仮面舞踏会の幽霊 終
「悪かったとは思っているよ」
本当かなぁ。
そんな疑惑の眼差しを向けると、ベルンはごめんと項垂れた。
私たちはホールの端に置かれている椅子に並んで腰かけていた。周囲一メートル圏内には他の人が入れないように、警備が二人立って、見張ってくれている。
はたから見ると、男女が物々しい雰囲気の中おしゃべりしている図ができあがっていることであろう。
私はカテリーナのドレスから自分が着てきたドレスに着替え、仮面も予備のものを貸してもらったが、ベルンは謎の白髪の男のままだった。
いつも黒づくめの彼が、髪も服も白いというのはなかなかに面白い状況だったが、なんだか知らない人と一緒にいるみたいでちょっと落ち着かなかった。
どうして仕事で来れないはずのベルンが、この場にいるのか。
説明および釈明を求めた私にベルンが語った内容を、以下に簡潔に述べたいと思う。
とはいえまぁ、少し考えれば見当もある程度つくだろう。
この仮面舞踏会に紛れ込むことこそが、彼の今夜の仕事だったというわけなのだ。
あのレオンハルト(笑)はいまや衰退した元王妃派で、いまは中立派のとある伯爵の息子なのだそうだ。
しかし父と子で思想が違うというのはよくある話で、彼自身は宰相を支持し、その意向に従う者であった。
彼は仮面で顔が隠れるのをいいことに、正体を隠したままカテリーナを誘惑し、良くて操り人形、最悪スキャンダラスな出来事を演出してやろうという心づもりで今夜忍び込んだのだ。
それが宰相派からの指示だったのかはまだわからないが、まぁおそらくはそうなのだろう。
なぜなら彼が持参した招待状のあて名は、彼本来の名前ではなかったのだから。
そしてもう一つ重要なことは、カテリーナたちはそういうやからが来ることを承知したうえで、というかむしろ誘い込むために仮面舞踏会を開いたということだ。
自分たちと敵対する、悪意を持った何者かが、入り込みやすい隙をわざと作り、誘い込み、あぶりだす。
それが今夜の本当の目的だった、というわけだ。
ちなみにレオンハルト(笑)はこのあと「教育」して、情報を吐き出すだけ吐き出させて、あわよくばスパイもどきにするそうだ。
どういう「教育」が施されるのかに関しては、ちょっと聞きたくない。肉体的にも精神的にもあまりむごくないことを願うばかりである。
というわけでこの仮面舞踏会は、レオンハルト(笑)のような敵を誘い込んで捕まえるために開かれたものだったのだというわけで。
もちろんこのことを、関係者は全員知っていた。
関係者というとカテリーナ、イオニアス、ダリウス、ベルン、そして果てにはブルンスマイヤー家の使用人の一部までを含む。
もうやだ。
この世のなにも信じられなくなりそうだ。
というか教えてよ~!
まぁた、一人だけ何も知らないで浮かれてたじゃん!
はぁ、恥ずかしい……。
「そういえば最初にこの格好で、私にバラをくれた人はベルンじゃなかったよね。あれは誰だったの?」
「誰だと思う?」
突然のクイズ形式に、ちょっといらっとする。
こっちが聞いてんでしょうがー!と言いたかったが、なんだかそれはそれでアホらしいことのような気がしてやめた。
確か瞳の色は黒だった。
ベルンの着ている衣装は、あの変な人が着ていたものと同じであることは間違いないようだし、袖が短くも長くもないところを見るに体格も近いのだろう。
それにこうやって私に誰だと思う?と尋ねてきたということは、私の知っている人であるはず。
この仮面舞踏会の裏の目的に関係してそうな、正体を隠さなければならない人で、私にバラを贈りそうな人。
となると、一人しか思いつかない。
「ああ、なんだ。ルーカスね」
正解だという代わりに、ベルンは大きく頷いた。
「僕は給仕のふりをしてフラフラしていたんだけど、叔父上が君とカテリーナが入れ替わったみたいだって言うから、衣装を交換してもらったんだ」
「その節は色々な方にご迷惑をおかけしたようで、申し訳なく思っています…」
ええ、もう、本当に。はい。
「いいよ。何も教えていなかった僕も悪いし、カテリーナだってしっかりしてきたと言えまだ十七だ」
