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仮面舞踏会の幽霊4


それから婚約者は誰なのかはかせようとしたのだが、ダリウスの奴がなかなかに強情で結局聞き出すことはできなかった。

しかし、まぁ、無理に本人から聞き出す必要はない。

ふふふ、ダリウスめ、私に婚約者の存在をほのめかしたのがお前のミスなのだよ。

なぜなら私はベルンかルーカスに聞けば、すぐにわかっちゃうのだからね!わははは!

というようなことを私が企んでいるとも知らず、ダンスが終わるのを見計らってダリウスは親切にも、私をカテリーナのところまで連れて行ってくれた。

いよいよイオニアスが職務怠慢でベルンにお仕置きされてしまいそうだ。

「あなたどこに行っていたの?気がついたらいなくなっていて、心配していたのよ」

「本当かなぁ。そのわりにはホールのど真ん中で踊っていたじゃない」

カテリーナは目をぐるりと回し、いつもは凛と伸ばしている姿勢をぐにゃりと崩した。

「私が楽しんでいたとでも?」

「まさか」

次のダンスを申し込もうとする有象無象の仮面集団が、カテリーナの背後でもぞもぞしている。その中には当然、レオンハルト(笑)もいた。というかむしろ筆頭だった。

彼女はそれに気が付くと、ふっと背後に向かって誘うような蠱惑的な笑みを口元に浮かべる。しかしすぐに体を翻して、私の手を取りずんずん歩き出した。

後ろから護衛みたいにダリウスがついてきて、仮面集団が追ってこないように盾になってくれる。

「ダリウス、わたくしは少し休憩します。いいかしら?」

「ええ、ご自由に。しかし、すぐに戻っていただかなければ困ります」

「わかっているわ」

どうしてカテリーナはダリウスに休憩の許可を取るのだろう。主催は彼女で、ダリウスは招かれた客のはずなのに。

ああでも、ダリウスはヴェーナー伯の跡取りで、カテリーナはブルンスマイヤー公爵だから仲良く、というか業務連絡?みたいなのを取り合う間柄なのかも。

きらびやかなドレス。

美しい仮面で隠された誰かであり、誰でもない人の群れ。

打ち寄せる波のような声のはざまで、痙攣するような笑い声が響いた。

テンポ良く、明るいメロディーなのに、節々に哀愁を感じさせる音楽はよどみなく流れ続けている。

仮面舞踏会はいま、最高潮の盛り上がりを見せていた。

そんな中をカテリーナはするするとすり抜けていく。

「どこに行くの?」

「控室よ。お色直ししなくっちゃ」

今シーズン最後の夜会ということで、かなり気合が入っているのだろう。

もしくはカテリーナないし、ブルンスマイヤー家の財力、権力を示す意図もあるのかもしれない。

だってカテリーナのドレスって、たぶん一着で田舎にデカい家を買ってお釣りがくるくらいのお値段なはずなのだ。推定だから多少の前後はあるだろうが、まぁおそらく、たぶん、そのくらいだ。セレブだ。

そんなドレスを着替えちゃうのだから、きっとそのお色直しのドレスはもっと凄いはず。

どんなドレスだろうか。

きっと宝石とか、真珠とか、ぴかぴかしたビーズがたくさん縫い付けてあるに違いない。

そんなことを私が夢想しているうちに、私たちはホールを抜け、人気のない廊下を渡り、静かな控室へ辿り着いた。


「そういえばイオニアスは?」

衝立の向こう。侍女三人の手を借りて着替え中のカテリーナに、私はそう問いかけた。

彼女は私の質問にはすぐには答えず、ゴソゴソという衣擦れの音が少し気まずい。

「どういう意味?」

「最近お互い忙しく会えてなかったんでしょう。まだ踊ってないみたいだし」

「今夜はそういう目的じゃないからいいのよ」

「そういうものなの?」

「そういうものなのよ」

そういうものなのかぁ。

大人の事情ってやつだろうか。

なんだか私以外の皆は、どんどん大人になっていくようだ。私だけ相変わらず何も知らず、何も変わらず、ただただ呑気に生きている。

あれ、でも、前世がある分私のほうがずっと大人じゃないとおかしいのでは?

……わはははは!

