生きる屍は生きる理由を求めている
高校一年生の夏休み直前、俺は死んだ。
そして生き返った。
保存していた遺伝子で作ったクローンに、バックアップ済の記憶をインストールすることで。今時よくある話だ。
めでたしめでたし──では、終わらない。
最後のバックアップと《死》の間の俺の記憶は失われてしまった。俺がなぜ死んだのか、事故か自殺か他殺なのかも藪の中。俺を殺した《犯人》は、クラスメイトの中に紛れているかもしれないってのに。
生と死の狭間──生きた屍、ゾンビの気分を味わう俺に、《彼女》は問う。彼女──俺が《生き返る》手伝いをするっていう、カウンセラーの水無月透子。
「心臓が動いていれば生きているって訳じゃありません。君は──生き返ったと、胸を張って言えますか?」
彼女の真摯な眼差しに促されて、俺は俺の《死因》を探ることを決意する。
誰も死なないディストピアで、俺たちは死と向かい合う。
夏休みを間近に控えた七月のある土曜日、俺・榊賢太郎は死んだ。校舎の屋上から転落して、内臓破裂と複雑骨折。多分即死、だったそうだ。
そしてすぐに俺の予備が培養され、俺の記憶がインストールされ。八月に入る前には俺は生き返っていた。よくある話だ。戸籍に、《リブート経験済》を表す不死鳥の羽根がひとつ、記入されるだけのこと。
たった、それだけのことだ。
* * *
「くっそ、うぜえな……!」
呟くと、俺は文字通り匙を投げた。手から落ちたスプーンが、からん、と安っぽい音を立てる。出来立てのクローンの胃腸に固形物はまだ早いから、ってことで、今日の昼飯も流動食だ。スプーンを軽く握って、椀と口を行き来させる。限りなく液体に近い粥を咀嚼する。それだけの動作に疲弊するのが今の俺だった。
(これ、俺の手か?)
右手を広げて、目の前でひらひらさせてみる。俺の元の右手には、小さな傷痕があった。昔、チャリでこけた時のもの。親も忘れてるかもだけど、毎日のように見ていた俺には、なじみの傷だった。でも、今の俺の手はまっさらで綺麗で、日焼けもしてなくて。鏡を見ても、見返してくるのは見慣れぬ顔だ。笑ったり怒ったり、年齢相応の感情を浮かべたことのないクローンの顔は、俺に似た他人のものでしかない。
不思議で不安で、全てが不確かで、怖い。二度目の生に対する俺の感想は、今のところはそれだけだ。親は、今の時代で良かった、って言うけど。確かに、昔なら俺は死んでたはずなんだけど。
全ての人が幸せに人生を全うできる国を。それが、今のこの国が第一に掲げるモットーだ。
あらゆる国民の記憶、誕生以来、脳に蓄えられたデータを《バックアップ》して保存する。事故や病気で死んだ時は、同じく保存していた遺伝子データからクローンを作成して記憶を植え付け、その人を蘇らせる――《リブート》する。
教科書にも載ってるし、毎日のようにCMでも見てる。ご自身やご家族のために、定期的な《バックアップ》を。補助制度についてはお近くの国民情報管理統括機構の窓口まで──でも、俺の年で経験することになるなんて。
と、ノックの音が響いた。
「榊君、良いでしょうか」
「あ、はい」
俺は完全に食事を諦めてドアの外からの声に応じる。若い女の人の声。何かの検査だろうと思ったんだけど──
「お食事中でしたか?」
「や、点滴にしてもらおうと思ってたんで……」
現れた女性は、看護師の制服じゃなく、紺のスーツを纏っていた。真っ直ぐな黒い髪に、生真面目そうな銀縁の眼鏡。多分二十代前半くらいの若さだからか、就活生みたいな硬い雰囲気だ。肩にかけた鞄もかっちりとした黒で──その鞄を探って、彼女は名刺を渡してくれる。
「《機構》から来ました。カウンセラーの、水無月透子です」
「あ、ども……」
名刺をむらうなんて初めてだ。不器用に小さな紙片を受け取りながら、なんかドラマみたいな展開だなあ、とぼんやり思う。
《機構》──国民情報管理統括機構は、文字通り、全国民の記憶の管理のための組織だ。《バックアップ》や《リブート》、それに関する脳やクローン技術の研究。リブート経験者の心身のケアや社会復帰の補助。最重要データである記憶を、安全かつ確実に管理するためのシステムの構築。機構の責任は非常に重く、業務も多岐に渡る。だから非公式の部署がある、なんて都市伝説があったりもする。
俺の目の前にいる水無月さんは、そこら辺にいそうなお姉さんにしか見えなかったけど。じゃあ、機密部署なんてあり得ないか。
俺の失礼な感想も知らず、水無月さんは硬い微笑を浮かべた。
「《リブート》、おめでとうございます。身体機能の回復も順調だそうで良かったです。私は、心のリハビリの方面でお手伝いをさせていただくことになります。よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」
《リブート》は、めでたいことなのか。俺にはよく分からないけど、反論するのも面倒で、とりあえずもごもごと挨拶を返す。褒められた態度じゃないだろうに、水無月さんは何も言わずにノートとペンを取り出した。
