解決編2
港から街の大通りを突っ切り街道へは出ずに、森のほうへ少し行ったところに修道院はあった。
クリーム色の柔らかな印象の外観で、周囲の木々はほどよく間引かれているのか森の近くにあっても開けた感じがしてとても気持ちがいい。礼拝堂へ向かう道に敷かれたレンガの赤茶色がそれを囲む草木の緑に映えて、まさに一枚の絵のようだった。
今日は風も穏やかで、水で薄く溶かした青色の絵の具を刷毛でさっと刷いたような空には千切れた雲がいくつか浮かんでいる。寒いのは相変わらずだが、天気がいいとなんだか元気が湧いてくる気がした。
「どこに行けばいいのかな?」
裏に事務所みたいなところがあるのだろうか。それとも窓口的な?
よくわからなくて首を傾げる。
「とりあえず礼拝堂に入ってみよう」
「そうだね」
途中飛び出たレンガにけつまずいたりしながらも、礼拝堂に入った私たちは感嘆の声をあげた。
中は堂内とは思えないほど、明るい光に満ちていた。
アーチ状に組まれた高い天井のいたるところに天窓が設けられ、正面祭壇奥にも巨大な窓がある。よく見るとアイアンで何かの絵か場面を表しているようにも見えるが、残念ながら私は信仰心に篤くないのでそれが何なのかはよくわからなかった。しかしとにかく芸術的に素晴らしいものであることはわかる。
真っ直ぐに伸びた柱や天井には簡素な装飾しかされていなかったが、逆にそれがいかにも上品な感じであった。
それになんだかほんのり甘いようなすっとするような良い香りもする。
「ベルンのお葬式をした講堂とは全然違うね」
なんとなく声を出すのがはばかられて、こそこそと小声になってしまう。
実際朝の祈りに来ている熱心な人の姿もちらほらあり、ぺちゃくちゃしゃべって邪魔をするのはとても悪いことのように思われた。
殿下の婚約者騒動が終わってすぐの夏にベルンの葬式は、国内でも有名な講堂で執り行われたのだが、あそこはここに比べて装飾過多というか、ちょっと仰々しかったように感じる。
「目的が違うからじゃないかな。あそこは祈りを捧げる場所と言うより、行事を執り行うために建てられたものだから」
「なるほど」
個人的にはこっちのほうがシンプルだし明るくて好きだな。
長椅子の間を通って、祭壇のほうへゆっくりと歩いていくと、漂っている香りがいっそう強くなってくる。たぶん祭壇かその近くで焚いているのだろう。桧とか杉のような森林系の香りに、果物の甘い爽やかな香りを混ぜたような、嗅いでいて落ち着く匂いだ。
薄灰色の堂内と一体化していたのか、近づくにつれ祭壇奥の隅で灰色のワンピースを着た女性が掃除をしている姿が浮かび上がってくる。
服装や丁寧に雑巾で燭台を拭いている様子から、おそらくここの修道女なのだろう。
私たちは彼女に話しかけるべきか顔を見合わせたが、ここは修道院。邪険にはされないだろうと、声をかけることを決意し、そろそろと近寄り話しかけると彼女はにこやかに微笑み、どうかされましたかと言った。
歳は四十あたりで、見ているとほっとするような笑みを浮かべて接してくれる。
いかにも修道女のイメージを体現したような、徳とか凄く高そうな女性だ。
「こちらにライラ・カーネイルさんはいらっしゃいますか?」
「ええ。あなた方はライラさんのお友達でしょうか?」
今度はいい友達になれるわって言って別れたから、厳密には友達ではないのかもしれない。だからと言って、そうじゃないと言うのもなんだかややこしい気がして、とりあえず頷いておく。
「まぁ!」
しかし彼女は私の不安など知らないので、ライラの友人が訪ねに来たということを自分のことのように喜び、顔を輝かせた。
「すぐに呼んできますから、そこのベンチに腰かけていてくださいな」
「ありがとうございます」
一礼して彼女は足早に礼拝堂の奥のドアへと消えていった。
ライラは私たちを歓迎してくれるだろうか。
こんなこと考えたくはないけど、落ち着いて過ごすうちにライラもやっぱり私が悪いと思うようになって、私を嫌っていてもおかしくはない。
二日連続で敵意を向けられるのはちょっと、というかだいぶ嫌、だなぁ。
うう、なんだか急激に憂鬱になってきた…。
ライラに好意的かせめて普通の態度で出迎えてもらえなかったら、けっこうくるかも。もしくは心がポッキリ行くかも。
ぼんやりとした不安を紛らわすように、白と灰色ばかりの礼拝堂内のあちこちを観察して過ごすことしばらく。左手の奥まった扉から二つの人影が現れた。
最初に見えたのは、あの懐かしい水色の髪だった。
灰色の地味なワンピースを着たライラは、はやる足を必死に抑えているというような調子で現れると、キョロキョロと誰かを探すようなそぶりをした。
急いできたのか少し頬が赤い。
学園にいた頃、特に最後のほう、彼女はやつれていまにも倒れそうな儚げな印象があったが、見たところ体重も戻って、いたって健康的といった感じだ。
ああ、元気そうでよかった。
