エミーリアの日記1
どうも、お久しぶりです。散茶です。
新おまけ、エミーリアの日記始まりました~!長さは中編程度の予定です。
そしてなんと!!
この度、12/7より『婚約者が悪役で困ってます』がゼロサムオンライン(http://online.ichijinsha.co.jp/zerosum)にて、コミカライズが決定&連載開始します!!!
いつも応援してくださる皆様のおかげです!本当にありがとうございます!
新おまけ&コミカライズ合わせて、これからも『婚約者が悪役で困ってます』をよろしくお願いいたします!
それはエルメンヒルデをベーレへ送り届け、修道院までライラを尋ねに行った旅行から帰ってきて、数日が経ったうららかな冬の日のことだった。
リジィの両親が住むタウンハウスに戻ってきた僕らは、旅の疲れをいやすとともに、結婚式や結婚後のことを少しずつ考え始めていた。
とはいえまだしばらくルーカスからは休んでいていいと言われたので、たいして忙しいわけでもなく。
暇を持て余していた僕とリジィは、この日、二人でボードゲームをしていた。
チェッカーという遊びで、斜めに駒を動かし、飛び越えた相手の駒を取っていくルールだ。相手の駒を全滅させるか、自分の駒で動かせるものがなくなれば勝敗が決まる。
リジィはそう弱くはないのだが、詰めが甘いのでいつもいいところまで行って負けてしまう。
わざと負けると、手を抜いたことを敏感に感じ取って不機嫌になってしまうので、いまのところ僕の連勝が続いていた。
「子供のころ、お父様とよく遊んでたなぁ」
「チェッカーで?」
ふふふとかわいい思い出し笑いをして、リジィは自分の黒い駒を動かし、僕の白い駒を一つ取る。
「お父様ったら凄く弱くて、相手にならないって私怒ったの。でも今思うと、あれってきっとわざと負けてくれてたんだなって。ほら、お父様ってなんだかんだで私にあまあまじゃない?」
「かもしれないね。今度勝負に誘ってみたら?」
「でも本当に弱かったらかわいそうだから、わざと負けてくれてたことにしておいたほうがいいのかも。それかもしかしたらベルンより強くて、全勝しちゃうかも」
チェッカーではプレイヤー同士の実力が伯仲していて、双方が最善を尽くした場合、必ず引き分けになる。僕も子供のころ頭の体操だと、ルーカスと何回か遊んだことがあるがほとんど引き分けになってしまったことを思い出した。
だけれどリジィの父親相手なら負けてもいいと思うので、適当にそうだねと相槌を打っておく。あのいかにも人のよさそうな侯爵が僕は好きなのだ。
僕は自分の駒で黒い駒をひょいと跨ぐ。そしてもう一つ跨いで、二つの駒を取るとリジィはぐうっとうなった。
下唇を突き出して思案する顔を見ていると、キスしたい気持ちがむくむくと湧き上がってくる。
修道院の帰りに初めてキスしてから何度かしたけれど、その前からずっとしたいと思っていたし、僕だって男だから一度できたらもう一度って何回でも思ってしまう。
ぼんやりと小さな唇を見つめていると、彼女が何?と顔を上げた。
「キスしたいなって」
「……しません」
「ダメ?」
「ダメ」
しょんぼりすると、それ禁止ねと言われた。
どれが禁止なのかわからずにきょとんとしていると、リジィはころころと愉快そうに笑うのでつられて笑ってしまう。
こんなふうに輪郭のない柔らかな時間がいつまでも続けばいい。
彼女といるといつもそんなことを思うのだ。
「楽しそうにしているところ悪いけど、お二人さん、そろそろティータイムにしない?」
遊戯室に湯気の立つ紅茶とともにやってきたのは、リートベルフ夫人だった。
今のところまだ結婚前なのでレギーナ様とは呼んでいるが、彼女はいつもお母様でいいのに~と娘よりも伸ばし気味な語尾でそう言う。