こういう問題は笑ってごまかすに限る。


カテリーナの姿を隠している衝立は、下半分は黒い漆塗りで、上半分にはバラと複雑に絡まるツタを表したステンドグラスが嵌められている。

一番目立つ赤いバラから、複雑な迷路のようなアイアンのツタを目でなぞっていくと、端っこに咲く青いバラへ辿り着いた。

「これからどうするつもり?」

言わずもがな、カテリーナとイオニアス、二人のことだ。

彼らはお互いのことを特別に思っている。

だけど、ちゃんと付き合ってはいるわけではない。

良い仲ではあるけれど、その関係に確固たる名前はないのだ。

そのせいで世間では子爵家の男がじゃじゃ馬娘を上手いこと誑かしたとか、勝気な女公爵が火遊びをしているとか、散々な言われようをしているのである。

確かに彼らの身分差は大きい。

かたや子爵家の長男。かたや五大貴族の一つである公爵家の現当主。

そう簡単には、私たち結婚します!とはいかないことくらい私にもわかる。

それでも不安にはならないのだろうか。

例えば私とベルンは、出会ってすぐに婚約したし、よく遊んで一緒に過ごしたから、彼との関係について不安を抱いたことはなかった。

強いて言えば、ベルンが先に学園に入学して長期休み以外会えなかった二年間くらいだろうか。それもどちらかと言えば、寂しいという気持ちのほうが強かった。

というかあの頃は、ベルンが破滅してしまう未来に対する不安が大きくてそれどころではなかったというのもあった。

私にはいまの政情とか裏の権力争いについての詳しい知識はないので、お互い好きなら付き合いなよなんて、無責任なことは言えない。

けれどせめてカテリーナの気持ちを一度ちゃんと聞いておきたかった。


「…わからないわ」

それはカテリーナにしては弱気な声だった。

私はステンドグラス越しに透けて見える彼女の横顔のシルエットを眺めながら、侍女が持ってきてくれたグラスに口をつける。

クリスタルのグラスの中にはスライスされたレモンが沈んでおり、爽やかな風味が鼻から抜けていく。

着替えが済み、カテリーナは侍女を下がらせた。

鮮やかな赤に宝石を散らした豪華なドレスから、同じく赤系統だがどちらかと言えばピンクに近い色合いのドレスに身を包んだ彼女は私の向かいに座り、グラスの縁を指でそうっと撫でた。


「最初はなんて無礼な男なのかしらと思ったの。身分だって低いし、すぐに茶化すし、私がエドウィン様のことを褒めるといつもこんな顔するの」

そう言ってカテリーナは眉をあげ、顎をぐっと引いて、ばかにしたような顔をした。

顎を引くので自然と上目使いになってかわいい。

と言いたいのだが、残念ながら睨み付けるみたいになっている。

一部の人々にはさぞ需要のある光景だろう。

カテリーナはイオニアスの真似をやめて、フンと鼻を鳴らした。

それから頬杖をついて、ぼんやりと遠くを眺める。

「わたくし、エドウィン様のことをずっとお慕いしていたわ。でもそれは、私は彼と絶対結婚しなくちゃいけないんだって。愛されなければ。他の女に取られないようにしなければ…。まるで誰かにいつも耳元でささやかれているみたいだった」

初めて聞く話だ。

カテリーナは慌てたようにこう付け加えた。

「もちろんエドウィン様をお慕いしていた気持ちは本物よ。あんな形になってしまったから、苦い思い出でもあるけどわたくしの大切な初恋だわ」

彼女がグラスを爪弾くと、キンと硬質な音がした。

袖口に縫い付けられた紅玉みたいなビーズが、光を反射してキラキラと瞬き、私は少し目が痛くなる。

「けれど彼のことを想う気持ちは、なんていうのかしら。安らかで、時々信じられないくらい苦しくて……。そうね。でもやっぱり一番は楽しい、のかしら。一緒にいても、いなくても、あの人のことを考えると頑張れる気がする。あの人もわたくしのために頑張っている。だからわたくしも誰にも文句を言わせないくらい立派な当主にならなくっちゃって」

そう語るカテリーナの青い瞳は、十代の少女らしくキラキラ輝いていた。


しかしその輝く瞳は急激に光を失い、どんよりと曇る。

「とは言っても、手紙でやり取りするのがせいぜいで…。あなた一緒にいたから見ていたでしょうけど、さっきの挨拶。あれ、一か月ぶりの会話よ?今夜は彼と踊れるかもしれないと期待していたのだけれど…」

はぁと大きなため息をついて、カテリーナは見るからに不貞腐れた。そしてブツブツと彼らの逢瀬を邪魔する諸々への恨みつらみをこぼす。

かわいそうに…。

いや、待てよ?

