幕間あるいは他愛ない夜話
徹夜を決意した私は窓辺に置いてある小さなテーブルに座り、旅装束にほころびやほつれがないか見ていた。どうにもじっと座って色んなことを考える気分になれなかったのだ。
それよりも何か作業をしたほうが落ち着く気がして、こうして旅装束を広げて見ているというわけである。
この町で一番高い宿というだけあって、窓の両脇の壁には、肩よりも高いところにちょっとしたくぼみがあって、そこにオイルランプがおけるようになっている。おかげで夜でも手元がよく見えて助かっている。これが無かったら、それこそ一晩中まんじりともせず月でも見ているしかなかっただろう。それはいくらなんでも暇すぎる。
さっそく擦れてほつれかけているところを見つけ、私はいそいそと針と糸を取り出した。
この服はもともとは侍女の物で、このほつれがこの旅でできたものなのか、そうでないかはわからない。放っておいても大丈夫そうだけど貸してくれたお礼と言ってはなんだが、繕っておこうというわけだ。
自分でいうのもなんだがもともと裁縫は好きだし、わりと上手いほうだとは思う。
刺繍に関してはベルンにお株を取られてしまったので、ちょっと意地になって貴族令嬢には必要のないレベルまで裁縫の腕を磨いたというわけなのだ。ちなみに磨いたものの活躍する場面も気配もなかったのは誠に遺憾である。
裁縫を教えてくれた侍女頭の顔を思い浮かべ、そう言えば、屋敷の皆はどうしているだろうかとふと思う。
屋敷のある方角、というわけではないが窓の外、暗闇に覆われた家々の向こうをなんとはなしに見つめる。
ほとんどの人はすでに眠っているからか、建物の窓で光っているものは宵の口が始まった時に比べてぐんと少なく、通りを行く人の持つ小さな明かりが、街に取り残されぽつねんとゆらゆら進んでいくのがよく見える。
お父様たちには学園の友達が留学に行くので、見送りと観光がてらベーレに行ったということにしてあるのだが、年が明ける前には領地に戻らなければならない。
年明けギリギリに帰るわけにもいかないし、そうなると修道院に行ったあとはあまり寄り道せずリートベルフへ帰路をとることになるだろう。
結局、旅というわりにはあまり観光できなかったなぁ。
別に観光目的で始めたものではなかったが、いままで立ち寄ってきたところを振り返ってみるが、まともな観光地らしきところはない。というかベーレに行くって言っておきながら、実際にはその手前でUターンしてさらに北上したって感じだし。せめて土産物くらい見たかった。…ん?土産物?
重大なミスに気づいて、私はあっと無意識に声をあげた。それらしいお土産をまだ買ってないことに気がついたのだ。
「あっちゃー」
「どうしたの?」
ベルンが背後からひょっこりと私の手元を覗き込む。
「ベーレに行くって言ったのに、お土産買ってないなって」
ああと納得して、すっかり寝る準備をしていた彼は私の向かい側に移動し腰かけた。
「まぁ、いいんじゃない?」
え~…。ゆるすぎだろ…。
そりゃ、買ってきてねって頼まれたわけでもないけどさ、何もないってのも変な話ではないだろうか。私だったら、ちぇ無いのかって思う。
というか、なんかいまの懐かしいな。
ベルンと初めて会った日も、同じことを思ったような。
なんだったっけ。
確か私が前世を思い出したばかりで具合が悪くなってしまって、ベルンが休憩室に連れて行ってくれたんだっけ。
それで殿下…いまはもう殿下じゃなくなってしまったのだが、エドウィン王子と話さなくてもいいんですかと尋ねたら、彼はいいんじゃない?ってなんでもないことのように言ったから、その時の私もさっきの私同様にゆるすぎだろって内心呆れたのだ。
あまり記憶力は良いほうではないと思っていたのだが、その時の情景がありありと浮かんできて私は目を伏せる。
そこには真っ直ぐな黒髪が印象的なほっそりとした少年がいた。彼の長めの前髪がさらさらと揺れて、灰色の瞳が私を見ている。
綺麗に剪定されたバラが円形に囲む王宮の中庭には、たくさんの貴族の子供たちがいたのに私も彼も離れたところでそれを見ていた。いま思い返せば、私はちょっとさめたところのある子供だったし、彼も周囲からすると近寄りがたい子供であったのかもしれない。
あの時は目の前の少年と、こんな長い付き合いになるなんて考えもしなかったものだが。
なんだかおかしくなってクスクスと笑いがこぼれてしまう。
「何が面白いの?」
「いや、初めて会った時も、そんなこと言ってたなぁと思って」
「そうだっけ」
「そうだよ」
ベルンは私と同様にあの日のことを思い出そうとしているのだろう。ぼんやり視線を漂わせ、それからふっと薄く笑った。いかにも思い出し笑いって感じの笑いだ。
「…君はなんだか凄く驚いた顔をしてた」
なにこの子、美形ー!ってなってた時かな。
「突然美少年に話しかけられたからね」
ニヤニヤしながら言うと、ベルンはなぜかうっと少し口ごもった。なんだなんだ。照れてるのか?
