仮面舞踏会の幽霊3
あかん、やってしまった…。
周囲を見知らぬ、というか仮面をつけているのでその顔が見知らぬかどうかさえわからない人たちに囲まれ、私は途方にくれた。
右を見ても、左を見ても、仮面。もちろん前を見ても、仮面。こんなに仮面だらけだと、悪夢にでも迷い込んでしまったような気分になって、少し怖くなってくる。いや、私も仮面ばっちりつけてますけども。
この背後をしっかりべったりと守ってくれる壁がなければ、泣いていたかもしれない。嘘だ。別にこれくらいで泣きはしない。
話しかける相手がいないので、自然とひとり言が増えてしまう。
おいおい。カテリーナはどうしたと、思われるかもしれない。
正直に言おう。
はぐれた。
はぐれたっていうか、カテリーナ争奪戦が思いのほか凄まじく弾き飛ばされ、迷子になったという感じだ。
ブルンスマイヤー公爵という身分で、まだ若く、それになにより美人な彼女に取り入りたいと思う人々はたくさんいて、彼らは今日が仮面舞踏会であることなどお構いなしに我先にと彼女に群がった。
男女比でいうと、男のほうが多かった気がするから、やっぱりみんなカテリーナとの結婚を狙っているのだろう。それともイオニアスの噂があるから、あわよくば遊び相手になんて思っている不届き者も多そうだ。
けしからん!お母さん、そんな男絶対に認めませんからね!
勝手に憤ったのち、すぐに冷静になる。
すると急激に、こんなに人であふれているパーティ会場でぼっちをきめている我が身の悲しさが身に染みてくる。
「さて…」
どうしたものか。ひとまず、イオニアスを探すか…。
そう決心して、約束された安息の地、壁際から私は出発した。
途中果物やお菓子をつまめば、これ美味しいからベルンにも食べさせてあげたいなと思い、フロアで踊るカップルたちを横目に見ては、一緒に踊りたかったなと思い、素敵な仮面やドレスを身に着けている人がいれば、きっと仮面はお揃いにしたのにと思う。
ここにはいないベルンを逐一思いながら、私は会場をさまよった。
一人でも楽しめると思ったのだが、カテリーナも側にいないとなると、自分の狭い世界が浮き彫りにされたようでなんとも苦々しい気持ちになる。
手持無沙汰になって、白髪の謎の人からもらったバラをつっついた。
「美しいお嬢さん」
そういえばうちの庭でもそろそろ秋バラが咲き始めるはずだ。バラの世話は難しいとこぼしていたベルンの穏やかな横顔を思い出すと、おのずと笑みがこぼれる。
「もし」
彼はいま、なにしているのだろう。お仕事頑張ってるかな?
「そのようにバラをいじめてはいけませんよ。いくらあなたのほうが美しいからといってもね」
「はい?」
肩を叩かれ、ようやく自分が話しかけられていたことに気が付いた。
だって美しいお嬢さんだなんて言われて、あら私のこと?なんてなるわけがない。
「あ、あの、私ですか…?」
「他に誰がいると?」
いや、いっぱいいると思いますけど。
「お一人で退屈なさっているのなら、私とお話しませんか?」
私に話しかけてきた男は、顔の右上だけを隠す仮面をつけていた。四分の三あらわになっている顔面は、まぁまぁ整っている。
あ、でも、比較対象がベルンだから、普通一般に見ればイケメンの部類に入るのかもしれない。美形を見慣れると、目が肥えるからいけない。
「ごめんなさい、パートナーとはぐれてしまって探している途中なので…」
「では一緒に探しましょう」
暗にけっこうですと断ったつもりだったのだが、男はそれはもうプロとしかいいようのない無駄のない洗練された手つきで、私の腰に手を回した。一瞬腰に手を回されていると気が付かなかったくらいだ。
ぎゃっと叫んで飛び上がりそうになるのをこらえて、お手を煩わせるわけにはいきませんわとさりげなく逃げようとするが、どうにも上手くいかない。
な、なんなんだ、こいつ…。
まさかこれって、ナンパ?
いやいやいや、まさか。
まさかね…!
「今宵は正体を隠した仮面舞踏会。パートナーのことは忘れて、私と楽しみませんか?」
耳元でささやかれ、ひぃと声が漏れる。
マジか、お前…!?いくら仮面で顔がわからないからって、こんな地味女捕まえて本気か!?
