エミーリアの日記7
「それで何をしにきたのかな、お姫様は?」
お姫様、という一言に心臓がドッとはねた。
いやきっと、引きこもっていた私を揶揄して言っただけ違いない。自分が国王の存在しないはずの三番目の娘かもしれないと、敏感になりすぎているのかもしれない。
とはいえ出自次第では死ぬかもしれないので、聞きに来ましたなんて言うわけにもいかないし、その場のノリで上手いこと切り出そうくらいにしか考えていなかった私は、問いかけにどう答えたものかと言葉を探した。
「ああ、いい。当ててみよう」
公爵は立てた人差し指で唇をトントンと叩いてから、その指でルーカスをさした。えらく芝居がかった動きだった。
「お前がここに来たのはルーカスが切っ掛けだった、というのは確実だろう」
食事を続ける気がなくなったのか、公爵はナプキンを乱雑に畳んだ。それに続いて、長男のハロルドとルーカスも同様にする。
俯きがちのルーカスの口元はこわばっているように見えた。
「お前は自分一人の世界で満足していたはずだ。他者との接触を拒み、己の小さな世界で生きていくこと、それがお前にとっては最優先事項だったはず」
まさにその通りだった。
驚いて目を見張る私を見て、公爵は頷いて続ける。
「しかしそこにルーカスが現れた。ルーカスは自分に何も求めないお前にもちろん懐いただろう。そして逆にお前は他者に求められること、見つめられることを知った。それは自分という人間の輪郭を確かにしてくれるし、自己が発達すれば自然と欲が生まれる。そも欲望とは人間の本質だ」
やれやれといったふうにハロルドが首を振る。
公爵はテーブルクロスの織り目を一つ一つ数えるかのようにじっと見つめながら話し続けた。
「最も原始的な欲求は、生命の維持、身の安全に関することだ。そしてそれが満たされると、今度は他者とのつながりを求めるようになる。一人でいるよりも集団の中にいたいと望む。または他者を所有する、もしくは所有されたいという願望だ。それも満たされると今度は、承認の欲求が生まれる。これも一種の安心に基づいているのだと私は思っている。己が価値ある人間だと証明し認められることで、個体としての生命もそのぶん保証されるだろう?集団が危機に陥った時、まず最初に切り捨てられるのは最も集団に対して利益をもたらすことのできない存在だ。この優越性は人間に安心とちゃちな万能感を与える」
「父上」
ハロルドの呼びかけに、彼ははっと我に返り気まずそうに目線を反らした。
「ああ、ついつい自分の世界に入ってしまった。こういう話が好きで隙あらばしてしまうせいか、最近じゃ誰もまともにとりあってくれないから寂しくてね……。まぁ何が言いたかったのかというと、順当に考えればエミーリアが抱くであろう欲望は、ルーカスを自分のものにしたいという欲望なのではないかということがいいたかったんだね。所有の欲求だ」
カァッと顔が熱くなる。
「違います!」
とっさに怒鳴ってしまってから、こういう反応を返すこと自体が図星だと言っているようなものだと思い至り、あわてて深呼吸をして怒りをおさめる。
「私はそんな願望を抱いたことはありません」
「本当に?」
からかっているわけでも、馬鹿にしているわけでもなく、純粋に聞いているというふうだ。
「誰かを自分の所有物にしたいなんて考えること自体が間違っています。私たちはそれぞれが尊重され、調和をもって生きていくべきです」
基本的人権の尊重だ。
そんなの小学校の社会で習うようなことじゃないか!
この世界には小学校もなければ、日本国憲法もないけれど!
