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婚約者が悪役で困ってます  作者: 散茶
エミーリアの日記
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エミーリアの日記12


「返してちょうだい!」

アデリナはそう叫んで、テアの手から黄色のバラをひったくろうとした。

アデリナの方が背が高いので、その長い腕から逃れるために、テアは大仰すぎるくらいに体をのけぞらせる。

「嫌よ!これは殿下が私に下さったものなのに、返せだなんて図々しい!」

「何を言ってるの!そのバラは私に下さったのよ。それをよくもまぁ……!」

黄色のバラを巡って、二人はいまにも取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな勢いで言い争っている。

テアの後ろでは、妹のレネが見ているだけでかわいそうになるくらいにおろおろしていた。

そしてこんなにも騒ぎになっているというのに、当の殿下の姿は見当たらない。

なぜだ。

なぜ、こんなことに?

私はクレイグに飲み物を押し付け、ルーカスを探した。

すぐに隅っこで気配を消していたらしいルーカスを見つけ、背後からエマ!と呼びかけるクレイグの声を無視してそちらへ行く。

例えどんな人ごみの中であろうと、私はルーカスのあの紫色の頭を見つけられる自信がある。

「どういうこと?」

たまらずそう尋ねたが、ルーカスもまた混乱している様子であった。


というのも、今夜ルーシェとフリッツ殿下を出会わせるために私たちはちょっとした小細工を施していた。

まず胃痛に悩む殿下には、少しの間休める、誰も来ないサボり場所を教えた。

バルコニーを下りて湖畔沿いに少し歩いたところにある庭を、使用人に無理を言ってランプでライトアップしてもらったのだ。

殿下がそちらへ行くのが見えたら、こちらもルーシェを向かわせる手はずとなっている。

そして二人、特に殿下が見当たらないと騒ぎそうなテアとアデリナにこっそりバラを贈るのだ。

「少し席を外すが、寂しくないように殿下からこっそりこのバラを渡して欲しいと頼まれました」

などと適当に言っておけば、プライドの高いあの二人のことだから気持ちよく静かに殿下の帰りを待ってくれることだろうというわけなのだ。

この時、二人ともに全く同じバラを渡しては後々彼女らが自慢するときに角が立ちそうだったので、私たちはそれぞれの髪色に合わせたバラを用意していた。

茶髪のアデリナには黄色いバラを。

金髪のテアには赤いバラを。

後にどちらもバラをもらっていたとわかったとしても、ちゃんと自分のことを考えて選んでくれたのだと思ってくれれば殿下の顔も立つだろうと考えたのだ。まぁ殿下にはバラのことなど一言も相談していないのだけれども。

というわけで、アデリナとテアが黄色いバラを奪いあっている光景はあり得ないはずなのだが、どういうことかテアがアデリナに自分がもらったバラを奪われたと因縁をつけている。


ルーカスは本当に訳が分からないというふうに眉間にしわを寄せる。

「わからない。手はず通りにバラを渡したんだけど……」

「まさか二本とも同じ色だったんじゃないでしょうね?」

「ちゃんとテアには赤を、アデリナには黄色を渡したよ」

「じゃあ、なんであそこで黄色いバラを取り合ってるわけ?」

「うーん、なんでだろ」

「なんでだろじゃないわよ。このまま騒ぎが大きくなれば、ルーシェと殿下を出会わせるどころじゃなくなる」

「……大丈夫、僕に任せて、エミーリアはルーシェのところへ行って。殿下はもう庭にいるから」

「わかった。任せたからね」

二人で頷き合って、ルーカスはテア達の方へ、私はその騒ぎを遠巻きに見つめるルーシェのもとへ向かった。

途中、プチシューみたいな菓子を数個皿に取り分けていく。

ルーシェは不安そうに胸の前で両手を組み、所在なさげに争う二人を見る群衆の一部と化していた。

「今日はちゃんと来たのね、ルーシェ」

私の顔を見るなり、ぱあっと表情を明るくさせ、彼女はエミーリア!と私の名を呼んだ。

「ええ、今夜はちゃんと出るって約束したもの。エミーリアと約束してなければ、たぶん部屋に籠ってたでしょうけど……」

そう言ってはにかむ姿は昼間よりも儚げで、なんとも可愛らしい。

しかし少し無理をしているのか、顔色はあまりよくなかった。

「あなた顔色が良くないわ」

「そうかしら……」

「少し夜風にあたってきた方がいいのかも。ここは、ほら、なんだか空気というか雰囲気が良くないし」

周りに聞こえないように小声でそう言うと、ルーシェは苦笑いをする。

「そうね……。テア様もアデリナ様もどうしたのかしら?なんだか怖いわ」

「二人とも激しい人ですもの」

「まぁ!そんなこと聞かれたら私たちが怒鳴りつけられてしまうわ」

「大丈夫よ。だって私の方が偉いのよ?」

一瞬ぽかんとしたのち、ルーシェはふふふと強張っていた顔に少しだけ笑みをのせる。

よかった。これから殿下と出会ってもらうのに、顔が強張っていてはせっかくの魅力が減ってしまう。

テアとアデリナの方は彼女たちに殿下の代理としてバラを届けたことになっているルーカスが間に入ったことにより、少し落ち着きを取り戻している。

ように見えたが、興奮したテアがアデリナから唐突に割って入ったルーカスへ標的を映して激しく攻撃を始めた。

がんばれ、ルーカス。

未来の君はのらりくらりとはぐらかすのが得意な大人になっているから、きっと今の君にもその素質はある。それにキツイ物言いなら、普段から私で慣れているはずだ。

なぜテアが黄色いバラを自分のものだと勘違いしたのかはわからないが、ルーカスという生贄が機能しているうちに、私はルーシェの肩を抱いて人の輪から抜けてバルコニーの方へ彼女を導いていった。

