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仮面舞踏会の幽霊2


ブルンスマイヤーの屋敷に来るのは久しぶりだ。

もともとベルンがリートベルフ屋敷に遊びに来ることが多かったから、ブルンスマイヤーの屋敷は私にとってあまりなじみの深いものではない。それにベルンがブルンスマイヤーの人間でなくなってしまったいまとなっては、もう足を踏み入れることもないと思っていたのだが。

見上げたブルンスマイヤーの屋敷は、私がベルンの婚約者になって初めて訪れた時と変わらず、家の力を示すような威圧的な構えをしていた。

そしてそこへ何台も馬車が止まっては、着飾った人々がぞろぞろと明るい屋敷内へと吸い込まれていく。

私は屋敷前でイオニアスと落ちあうことになっていた。

誰かのせいで少し遅れたのだが、心の広いイオニアスは簡単に許してくれた。もしかしたら、遅れた理由なんて彼にはお見通しだったのかも。

「こんばんは。今夜はエスコート、よろしくお願いしますね」

「その点は任せておいてください。手を抜いたとバレたら先輩に殺される」

首を掻き切るジェスチャーをして、イオニアスは口の右端をひきつったように吊り上げた。笑おうとして失敗したのだろう。

どうやら本当に命の危機を感じているらしい。

いつも飄々として陽気な印象があるが、珍しく緊張しているのだろうか。

どことなく引っ掛かるものを感じながら、正面玄関で招待状を見せると、少し待つよう指示される。

そして執事がやってきて、私たちは直々にこの夜会の実質的な主人であるカテリーナのもとへ案内されることとなった。


彼女はたくさんの人間に囲まれ、会場を満たし流れる活気の中心地であった。

赤地に金や黒の刺繍が施された派手なドレスに、宝石がちりばめられた顔の上半分を隠す仮面は猫をかたどっている。

人々の中心でコロコロと上品に笑う様は、なんとも陳腐な表現だがまさしく咲き誇るバラのようだった。

老年の執事はたくみにカテリーナに群がる人々をかき分け、彼女へ私たちの来訪を伝えたらしかった。

あいさつ代わりではないけれど、イオニアスが軽く手をあげ、私も同様にする。

ぱあっと彼女の顔が輝く。

ほっほっほ、そんなに私と会えて嬉しいのかい?ほっほっほ!

とか思って一瞬優越感に浸るけれど、もしかしたらイオニアスと会えて嬉しいのかも思い至ってちょっと自意識過剰だったかなと反省する。

いや、でも、私に会えて嬉しい度がゼロではないでしょう。イオニアスと会えて嬉しい度と、きっといい勝負をしているに違いない。

そうじゃなかったら、床の上でジタバタ暴れて泣いてやる。

「ごめんあそばせ」

カテリーナはどこか高飛車な感じのする、けれど彼女が言う決して嫌味ではない断りを周囲に入れ、水中を泳ぐ魚のような優雅で自然な動きで私たちのもとへやって来て、開口一番。

「やっぱり!」

と叫んだ。

え、何が?

「あなた、絶対地味な仮面をつけてくると思ったのよ」

「え~…地味かなぁ」

顔の上半分を覆う仮面に触れる。

黒いビロードはつるつるとした触り心地で、たしかに宝石やビーズを縫い付けているわけではないが、いちおう白い羽もついているし、ワンポイントの刺繍も入っている。

確かにカテリーナのつけているものと比べれば、そりゃ地味かもしれないが、正直私が彼女のようなものを身に着けても仮面に雰囲気が負ける自信がある。

「あら、そちらの男性はあなたのエスコートかしら?お役目ご苦労様。素敵な仮面ね」

イオニアスだとわかりきって、カテリーナはわざとらしい調子でそう言った。紅の乗せられた小さな唇が、愉快そうな弧を描いている。

「お褒めいただき光栄です。カテリーナ様も今夜は一段とお美しい」

イオニアスもその冗談に乗って、歯の浮くようなセリフを返し、カテリーナの手を取る。そして大きな体を丸めて、彼女の手の甲にキスをした。

そんなセリフなんて耳にタコができるくらい聞いているだろうカテリーナは、フンと鼻を鳴らし、ちょっと頬を赤らめた。

ほっほっほ、若いですのぉ。


私は社交界にあまり顔を出せていないからあまり知らないのだが、カテリーナとイオニアスはいま社交界でちょっとした噂になっているらしい。

やれ子爵ごときの息子に誑かされているとか、いやあれは身分が違いすぎるからきっとカテリーナのほうがもてあそんでいるのだとか、などなど。

総じてあまり良い噂はない。

裏生徒会のメンバーだったら、二人が正式な仲ではないが、真剣にお互いのことを想いあっていると知っているのだが、世間では邪推されてしまっているらしい。

だから今夜の仮面舞踏会は、カテリーナに比べて噂の恋人であるわりには、顔が知られていないイオニアスが正体を隠して二人会うための口実なのではと私は密かに考えていたのだ。

なんなら抜け出す手伝いでもしようとすら思っていたのだが、手伝わせる予定だったベルンはいない。悲しい。


イオニアスはそれから一言二言、カテリーナと言葉を交わし、他に挨拶したい人がいるといったん場を離れることになった。

「いいの?監督不行き届きでお兄様に怒られない?」

「監督不行き届きって、子供じゃないんだから」

「俺が戻ってくるまで、誰かが奥様の相手をしていてくれると助かるんだが」

「いやだから、別に私は一人でも…」

むしろ私がお邪魔虫なのでは?