「何度も答えたと思うんですけど、私からも聞くことになってるんで、すみません。──記憶の混乱は、ないですか?」
「ないです。俺の主観だと、《バックアップ》の機器をつけてもらって目を覚ましたら、って感じでした」
マニュアル通りっぽい質問は、確かに何度もされたものだから、俺の答えも淀みない。発声とかのチェック事項でもあるのだろうか、水無月さんはメモを取りながら頷いている。
《バックアップ》も《リブート》も、技術としては確立されて、事故なんてもうほとんど発生しない。でも、ゾンビがもとの生活に戻るのは簡単じゃない。身体的なリハビリはもちろんのこと、何よりのネックになるのが記憶のギャップ──《タイムラグ》だ。政治家や大企業のトップならまだしも、一般人が《バックアップ》を行うのはせいぜい数か月に一度。俺の場合は、入学式前の、三月末のことだった。
「せっかくの高校生活なのに、残念でしたね」
「……しょーがないです。夏休みで、まだ良かった」
あと一ヶ月もしないうちに、顔も知らないクラスメイトに混ざっての新学期が始まるのだ。全然良くはないけど──ほかに、答えようがない。
慰めや励ましの言葉を予想していた俺に、でも、水無月さんは思いのほかにずばりと尋ねた。
「二学期から登校できますか? 君の死因は学校にあるかもしれないのに」
「……っ」
眼鏡のレンズ越しに、真っ黒な目が俺を見つめている。俺の、作り立ての心臓が跳ねる。また止まっちゃうんじゃないか、ってくらいのドキドキを悟られないように、俺は必死に平静を装った。
「事故、ですよ。自殺とか、意味ないじゃないですか」
死んでもすぐに生き返らせられるんだから。
でも、まったくの無意味かというと、そうじゃない。
《リブート》には金がかかるのだ。保険は効くし、CMでやってるみたいに年齢や職業によって補助もある。俺も、学生保険に入ってたって。でも、かけがえのない命を粗末にするような奴に、今の社会は冷たい。
事故や病気からの《リブート》なら、大変だったね、良かったね、ってなる。でも、自殺だと違う。自分にとっても社会にとっても無駄な行為をわざわざするバカ。人への迷惑を顧みないバカ。そんな烙印は一生ついて回る。進学でも就職でも。保険料だって変わってくる。人生に巨額の負債が残ってしまうって訳だ。
だから俺は事故死に違いない。そうでないと、困る。俺は屋上から落ちるような間抜けだったのか。飛び降りる理由はなかったか? 誰かに突き落とされたんじゃ? そんなことは、考えてもいけないのだ。
俺の目は、揺らいでいなかったはずだ。見つめ合うことしばし──水無月さんは諦めたように視線を外して、溜息を吐いた。
「それでも、死を選んでしまう人は、います。悲しいことですけど」
「俺はしません。バカバカしい」
この人は俺を嵌めようとしてるに違いない。自殺だって認めさせれば成績が上がる、とか? でも、その割にはこの人の目は真剣じゃないか? 俺がそう思いたいだけなのか?
俺の疑いの眼差しを余所に、水無月さんの眼差しは揺るがない。
「事故ということにするのも、メリットはあります。多分、経歴のことは気になるでしょうし。犯人がいるとして、今の事態に怯えて息を潜めるかもしれません」
俺を死ぬほどいじめていた奴がいるとして、ビビって止めるかも、ってことだ。それも賢いやり方、なのか?
(嘘だ……!)
でも、考えた瞬間に激しい怒りで腹が熱くなった。俺を殺したかもしれない奴らと笑って過ごす? 俺はリハビリで苦労するのに、一学期分の記憶も失ったのに──そいつらには、お咎めなしだって? 俺が、死んでないからって!
「でも、それは『大人の対応』です。私の仕事は、君がちゃんと生きる手助けをすること。忘れたいなら、忘れる手伝いをします。誤魔化す言い訳を考えます。でも、そうでないなら──」
「……どうしてくれるんですか。俺がなんで死んだのか、調べてくれるんですか」
苛立ちに任せて、水無月さんを遮る。無理だろうと、言外に不信を滲ませて。この人は警察じゃないし、俺にそこまでの義理はないはずだ。でも──
「はい。もちろん」
にこりと笑って頷いた彼女が意外と可愛いことに、俺はやっと気付いた。ためらいもなく頷かれて、なぜか今度は目の奥が熱くなる。
「俺は、生きてるのに。殺された訳じゃない。親とかにも、迷惑がかかるかも……!」
「心臓が動いていれば生きているって訳じゃありません。榊君。君は──生き返ったと、胸を張って言えますか? 何も知らないままで、人生に戻っていくことができますか?」
ああ、そうか。
不意に気付いた。俺はまだ生きてないんだ。死んだままの、生きた屍。ちゃんと生き返るには、死んだ理由を知らないと。
《機構》の人を信じて良いかは分からない。でも、信じたい。この人を。
「……榊君?」
「──たい」
深呼吸してから顔を上げると、心配そうに覗き込む水無月さんと目が合った。
「俺は、俺が死んだ理油を知りたい。手伝ってください……!」





