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仮面舞踏会の幽霊5


ふっと影が落ちてきて、私は我に返った。

それと同時に、探しましたよと、なんだか全身白っぽい男が私の手を流れるような動きで取る。

とっさにその手を振り払おうとしたのだが、いまの自分はカテリーナの代役であることを思いだしぐっと思いとどまった。

よくよく相手を見れば、その姿には見覚えがあった。

撫でつけたブロンドに、このキザったらしい微笑み。髑髏をモチーフにした仮面。

レオンハルトを名乗ってカテリーナに言い寄っていた男だ。

浅慮な行動でカテリーナの評判が下がることは避けなければならない。

だけどよくわからない、というか印象の良くない人に手を握られたままなのも嫌だ。

どうしよう…。

相手は何も言わない私を不審に思ってか顔を覗き込もうとした。

顔をまじまじと見られたら、偽物だってバレちゃう!

なんとかとっさに開いた扇子で口元を隠し、意味深に笑ってみたりする。

あ、でも扇子で顔隠したら笑っても意味ないのでは?

そんな心配をしたが、相手は特に何も言わなかった。


「これはまた茶色とは、地味なカツラを選ばれましたね。おかげで一時、あなたの姿を見失っていましたが、ええ、でも、その程度ではあなたの美しさはちっとも失われませんとも、私のライジーア姫」

レオンハルト(笑)は私の髪を一房断りもなくすくって、にこりと深い笑みを浮かべる。

こ、こいつ、正真正銘の馬鹿だ…!

いくら仮面つけているからって、私とカテリーナを間違えるとかありえないだろ。

いやまぁあんな美少女と間違われるのは、ちょっと嬉しいと思う気持ちが無きにしもあらずではあるのだが。

というか地味なカツラってなんだ。

こちとら十七年間、茶色が地毛でやってるつーの!

茶色。

実に良い色じゃないか。

ベルンだって、茶色は暖かくてほっとする色だから好きだと言ってくれたし。茶色の良さがわからないとは、この愚か者め。

そういえばブロンドは禿げやすいってどこかで聞いた気がする。

カテリーナと私の区別もつかない上に、レオンハルトを名乗るお前のような不届き者は、毎朝枕に散った髪の毛の本数を数えては、きたる禿げの未来に身を震わせればいいのだ!

あ、でも、かっこいい人って禿げても格好良かったりするよね。ごく一部、だけど。

というわけで、私は目の前の男にまだたいしたことをされたわけでもないのに、酷い嫌悪感を抱いているらしかった。

なんというか、こいつとは絶対気が合わないと、本能が言っている。


しかしどうしたものか。

私は悲しいことに男性からモテたことがないので、上手いあしらい方というものがわからない。

ベルンは結婚するまで私と一緒のベッドに寝ることを不健全だ!とわめいていたくらいだったので、あしらわなければならない状況にすらならなかった。

はぁ~なんか急激に家に帰りたくなってきた。参加したいと、ベルンの反対も押し切って来たのになんですけども。

とりあえずなんか偉そうにしつつ、三十六計逃げるに如かず。

タイミングを見て逃げりゃなんとかなるだろう。…たぶん。

私はこれ以上話しかけられてボロを出す前にと、さりげなく身を引いて逃げようとした。

しかし相手が上手いこと私の進路に体を滑り込ませてきたので、逆に退路を断たれてしまう。

「どうして逃げるのですか?」

そりゃ偽物ですからね!

なんて言えるわけもなく、あなたに興味なんてないのよとツンと澄ました顔で無言を貫いた。

しかしそれはあまり上手く伝わらなかったらしい。

レオンハルト(笑)は仮面奥の薄青い瞳をギラギラさせて私の手をグイッと引っ張った。

そうは行くかと、淑女らしくなく踏ん張ると、ますます楽し気に口の端を吊り上げる。

ぎゃー!やだ怖い!

なんで喜ぶの!?ぜんっぜん意味がわからん!

「そのような態度をとって、私を煽っているのですか?さすがカテリーナ様は男心をくすぐるのがお上手だ」

煽ってないし!!

こいつ、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、あれか?手に入らない女ほど燃える系なのか?

ここはもう素直に、カテリーナのいたずらで私は別人ですよと伝えるべきだろうか。

でもまだ入れ替わってそんなに時間は経ってないし…。

それにここまで口説いておいて別人だったなんて、恥をかかされたとレオンハルト(笑)が憤慨して面倒臭いことになったりしないだろうか。

私はいちおう侯爵夫人だから、この男が伯爵以下の身分ならまぁ大事にはなるまい。

あ、いや、もしかしたら大変なことにはなるかもしれない。私ではなく、レオンハルト(笑)のほうが。

ベルンとかルーカスが何かしようとしても、私にはいかんともしがたいのだ。

…自分で言っておいてなんだけど、侯爵夫人っていい響きだよなぁ。ずっと公爵夫人になると思っていたけど、結局のところベルンの妻になれれば私は夫人の前に何がつこうとなんでもよいのである。

というようなことはどうでもよくってだな。

ダメだ。現実逃避しかけてしまった。

いやでも、せめて言い訳させて!