「あなたちょっと横着じゃない?まぁいいですけど」

さっきから私の意見が丸々無視されている気がするのだが。

イオニアスから監督代理を引き受けたカテリーナは、彼の広い背中が見えなくなるまで名残惜しそうに見送っていたが、私がニヤニヤしていることに気が付き、バツが悪そうに咳ばらいをした。


「わたくし実は、あなたは今夜こられないじゃないかと思っていたのよ」

「ベルンにだいぶごねられたけど、カテリーナに会いたくって飛び出してきちゃった」

カテリーナはふーんと上機嫌に返事をして、口の端をもにょもにょさせた。たぶん恥ずかしかったのかもしれない。

「お兄様は束縛しすぎなのよ」

「そうかな?」

「そうよ!お兄様が社交界に出られないからって、あなた今年のシーズンまともに参加していないでしょう」

「まぁね。でもカテリーナが思っているほど悪くもなかったと思うよ」

主にベルンとだらだらするか、だらだらするかしてないけど、私はそんな非生産的で傍からみたら退屈そのものみたいな暮らしを心底愛している。

昼から雨が降りそうだ。世話している花が綺麗に咲いた。たまには街に出て、甘いものでも食べよう。

そんな小さく、ありふれた出来事を、当たり前のように積み重ねていく日々。

それはきっと、ベルンにとってなによりも大切なもののはずだから。


「シーズン中に一回もパーティに出ないなんて、もったいなさすぎよ!だからせめて私が主催している夜会くらいには出たってかまわないでしょうって、私言ってやったのよ」

「え、カテリーナがベルンに?そんなこと言ってなかったけど」

というか君たちいつそんな話をしていたんだ?

カテリーナはハッと眉をひそめ、しまったみたいな顔をしたらしかった。というのも、仮面のせいでよく見えなかったのだ。

「あなたに送った招待状の他に、お兄様個人にも手紙を出したのよ。少し領地について相談したいこともあったから」

「へぇ~」

そのわりには渋られたんですけど。

私には兄妹がいたことがないから、ベルンとカテリーナの関係ってちょっと不思議だ。基本的にはたぶんベルンのほうが強いし、重要なことの決定権はベルンにあるんだけど、普段はわりとカテリーナに言いたい放題言われてる気もする。

つまるところ仲はいいのだろう。


「それはそうと、カテリーナ様は噂の方と踊るのかしら?」

「さぁ?どうかしらね」

と急に表情を曇らせ、内緒話をするようにカテリーナは顔を寄せた。

「実はね、最近しつこくって困っている人がいるのよ…。ほらあそこ」

扇子でさりげなく示されたほうへ視線を向けると、白い服で、背が高く、見事なブロンドを撫でつけた男がいる。服と同様に白い仮面には金糸で原寸大の髑髏が描かれ、まるで顔の上半分の骨が透けているようになっていた。

彼のまとう自信に満ちたオーラとでもいうのだろうか、とにかく俺は仮面をとったら凄いんだぞという感じをまき散らしていて、鼻持ちならない。

彼は他の男性陣と語らながら、見せつけるようにキザな動作で、その美しい輪郭を描く顎に手をあてた。

「なんか…」

いや~な感じ。

そうあけすけに言うのは憚られて言葉を濁すが、カテリーナもそう感じているのか口をひん曲げ、緩慢に頷く。

「あの人、自分のことなんて名乗ったと思う?」

ということはあの白い男は正体を隠して、この仮面舞踏会を楽しんでいる側の人間なのか。

見当もつかないので、首を振るとカテリーナは急に姿勢を正して、私の手を取りこういった。

「私の名はレオンハルト。どうか今宵だけでも、私のライジーアになってくださいませんか」

そう言って私の手の甲にキスするふりをした。

自分がされたことを再現しているらしい。

「ま、まさかそれって」

「そうよ。あなたたちがモデルの歌劇「ライジーアとレオンハルト」になぞらえているつもりなのね、きっと」

「ぎゃー!」


「ライジーアとレオンハルト」は去年の夏におこった婚約者騒動での私とベルンをモデルにした歌劇で、今年の春に初演されてからそこそこ人気があるらしい。

私とベルンもレトガー公爵のお供で、見に行ったことがある。

前半はどこの誰が垂れ込んだのか、わりと事実に沿った内容で、子供時代からレオンハルトがライジーアを庇って死ぬところまでだった。後半はライジーアが死んだレオンハルトを探して冥府へ下るという内容だったのだが、ここからはファンタジーしすぎてて、最終的には普通に感動したりしなかったりした。