女だったら誰でもいいのかー!
「結構です!」
あわを食って腰をホールドする手から逃れようと四苦八苦していると、グイッと強い力で腕をひかれた。
おかげで男の気色の悪い腕の中から抜け出せたのだが、私の腕を掴んだ手は、ぐいぐいとどこかへ引っ張っていく。
「ちょ、ちょ!?」
よたよたと引っ張られるままについて行って、私は急に放り出された。
そして勢いあまって、放り出された先にあった、誰かの背中にぶつかる。
「うわっ!?…ご、ごめんなさい!」
慌てて謝ると、私がぶつかった相手はすぐに振り向き、親切そうな笑みを浮かべて。
「おや、どうされ……」
青みがかった銀髪に、この声。
「おい、なんでこんなところにいるんだ」
「ダリウス!」
「なにやってんだよ、お前」
「いやなんか急に腕を引っ張られて…」
まだ握られている感触が残っている腕をさすっていると、さっきの男が人をかきわけ追いかけてきた。
「私から逃げるだなんて、まったく酷い人だ。それともそうやって焦らしているのかな?」
「げぇ…」
明らかに嫌そうな顔をした私を見て、数秒のうちにダリウスはある程度のことを察したようだった。
仕方ないとでもいうようにじとっとこちらを見たのち、私の肩を掴みそっと自分のほうへ引き寄せる。
「私のパートナーに何か?」
ダリウスの威圧的な雰囲気に、男は目に見えてたじろぐ。
「…いえ、人違いをしたようです。失礼」
そそくさと男が逃げ去るのを見送り、もう十分だろうとダリウスはぱっと手を離し、どういうわけか両手を顔の横にあげた。いわゆるホールドアップだ。
「何そのポーズ」
「これ以上やると命の危険があるからな」
「ベルンは一緒に来てないから、大丈夫だよ」
「そう思うのはお前だけだよ」
「ふーん?とにかく助けてくれてありがとう。助かった。…でもあんなに強く引っ張らなくてもいいじゃない」
「はぁ?引っ張ってなんかないぞ、俺」
「え…」
嘘。じゃあ、あの手は…?
ゾッとして、二の腕をさする。うわ、鳥肌立ってる。
その時急に、ダリウスが私の背後を見てハッと青ざめた。まるで幽霊でも見つけたみたいに。
急いで私も振り返ってみるが、特に変わったものはなにも見えない。
どうしたのだと聞こうと思ってダリウスに向き直った時には、彼の顔色はすっかりもとに戻っていたし、黙っていればベルンと同じかそれくらいに整った顔はいつもどおりのふてぶてしさをたたえていた。
私の見間違いだったのだろうか。でも、いまたしかに。え
「お前、エスコートは?」
「え?ああ、はぐれちゃって。そっちは?」
「…俺もそんなとこだ。ちょうどいいから少し付き合え」
ダリウスに促されるまま、人の流れが穏やかな辺りまで歩いていく。
人の波間から、ホール中央で踊るカテリーナの姿がちらっと見える。相手は私の知らない人だった。
踊っている彼女の表情は、ここからでは遠くて見ることはできない。彼女は自ら望んで、踊っているのだろうか。
たくさんの人々の視線を集め、堂々と踊り続ける姿は、遠い世界の住人、もしくは私には声をかけることすらできないほど身分の高い、例えばどこかの国の女王のように思われた。
「カテリーナは人気者ね」
「そりゃそうだろうさ」
そういうダリウスの言葉はどこか皮肉げであった。
「まるで人気者じゃいけないみたいな言い方ね」
「いけないわけじゃない。ただ少し考えれば、あまり喜ばしいことじゃないってわかるだろ」
「どういうこと?」
「この仮面舞踏会はブルンスマイヤー公爵主催で、王太子派と中立派だけが招かれている、ことになっている」
含みのある言い方だ。
「ということは、そうでないという人たちも紛れ込んでいるってこと?」
ダリウスは私の問いには答えず、皿の上にブドウを三つ、綺麗な三角形を描くように並べた。そして頂点の一個を指さし、これが王太子派、そしてその右下を指さし、こっちは中立派だと言った。
「そして残ったブドウが、宰相派だ。もともと王妃派だった連中が、宰相を中心に新しく徒党を組んだ派閥で、俺たち王太子派と対立している。いまは大きく三つに分けているが、王妃派だって完全にいなくなったわけじゃねぇし、どの派閥も体勢を整えている最中で決して一枚岩とは言えない」