それから微妙に私から視線をずらしつつ、こんなことを言う。
「僕の容姿は、その、リジィにとって好ましかった?」
いまいちわかりづらい言い方をされて、首を捻る。
もっとシンプルに言ってという私の視線に耐えかねるように、彼はぼそぼそと質問を言い直した。
「僕は君の好みだったのかなって」
「いまさらそんなこと聞く?」
私の返答にがっくりと肩を落とし、降参だとでもいうかのように彼は脱力した。
「エルメンヒルデに僕のどこが好きか聞かれて、どこだろって言っていただろ」
あ~、そんなこともあったような。
聞き耳を立てていたことは知っていたけど、意外と気にしていたのか。こんなことなら優しいとことか適当に言っとけばよかったかも。実際、優しいわけだし。
「好みかぁ…。美形だなとは思ったけれど、特に好きとかは思わなかったかな」
というかそんな段じゃなかったしなぁ。
それにこういう見た目が特に好きとかはあまりないかもしれない。
ああ、でも、
「ベルンの目は好きだよ。垂れぎみなところとか、色とか。日が当たると銀細工みたいで凄く綺麗」
あとたまに私がわがままや変なことを言ったときとかにする、仕方ないなぁみたいなちょっと困った感じの顔も好きだ。
ベルンはそうとだけ素っ気ない相槌を打って、肘をついた手で口元をすっぽり覆い隠してしまった。けれどいちおう満足のいく答えだったのか、ちょっとだけ目が笑っている。素直に喜べばいいのに。
もっと言ってあげたほうがいいのかなと、私はどうして彼のことを好きになったのかと自分に問いかけてみた。
けれどこれといって好きになった理由とかきっかけとかいうものが思いつかず、自然と服をつくろう手が止まる。
正直何で好きなのとか聞かれても、これだ!という答えはない気がする。
たぶん何か決定的な瞬間があったわけじゃないのだ。
恋愛とかそういうものを考える以前に、私たちは婚約者だったし、ベルンのことは人間的な意味で好きだった。それが気付けば、いつのまにか恋とか愛情とかいうものになっていた感じなんだと思う。
だからたぶん、彼の見た目とかはあんまり関係なかった…とか言ってみたいけど、ベルンかっこいいからなぁ。
見た目に惹かれなかったかと聞かれたら、否定はできない。前世でも立ち絵見て、キャーキャー言ってましたし。いやほら、そこは私もいちおう女の子なわけですし。
「ベルンこそ私の見た目についてどう思っているの?」
なんとなく気恥ずかしくなってきて、今度はこっちが聞いてみると、ベルンは腕を組んでいかにも真面目くさった顔をして言った。
「それは難しい質問だな」
え、なに?難しい?
ここは無難に可愛いとか、私がベルンの目の話をしたみたいに好きなとことかを言うところじゃないの?
「まず一般的に言って、美人ではない。僕もそれは認める」
ちょっとー!いや、反論の余地もないけど!
「そういうこと言っちゃう!?」
思わず非難の声をあげた私に、ベルンは自分でも困ったとでもいうかのようなちょっと情けない、でもしっかりとした調子でこう続けた。
「でも可愛いと思うよ。誰が何と言おうと」
「ひぇ…」
き、聞きました、奥さん!?この人いま、私のこと可愛いって!可愛いって!
