈裟がけに目の前の空間を切った。

「ズバッ!」

 ロタは、これが「ズバリ」の語源だと言いたいらしい。お人形のような見た目で居合抜きを演じる違和感にはお構いなしにドヤ顔である。


「ええから。で、正解は?」

 房咲子が話題を引き戻した。

「名探偵に必要な物。それはインディビジアリティ。こせいデース!」

「「個性?」」


 意外な答えに霧子と房咲子が声を揃えて聞き返した。


「イエス。キャラクターと言ってもいいデス。『ズノウはコドモ、カラダはオトナ』とか……」

「わざとやろ。ツッコまへんで」


「したって私らにも妖狐っていう、強い個性があるでない?」

 霧子が北海道なまりでそう言うと、ロタは「ノン、ノン」と人差し指を左右に振って否定した。

「ヴァンダインの二十則ありマース」


 ヴァン・ダインの二十則とは、作家ヴァン・ダインが推理小説を書く際に守るべき指標を示したもので、「ノックスの十戒」と並んでミステリークラスタにおいては割と有名だ。そこには、


「占いや心霊術などは良くない。捜査はあくまで合理的かつ、科学的であること」


といった記載がある。


 すかさず房咲子が反論する。

「いや、それは小説の話や。ウチらは妖術つこたかて別にえぇやん?」


 彼女たちはミステリーを読むだけでは飽き足らず、自ら探偵となる機会がないかと思っているのだった。


 霧子が三人の間で指をくるっと回す。

「ただ、妖術といっても……。こうして人の姿になるのと」

 そして自分を指差して

「狐火を出すのと……」

 続いて房咲子を指差して

「幻術で惑わすのと……」

 霧子がそこまで言うと、その後をロタが引き取った。

「ロタちゃんは勘が鋭いデース。犯人がピタリと当たりマース!」

 と言った。


「それ、謎解きになってへん」

「じゃあ、脅して自白させマース! エキノコックスで……」

「やめるべ」「やめときぃ」

 ロタにフル突っ込みする霧子と房咲子だった。


「待っとるだけやアカンねん。名探偵に必要なんは殺人事件や」

「房咲子?」

 戸惑う霧子に構わず房咲子が続けた。

「せやけど、気長に待っとってもあかん。こっちから事件に飛び込まんと」

「どうやって?」

「クローズドサークルや」


 ミステリーには「クローズドサークル」と呼ばれるテンプレがある。大雪などで外界との往来や通信手段が絶たれたり、定期便が数日来ない孤島であったり、走り続ける長距離列車の中だったり。物語の舞台そのものが密閉空間と化し、限られた登場人物の中だけで、舞台型の殺人事件が起きる物語のことだ。


 房咲子が一枚のリーフレットを取り出した。北アルプスの山荘で景色と食事を満喫しようとの煽り文句が踊っていた。

 もちろん、そこへ行ったからといって、たちまち事件が起きるわけじゃない。房咲子にしても、それは百も承知だ。

 ――せやけど、もし、山荘で猛吹雪に見舞われて、ほんで殺人事件が起きたら……とか考えたら、おもろそうやん? と、房咲子の説明はそんな感じだった。


「異議なし!」

「『ガッシュク』デスね」

 霧子に続けてロタが両手でダブルクォーテーションのジェスチャーをしながら言った。


 ※※※


 循環バスを降りると、そこは一面の雪景色だった。北アルプスの眺めは控えめに言っても最高だった。好天に恵まれ、雲一つない青空に白い稜線がくっきりと浮かぶ。冠雪をまとった山々は神々しい輝きを放ち、澄んだ空気の中で光がキラキラと舞っていた。肺いっぱいに息を吸うと、キンと冷えた空気に体がしびれた。


「これだけでも来た甲斐ある」

「めっちゃえぇな」

「次はゴンドラ!」


 ※※※


 今乗ってきたゴンドラがトラブルのため休止するとのアナウンスを背に聞きながら、三人は山荘「雪仙荘(せつざんそう)」にやってきた。

 二階建ての洋風建築。ベランダの手すり一つまで細かな意匠が施された、小ぶりながらも洒落た建物だった。

「ドールハウス!」

 これには霧子も房咲子も異論はなかった。


 ここで三人は突然の猛烈な吹雪に閉じ込められ、殺人事件が起こり、宿泊客の中から犯人を割り出す(てい)の妄想を楽しむ予定だった。


「こんにちはー」

「お世話になりまーす」


 そういう彼女たちを出迎えたのは、引き裂くような女性の悲鳴だった。

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