公爵は何が面白いのか、重たそうな腹を揺すって大笑いをする。
「尊重と調和と来たか!」
何か私はおかしいことを言っただろうか。
いたって常識的なことを言ったつもりだったのだが。
釈然としない気持ちで、向かいの席のルーカスやハロルドをうかがうが、彼は揃いもそろって人形のように表情なく公爵を見ている。
自分一人だけが感情的になっていて、酷く白々しい気持ちになってしまう。
「すまんすまん、私が予想していたよりもずいぶんと賢くまともなことを言うものだと思ってね。せいぜいミヒェル以下だろうと馬鹿にしていた。いやはや、驚いた」
「それはどうも」
「ははは、そう怒らないでくれ。その母親似の怖い顔でにらまれては、縮み上がってしまいそうだ」
母親。
似ているということは、もちろん産みの母親だろう。
そうだ、私はそれが知りたくてこんな所へ来たのだ。
なにも太めの食えないおっさんと小難しいことをおしゃべりするために来たわけじゃない。
「なるほど、望みは自らの出自を知ることか。あたりは……軽くつけてきているようだな」
めざとく私の変化を感じ取った公爵がなぜか困ったように微笑む。
なんだかいいように手のひらの上で転がされている感が否めないが、話題がそちらに転がるのは願ったりかなったりだ。
私が肯定の意味を込めて見つめると、公爵はこれまで見せてきた愉快犯的な様子から一転して、年相応の顔つきで小さくため息をついた。
「それを知ってどうする?もう閉じこもって生きていくわけにはいかなくなるぞ」
「はい。でも自分のことから逃げるのにも飽きました」
「飽きた、ね」
白けた様子で頬杖をついた彼の顔から、急速に私に対する興味が消えつつあるのがわかった。
「私はもう答えは言っている。そしてお前は自らこちら側にきてしまった」
「どういう意味ですか」
またもや難解な言い回しに、イライラしながら聞き返す。
たぶん私は試されているのだろう。どの程度の会話にまでついてこれて、察することができるのか。もしかしたら忍耐力も試されているのかも。
そう思わないとやってられないという気持ちもあるが。
嫌な感じ。
心臓の裏側がざわざわとする。
答えはもう言っている。
その一言があまりに不穏で、答え合わせをせずに逃げ帰りたくなってくる。
しかしもう賽は投げられた。いや、私自身が投げてしまったのだ。
「エミーリア、なぜ私がお前を引き取ったと思う。本来ならば生まれてすぐ殺されてもおかしくなかった。誰もお前の生誕を望んではいなかった。過ちなのだと。しかしお前には確かに価値がある。正確にはお前の血に。そしてその血は力ある者の間に、受け継がれなければならない」
どうしようもない流れにとらわれていくようだった。
ダメだ、流れを変えないと。
「私に結婚しろと?御冗談を。こんな教養もなく、どこの馬の骨ともしれない女になんの価値があると言うんです。私は贅沢は望みません。ほんの少しお金をいただければ、市井に放り出してもらってもかまわないとすら思っています。そしてできればルーカスとともに静かに暮らしたいと思っています。彼は絵を好きなように描いて、私も何かやりたいことを探して、そのうち別々に生きていくかもしれないけれど、仲の良い姉弟として……」
「馬鹿げた夢だ」
ぴしゃりと言われ、少し体が震えた。
長い間人に怒られるという経験をしていなかったので、久々に向けられる厳しい眼差しは想像よりもずっと恐ろしかった。
公爵の目はひたりと私を見据え、それからルーカスを見た。
この愚かな子供たちをどうするか思案しているといったふうに。
「馬鹿でも気狂いでもないと分かった以上、これまでと同じように好きにさせてやるほど私も世の中も優しくはない」
「私は私の好きなように生きるわ!出て行けというなら、出て行くと言っています!」
また逃げるのかと笑われたっていい。
都合のいいコマとして、結婚させられて、死ぬなんてとんでもない話だ。
この命にも、世界にも執着はないけれど、私にだって心はあるし、尊厳がある。それすらも手放した覚えはない。