きっと自分たちがモデルと知らなければ、素直に楽しめただろうに…。うーん。

ちなみに初演で、ライジーアの女優が赤いドレスを、レオンハルトが死者を表す髑髏モチーフの衣装を着ていたことから、すっかりそれがイメージとして定着しているらしい。

今日のカテリーナのドレスはたまたまというか、まぁいま流行りがだからなのだが、派手な赤いドレスだし、自分が髑髏モチーフの仮面をつけて、彼女をライジーアに見立てることは十分にできるだろう。


「しかもそのレオンハルト様とやら、わたくしと踊るんだって言いふらしているのよ?わたくしは何も許可していないのに」

カテリーナのレオンハルト様と呼ぶ声には、明らかに嘲笑が混じっていて、文字にするならおそらくレオンハルト様(笑)と表現するのが適切であるように思えた。

「それって牽制のつもり?」

「たぶんね」

ますます気に食わない男だ。

「でも今夜は仮面舞踏会ですものね。レオンハルトの名を騙るくらいは許してあげましょう。わたくしと踊ると言いふらしていることもね。だって、わたくしが誰と踊ろうと自由ですもの。仮面で誰が誰だかわからないんですからね」

それがこの夜会の趣旨なのだと、カテリーナは悪戯っぽく笑い。


「幽霊が紛れ込んでたって、わかりはしないでしょう」

「幽霊?」

カテリーナの口から思いもよらない言葉が出て、思わず私はぎょっとした。

だって、幽霊って。

なんといっても、私はオカルトとか心霊系はどうにも苦手なのだ。

気になって幽霊とはと尋ねたのだが、ただの例えだとはぐらかされた。

じゃあそんな怖い例えをしないで欲しい。


ずっとカテリーナを独り占めするわけにはいかないし、イオニアスがベルンに怒られるのもかわいそうなので、私はカテリーナの侍女みたいに彼女の後ろについてぼんやりあの仮面の人はどこの誰だろうかとか、カテリーナもてもてだなとか適当なことを考えながら過ごした。

別に単独行動してもいいんだろうけど、ベルンのことだ。裏生徒会のつてで誰かから様子を聞き出して、なんてことは十分にあり得る。

…なんか客観的に考えると、ちょっと怖いな。

……いやいやいや。

………いや、やっぱ怖いな!?

家族会議とかするべき?

いやでも、それで別にひどい目にあってないし、心配してくれているだけだもんなぁ。

脳内会議が答えの出ない不毛な議論を繰り広げていた時だった。

とんとんと肩を叩かれ、振り返ると背の高い見知らぬ男が立っていた。

いや仮面つけているから顔がわからないのでいまは誰でも見知らぬ人になってしまうのだが。

顔の上半分を覆うのは銀色の仮面だ。

髪の毛は白い。銀髪っぽい気もするが、どこか人工的な感じがするので、たぶんカツラなんだろう。

「えっと…」

名前を尋ねていいものか悩む。

ほら仮面舞踏会だから、正体を隠して踊るのを楽しみ来ている人もいるわけだ。

それにこの人、こんなに顔を隠す仮面をつけていて、カツラも被っているみたいだし、わりとガチめに正体を隠して来ているって感じがする。

私が戸惑っていると、彼は何かをすっと差し出した。

バラだ。

一輪だけの。

ピンクの可愛らしいバラ。


「私に?」

彼はそうだというように首をわずかに傾げ、口元に淡い笑みを浮かべる。

「ありがとう、ございます…」

よくわからないがバラを受け取ると、ふわっと青臭くほのかに甘い香りが鼻を掠める。

気が付くと白髪の男に、手を取られていた。

彼は身を屈め、私の手の甲に顔を寄せてキスするふりをした。

仮面の奥、真黒な瞳と目が合う。どういうわけかそこには、私にたいしての親しみのようなものが見え、私もどういうわけか既視感のようなものを感じた。

何が何だかわからず、何度も瞬きをして惚けていると、いつのまにか男の姿は消えていた。

あわててあたりを見回したが、まるで幻だったみたいに、きれいさっぱり影すら見つけられない。

けれど確かに私の手の中には、摘まれたばかりなのか、しゃんと背筋を伸ばしたピンクのバラがさっきのことは現実におこったことなのだと教えてくれている。

「…なに?」

というか…誰、いまの!?

いや、なに…誰……怖いな!?

なんだ!?なんなんだ!?

謎の男がくれたバラに何か手掛かりはないだろうかと見つめてみるが、物言わぬ花はふるふる頭を揺らすのみ。

なぜか突然、カテリーナが冗談で言った幽霊という言葉が思い出された。

「まさかね」

急に空恐ろしい感じがしてきて、鳥肌がたった。

「まっさか~」

あははと笑って、怖さをごまかそうとしてみたが、余計得体の知れない恐怖が増しただけだった。



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