表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約者が悪役で困ってます  作者: 散茶
婚前旅行記
45/78

解決編1


毎日大勢に踏まれているためか、摩耗して滑らかになった石階段を上がっていきながら、看守は塔の構造を簡単に説明してくれた。

「この塔は四階まであって、上層階は比較的危険性の低い、行儀のいい囚人が収監されています。この層の囚人は先ほども申しましたとおり、一部の家具の持ち込みや、金さえ払えばシェフを雇って良い食事をすることもできます。そのかわり上は下よりもずっと冷えますからね、うっかりすると凍死しかねません」

と、凍死…。

嘆きの孤島って名前のわりに、そこまで劣悪な環境じゃないんだなぁとか思ってたらこれだよ。

「さきほどいた中層階には牢獄はなく、職員の住居スペースや、厨房、医務室。それから先ほどの面会室などがあります」

あれ、でもさっきいた二階が中層?ということは一階が下層ってことになるけど、普通はそんな分け方するだろうか。

「上層、中層、ということは下層も?」

私と同じ疑問を抱いたらしいベルンの問いかけに、よくぞ聞いてくれましたと看守は嬉しそうに答えた。

「はい。この監獄には地下があるわけです。そして囚人の半数は地下にいるというわけでして」

へぇ~。

地下まであるのか。純粋に凄いな。

あ、でも島の東側はちょっとした崖になっていたから、私が思っているよりこの島自体の標高が高いのかもしれない。

地下の牢ってやっぱりジメジメしていて、暗いのかな。

ジメジメしていて、暗くて、寒くて……。

頬を冷たく湿った空気が撫でた気がして、振り返る。

もちろんあるのは無機質な石の廊下だけ。どこかの隙間から空気が流れ出てきでもしたのか。

「地下の中でも、一番下には暗牢があって、特に危険な囚人を閉じ込めてあります」

一番下ってことは、地下も最低で二階以上あるってことか。

もしかしてこの監獄って、上じゃなくて、下がメインの建物なのか。

「いまは誰も入っていませんが、いやまぁ、酷いところですよ。自分だったら一か月も耐えられないでしょう」

どことなく囚人に同情するような調子で話し続ける看守に、それとなく相槌を打ちながら私の意識はその暗牢とやらに飛んでいた。

なんだろ…地下がもの凄く気になる。

まるで実際にその地下にある牢獄を見たことがあるかのように、想像がどんどん広がっていく。

きっとジメジメしていて、暗くて、寒いのだろう。ベッドはいまにも壊れそうで、不衛生で、なにより

「鎖につながれて過ごすなんて…」

「よくご存じですね!」

私がぽろっとこぼした言葉に、看守は驚いて目を見張った。

「囚人はみな、逃亡を防ぐためにそれぞれの部屋の杭と足枷を鎖でつないでいるんです。まぁ、当然の配慮ってやつですな」

「は、はぁ」

私、どうして鎖でつながれるなんて思ったんだろう。まるで知っていたかのような…。

けれどさっきヴィオラと話すのにかなり気を張ったというか頭を使った反動で、いま全然頭が働かない。一生懸命考えようとしても、思いついた端から忘れて行ってしまう。まるで水を必死でかき集めるような作業だ。

というか最近よく眠れていないのに、私めっちゃ頑張ってない?誰も言ってくれないから、自分で言うけどさ~。はぁ、疲れた。階段しんどい。

長い階段を上りきると、今度は入り組んだ細い廊下をあっちへこっちへと曲がる。これはちょっと案内役がいないと迷ってしまいそうだ。さすが監獄というべきか。

カツン、カツンと三人分の足音、看守の持っている鍵束のジャラジャラという耳障りな音が反響して、建物全体に響き渡っているような気がする。

私たちの足音がこんなに響くのだから、囚人のほうで耳を澄まして聞いていたりするのだろうか。そして、来訪者の存在に思いを巡らせたりするのだろうか。

そう考え始めると、妙に落ち着かない気持ちになった。さっきからどうにも想像力豊かというか、神経が過敏になっているというか。うーん…。

それとなくベルンのほうへ体を寄せてみたりするが、依然として心細さはなくならない。

ベルンはこちらの心細さを知ってか、歩調を緩めて私がくっついて歩きやすいようにしてくれた。なんてそつなく気遣いのできる男なんだ。心ときめいてしまうではないか。

「さぁ、着きました。手前の三つより奥には囚人がいますので、行かれませんように」

看守は腰につけた鍵束から一本の鍵を迷うことなく選び出し、一番の手前の牢の扉を開けた。


扉は分厚い木で、角を鉄で保護してあり、足元に開閉できる小さな鉄格子の窓がついていた。

看守に促され恐る恐る中に入ってみる。

話しに聞いていたとおり、牢の中は広々として、人の腕がやっと入るほどの幅の腰の高さから天井ほどの縦長い窓が三つ並んでいた。差し込んだ光に、きっちりと隙間なく積まれた石壁がほの白く輝いている。