「川を流れる木の葉は水の流れに逆らえないし、お前は特別な木の葉だ。それとも自分だけは特別なのだと、己の意志の力で思うままに生きていけるとでも思っていたのか?閉じこもって何も見ようとしなかったくせに?」
「私は……!」
何も言い返せなかった。
自分でも見ないようにしてきたことをズバリと言われてしまったからだ。
血の気が引いて手足の感覚が薄くなっていく。
言い返さないと。
ちゃんとこういうことを言われたらこう言って逃げようと考えていたのに、頭が真っ白になってしまって無意味に唇をぱくぱくと動かすことしかできなくなる。
「父上、僕が悪いんです。僕がエミーリアにお願いしたから」
「小賢しい茶々をいれるな、ルーカス。そんなものが父に通用するとでも思ったか」
公爵が言葉を発するたびに、ピシリピシリと凍った空気が割れていくようだった。
そして彼はついに決定的な一言を私に放った。
「弟に庇われるとは情けない。それでもまだ逃げるおつもりか、王女、エミーリア」
衝動的に私はナプキンをかなぐり捨てて、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がっていた。
そして制止の声も聴かず、ダイニングを飛び出した。
背後からルーカスの呼び声が聞こえたが無視して、大股で足早に進み続け、離れにたどり着く頃にはもうほとんど走っていた。
乱暴にドアを開けて、寝室に直行する。
そこが私にとっての安全地帯だったからだ。
「ふざけるな」
食いしばった歯の間から、そう絞り出すと目頭が熱くなってくる。
公爵は私を王女と呼んだ。
そして私の血にこそ価値があるのだとも言った。
つまり私は、公式には存在しないはずの王女なのだ
エミーリアは、『ライラックの君』の悪役であるベルンハルトの母親で、彼を産んですぐに死ぬキャラクターでしかなかったのだ。
もしかしたらそうかもしれないと覚悟はしていたつもりだった。
けれどいざそうなのだとわかって、私の心に去来したのは激しい怒りだった。
冗談じゃない。
勝手に転生させて、公爵の言うままに結婚して、ベルンハルトを産んで死ねと言うのか。
どうして私なんだ。
いつ私がそんなことを望んだって言うんだ!
「ふざけんな……!ふざけんな!ふざけんな!!」
手当たり次第に掴んだものを投げつけて叫ぶ。
どうして私がエミーリアにならなければなかったのだ。
どうして、私が、どうして……。
どうして、死ななきゃいけないのよ!
悔しくて、ムカついて仕方がなかった。
それはこの世界に対してであり、あのメタボぎみの公爵に対してでもあって、なにより今更嫌だと泣きわめくしかない自分自身に対してであった。
もしも神様みたいなやつがいて、私をエミーリアにしたのだとしたら、絶対に許さない。
ブッコロしてやる。
「エミーリア!」
怒りに身を任せて、まさに花瓶を床に叩きつけようとしていた私は、ルーカスの声が聞こえて少しだけ冷静さを取り戻した。
彼は私を追って走ってきたのだろう、肩で息をして、髪の毛も乱れている。
まるで嵐の夜に窓を開けっぱなしにしていたような部屋のありさまに彼は少し言葉を失っていたが、散らかった物を踏まないようにゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
そして私が振り下ろそうとしていたけれど途中でやめたために胸に抱えるようにしていた花瓶をそっと抜き取る。
昔から怒りをコントロールするのが苦手な性格だった。
とはいえこれは少々やりすぎたかもしれない。
ルーカスのおかげで少しずつ冷えてきた頭でそう思ったが、腹の底では熱いものがグツグツと煮えたぎっていた。
「エミーリア……」
花瓶を遠ざけて置いたルーカスは、なんと言葉をかけていいのかわからないようだったが、こんなヒステリックを起こした女の部屋に入れただけたいしたものだと思う。
それだけ私のことを心配してくれたと思っていいのだろうか。
ルーカスの手が私を求めるように、こちらに伸びてくる。