僕は正直、この人がちょっと苦手だ。
嫌いだとか関わりたくないとかいうわけではなく、ただ単に母親という人種とどう関わればいいのか、どう受け答えしたらいいのかわからない。
物心ついたころには本当の母は死んでいたし、義母ともまともに会話したことすらないのだ。
「じゃあ、このゲームは保留ね!紅茶を飲んでる間に一発逆転の一手を思いつくかもしれないし」
自分がこのままでは負けることはさすがにわかっていたらしい。たぶんリジィは今盤上の右側に気を取られすぎているから、そこさえ気を付ければもう少し勝敗は長引くかもしれない。
「期待してるよ」
「ちょっとー、なんか馬鹿にしてない?」
「してないしてない」
不服そうな頬を突くと、やめろと手を叩かれた。冷たい。
付け合わせのクッキーには、ナッツが練りこんであり、噛む度にアーモンドやヘーゼルナッツの硬い触感が心地いい。
今日は比較的暖かいので林檎の香りのお茶にしたというレギーナの思考はよくわからなかったが、クッキーとの組み合わせ的には最良だと思われた。
学園に通う前まではこうして三人でお茶会をすることなどなかったのだが、学園に入学して僕たちが大人に近づくにつれて、今後家族になっていくことを見越してかこのような場が設けられることが増えていった。
時にはリジィの父も交えて四人でテーブルを囲んだりもする。
リジィの両親はさすが彼女を育てた人たちとでも言うべきか、礼節だとかそういったものには寛容だったので、そう気を張る必要もなかったのだが、それでもやはり緊張するものはする。
気に入られる立ち振る舞いに徹するのが一番楽なのだろし、簡単なのだが、彼らの前でそういうことをするのはなんだか凄く嫌な事だった。
今のところ、リジィとレギーナは今年の冬、王都で流行っているファッションの話で盛り上がっていて、男である自分の入る余地もない。
こういう時は意見を求められたときに無難な答えを返しておけばいいから、気が楽だし、なにより楽しそうなリジィを見るのは精神健康上非常に良い。
「そうそう、ベルンハルト君の春用のお洋服もそろえなきゃねって話をしようと思っていたのよ!」
「いえ、僕のことはお構いなく…」
「そんな寂しいこと言わないでちょうだいよ」
「そうよ。私とお母様が一緒に似合う服探してあげるから」
ねー!と顔を見合わせる二人に、たじたじになって僕はあいまいに空笑いを返すしかない。
「ベルンっていつも黒い服着てるから、たまには色物のベストとかいいと思うの」
「そうね。グリーンとかいいんじゃないかしら?若いからモスグリーンじゃなくて、もっと発色の良いものでもよさそう。お父様と違って、何着ても似合いそうだから絶対楽しいわよ~!」
「いえ、その」
「……あ、もしかして嫌だった?」
不安そうにのぞき込んでくるリジィに慌てて手を振る。
「嫌とかじゃなくて」
どうしたらいいのかわからないのだ。
盛り上がっていたのに水を差してしまったようで悪いなと思っていると、レギーナに名前を呼ばれた。
彼女は普段通りのにこやかな顔に、少しだけ真剣な様子をにじませていた。
「ねぇ、ベルンハルト君。あなたは私の息子になるから、私はあなたについついかまってしまうけれど、嫌なときは嫌だと言ってくれていいのよ。でもそうね……構えないのはやっぱり寂しいから、できればこれも親孝行だと思って付き合ってくれないかしら?」
「……はい。もちろん」
親孝行なんてものとはとんと無縁で生きてきたので、なんだか新鮮な響きだった。
「そういえば、ベルンのお母さんってどんな人だったのかな」
「それって、僕の産みの母のこと?」
「そう。エミーリアさん」
先ほど親孝行の話が出たからか、ゲームで完敗してふてくされていたリジィはそんなことを唐突に言った。彼女はエミーリアという名を慎重そうに口にして、僕の反応をうかがい見る。