「あ、ありがとうございます」
文句を言っておきながらいざ可愛いと面と向かって言われてしまうと照れてしまうというわけで、もにょもにょお礼を言うと彼はなんで君がお礼を言うんだとおかしそうに笑った。
「まだしばらく起きているつもり?」
「うん」
というか徹夜する気まんまんである。
「それは今日様子がおかしかったのと関係ある?」
うっ。
「…どうだろうね」
はぐらかす言葉は我ながら弱々しい。
「僕には話しづらい内容?」
話しづらい内容、になるのかな。
だってベルン本人に、あなたが牢獄に囚われていて、死んでいく夢を見ますなんて言えないし、言いたくもない。
ルーカスとのことも聞いたからって、何かわかるとは思えないし。
というか話すにしてもどこから話したものか。自分でもよくわかっていないことを説明するのって凄く難しい。
「いまはまだ説明できないかな。私にもちょっと難しくて」
「案外、話してみたらすっきりするかもよ」
「珍しいね。いつもはここらへんでわかったとか言って引き下がるのに」
「君に怒られてから、色々と考えを改めている途中だからね」
大真面目に言われて、今度は私が口ごもる番だった。
支離滅裂だったことや、人目もはばからず泣いていたことを思い出し、かなり気まずい。次喧嘩することがあったら、もっと大人な対応でクールに……うーん、無理だろうなぁ。
ベルンはじっと私の手元を見つめている。
それは人によっては早く話せと威圧されていると勘違いするかもしれないような態度であったが、私はこれまでのそれなりに長い付き合いから、彼が別にこちらを威圧したくてそんな態度をとっているのではないとわかっていた。
おそらく興味がないわけじゃないが、無理にでも聴きだす必要もないと考えているのだろう。本当に話したくないなら話さなくてもいいし、話すなら聞くよという、なんとも中途半端な態度なわけだ。
そうなると逆に是が非でも聞いてもらおうじゃないかみたいな気持ちになって、私は自分の悩みの中でどの程度の情報までは話していいか、相手がぼんやりしているのをいいことにじっくり考えてから口を開いた。
「最近よく悪い夢を見るの」
ちらっと反応をうかがう。
ベルンはちゃんと聞いているよとでも言うかのように何度か瞬きをして、目で話を続けるよう促してくる。
「その夢に出てくるところが、今日行った牢獄と凄く似ていて…」
「牢獄って、地下にあった?」
頷くと、ベルンはふーんとはっきりしない返事をする。
こらー!反応薄いぞー!
「だから、なんか眠れなくて」
眠れないって言うか、眠りたくないというほうが正しいのだが、なんとなくそれは言いづらい。夜更かしするのは私の勝手でしょと割り切ればいいのに、夕飯前にお菓子を食べてしまうような罪悪感があった。
「それって怖い夢?」
「…ちょっとね」
そう、怖くて寒い、絶望的な夢。
止まっていたつくろう手を再び動かす。ここが終わったら他に直すところもなさそうだし、次はベルンの服でも見てみようかな。
というかベルンは寝なくていいのだろうか。
「私のことは気にしないで寝ていいよ」
彼は軽く肩を竦めて、私のせっかくの好意がばかばかしいものだとでもいうように首を横に振った。
「徹夜するんでしょ。付き合うよ」
「え、なんでわかったの!?」
「寝たくないって変な体勢でさんざんぼやいていたじゃないか」
あれか、私が半スライム化していた時か。
あの時はほとんど思考が口から駄々もれしてからなぁ。
「寝そうになったら起こしてあげるよ」
「いいの?」
「どのみちリジィが起きていたら気になって眠れないよ」
なんかどんどん徹夜することに対する罪悪感が膨らんでいくような。
まぁ一人で徹夜って暇そうだなとも思っていたから、ありがたいっちゃありがたいけれど。
「眠くなったら、いつでも寝ていいからね」
「そうする」
それからゆっくりと夜は過ぎ去り、私たちはとりとめのない会話をし続けた。
不思議なことに私はまったく眠くならず、むしろ気になって眠れないとか言っていたベルンのほうが四時を過ぎたあたりからうつらうつらしだし、いまは椅子の上で器用に眠っている。
やはり何事もそつなくこなせる人間は、椅子に座った態勢を保ちながら上手に眠れるということなのか。
私としては椅子の上で器用に寝れるくらいなら、早く豆嫌いを克服してほしい。毎回食べてあげているけどね、私だってそんなに豆は好きじゃないんですよ、ええ。…まぁこれはベルンには秘密だけどね。
ベルンの浅い寝息を聞きながら、私は静かに自分にわかっていることと、わかっていないこと、それからライラに会ったら何を言おうとか、ここってけっこういい宿みたいだし朝食も期待できるなとか本当に大切なことからくだらないことまで、いろんなことを考えた。
しらじら明け、暗闇はじわじわと隅に追いやられ、家々の屋根のレンガが鱗のようにぴかぴかと光り始める。まだ完全に日が昇るまで時間はかかるが、夜の時間は明らかに終わりを告げていた。
カーンという間延びした、しかし窓越しでもはっきり聞こえる鐘の音がして音のするほうへ首を回す。右手のほう、いくつかの建物の奥に、尖塔の薄い影があった。おそらく目的の修道院か、街の鐘塔か。とにもかくにも、この鐘の音はあそこから来ているのだろう。
またもやカーンと平和ボケしたような鐘の音が街中に響く。
ベルンがもぞもぞと身じろく音がした。私が起こさずとももう何度か鐘が鳴れば起きるのだろう。
そうして、朝を迎えた。