あなただってまだ十九じゃないとは思うが、口には出さなかった。
それを言えば、私なんてもはや何歳なのかよくわからない状態なのだ。
「バラをくれたのがルーカスだとして、私がその前に男の人に絡まれていた時に引っ張って助けてくれたのって…」
「僕だね」
「…ねぇ給仕のふりをしてフラフラしていたって言っていたけど、まさか私の監視?」
「いや」
即座に否定したものの、長い沈黙の後。
「……まぁ気にかけてはいたよ、もちろん」
衛星みたいに一定の距離で、つかず離れずしてたのだろうか。
うーん、仕事の邪魔をしてしまったようで、いよいよ申し訳ない気持ちになってくる。
「…ちなみに聞くけど、なんで何も教えてくれなかったの?」
「楽しみにしていたみたいだから、知らない方が純粋に楽しめるだろうと思って…」
そんなにしょんぼりしないでよ~。
「怒ってる?」
「怒ってません」
むしろ悪かったなとすら思っている。
だからその、本当?本当に怒ってない?ってちらちら私の顔をうかがうのをやめなさい。かわいいから。
私が怒っていないことに安心した様子でベルンは背もたれに体を預けて、気が抜けたように脱力した。
それからちょっと今度はこちらを咎めるような目をして言う。
「僕の言った通りだっただろう?」
「何が?」
「仮面舞踏会なんて下心を持った奴ばっかりだから、危ないよって言ったこと」
「そんなこと言ってったっけ?」
「はぁ…これだもんなぁ。僕が気を付けろって言ったって意味ないし、当然のように変な男に絡まれるし、何がどうなってかカテリーナと入れ替わるし」
「ごめんね」
ついつい掌を合わせて、下から覗き込むようにして謝る。
ベルンはちょっと拗ねたような顔をした。
「まさかダリウスなんかに君を任せる日が来るとは思わなかった」
ダリウスなんか、ねぇ。
ベルンは相変わらずダリウスを目の敵にしているけれど、彼は本当に嫌いな相手とは会話すらしたがらないだろう。ましてや一緒に仕事をして、私を任せるなんてこと、信頼してなきゃするはずがない。
あ、そういえば。
「ダリウスが婚約したって聞いたけど、どんな人なの?」
「あいつの婚約者?…ああ、たしかまだ正式じゃないけど、ヴァイス候の娘と婚約する予定かな」
「ヴァイス侯爵って、冬に私たちが寄ったところだよね?」
「うん」
ヴィオラやアロイスが幽閉されている嘆きの孤島や、ライラが暮らしている修道院へ船が出ている港町があったのが、ヴァイス侯爵領だ。たしかダリウスの実家であるヴェーナー伯爵領への唯一の定期便が出ているのもこのヴァイスだ。
馬鹿な私にも、政治の匂いがするのがわかる。
「どんな人なのかしら」
ダリウスってデリカシーが無いから、相手の人に失礼なことを言ってやしないだろうか。
主に、これは政略結婚だからな!とか相手の女の人に宣言していそうで、心配だ。
「さぁ。僕も良く知らないけど、まだ二歳だし」
「へぇ~」
二歳かぁ。
…二歳!?
え?十二とか、二十二ではなく、二!?一足す一の二!?
「二歳!?」
「うん、たぶん」
「それって…」
どうなの?
という私の声にならない疑問というか非難というか、そういうものにベルンはまぁありなんじゃない?と緩い返答をした。
あり、なのか…?
だってダリウスって私と同い年の十六だから、じゅうよんさいさ……。
どうりでいくら聞いても答えなかったわけだ。
だって二歳とか、もうロリコンとかそういう話じゃない。
「向こうから持ち込まれた話だし、ヴァイス候を味方につける意味で、あいつは断らないだろう。一度会いに行ったら懐かれて困ったとまんざらでもない感じだったよ」
「ええ~」
まぁ、ならいい、のかな。
うん、いいんだろう。
歳の差二十とかの夫婦も全くいないわけではないし、大切なのは本人たちが仲良くやっているかどうかだ。
なんだかんだでダリウスは良い奴だし、あの生意気な男がうんと年下の女の子に振り回される未来を想像するのはなかなかに愉快である。
「君は本当にダリウスが好きだね」
「そうかな?まぁ友達だし…」
「ふーん、友達。友達ね」
おや?
おやおやおや?