「バルコニーから湖畔に下りて右に行ったところにちょっとした庭があるんですって。夜は明かりもついて素敵なんだそうよ」

そうとても素敵な場所で、ついでに言えば慢性的な胃痛に悩む殿下がおサボり中でもある。

今日の酒は度数が強いからさぞや胃が痛んでいることだろう。

「そんなところがあるのね!早くいきましょう。私、エミーリアとおしゃべりするのをとても楽しみにしていたの」

「私もよ。でもその前に、ちょっと化粧を直したいの。これを持って、先に行ってもらっててもいい?」

本当は化粧なんて直す必要もないし、治すつもりもないのだが、私が一緒に行ってはロマンチックさに欠けてしまう。

「ええ、もちろんよ」

なんていい子なのだろう。

私を疑うこともなく、ルーシェは菓子ののった皿を手にコマドリのような軽やかさでバルコニーを下りて行った。

なぜわざわざ菓子を持たせたのかと思うかもしれないが、私が事前に集めた情報によると殿下は意外と甘い物が好きらしいので、会話のきっかけくらいになるだろうと考えたのだ。


残る問題はすっかり興奮してしまったテアなのだが、こちらもルーカス相手にだいぶ発散できたのかやや勢いは落ちている。

そして姉が落ち着いたのを見計らって、レネが赤いバラを彼女へ差し出した。

私の位置からではレネが何と言ったのかは聞こえなかったが、テアの顔がみるみる真っ赤になっていくのだけは良くわかった。

「なんでもっと早く言わないの!」

そう怒鳴ってテアはレネの手から赤いバラをひったくる。

自分に贈られたバラの色が違ったことを理解したのだろう。

いったいどうするつもりなのか。

誰もが見守る中、彼女は何事もなかったかのように、けろっとした様子でアデリナににっこり微笑んで見せた。

「ごめんなさい、アデリア様。私、ちょっと勘違いしていたみたいですわ」

「勘違いですって?ここまで騒いでおいて……」

「殿下ったらどちらか片方だけにバラを贈ってくださればよかったのに。アデリナ様にも贈っていたなんて、本当にお優しいわ。ねぇ、アデリナ様、殿下が戻ってこられる前にあなたもバラが似合うように化粧を直したいでしょう?殿下にはこのことは言わずに、ね?だってそうしないと、私もあなたもバラごときで恐ろしい女だと思われてしまうわ」

「恐ろしいのはあなただけで、私は泥棒扱いされた被害者よ!」

「まぁそんなに声を荒げてはいけないわ」

今度はアデリナが顔を怒りで赤くする番だった。

しかし彼女が爆発してしまう前に、ルーカスが殿下にはとよくとおる声で言う。

「僕からお二人がバラを大変喜んで、ご自慢しあっていたと伝えておきます。他の皆様もそれでいいでしょうか?」

テアがにらみをきかせているので、異を唱えるものなどいるわけがない。

「ではそういうことで」

そう言い残して、テアはレネを連れてそそくさと控室に消えていった。

残されたアデリナも釈然としない様子ながら乱れたヘアメイクを整えに、テアとは反対方向の控室へ消える。

二人が完全に見えなくなって、遠巻きに見ていた参加者たちは面白い見世物だったとばかりに一斉におしゃべりを開始した。

ざっと聞いた感じ、テアのいつもの癇癪だという意見が多いようだ。

予定外の事態だったが、大ごとにはならなかったし、『王妃』に最も近いテアの評判も下げれたようだ。怪我の功名、みたいなものだろうか。

となればすぐにでも首尾を確認しなければ。

私は急いで、庭に行ったはずのルーシェと殿下の様子を見に、明らかにヘロヘロになっているルーカスを引っ張りバルコニーへ飛び出した。


結果だけ話すと、似顔絵作戦とか、お菓子作戦とか、喧騒から離れたロマンチックなライトアップの効果とか、いろいろな要素が相乗効果をもたらし、二人は私たちが想像していたよりもずっと親しくなったようだった。

「フリッツ殿下はよく胃のあたりを押さえてるし、王たらんと常に気を張っていて癒しを求めている。つまり、包容力のある女性を求めている!ああいう男はふわふわしていて自分が守ってやらないきゃと思わせるけれど、実は芯のある女にころっといくのよ!」

二人が見える茂みに潜んで、私はガッツポーズを取る。

自分でもわかるほどにテンションが上がっていた。

テアとアデリナが喧嘩を始めた時はどうなることかと思ったが、これは運が向いてきたのではないだろうか。

「そうなの?」

「そうとも!」

こちとら学生時代は数多の乙女ゲームに貴重な青春を費やした女だぞ!