試しに窓の外を覗いてみたが、細く切り取られた暗い色をした海と灰色の空しか見えない。絵画をはめ込んだようで、まるで現実味がない。

ヴィオラも今頃は自分の牢に戻って、この細長い外を見ているのだろうか。

備え付けの机とベッドはいかにも粗末で、持ち込む家具が無い場合はこれを使うのだそうだ。

安宿よりよっぽど綺麗だが、いかんせん石造りなのと周囲が海に囲まれた高台のせいで、とんでもなく寒い。寒いというより、本当に肺に入る空気までが凍っていると錯覚するほどだ。

これは本当に下手したら凍死してしまう。


しかし牢の中に入った私が最初に感じたのは、違和感だった。

ここは自分の知っているものと違う。

そんな漠然とした根拠もわからない違和感。

それに牢の壁を指先で撫でてぼんやりしているベルンを見ていると、ざわざわする。ここに彼がいることが、なんとなく不安で怖い。

なぜだろう。いままで牢獄なんて入ったこともなければ、見たことすら…。

……いや、違う。

私は知っている。


ずっと思考を邪魔していた濃い霧が、さぁっと晴れて行くようだった。

あの悪夢まがいの中で、何日も何日も、嫌になるくらい牢獄で過ごしたではないか。

どうして今まで忘れていたんだろう。

ついさっきも夢で見ていたのに!

そう、あそこはまぎれもなく牢獄だった。

ここはたしかにあの牢獄とは違うけれど、壁の石の大きさや組み方には見覚えがある。いや専門的なことはわからないから、本当に一緒なのかと聞かれると自信はないのだが、それでも一緒だという気がしてならないのだ。

そういえば、あそこはここよりも暗くて、ジメジメしていて、湿気ているというよりは、じっとりしていた。でもまだ寒さはマシだった気がする。

もしかして、

「あ、あの!」

入り口で待機していた看守に声をかけると、彼は壁に寄りかかって崩していた体勢を慌てて直す。

「何か御用で?」

「ここには暗牢があるんですよね?」

「はい。地下に」

「そこを見ることはできますか?」

看守はなぜそんなことを言うのかわからないという顔をした。

「できないことはありませんが…。正直ご婦人が行かれるような場所では」

「できるんですね」

「ええ、まぁ」

「そんなところ見てどうするの、リジィ?」

うっと言葉に詰まる。

「え、えっと…ほら!上も見たら、下も見たくならない?」

「あんまり。ここよりも楽しいところとは思えないし」

周囲を見回し、困ったようにベルンは言う。

しかしここで引き下がるつもりはなかった。

「それなら私、一人で見に行くわ。ちょこっと覗くだけでいいですから。駄目でしょうか?」

ベルンの説得は早々に諦め、看守に頼み込んでみることにする。

彼らはお互い困ったように顔を見合わせたが、あまりにも私が折れないので暗牢を見に行くことになった。





そこは石造りの小さな部屋だった。

質素なベッドと机。

地下ニ階に当たる、最下層にあるこの牢には、頭上よりはるかに高いところに申し訳程度の明り取りの窓があるくらいで、暗く寒々としている。

どこかすえたような嫌なにおいがする空気は、じっとりと過分な水気を含んでいて、へばりつくように重たい。

時折地の底から響くかのような、呻き声似たうねる風の音がして、ひどく気味が悪い。


知っている。

私はここを知っている。

膝が震え、冷や汗がぶわっと吹き出すのがわかった。

そう、ちょうどここら辺。初めて見た時、彼はこの冷たい石の上に座り込んでいた。

記憶を頼りに隅に目をやると、ちゃんとそこには足枷の鎖を繋ぎ止めるための杭がある。鎖と石のこすれる嫌な音が脳裏に蘇った。

それから幾日か経って、脱走を企てて、失敗して、このあたりで横たわっていた。

そして風邪をひいた彼は治療を拒み、このキシキシいうベッドで苦しんでいた。

知っていた。

私は、ずっとずっと知っていた。


ベルンハルトはエドウィンの暗殺を企て、失敗した時、全てを暴かれ一生孤島の監獄で幽閉されるということを。

どうして忘れていたんだろう!