「もしかして嫉妬してる?」
「嫉妬?」
ぽかんとしたのち、ベルンはぶわっと赤くなった。
無自覚だったらしい。
うーん、可愛いから、今夜一人だけ何も知らされていなかったことは許してあげるか。
それにずっと私もカテリーナと入れ替わるという余計なことをしてしまったし、なんだかんだ影から守ってくれていたみたいだし。
照れているらしいベルンをつっついたりして遊んでいると、ふっと急に静かになった気がした。
それまで途切れることなく奏でられていた音楽がやんでいたのだ。
少しの間、あたりは人々が談笑する声と衣擦れや、皿やグラスがカチャカチャなる音で満たされた。
そして細くたなびくように、これまでの明るく調子のいいものと打って変わって、穏やかで落ち着いた曲が流れだす。
仮面舞踏会も終わりに近づいていた。
「カテリーナはどうしているのかしら」
「目的は果たしたから、まだイオニアスといっしょなんじゃないかな。ラストダンスまでにはカテリーナとして戻ってきてもらわないと困るけれど」
「そっか」
まぁカテリーナはああ見えて責任感のある人だから、ちゃんとこの夜会の主人として戻ってくるだろう。
おもむろにベルンが私の正面にたち、体を屈めて手を差し出した。
「リジーア姫、私と踊ってくださいませんか?」
「あら私、夫から知らない人と踊ってはいけないと言われているのだけれど」
「うっ」
ダメージを受けたとばかりにベルンはよろめく。
明らかに嘘っぽい仕草がおかしくって、私はカラカラ笑った。そして彼の手を取って、立ち上がる。
「うそうそ。さ、踊りましょう。うかうかしていたら曲が終わっちゃう」
ホールには仮面をつけたたくさんの男女が踊っていた。
私たちもしれっとその中に加わり、ゆっくりとしたリズムに合わせて体を揺らす。
「昔」
踊りながら、ベルンがぽつりと呟いた。
「僕の誕生日と、君との婚約を祝したパーティでダンスを踊ったこと、覚えてる?」
もちろんと言う代わりに、私は小さく頷いた。
「まだ私が生まれたての小鹿みたいなダンスをしてた頃の話でしょう」
私がその時の真似をして、おぼつかないステップを踏むと彼はたまらずに吹き出した。
「そこまで下手ではなかったけど」
「そう?」
「…でも、君が僕じゃ無かったら誰も自分みたいなダンスの下手な女と踊ってくれないって言ってくれたことは嬉しかった。自分が必要とされているみたいで」
「私そんなこと言ったっけ?」
「言った」
言ったよと噛みしめるように呟いて、ベルンは仮面の奥から私に優しい眼差しを向けた。
「もうすっかりステップはお手の物みたいだけど」
私は彼の胸にもたれかかった。
普通の夜会だったら恥ずかしくてできないけど、今夜は誰も私たちがここで踊っていることなど知らないのだ。
そう思うと少し大胆になれた。
ベルンの胸は相変わらず逞しいというより硬いって感じだったが、私にとってここ以上に安心できる場所はこの世には存在しない。
力強い心臓の音。
嗅ぎなれた彼の匂い。
背中に回された手がじんわりと温かかい。
いつまでもこうやって踊っていたいなぁ。
「ダンスが上手でも下手でも、私にはあなたが必要だわ」
「奇遇だね。…僕も君が必要だと思っていた」
そう言って、ベルンは私の頭に頬を寄せ、髪にキスをした。
くすぐったくてとても幸せな気持ちが溢れて、体を満たしていくのがわかる。
私たちはどちらともなく、クスクスとささやかな笑い声をあげた。
ゆったりと池を泳ぐ魚のように躍っていると、他のペアの向こうに見知った姿が見えた。
癖のない真っ直ぐな銀髪の女と赤銅色の短い髪のずいぶんと体格のいい男のペアもこちらに気が付いたのか、笑顔を向けてくる。
カテリーナとイオニアスだ。
「ねぇあそこ」
私がそう言って促すとベルンも気が付いて、さりげなく二人のもとへリードしてくれる。
カテリーナたちもこちらへ踊りながら進んできて、私たちはホールの真ん中ですれ違った。
さすがに優雅にお話とはいかないけれど、私と目が合うとカテリーナは弾けたように笑い、イオニアスはどこかバツが悪そうに、でもやはり隠し切れない喜色をにじませた。
それだけで二人が上手くいったらしいということ、自分のしたことも全くの無駄だったわけではないということがわかって、私は大いに満足したのだった。
「次、仮面舞踏会に来ることがあったら、お揃いの衣装にしようね」
「どんなのがいい?」
どんなの?
え、どんなのがいいんだろ…。
うーん、でもまぁ。
「とりあえず、ライジーアとレオンハルト以外かな」
だって私たちは、ただのリジーアとベルンハルトなのであって、それ以外の何者でもないのだから。
12月4日に、二巻「婚前旅行記」が発売されました!
これもひとえにいつも読んでくださっている皆様のおかげです。ありがとうございます!