「ねぇ、カテリーナ。提案なんだけど」

「なにかしら」

突如としてむくむくと湧き上がってきた感情に任せて、私は身を乗り出し、他に誰もいないのに声を落として言った。

「ちょっと悪いこと、してみない?」

ちなみに私の中に湧き上がってきた感情の名は、お節介という。





もう一歩踏み出せばホール、というところでカテリーナは私の袖を引いた。

たたらを踏んだ私が何事かと振り返ると、彼女はらしくもなく不安げに口の端をもごもごさせ、体を縮こまらせている。

「やっぱりダメだわ。やめましょう?」

「大丈夫よ」

「でも…」

「一曲の間だけ。バレたら余興の一つだったって言えばいいのよ。ここにはあなたを叱れる人なんていないでしょう?」

「それは…」

不安がるカテリーナを私がなだめるというこの光景をベルンが見たら、きっと明日は雪だと目を丸くしたのかもしれない。

私は彼女を安心させるべく、鼻先をツンと上に向けダンスを踊るときのように胸を大きく開く。

「わたくし、あなたの真似にはちょっと自信がありましてよ」

「それわたくしの真似のつもり?」

「あれ、似てない?」

「なんだか馬鹿っぽいわ」

「失礼な!」

私だっていちおう侯爵家の人間だし、カテリーナとは長い付き合いだからいけると思ったんだけど。

私は身に着けた赤いドレスを見下ろし、うーんと唸った。

さっきまでカテリーナが着ていた赤いドレスは、大変重たく、ドレスに着られている感が半端じゃない。


私がカテリーナに提案した悪いこととは、ずばり、入れ替わりであった。

私がさっきまでカテリーナが着ていたドレスと、猫の仮面をつけ、カテリーナには私の仮面を貸したのだ。

ちなみに侍女に頼んで、カテリーナっぽく見えるよう化粧にも工夫して貰っている。

私の計画はこうである。

私が少しの間カテリーナの代役をして、その間彼女はイオニアスと短いロマンスへ繰り出すのだ。

なんと単純で、簡潔な計画なのだろう。

たった二十と少しの文字数で説明できてしまった。

しかし私の信条は何事もシンプルが一番なので、これは決して私の脳みそが複雑な計画を立てられないせいではないのです。ええ、本当ですとも。

不安点としては、カテリーナのほうが私より背が高いので、ドレスはよく見るとダボついているし、髪の色も銀色と栗色では全く違うというものがあるのだが、一曲の間だけなら一か所にとどまらず歩き回って逃げていればなんとかなるだろうし、髪はカツラだと言えばいい。

途中でまたダリウスでも見つけて、ボディガードに任命してもいいかもしれない。

最悪ばれても、ちょっとしたいたずら、余興みたいなものだったのだと言い訳すればいいはずだ。

その時はカテリーナも名乗り出て、私を庇ってくれることになっている。

とにかくカテリーナを狙う奴らの目を私が引き付けているうちに、彼女がイオニアスと踊るなりなんなりして二人の絆を確かめあえれば、この計画は成功となるのである。

正直自分から提案したものの、本当に上手くいくかは半信半疑である。

私は前世の記憶のせいで、子供時代不思議ちゃんとは言われていたが、いたずらっ子ではなかったし、演技なんてしたこともないのだ。

しかし!

しかしである!

親愛なる友人の恋のために、一肌脱げる人間はきっとここには私くらいしかいないのである。

いやちょっと自信過剰かもしれないんですけれども。けれども!


「ほら、カテリーナ早く行って。私はもう少し様子を見てから出ていくから」

おどおどしているカテリーナの背をやんわりと押すと、彼女もついに腹を決めたのかキュッと口をひき結び、大いなる一歩を踏み出した。

「リジーア、あなたの献身は忘れないわ。必ずその働きに報いる戦果をあげてくるから!」

「ええ!」

最近はなりを潜め気味であったカテリーナの勝気な性格に火がついたらしい。

さっきはキラキラ輝いていた青色の瞳は、いまはどちらかというとギラギラしている。ちょっと怖い。

あと戦果ってなんだ。

お前は首でも取りに行くのか。

そんなことも思ったが、私は何もつっこまず、彼女と戦場へ赴く兵士のような硬い握手を交わした。

そしてカテリーナは彼女の標的、じゃなくて彼女の王子様を探しに旅立った。

そう、望みというものは言っているだけではかなわない。何かしら行動しなければ、勝ち取れるはずのものも逃してしまうのである。

そういう意味では彼女はロマンスという名の勝利を掴みに、戦いに赴いたのだ。

…うん、やっぱり大げさだな。


彼女の姿が目で追えなくなったころに、私も己の役目を果たしにいくことにした。

出来るだけ背筋を伸ばし、大きく見えるように気を付けながらやや早足に歩いていく。

するとカテリーナの帰還を待ちわびていた紳士淑女が、この目立つ赤いドレスに反応して寄ってくる。

しかし大概の人は髪の色が違うために、混乱して声をかけあぐねるようで、私はその隙に足早に彼らの前を通り過ぎていく。

どれだけこの戦法で持つかはわからないが、こんだけ早足で縦横無尽に歩き回っていればダリウスを捕まえられるだろう。

ダリウスにかかる迷惑とかは、この場合なしも同然である。

そんなこんなでカテリーナが首尾よくやっていることを祈りながら、私は歩き続けた。

それはもう、泳ぐことをやめたら死ぬマグロのように、人の海をかき分け進んだ。

というか足が痛い。

ヒールだから足の指のつけ根あたりが、じんわり痛い。なんかこう骨に響く痛さだ。

ここが魔法の使える世界だったら、私はきっと足が痛くならないヒールを発明しただろうに。その前にたぶんアイスを作って、スイーツ会の風雲児になっていただろう。

相変わらずアホなことを考えながら歩いていると、ふと視界の端に白い物が見えた。

とっさにバラをくれた謎の人物のことを思いだして、私は足を止める。

ドレスは着替えたが髪はいじっていないので、私の頭にはまだちゃんとバラがさしてある。

彼は誰だったのだろう。本当にただの変な人、だったのか…。

そんな私のもとへ迷わず近づく、一つの人影があった。



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