それくらい私も知っていたが、おさらいということで大人しくふんふん頷いておく。
「そんな状況でも、いまのところ王太子派と宰相派の勢力は均衡を保っている状態だ。だがそれじゃあどっちも面白くない。いつだってお互いを蹴落とす機会がないかと目を光らせ、ないなら無理にでも作り出そうとしている」
「作り出す?」
例えば政治家のスキャンダルをすっぱ抜く、というようなことだろうか。
「カテリーナ様はその点、狙いやすそうに見えるんだろうな。元ブルンスマイヤー公爵は不正の証拠はきれいさっぱり消えているし、唯一の息子も惚れた女と結婚するために、表向き自分を死んだことにしちまった。カテリーナ様に醜聞が持ち上がれば、ブルンスマイヤーという大きな柱を失って王太子派はすぐに統率を失うだろう…。なんて考える連中ははいて捨てるほどいる」
「レトガー公爵は王太子派じゃないの?」
「あの人は恐らくどこの派閥にも属さないだろう。いまは影から俺たちに力を貸してくれてはいるが、大局次第ではそれもいつまでかはわからん。それにエドウィン王子だって王位継承権を譲っただけで、廃嫡されたわけでもない。いまは大人しいがいずれ再び王位を取り戻そうとするかもしれん」
「じゃあ仮面舞踏会なんてしている場合じゃないでしょうに」
はんとダリウスは馬鹿にしたように鼻を鳴らし、宰相派のブドウをぽいっと口に放り込んだ。
「お子ちゃまにはわからんだろうさ」
この人、ブドウを皮ごと食べたけど、渋くないのかなぁ。
でもそうか、この仮面舞踏会って、私が思っていたよりもずっと政治的な意味のある場所だったのか。
けれどスキャンダルを狙われてるってわかっていて、どうしてカテリーナはこのパーティを開催することにしたのだろう。
うーん、わからん。
なぜなら私はダリウスの言うところでは、お子ちゃまらしいので。
「そういえば、さっき知らない人からバラを貰ったんだけど、ダリウス知らない?」
「お前が知らないのに、俺が知っているわけないだろう」
「いや、白髪のカツラに、顔の半分が仮面で隠れていたから私がわからなかっただけなのかもと思って」
知り合いだったら、たぶんからかわれているのだろう。
からかわれたままなのは、なんだかあまり気分が良くない。
「白髪のカツラ?そりゃお前……」
ダリウスは視線をさまよわせて、一瞬変なものでも食べたような顔をした。
「あれだよ。変な奴だ」
よりによって、変な奴って、あなた。
いや。私も変な人だなぁとは思ったけど。
「このバラ、どうしたらいいと思う?」
「髪にでも挿せばいいんじゃねぇの」
「変な奴からもらったのに?」
「バラに罪はないだろうさ」
なんだそのキザなセリフは。いつからそんなキャラになったんだお前は。
ダリウスは無言で私の手からバラを抜き取ると、茎を短く折って、私の髪に慣れた手つきで挿しこんだ。
「馬子にもバラってな」
そう言って、ダリウスは得意げに笑った。
「けしからん!」
「なんでだよ!」
「いつからそんなキザなことできるようになったの!?そうやって遊び歩いているのね!」
「あのなぁ!いっておくが俺は真面目な男だぞ。婚約者だって…!」
「へぇ~?ついにダリウス君も婚約を?どこの菩薩かな?」
「ぼさつ?」
「菩薩とは優しく全てを許してくれる人のことだよ」
「めちゃくちゃいい人じゃねーか」
「そうそう。それでどこのお嬢さんなのかしら?」
「……」
意気軒昂に婚約者の存在をちらつかせておいて、ダリウスは急に黙り込んだ。
もしかして恥ずかしがっている?あの子憎たらしいダリウスが?
「教えてよ~。私たちの仲じゃない」
そう私たちは共に校舎裏の野イチゴを乱獲し、つつじの花をむしっては蜜を吸い、ダンスでは足を踏み、すねを蹴りあった仲じゃないか。恥ずかしがることはなかろう。
肘でわき腹をグリグリやると、この上なく鬱陶しがられた。
その時、私の視界の端、仮面つけた顔の分からない人々の数多の間を真っ白なものがよぎったような気がした。