私がひとまず安堵したところで、彼女のほうも私を見つけ、ぱっと目を輝かせた。そこに私に対する好意が見えた気がして、思わず嬉しくなった私は、椅子から立ち上がり挨拶がわりに片手をあげる。
「リジーアさん!」
走り寄ってきたライラはあと二歩というところで立ち止まり、親しそうな微笑みを私に向けゆっくりと噛みしめるように言った。
「ようこそ、ナーガソルシア修道院へ」
「えっと、とりあえず久しぶり」
礼拝堂から来客用の部屋に場所を移し、私がそう言うとライラは同意するように大きく頷きはにかむ。
「またお会いできて嬉しいです」
それから元気そうでよかったとか、修道院での生活はどうかとか世間話をした。ライラの話や様子からも分かるが、彼女にとってここでの生活は良いものであるらしかった。特にさっきライラを連れてきてくれた女性は、修道女をまとめる立場にある女性らしく、来たばかりのライラを何かと気にかけてくれているのだそうだ。
ぎこちなかった空気がだいぶん打ち解けてきたかなというあたりで、ライラが尋ねた。
「会いに来てくださったのは嬉しいんですけれど、お二人はどうしてここへ?何か私に御用でも…」
「いや特別大事な用があってきたわけじゃないの。旅の途中で近くまで来たから…」
どう切り出そうか迷っていると、ベルンに横から肘で小突かれる。いや、いま考えてるんだって。
「旅行を」
ライラは少し驚いたような羨ましいような感じで少し頭をのけぞらせた。
「うん。それでライラはどうしているかなって。ちょっと聞きたいことも、あって、ね」
私のあいまいな口ぶりにライラは少し怪訝そうにしていたが、すぐに何か思い当たったふうに目を見開いた。
そして唐突に、
「お庭を歩きながらお話しませんか?」
それからベルンのほうを向いて、申し訳なさそうに言った。
「庭は居住区の近くなので、男性はご遠慮していただいているんです。なので…」
ライラの濁した言葉の続きも、私を庭へ誘った意図も全部わかっていると言うようにベルンは対外用のにこやかな顔をした。
「僕はここで待っているから、二人で散策なりなんなり行くといい。実は寝不足で、どこかで休みたいと思っていたところなんだ」
とってつけたような言い訳に苦笑しながら、私はありがたく二人の申し出に従うことにした。
ベルンに見送られ、私はライラとともに部屋を出ると、扉を閉めてすぐにライラがそれでと言った。
「聞きたいことって、私にしか答えられないことですよね」
ライラは私が何か真面目な話をしにきたのと思っているのか、硬い表情をしていた。それを否定すべく違う違うと手をひらひらさせる。
「確かに聞きたいことは私たちの前世に関わることだけど、そんなにかしこまるような内容でもないよ」
拍子抜けしたような顔をするライラに苦笑しながら、それと、と私は続ける。
「私に敬語は使わなくていいから。…その、私たち、友達でしょ?」
ちょっと緊張しながらそう言うと、ライラは一瞬きょとんとしたのち、恥ずかしがるような顔をしておずおずと頷いてくれた。再会した時のようなぎこちなさがお互いの間に流れるが、なんだかくすぐったいような心地よさがある。
互いに照れていることがおかしくなって、顔を見合わせていた私たちは二人してふふふと笑った。
「それでさっそくなんだけど、ベルンハルトルートについて教えてもらいたいんだ」
「ベルンハルトルートについて?」
屋根付きの廊下を歩きながら、ライラは不思議そうな顔をする。
「実は私、ベルンハルトルートを見つける前に死んじゃって…」
見つける前と言うか、ベルンハルトが隠しキャラと知る前だったんだけれども、まぁ同じようなことか。
私の死んじゃってという言葉に、ライラは目を伏せ一瞬つらそうな表情を見せる。
しまった。何か気に障るようなことを言ってしまったのか。
焦る私に気を取り直した彼女がごめんなさいと悪そうに一つ謝った。
「自分が一度死んでいるってことが、その、…どう受け止めたらいいのかいまだにわからなくって」
そういえば、ライラは洗脳されていた時も消える、つまり死んでしまうことをとても恐れていた。私は自分が死んだときのことをしっかりと覚えているし、理解もしている。そりゃかなりショックではあったけれど、いちおう割り切ってもいる。けれど誰もがそうというわけではないのだ。
私にはそっかと、あたりさわりのない相槌を打つことしかできなかった。
「ごめんなさい。えっと、ベルンハルトルートの話だよね」
ライラが謝る必要なんてないのになと思いつつ、彼女がこの話をもう終わりにしたいならわざわざ掘り下げることもないだろうとうんと頷く。
「ベルンハルトが隠しキャラだったっていうのは、大丈夫?」
「らしいね」
まだ学園にいた頃、ライラと口論というか喧嘩みたいなことになったのを覚えているだろうか。
ベルンと久々にゆっくり過ごしていたところに現れて、彼女はベルンハルトを自分に返せとか、隠しキャラだから好きにしていいのかと思ったのかとかさんざんなことを言って、それに私もキレて怒鳴っちゃったといういまだからこそ、そんなこともあったなぁって話せる出来事である。
