解決編3
私たちの前に突如として現れた、ルーカスの初恋はベルンのお母さんじゃない問題。
それはまさに青天の霹靂。
あ、いや、青天の霹靂はちょっと言い過ぎだな。なんか道路の向かい側の犬かわいいなってよそ見しながら歩いていたら、電柱にぶつかったくらいだ。
「自分の絵の師匠の奥さんに手を出すわけにもいかなくて、せめて幸せになって欲しいと願いを込めた絵を描ききる前に彼女は死んでしまうの。だからルーカスは絵を渡せなかった後悔を引きずって、何枚も何枚も彼女の絵を描き続けるのよ」
ライラは自分の言うことに一人でうんうん頷いて、興奮のためかほんのり赤らんだ顔で私を見た。
「ということは、つまり?」
「ルーカスの初恋の人がベルンハルトのお母さんなのはおかしい」
「そうなるね。で?」
「…そこまでだけど」
そこまでかー!そうだよねー!
はぁ…人任せにしてないで、私も真面目に考えよう。
よし、ここは一度整理しよう。
そう、何事も整理が一番大切。ちゃんと整理すればおのずと答えは見えてくるし、靴下を片方なくすことだってないのだ。いま靴下は全く関係ないのだが。
とりあえず、ルーカスの初恋の人はベルンのお母さんのエミーリア。これはルーカス本人からも聞いたので間違いない。
というか昔、学園でルーカスに絵を描いてもらったことがあったけれど、その時私の後ろに描きこまれていた女性は、おそらくエミーリアさんだったのだろう。なんか見覚えがあるなぁなんて思ったけれど、なんてことはない。ベルンはエミーリアさんによく似ていて、私はそのベルンの顔を毎日見ていたというわけなのだ。
さっそく脱線しかけてしまった。誠に遺憾である。
話しを戻して。
そのエミーリアさんは現国王の公式には存在しない妹で、臣籍降下されてレトガー公爵の養子になった。なのでルーカスとは義理の姉弟である。当然、そのエミーリアさんの息子であるベルンはルーカスからみて甥っ子というわけだ。
ルーカスにとってエミーリアさんは特別な人だったので、彼女の亡き後、ブルンスマイヤー家に身分を偽って入り込んだ彼はベルンの実質的な保護者であり教育者となった。
うん。よし。ここまでは何度も確認しているし、大丈夫だろう。
そしていま発覚した事実は、これらを全否定するような内容だ。
ルーカスの初恋の人が、エミーリアではなく、別の女性だという事実。
正直言われてみればそんな気もするし、いえ記憶違いでしたと取り消されたら、あ、そうですかと簡単に納得してしまいそうな感じなのだが、ライラはそれなりの確信をもって話しているみたいだし。
というか全然、全く、覚えがない。
はぁ~、全国のルーカスファンの皆さん、申し訳ない。
ルーカスルートって私個人の感想としては、わりとあまり良くない方向にパンチが効いてて、そういうエピソードに関する記憶がほとんど残ってないのだ。
もう一度、おそらく前世の世界にいるであろう、全国のルーカスファンの皆様方に心の中で陳謝しておく。
ルーカスの面倒臭いところとか、ちょっと頭おかしいところが私は好きではなかったが、そういうところが好き!という人もたくさんいるのだ。主人公の絵を描いて渡すラストに私がもう前の女の話しなくなったぞ!と快哉を叫んだ一方で、ライラが感動の涙を流したように。
とにもかくにも、だ。
まず、ライラの言うことが本当だったとしよう。
嘘の可能性もゼロじゃないかもしれないけれど、いまさらそんな嘘をつく理由もないだろうし、彼女が私よりもこの世界の基盤となっているゲーム「ライラックの君」に詳しいのは確かなはず。
するとやはり、シナリオが違うどころか、キャラ設定に大きな食い違いが生じていると言わざるを得ない。
というかよくよく考えてみれば、ゲームのルーカスが本当にただの絵描き兼、美術教師だったのに、この世界では諜報部のおそらく重要なポストを占める人物であるという時点で何かがおかしかったのだ。だってそんなインパクトの強いというか、濃い設定があって、シナリオに出てこないなんてありえない。
ありえないのに、どうして私、いままで気づかなかったんだろう…。
私は…そう、ずっと、シナリオ通りに物事が進まなくても、そんなこともあるかもって思っていた。ここは、私の生きている世界は、現実なんだからって。
でもヴィオラは、それは違うと言った。
シナリオは絶対であり、そこから逸脱するにはゲームの知識を持ったイレギュラーな存在が必要不可欠なのだと。
ということは?