ちなみにそのころの私は和風伝奇物にはまっていたぞ!どうでもいいな!

まぁルーシェは容姿も可憐だし、性格もあまり癖がない。身分だって王妃になるには少し低いかもしれないが、ありえないわけでもない。

権力への執着が見えるテアと、ちょっと粘着質っぽいアデリナの二人と比べれば、殿下だって心ときめかずにいられないだろう。

そうなるように雰囲気づくりだってこちらは頑張ったわけなのだ。

「ルーカスもご苦労様。おかげで上手くいってるみたい」

「じゃあ、ご褒美ちょうだい」

「ご褒美?」

暗がりの中で、ルーカスが頷くのが気配で分かった。

どうせ絵を描かせてくれとかそんなところだろうと高をくくって、快諾する。

「今晩、一緒に寝ていい?」

「……はい?」

一緒に寝るって、同じベッドに二人で寝るってこと?

かぁっと自分でも顔が赤くなるのがわかった。

ありがたいことに周囲が暗かったので、ルーカスには見えていないはずだが。

「大丈夫、変なことはしないから。添い寝みたいなものだよ」

「当たり前でしょうが!」

声が大きかったので、慌てて口を押えて息を殺す。

幸い殿下たちが気付いた様子はなく、穏やかに二人は微笑み合いながら少しぎこちなく会話を続けている。

「いや、でもなんでそんなこと……」

「おっと、そろそろテアと約束した時間じゃない?僕が見ておくから、エミーリアはもう戻った方がいい」

ほらほらと背中を押されて私は何やらもやもやしつつもボートハウスの中に戻った。

けれど、やっとテアと二人っきりで話しているというのに、今晩ルーカスと眠るということがちらちら脳裏によぎって全然集中できなかった。

テアはテアで先ほどのバラ事件があったためか調子が悪そうだったし、私はレトガーの人間としてテアに協力するという約束を確認してすぐにお開きになった。

本当はテアが『王妃』かどうかを見極めたかったのだが仕方ない。それは明日以降に時間を見つけてやるしかないだろう。

最悪『王妃』が見つからずとも、ルーシェが殿下に選ばれさえすればいいのだから。


「というわけで夜になったわけで、お前は当たり前のように私の部屋にいるわけなんだけど、本当に一緒に寝るの?いい歳した姉弟で?」

「うん」

うわぁ、なんて曇りなき眼。

すっかり寝る準備を整えたルーカスが同じく準備を済ませている私の手を引いて、ベッドに向かう。

あたかも毎晩しているかのようにルーカスは平然と横たわる。ちゃんと私が寝るためのスペースを開け、さぁ来いとばかりに目を輝かす。

落ち着け、私。

相手は所詮おこちゃま。

それに私ばかり戸惑っているのもなんだか恥ずかしい。

もぞもぞとルーカスの隣に寝っ転がり、まだ明かりを消してないために明るい天井を見上げる。

頭をごろんと転がして横を見てみれば、こちらに体を向けたルーカスと目が合う。

いつも目元を隠している重たい前髪が枕に流れて、綺麗な顔があらわになっていた。

「それで?これで満足?」

ルーカスは目元をほんのり赤くして、まさかと首を振った。

「僕の夢はね、一日の終わりとその次の日の始まりをエミーリアと一緒に、ずっと刻んでいくことなんだよ」

「……ふーん」

なんとまあ、いじらしいやっちゃ。


「エミーリアの夢は?もしあるなら僕に教えてよ」

「私の夢?」

生き延びること。

それは夢というよりも決意であり願望だ。

私に夢があるとすれば、それは生き延びた後にしたいことになるだろう。

ぼんやりと天井を見上げて、私はこれから先の遠いあるかもしれない未来で実現させたいこととは何だろうと思いをはせた。

柔らかな風と草のこすれる音。

誰にも何も押し付けられない穏やかな暮らしをしたい。

私はエミーリアじゃなくて、私として自由に生きて。

ふと絵の具の匂いが脳裏をかすめて、ふわふわとしたイメージが急に明瞭になった。

私は視線を天井から隣で寝転ぶルーカスに戻した。

そして彼の前髪をちょいちょいと前髪でいじって、両目が綺麗に見えるようにする。

なんだか私はずっと長いこと、日本に生きていたころから、こいつの顔ばかり見ている気がする。

「いま夢ができた」

「本当?」

「でも、秘密」

ふふふとたまらず笑いをこぼすと、ルーカスは呆気にとられたみたいに目を見開く。口が半開きになってちょっとアホっぽいけど、なんだか可愛かった。

「いつか教えてあげる」

「約束?」

「約束」

そして小指を繋いで、とりとめのない話をして、蝋燭が静かに燃え尽きるように私たちは眠った。

毎日こんなふうに終えるのならば、悪くはない。だから明日も頑張らないと。

でも、どうしてテアはバラを間違えたりなんかしたのだろう?



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