その時に初めて私は、ベルンハルトが隠しキャラだったのだと知ったのだった。ちなみにライラが私と同じ転生者だと知ったのもこの時だ。
「じゃあ、ルートの内容が知りたいってこと?」
「うん」
ライラは内容内容と呟きながら、頭上を見上げる。一生懸命思い出しているらしい。
相変わらず不思議な水色の髪が歩くたびにフワフワと揺れるのを横目でみつつ、私は彼女が話し出すのをじっと待った。
「たしかエンディングが大きくわけて二つあった、かな」
「へぇ、他のキャラより少ないんだ」
二つってことはノーマルとハッピーとかかな。それともノーマルがなくて、バッド?それってちょっと極端じゃない?
「あくまでおまけって感じだったんじゃないかな?しかもノーマルとバッドだったし」
なるほど、おまけなのかぁ。ちょっと微妙な気持ちになる。ちょっとー!うちの子がおまけってどういうことよー!みたいな。
しかもノーマルとバッドしかないって。
「ハッピーは?」
「たぶんキャラ設定的に無理だったんじゃないかな」
「どういうこと?」
「ベルンハルトってライラ…」
ライラは自分がその主人公であることを思い出して、複雑な気持ちになったのか物凄く気まずそうにした。それから気を取り直したように、咳ばらいをして言い直す。
「ベルンハルトってゲームの主人公と出会って改心するんだけど、それまでけっこう後ろ暗いことをしていたのね」
「あ、それは知ってる」
「それは知ってるの?」
「エドウィンルートのラスボスで出てくるから」
成り行き上、その後ろ暗いことがどういうことかも薄々知ってしまっているわけなんですけども。
「あ、そっか。そう、だから円満というか、ハッピーエンドは作れなかったみたい。あとやっぱりボーナスって感じだったから、容量的にも難しかったのかも」
「メタいな~」
「メタいね」
つまり制作側の問題と、キャラ設定の問題で、ベルンハルトルートにはノーマルとバッドしかなかったというわけか。
それからライラは周囲に人気のないのを確認して、近くのベンチに座ると、思い出せる範囲で、ルートの内容を教えてくれた。
まず二周目以降でエドウィンルートに入りかけている状態で、草原に行くという選択肢が追加されるそうだ。この草原とは、さっき話にもでたあの場所である。
そこで草原に行くを選択すると、主人公はベルンハルトが外部の人間と接触している現場を目撃してしまう。あの優しいベルンハルトには何か隠していることがあるらしい。疑うのは悪いと思いつつ、やはり気になって調べるうちに主人公はベルンハルトの裏の顔を知ってしまい…。という感じで進んでいくのだそうだ。
だからあの時ライラは私たちの前に現れた。別にベルンハルトの攻略をするつもりではなかったが、ヨハンの離反の直後でもあり、彼女はシナリオがちゃんと進んでいるのか確認して安心したかったのだという。しかしそこには転生者の疑いのあった私がいて、彼女の中にたまっていた不安や恐怖が爆発してしまったというわけなのだそうだ。
ベルンハルトルートに話を戻すが、彼が王族の血を引いているという設定もちゃんとルート内で明かされるという。これでアロイスがベルンの出自を知っていたのも、ヴィオラ経由だったのだと説明がつく。
「途中殺されかけたりするけど、それがきっかけでベルンハルトがライラへの気持ちを自覚するの」
殺されかけるって…。物騒だ。
主人公とベルンハルトの恋の話って複雑な気持ちになるかと思っていたけれど、そんなこと聞いてしまうとなんだか申し訳ない気持ちになってくる。
なぜもっと温和に恋愛が始められないのか。主人公も体張ってんなぁ。
「…なんか、ごめんね」
私の横にいるライラは主人公のライラじゃないけど、とりあえず謝っておく。
というかライラはライラだけどライラじゃないって、物凄く意味わからない状況だよね。
「それでまぁいろいろあるんだけど、ベルンハルトが殿下の…エドウィンの暗殺を諦めきれなかった場合、暗殺が失敗しちゃってライラと心中するのがバッドエンド」
「心中」
「暗殺を諦めてもそれまでの悪事がばれて、ライラと駆け落ちするのがノーマルエンド」
「駆け落ち」
どのみちバッドな気がするのは私だけだろうか。
いやでも、駆け落ちはまだ幸せ、なのかなぁ…。わからない。だってかいつまんだ話を聞いているだけだし。
いやまぁ、とにもかくにも。
「ヘビーだ!」
「でしょ?一つくらいいちゃいちゃしていてるエンドがあってもいいのにね!」
そうだねと賛同しかけて、いちゃいちゃされても嫌かもしれないなんて思う。乙女ゲームなんだからとか、主人公といちゃいちゃするベルンハルトは私のベルンじゃないとか、いろいろわかっちゃいるんだけれども……。
まぁこの世界のベルンは私の婚約者ですから!昨日も私のこと可愛いって言ってくれたし!