まさか…。いや、でも……。
これ以上黙っていても話を進めづらいだろうと観念し、私は心なしか重たい口を開いた。
「…あのね、実は私、ここに来る前に嘆きの孤島によってきたの」
ライラがひゅっと息をのみ込む音が聞こえた。
なんとなく気まずい気持ちで彼女の方をうかがうと、心なしか青ざめ、表情も硬い気が。
「会った?」
ただ一言、ライラはそう尋ねた。
「会ったよ。ヴィオラに」
ヴィオラの名前に、彼女はますます顔を強張らせる。
そして、小さくそうとだけ返した。
「どうだった?」
「元気そうだったよ。監獄での生活に対してはちょっと不満があるみたいだったけど」
隙あらば出所だか脱獄だかする気満々だったみたいだし。
「アロイスは?」
「え、あー…」
しまったー!アロイスのこと、すっかり忘れてた!
「ヴィオラとあんまり変わらなかった、かな…」
男だから地下牢かもしれないけれど、あの暗牢よりは絶対にマシなところにいるのは確実だろうし、間違ってはいない!はず!…たぶん、おそらく。
アロイスのことをすっかり忘れていたということもそうだが、思ったよりも私の中で、あの騒動のことは早くも薄れつつあるらしい。
もちろん忘れたわけじゃない。
けれどもう、随分と遠い昔の出来事のように現実味がないような…。
それについ最近まで、それなりにインパクトのある出来事が立て込んでいたからなぁ。今頃領地でのんびりだらだらしていたはずなのに。おっかしいなー。
「それでね、ヴィオラに会って少し話したんだけどルーカスとベルンの仲が良いのはおかしいって言われたの。だからさっき、二人が親戚だっていう話はシナリオに出てくるのかって聞いたわけなんだけど」
「そうだったの」
「うん。あとヴィオラはこの世界は基本的には、全てシナリオ通りに物事が進むようになっているって信じているみたいだった。私たちみたいな前世の、ゲームの記憶がある人間でもいない限りは、必ずシナリオ通りに物事は進むんだって」
「ああ、ルールの話ね」
「ルール?」
「ええ、ヴィオラが言っていたわ。この世界にはいくつかのルールがあるって。それはそのうちの一つ。他にもいくつかあったけど、たぶんいくつかは嘘だと思う。私を操りやすくするための嘘」
非難するような言葉とは裏腹に、彼女は悲しそうに寂しそうに目を伏せた。
私には到底知るよしもないが、彼女たちは洗脳する側とされる側と言う単純な関係ではなかったのかもしれない。
しかしすぐに気を取り直したライラは、なぜ私がヴィオラの話をしだしたのか理解したのか、あっと声をあげた。
「もしかして、転生者!?」
ゲームのルーカスと、現実のルーカスには大きな食い違いがある。
その理由として考えられるものが、一つだけある。
転生者だ。
私たちよりも前に産まれた転生者が、彼の人生に介入したとするならば説明がつく。
そのせいでルーカスの初恋の相手が変わり、彼自身の未来も変わった。
まぁあのいけすかないヴィオラの言うことを信じるのならば、だけれど。
「一番有力なのは、ベルンハルトのお母さんになるのかな。えっと、その人のお名前は?」
「エミーリア」
「そのエミーリアさんが一番怪しいってことになるわね」
そうなんだけれど。
「でももう亡くなっているから、確かめようもないんだよね。それに私たちが知らない他の人っていう可能性もあるし」
「そうだよね…。ルーカス本人が転生者っていう可能性は?」
「ルーカスがぁ?」
腕を組んで、ちょっとばかしその可能性について検討してみる。
しかし思い出されるのはあのへらへらしたちゃらんぽらんで、何を考えているのかわからない紫頭の姿だけ。
「ないない。だいたいルーカスが転生者なら、もっとしっちゃかめっちゃかになってるよ。たぶん」
ライラもあまり本気で考えていなかったのか、案外あっさりとそうだねと引き下がった。
結局エミーリアが転生者説が一番有力だけど、確かめる術はなく、その他の可能性も十分にあるということで…。
「わ、わからん…」
脱力して私たちは空を仰いだ。
あ~いい天気だな~。
でも太陽がちょっとどころではなく眩しい。なんだかんだ言って、徹夜あけなのだ。
ずっと吹きさらしのベンチに座っているのもちょっと辛くなってきたかもしれない。
というかこれってそんなに重要なことなのだろうか。一番聞きたかったベルンハルトルートの話は聞けたし、なんか寒し、頭を使ったからか小腹も減っちゃったし。