ルーカスは私のことを……。
「ダメだ」
何か良くない方向に傾きかけた心を正すべく頭をぶんぶんと振って、私は彼の肩を掴み自分から遠ざけた。
これ以上この子と関わってはいけないと思った。
どうせ私はよく知りもしない男と結婚させられて、子供を産めば死ぬ定めなのだ。
深く関わってお互い傷つく必要はない。
それに私がどうこうせずとも、ゲーム内のルーカスは初恋の彼女と出会うし、自力で家から逃げて画家になっていたではないか。
その後の彼の人生をヒロインが救ってくれることを願って、私は死ねばいい。
もう何も考える必要はない。
ああ、馬鹿馬鹿しい。
本当に、何もかもが、馬鹿馬鹿しい。
「気分が悪いの。出て行ってくれる?」
突き放すように肩を離すと、ルーカスはポカンと口を開けて私を見上げた。
とてもショックを受けているのか、明かりのついていない室内でも顔面の白さが見て取れる。きっと私も決して良い顔色をしてはいないことだろう。
「でも……」
「出て行って」
いつまでも動こうとしないことに業を煮やして、私は彼の腕を掴んで寝室を出た。
そして暖炉脇に置いてあった絵画道具を乱雑につかんで押し付ける。
「え、え」
「もう二度とここには来ないで」
胸が張り裂けて死んでしまいそうだった。
自分自身を殴り殺してやりたい。
浅はかで、愚かで、都合のいい夢を見た自分が恥ずかしくて仕方なかった。
そう、都合のいい夢だ。
あの夜の底のような浴室で、愚かにもルーカスと生きていく未来を期待してしまった。
彼と二人で自由に生きていけるのではないか、なんて安直にも思ってしまった。
私がもうすぐ死ぬことはほとんど決まっているというのに。
「僕、ここ以外に居場所なんてない。何か気に障るようなことをしたなら謝るよ。絵の具の匂いが嫌だっていうならもうここでは使わない。だから……」
「そういうことじゃない」
「やだよ、エミーリア」
「私はこれ以上君といてもつらいの。だからもう来ないで」
ルーカスに対して怒っているわけないのに、持て余した感情のせいで、ついついきつい言葉が出てしまう。
触れるもの全部傷つけないと気がすまない、そんな感じだ。
自己嫌悪で死にそうになっていると、ルーカスがぼろぼろ涙をこぼしながら私の手を握ろうとした。
「触らないで!」
反射的に手を払いのけて、凄まじい罪悪感に襲われる。
振り払った手がピリピリと痛んだが、私は謝らなかった。
落ちこぼれと家族に冷ややかな目で見られ、居場所もなく、こんな寂れた離れでしか好きなように絵を描くことすら許されない少年を私は突き放そうとしている。
それもこれもこの少年が私の愛したルーカスだからなのだ。
だからこそ、もうこれ以上関わってはいけない。
その結果がルーカスを不幸にするものだったら、私はきっと後悔するし、責任をとることだってできない。
だってそのころには死んでるんだもの。
「お前は私に関わるべきじゃなかったのよ」
「どうしてそんなこと言うの?僕はエミーリア以外の人間なんてみんな大嫌いだ!」
こんなふうに声を荒げる彼は初めてだった。
驚いて目を丸くする私の服の裾を掴んで、ルーカスはぼろぼろ涙をこぼす。
「父上は僕が一番自分に似ているって言って、僕は楽しくなんかないのに次から次に政治の勉強から戦い方までなんでもかんでもやらされて、そのせいで兄さんたちからは鬱陶しがられて、僕はただ綺麗なものを見ていたいだけなのに。綺麗なものをみんなに見せたいだけなのに……」
「なら、なおのこと私とは関わるべきじゃない」
「……エミーリアが王女様だから?」
「そうよ」
おそらくルーカスが思う理由と、本当の理由は違うのだけれど。
まだ彼が服の裾を離しそうにないのを見て、私はさらに突き放すことにした。
「ねぇルーカス。私は夢を見ているの」
「夢?」
「そう、夢。この世界は私にとってはただの覚めない夢なのよ。だから自分が死のうが、君がどうなろうがどうでもいいの。だって夢なんだから」
「僕もあなたの夢の一部でしかないって言うの?」