まるでエミーリアという名前が、触れがたい話題であるかのように。
駒を初期位置に戻しながら、僕は母の姿を思い描こうとした。
黒い髪に、灰色の瞳。
僕の顔は母によく似ているのだと聞いたことがある。
けれど母の姿は濃い霧の向こうにあるように判然としなかった。
「僕も母のことはよく知らないよ。詳しく聞きたかったら、叔父上に聞くのが一番だ」
「そうそう」
なぜだろう。
今、ルーカスの声がやけにはっきりと聞こえたような。
「なんか、今、ルーカスの声しなかった?」
幻聴ではなかったらしい。
二人で慌てて部屋の中を見回すと、開きっぱなしだった扉口からひょっこりと紫のぼさぼさ頭が現れた。
「やっほー」
「ぎゃー!?」
椅子から飛び上がって、リジィはお化けでも見たみたいな反応をする。
実際お化けみたいなもんだから、彼女の反応は正しい。
「な、なんでいるんですか!?」
「ちょうど昨日から学園が冬休みに入ったから、来ちゃった」
「来ちゃったって、そんな付き合いたての彼女みたいなこと言われましても」
「いやぁ、この間は災難だったね。全く君たちはなんやかんやトラブルに巻き込まれるんだから、僕は心配だよ」
「面白がってるの間違いじゃないですか?」
「あははは」
リジィは口では嫌がりつつもルーカスに椅子を勧め、メイドになにか温かい飲み物をもってくるよう言った。
いくら今日は比較的暖かいとはいえ、外は冷えたのだろう。ルーカスは手のひらを軽くこすり合わせる。
「叔父上、今日はどんな用事で?」
「ん?用事とかは特にないよ。学園が休みになったから実家に顔を出す前にこっちに寄っただけ。そうしたらリートベルフ夫人が二人は遊戯室にいるからって通してくれたんだ」
こんな見るからに怪しい男ですら家にほいほいあげてしまうのだから、リートベルフ夫人は懐がやや広すぎるのではないだろうか。そういう無防備なところは娘に似ていて、少し心配になる。
「そっか、学園はもう冬休みなんだ」
夏に決着がついたエドウィン王子の婚約者騒動で、現在休学中のリジィは何か思うところがあるのだろう。
少しだけ遠い目をしてそう呟いた。
来年の春から復学するという手もあったが、静かな学園生活とはいかないだろうということで、新年度が始まる前に正式に退学することになっている。それについてはさすがに申し訳なく思う気持ちもある。
「ローヴァイン先生が君の退学を嘆いていたよ」
「ローヴァイン先生って数学のですか?」
「リジーア、君、数学の成績がかなりよかったらしいじゃないか」
「そういえば確かに、リジィは数字には結構強いよね」
「え、そ、そうかなぁ」
褒められて照れているのか、リジィは少し赤くなった頬を両手で隠した。
「昔、結構勉強したからね」
昔。
昔っていつのことだろう。
僕らは比較的ずっと一緒にいたけど、彼女がそこまで数学に打ち込んでいる姿は見たことがない。外国語であるカヴァルカ語に苦戦していた記憶はあるんだけれど。あとダンスも。
そこで彼女の言っている昔が、僕の知る昔ではないのではないかとようやく気が付いた。
旅の途中で僕らは珍しく喧嘩をしたのだが、その時リジィが打ち明けてくれた彼女の秘密の過去、前世というもののことを言っているのかもしれない。
話を聞いた限りでは、生活水準も教育水準もかなり高い世界だったようだし。
まぁかなり荒唐無稽な話であったとは思う。
それでもリジィがあんなに悩んで泣いて、そして打ち明けてくれたのだから嘘なわけがない。
ならば僕はそれを信じるしかない。
たとえ理解するのが難しかったとしても。
「そういえばエミーリアは結局学園には一度も通わなかったな」