そんなことを思ってしまうともう駄目だった。
「はぁ~、肉まん食べたい」
私がぽつりと呟いた言葉に、ライラの頭がピクリと動く。
「私、あんまんがいいな」
「でももっと贅沢言うと、暖かい部屋でアイス食べたい…」
わっと両手で顔を覆って、ライラはうわー!食べたい!と叫んだ。なかなかに切実な叫びである。
それから話は脱線し始め。
「子供のころはなんて不便な生活なんだろうって思っていたかな。でも凄いよね、人間って。いまは全然そんなこと思わない。あればいいけど、なくてもなんとかなるからいいやって思っちゃう」
「ライラはいつ頃気づいた?ここがゲームの世界に似ているって」
「確信したのは感謝祭でアロイスやヨハンと出会った時かな」
へー、けっこう遅かったんだ。
「それまではずっとただの偶然なのか、夢か現実なのかすらわからなかった。自分がライラによく似ているっていうのは物心ついた頃からわかっていたんだけど」
彼女は自分の水色の髪を一房すくい、こんな髪の色そうそういないしねと感情の読み取れない声で言った。
「リジーアは?」
「私は十歳の時かな。王宮でエドウィン王子と同じ年頃の子供たちを集めたお茶会があって、その時エドウィン王子とかベルンに会って、ま、まさか!って」
ライラに私がベルン狙いだったとか勘違いしてほしくなくて、言い訳がましく私は付け加える。
「その時はまだ、ベルンが隠しキャラだってことは知らなかったんだ。ただこの人は将来、やばい奴になるぞってくらいで」
「ふーん。でも結局、そのやばい奴ともうすぐ結婚するんでしょう。結婚か…。羨ましいな」
結婚するんだよなと思うと急に恥ずかしくなってきて、私はもにょもにょとそーなんですよ的なことを言った。
よくよく考えなくても、私、あの人と結婚するんだよね。
結婚。
結婚かぁ…。
ずっといつかはベルンと結婚すると思ってはいたけど、もうすぐだねと言われると全然実感がわかない。
「だからベルンハルトルートやルーカスのことを聞きにきたんだ。そうだよね、結婚って一大事だし、ルーカスと親戚になるのってちょっと不安だよね」
旅を始めた理由はまぁ違うんだけど、ライラに会いに来た理由は大方合っているから、そうそうと頷いておく。
「結婚式は来年?」
「さぁ?」
「さぁって。まるで他人事じゃない」
なんかどこかで似た会話をしたような。なるほど。これが、デジャヴか。
「もし来年、私が結婚式をあげるってなったら、来てくれる?」
内心ドキドキしながら尋ねてみる。
たぶん断られないとは思うけど、思うけれども、万が一断られたら悲しいじゃない?
「私が行ってもいいのかしら…」
「もちろん」
でもやっぱり来づらいなら、無理に来なくてもいいよと付け加える。それにここからリートベルフにしろ、王都にしろどっちで結婚式をするかわからないが、なかなかに遠い。
結婚と言えば、ライラはお兄さんとどうなっているのだろう。おそらくだけど、ライラはお兄さんのことが異性として好きみたいだったし。
「ライラはずっと修道院にいるつもり?」
「どうして?」
「その、お兄さんとはどうなったのかなぁって…」
なんか詮索好きみたいになっちゃって嫌なんだけど、気になるものは仕方ないよね。うん。
それに私はもうすっかりライラのことを許してしまっているので、彼女にも幸せになって欲しいなんて呑気なことを考えていた。
ライラは一瞬顔をぽっと赤らめたが、すぐに俯いてしまう。
え、ど、どうしたの?
「もしかして実の兄妹、道ならぬ恋に苦しんで…」
ちょっと冗談めかして言ってみると、ライラはそうじゃないのと困ったように笑う。
「お兄様と私は正しくはまた従兄弟なの。お兄様は養子」
「あ、お…そうなんだ!」
思わずおめでとうと言いかけて、いやおめでとうじゃないだろうと慌てて言い換えたが、なんか不審な感じになってしまった。恥ずかしい。
あー、でも、安心した!
そっか、そっか。これは良いことを聞いたぞ。
いや、血の繋がった妹が兄に叶わぬ恋を抱いてとか、ちょっとドラマが過ぎるというか、お節介な心配をしていたので、これで安心だ。
「でも私、死ぬまでここで暮らすつもり」
「え!?なんで?」
もしかしてお兄さんに振られたとか?
すまない、妹としてしか見れない的な!?