どこぞの画面で私以外の女にベルンハルトさんが愛を囁こうが、一緒に死のうが、ぜんっぜん関係ないね!
…関係ないのか?う、うーん。
そんなことはおいといて。
「ねぇ、ルーカスとベルンハルトが親戚って話はシナリオに出てこないの?」
一瞬ヴィオラにあって来たところから伝えるか迷ったが、私はひとまずその話題は避けて、ベルンとルーカスのことを聞くことにした。
ライラがヴィオラやアロイスにどんな気持ちを抱いているのかを聞き始めるのは、まだ早い気がするし、私が聞いてしまっていいものなのかもよくわからなかったからだ。
「あの二人って親戚だったの!?」
初耳と驚くライラに、私も最初聞いたときは似たような反応をしたなぁと懐かしい気持ちになる。
私はベルンハルトルートの内容を知らなかったので、聞いた当時そういう設定もあったのかとすぐに受け入れられたが、全部のルートをやっていてそれでも知らないとライラが言うのだから、やはりヴィオラの言っていたルーカスとベルンハルトは何のかかわりもなかったという話は本当らしい。
「ベルンのお母さんが、レトガー公爵の養子で、ルーカスのお義姉さんだったんだって」
「つまりベルンハルトはルーカスの甥っ子?」
「しかもベルンは子供のころ、ルーカスに世話をしてもらっていたっていうか、色々教えてもらってったんだって。いまも二人ともなんだかんだで仲いいよ」
「うそー!知らなかった!」
大きな声をあげてすぐに我に返って彼女は口に手を当て、あたりを見回す。
誰もいないのを確認してから、ボリュームを落としてもう一度、うそー!と小声で繰り返す。その様子がおかしくてついつい笑ってしまう。
「信じられない!あのルーカスが?あの初恋の人と絵以外には興味なしのルーカスが?」
「ベルンのお母さんが初恋の人だからね」
「あ、なるほど!だからかぁ。けっきょく初恋の人関係なのね」
ちょっと呆れたような物言いに、ライラもルーカスを攻略中どう感じたのか聞きたいという好奇心がむくむくと湧いてくる。
「ねぇルーカスの攻略、面倒臭くなかった?中盤とか特に、好感度あげると自殺しようとするから毎回止めるシーンが入ってさ」
「そうそう!うわー、懐かしいなぁ。でも、ハッピーエンドで主人公の絵を初めて描いて渡してくれるところは泣いちゃったな」
「え、マジで?」
「感動しなかった?」
「どっちかというと、やっと前の女の話しなくなったぞ!って思ったかも」
「なんでよー!」
ライラは私の肩を掴んでぐわんぐわん揺らして、抗議する。
私が揺すられるままに声を出して笑うと、抗議していたライラもいつのまにか一緒になって笑っていた。
こういうふうにずっと彼女と前世の話をして、笑い合いたいと思っていたことを思い出して、ちょっと泣きそうになったのは内緒だ。
それから二人でルーカスルートの萌えたポイントとかちょっとした愚痴とかでキャッキャッ盛り上がっていたのだが、ふっと突然ライラが顔を曇らせた。
それから彼女は押し黙って、あれとかでもとか一人つぶやき不安そうな様子を見せる。
「ど、どうしたの?」
「あのね、話しながら思い出したんだけど…」
彼女は自信がなさそうに一度言いよどみ、それからこう付け加えた。
「それに私の思い違いかもしれないんだけれど…」
わかったから、早く言ってくれ。
話しながら思い出して、思い違いかもしれないけれど?
「ルーカスの初恋の人はベルンハルトのお母さんなんだよね?」
「本人から聞いたから間違いないよ」
ますます困惑した表情になって、ライラは言う。
「初恋の人って、ルーカスの絵の師匠の奥さん、じゃなかった?」
「はい?」
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