ルーカスはメイドが運んできた生姜の香りがする茶で唇を濡らして、空中をぼんやりと見上げていた。
まるでそこに母の面影が残っているかのように。
「そうなんですか?」
「いろいろと込み入った事情があったし、それに頭もよかったから確か試験だけ受けて通学は免除されていたはずだよ」
「へぇ。やっぱりベルンのお母さんだから頭もよかったんですね」
なんだかそういうことを言われると変な感じがする。
自分と母のつながりは極限まで薄くて、母から自分が見た目以外の何かを受け継いでいるなど考えたこともなかったからだ。
「エミーリアのことを知りたいなら、僕がいくらでも話してあげてもいいんだけど」
「その話、すごく長いでしょう?」
「長いねぇ。だっていくらでも話せるから」
「そこまで来ると、もはや恐怖ですよ」
僕が口を開くでもなく、リジィとルーカスはぽんぽん会話を進めていく。
リジィはいつもルーカスが来ると嫌がるけれど、たぶん仲はいいのだろう。
ルーカスやカテリーナといった僕の数少ない家族とリジィが仲良くしてくれるのは、とても嬉しい。
けれど少し面白くないと思う時もある。
元来話し好きでもない僕は、よく会話に乗り遅れてしまうからだ。
現に今も僕が考えていることを言う暇もなく、話はどんどん進んでいっていた。
「なら彼女が暮らしていた離れに行ってみるかい?」
「離れ?」
「彼女がブルンスマイヤーに嫁ぐまで暮らしていたところ。彼女の部屋もまだ残してあるはずだし、この季節なら彼女の好んだ景色も見られる」
「レトガーの屋敷に離れが?」
片手で足りる回数しか訪れたことのないレトガーの屋敷を思い浮かべ尋ねると、ルーカスはそうだよと頷く。
公爵邸なだけあって敷地はかなり広く、離れの存在は知らなかったが、あったとしても何もおかしくはないが。
「公爵にも顔を見せたらいいんじゃないかな?あの爺さん腹の中は真っ黒な狸だけど、ああ見えて身内との交流は好きな人だからね。喜ぶと思うよ」
「忙しいのでは?」
「うん、まぁそれもそうだね。都合が合えばでいいだろう」
ちらちろリジィを見ると、彼女はなにやら必死に考えこんでいるようだった。
しばらく悩んでいた様子だが結論ができたのか、ちょんちょんと袖を引いてくる。
「私は離れに行ってみたいんだけど、ベルンはどう?」
何をそんなに不安がっているのだろう。
怪訝に思いながら、僕は彼女を安心させるように微笑みを浮かべる。
「リジィが行きたいならいいよ」
「そうじゃなくて……。ベルンはお母さんのことあまり好きじゃないみたいだから」
なんだか凄く意外な言葉だった。
そんなふうに見えていたのだろうか。
確かにあまりいい感情は持っていないけれども、だいたいにして僕は。
「好きとか嫌いとか考えたことないよ」
「そうかなぁ」
リジィはじっと僕の目を見つめて、何故か納得のいかないふうに首を傾げる。
別に嘘なんかついてないのに。
そんな僕らの様子を見て、ルーカスがよし!と大きな声を上げた。
「二人とも、離れに泊まりに来なさい。そこで僕からエミーリアについて、うんと真面目な話をしてあげよう。もうベルンハルトも大きくなったんだし、リジーアも自分の将来の夫の母親のことくらい知っておきたいだろうしね」
「僕は……」
僕は別に母のことを知りたいなどと思わない。
むしろほとんど知らないからこそ、今まで悪感情も抱かずにいられたのだ。
そしていままで母のことを知ろうとしなかったのは、詳しく知れば知るほど僕は彼女のことを嫌いになってしまうだろう、そんな予感があったからだった。
「行こうよ、ベルン。ね?」
そんなふうに言われたら嫌だなんて言えないじゃないか。
「……君がそう言うなら」
こうして僕は気乗りしないながらも、母の暮らしていた離れとやらに行くことになったのだった。