「私には」
ライラは消え入りそうな声で言う。
「…私には、幸せになる資格なんてない。洗脳されていたとは言っても、私はたくさんの人を傷つけてしまった。私は自分以外の人間なんてどうなってもいいと思っていた。エドウィン様や、ヨハンが制裁した人たち、もちろんヨハンにも、私にはどう償ったらいいのかもわからないの。…いまも時々夢を見るの。私が傷つけてしまった人たちに囲まれて、責められて、私が消えていってしまう夢」
洗脳は解けたといっても、消えてしまうという恐怖は深く彼女の中に根差しているらしい。太ももの上で上品に重ねられた彼女は、小さく震えていた。
「せめてここで私が傷つけてしまった人たちの幸せを祈り続けるくらいしか、私にはできないから…だから…」
だから、一生をここで過ごすのか。
それは…。
「それは違うよ」
なにが違うのかって、はっきり言えるわけではないけれど、修道院に引きこもって祈るのはなんだか違う気がする。
のっそりと顔をあげたライラに、私は迷いながら、それでも慎重に言葉を探しながら言った。
「あなたがしたことは確かに正しいことじゃなかったと思う。でも、やっと人の指図を受けずに自分の人生を選べるようになったのに、広い世界を知らずに、自分の幸せ探しもほったらかして生きていくのはもったいないよ。償う方法がわからないって言ったけど、わからないなら色んな世界を見て探していけばいいんじゃないかな。…まぁ、私も狭い世界に住んでいる気がするから、こんなこと偉そうに言える立場でもないんだけれど、それでもやっぱり私は、あなたが一生をここで過ごすのは、なんだか違う、と思う。私たちは、せっかく二度目の人生をもらったんだから……やっぱりもったいないよ」
気まずい沈黙が降りてきて、風に揺れる木々の乾いた音だけが聞こえる。
結局なんだって感じのことしか言えなくて、でもそれは逃げなんじゃないかと強いことを言えるはずもなく、だからと言って修道院ライフを楽しんでね!なんてドライなことはもっと言いたくなかった。
やはりお節介だっただろうか。
そんな心配に心臓がバクバク言い始めた時だった。
鼻を小さくすする音がした。
「…ありがとう」
驚いた私が顔を見るより早く、ライラはベンチから勢いよく立ち上がった。それから寒くなってきたから戻ろうと振り返らずに言う。
「ちゃんと言えなかったけれど、私、あなたにはとても感謝してるの。ヴィオラもアロイスもエドウィン様もあんなことになっちゃったけど……それでも本当に感謝してるの」
顔は見えなかったけれど、きっとその言葉は本心であったのだろう。
細い背中に揺れる水色の髪の毛を見つめながら、私はなんだかすっと肩の荷が下りたような、妙にすっきりとした気持ちになった。
さっきライラに、あなたのしたことは正しくなかったと思うと言ったけれど、正直なところ私は私自身がしたことも正しかったとは思えなかった。
私がもっと賢くて、強ければ、もっと円満な解決方法があったのではないだろうか。もしも、もしも…。
けれどいまライラにありがとうと、感謝していると言ってもらって、ほっとした。
少なくとも一人に、誰かに感謝された。私のしたことを認めてもらえた。
それだけで十分ではないだろうか。
まぁ実際頑張ったのは私じゃなくてベルンなんですけど、でも私だってミジンコレベルくらいには力になったって思っていいよね。ちょっとは頑張ったって思っても、いいよね。
「どういたしまして」
だから、そう言った声がちょっと震えてしまったのも、仕方のないことだろう。
「すっかり話し込んじゃったけど、大丈夫かしら」
お互い落ち着くのを待って、私たちは屋内に戻ることにした。
話しに夢中だった時はそんなに気にならなかったのだが、いくら天気がよくても冬は冬。ずいぶん体が冷えてしまって、なんだか関節も固まってしまったように感じる。
「待ちくたびれて寝ちゃってるかも」
でもベルンは眠りが浅いタイプだから、私たちが入ってくる音で起きて、さもずっと起きていましたよって顔をしそうだ。
そうだ。さっき棚上げになったルーカスの話をベルンにもしてみようか。
ちょっと背景を説明するのが大変かもしれないけれど、ここまで付き合ってくれたわけだし、何も話さないのも悪い気がする。
「もうすぐお昼になるけど、ご一緒にいかが?ご馳走はありませんけれど」
「あら。では、喜んでご一緒させていただきますわ」
唐突な貴族ごっこ、まぁ二人とも貴族令嬢だからごっこも何もないんだけど、とにかく和やかなムードで廊下を歩いていた時だった。
あまりに気配もなく、突然だったので、私は一瞬それが何かわからなかった。
それは背後から私の肩越しににゅうと伸びてきた。
白くて筋張った、大きな手。
ぎょっとして、足が竦む。
まずい!
慌てて、その腕の中から逃げようとしたがもう遅かった。
その腕は信じられないほどの俊敏さで私を捕まえ、ぐいっと物凄い力で後ろの地面へ引っ張りこもうとする。ゾッとするほど体温のない腕は力が強く、息が止まる。
とっさに助けを求めて、一歩先を行くライラの背中へ手を伸ばしたが、指先は虚しく宙を切って、ぐるんと目の前が回る。
私が最後に見たのは、灰色の石でできた高い天井と、行く先もなく伸ばされた自分の手だった。