思いついた時はいけるって思ったんだよ!

なぜなら私はアホなので!!

そしてご覧のとおり、私はいまめちゃくちゃてんぱってる。

考えなきゃ。

どうやって切り抜けるかを。


レオンハルト(笑)は身を屈めて、私の耳元に顔を近づけた。

吐息が首筋にかかって、思わず身もふたもなくぎゃあああ!?と悲鳴をあげそうになるのをこらえる。

体が強張って、ピーンと一本の棒になったかのようだった。

と、唐突に思いついた。

そうだ、驚いた振りをして扇子をわざと落として拾わせよう。

そしてその瞬間に逃げるのだ!

「どうか二人きりであなたの可愛らしい声を聞かせてはくださいませんか?」

どさくさに紛れてレオンハルト(笑)は私の手を掴んだのと、反対の手で私のわき腹を下から上へゆるゆると撫でていく。

「ヒィ…」

今度はさすがにちょっと悲鳴が漏れた。

いやだってあなた、知らない、しかもいけ好かない奴とただでさえ至近距離できついというのに、わき腹触られるとか何の拷問よ。

冷や汗がぶわっと吹き出した。もちろん、嫌悪で、である。

これでカテリーナがイオニアスと楽しい時間を過ごせていなかったら、さすがに泣くぞ。

さっさと逃げてしまおうと、口元を隠していた扇子に持つ手からふっと力を抜いた。

繊細な赤いレースの扇子が、空気の抵抗を受けながらも、重力に従いくるりと回転しながら落ちていく。

レオンハルト(笑)の感じたくもない息遣いを首筋に感じながら、私はスローモーションのようにゆっくりと落ちていく扇子を、視界の端で見つめた。

早く。

早く、落ちて。


「ぐえっ」

それは扇子が床に落ちて、軽い音を立てるのと同時だった。

レオンハルト(笑)が潰れた蛙のような声を出して、急に体を退けたのだ。

いや正しくは、襟首を引っ掴まれて私から引きはがされたのだ。

レオンハルト(笑)の首根っこを子猫のように掴んだ彼は、顔面の筋肉が全て凍り付いたような真顔だ。

瘦身でかなり背が高い。

白い髪は人口のものらしく、少しパサついている。

そして銀色の仮面は、彼の表情同様冷たい色をしていた。

「あなたは…」

私にバラをくれた変な人だった。

でも、何か違うような…。


「よくも彼女に触れたな」

地の底から響くような低い声だった。

仮面の奥からのぞく灰色の瞳は、刃物のように冷たい光をたたえている。


その瞬間、私は理解した。

なぁんだ、そういうことだったのか。

カテリーナがおどけて言った幽霊という言葉。

見知らぬナンパ男に絡まれた時、助けてくれた腕。

青ざめたダリウスの顔。

彼は、まさしく、この仮面舞踏会の幽霊であった。


「馬鹿なことさえしなければもう少し泳がせたものを。まぁいい」

白髪の男はレオンハルト(笑)の喉元にするりと黒い手袋をした手を這わせる。

「叫んだり助けを求めたりしない方が賢明だというのは、わかるな?」

驚愕か恐怖か、目を見開き、震えながらもレオンハルト(笑)はこくこくと何度も頷く。

それほどまでに彼の喉元を押さえる人物からは、絶対的な威圧と殺意のようなものが滲み出していた。

そして白髪の男が喉元から手を離した瞬間、一人の貴族が人の中からぽっと現れ、レオンハルト(笑)の肩を叩き、こんなところにいたのかと親し気に話しかけた。

それはごくごく自然で、偶然見つけた友人に話しかけているようにしか見えない。しかしレオンハルト(笑)の蒼白な顔を見る限り、知り合いではないらしい。

「やぁ、なんだい君。随分顔色が悪いじゃないか」

「誰だ、あんた…!」

「ははは、面白い冗談だな。少し酒でも飲みながら話そうじゃないか」

「まっ…」

待ってくれ。

そう言おうとして、レオンハルト(笑)はさっと体を強張らせた。

自分が置かれている状況をようやく理解したのか、それとも見えないところで何か鋭利な刺さると痛いそうな物でも突きつけられているのかはわからないが、たぶんそういうことなのだろう。

そして嫌に陽気な男に肩をがっしり掴まれ、レオンハルト(笑)はドナドナされていったのだった。


私は一連の出来事を黙って見守ったのち、はぁ~とこれみよがしにため息をつき、脱力した。

そして目の前に佇む彼に非難の眼差しを向ける。

彼の前でカテリーナの振りをする必要はないし、するだけアホらしいことだった。

「それで?」

銀色の仮面の向こう、一般的には珍しいと言われているが、私にとっては見慣れた灰色の瞳がおろおろと揺れている。

心なしかその大きな図体も、小さく縮こまっているように見える。

そこにはもう私に無体を働こうとした男へ向けていた殺気も、迫力もなく、むしろちょっと情けない、叱られる前の子供のようないじらしい姿があるだけだった。

「どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら?私の旦那様は」



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