「そう。だから消えてちょうだい」
ここまで言えばさすがに呆れて、私のことを見放すだろう。
夢だからお前のことなんかに興味はない、と言ったようなものなのだ。きっと嫌な気持ちになったに違いない。
私の予想通り、ずっと引っ張られていた服の裾の感覚がなくなる。
俯いた彼のつむじを泣きそうになりながら見つめていると、がばっと勢いよく彼が顔を上げたので驚いて仰け反ってしまった。
ルーカスは涙をこらえるためか鼻息を荒くしながら、道具箱を床に広げ適当な筆を取り出した。
「誰かがあなたの命を狙うなら、僕が必ず守ります。この世界があなたにとって一時の夢で、僕がその登場人物に過ぎなかったとしても、僕はこの命の限りあなたを守って、幸せにしてみせます。あなたは誰よりも綺麗で、僕はあなたが好きだから」
ルーカスは筆を両手で握って、顔を真っ赤にして手に力をこめる。
バキッと筆の折れる音がして、無残にも真っ二つになった筆が床に転がった。
「なにしてるの!?」
慌てて筆を拾おうとした私の手を掴んで、ルーカスははきはきと大声で言う。
「そのためなら絵の道もあきらめます。僕は誰よりも強くなります」
長い前髪は乱れて、目があらわになっていた。
黒曜石みたいな瞳がまっすぐに私を見つめている。
「だから僕を拒まないで」
力強い瞳に見つめられて固まっていると、そっと頭を引き寄せられて抱きしめられた。
首筋ですんすん鼻をならす生き物の呼吸を聞いているうちに、いじけて勝手に憤っていた自分が酷く馬鹿馬鹿しく思えた。
私はルーカスよりもずっと子供で、情けない人間だ。
観念して彼の小さな頭を撫でて、柔らかな髪を梳いてやると、抱きしめる腕がきゅっと締まるのがわかった。
「君も私に逃げるなって言うわけね」
「わからない。エミーリアが逃げたいなら僕が逃がしてあげるよ。戦うなら僕が何でも殺してあげる」
過激な発言にふっと笑いがこぼれた。
「前髪小僧のくせに何言ってんだか。……君はただ私が挫けないようにちゃんと見ててくれればいいから」
そっとルーカスを引きはがして、今度こそ床に転がる折れた筆を手に取る。
「馬鹿者。私のためを思うなら筆を折っちゃだめでしょうが。私はルーカスの絵が好きなんだから」
「うん」
「本当に馬鹿なんだから」
「うん。だから傍にいて。お願い」
私はその願いに頷くことはしなかった。
その代わり今度は自分から彼を抱きしめた。
「ルーカスは私に生きていてほしいって思う?」
「当たり前じゃないか!」
「そっか」
まだ間に合うだろうか。
私は未来を変えられるだろうか。
ああ、考えるだけで面倒くさいし、何をしたらいいかなんてとんと見当もつかない。とんでもない失敗をしてしまいそうで、いまから怖くてしかたない。
こんなの砂漠に放り出されて生きて帰るみたいなもんだ。
それでも私が生き続けることをこんなにも願ってくれる人がいて、それが私にとっても大切な人ならば、私はとにもかくにも歩き出さなければならないのだろう。
「さっきは酷いこと言って、手を払ったりしてごめん」
「うん。ちょっと痛かった」
「ごめん」
「……いいよ」
鼻の奥がつーんと痛んで、眼球が熱を持つのがわかった。
ルーカスが漏らす嗚咽が胸骨に響いて、まるで彼と一心同体になれたような気分だった。
そのうちゆらゆらと世界は歪んで、ぽろぽろと涙が勝手にあふれた。
これからはちゃんと生きていかなきゃならないんだ。
それはきっと苦しくて痛くて、どうにもならないことに心がぐちゃぐちゃにされてしまうことだけれど、それでも私は夢を見ていたい。
ぼんやりとした輪郭のない生きているのか死んでいるのかもわからなくなるような夢ではなく、ルーカスと二人で生きていくという夢を。
抱きしめたルーカスの体温は少し高くて、痛いくらいに生きている心地がした。
Twitter(散茶@santya_syousetu)にて「婚約者が悪役で困ってます」のバレンタイン小話(似非日本風与太時空パロ、つまりおふざけ)公開中です。お暇でしたらのぞいてやってください。