フラフラと牢の中へ壁に手をつきながら入っていく。

指先が触れている壁の石は湿っていて、少し滑っていた。

地下道にも満ちていた淀んだ空気が肺の中で固まってしまったかのように、息がしづらく苦しい。

実体がない時には感じられなかった様々な感覚に圧倒されて、気を抜くと膝から力が抜けそうになる。

あまりの恐ろしさに胃がひっくり返ってしまいそうなのに、なぜだか懐かしくて泣きそうでもあった。

そう言えばあの断続的に続いていた水の音がしない。誰かが塞いだのか、それとも水なんてどこからも漏れていないのか。

ああ、彼の呼吸が聞こえない。

ここには、ベルンハルトがいない。

彼は、ここにはいない。いないのだ。

彼は、あのベルンハルトは…。


その時背後に急に人の気配が現れ、私の肩に何かが触れた。


「…っ!」

飛び上がって振り返った拍子に、ぐらりと体が傾いた。

私の肩に手を置いたベルンが、私ひっくり返らないように慌てて両肩を掴んで引き戻してくれる。

「リジィ!」

「あ、ありがとう」

激しい運動をした後のように、息があがっていた。はっはっと浅い呼吸を繰り返して、なんとか必要な酸素を取り込む。

「さっきから様子が変だ。顔色も悪いし」

「それは」

「もう出よう。ここは空気が悪い」

手を掴まれたかと思うとほとんど引きずられるようにして、私は地下道へと出た。

そのまま看守も無視してずんずんベルンは進んでいく。迷いもなく進んでいることからして、あの複雑な地下道の道順を彼はすっかり一度で覚えてしまったらしい。

私はあそこに戻りたいような、もう二度と行きたくないような、ここにベルンハルトがいないということをひどく安堵するような、がっかりしたような…。


気が付くと初めて見る部屋で、暖炉前の椅子に座らされていた。

暖炉の火にあたっているというのに、びっしょりとかいた汗が冷えて寒い。

私の氷のように冷たくなった手をベルンがさすってくれているのをじっと見つめているうちに、悪夢から現実に戻ってきたんだなというような心地になる。

戻ってくるもなにも、ずっと現実にいるはずなのに。

私の隣にはちゃんとベルンがいて、手までさすってくれているというのに。私の意識を半分あの牢獄に置いてきてしまったようだった。

温かい紅茶を手に戻ってきた看守は、ほれ見たことかというような調子で言った。

「ご婦人には少々刺激が強かったのでしょう。旦那様もご苦労なさりますな」

「いえ、珍しくどうしても見たいと言うので…」

暖炉の中でオレンジ色の炎が薪を舐め、上へ上へと伸びる様子を見つめながら私は散らばる意識を一生懸命にかき集めていた。

渡された紅茶に礼を言い、一口飲み込む。鼻から茶葉の香りが抜け、胃を中心にじんわりと温かくなる。少しだけ楽になった気がした。

そうだ、落ち着こう。

落ち着いて、ゆっくり考えよう。

もはやベルンハルトが嘆きの孤島にいたことは間違いないのだから。問題は彼が私の考えるベルンハルトであっているのかということだ。まだ私は隠しルートだったベルンハルトルートの詳細を知らないわけだし。

でもまぁ、たぶん、おそらく、私の考えは合っているのだろう。当たっていたとしても、嬉しくないのだが。


「どうする?」

「え、なにが?」

あ、やばい、全然話聞いてなかった。というか話しかけられていたことにすら気づいていなかった。

「船で港町に戻れそう?もう少し休む?」

「ああ、うん…。そうだね」

要領をえない回答にベルンはやれやれといったふうに苦笑した。

どうしようか。

もう少しここで調べるか。いや、ここで得られるものはもうない気もする。

というかさっきは離れがたくすら感じたが、すっかり落ち着いてしまったいまとなっては二度とあの暗牢には行きたくない。

「それかどうせ船に乗るなら、このまま修道院に行くっていう手もあるけど…。あそこなら具合が悪いのも診てくれるし、気持ちのいいところだと聞くし」

なるほど。

「修道院と港町って同じくらいなの?それに乗せてくれた船頭さん的には…」

「いいや。修道院のほうが遠いかな。船頭のほうは金次第でなんとかなるよ」

さっき来た時は、船酔いどころか寝こけてたくらいだし、具合が悪いと言っても精神的なものだ。

「大丈夫。修道院に行こう。…もうここにはいたくない」

なんだか一日がえらく長く感じる。

けれどまだまだこれからなのだ。

私は大きく息を吸い込み、グッと歯を噛みしめたのだった。





結局、その日のうちに修道院へ辿り着くことはできなかった。

修道院のある街の港についた時には、すでに太陽は落ちかけていたし、ベルンはとにかく私を休ませなければならないと感じているようだったからだ。

もう港についてすぐ問答無用で適当な宿に叩き込まれたあたり、最初からそのつもりだったようだ。

なんだよ~、修道院行くんじゃなかったのかよ~。無駄に気合入れちゃったよ。

とはいえ私はわりと意思の弱い人間なので、半ば強制されるとそれに従ってしまうわけでして、今日はもう休むしかないと思うと体から力が抜けてしまい、私は椅子の上で手足を放り投げてぐったりしたのだった。ちなみにベッドじゃないのは、万が一眠ってしまうのが恐ろしかったからだ。

「ちゃんと休みなよ」

「無理。今、溶けてるから」

「溶けてる…」

変に納得した様子で呟き、ベルンは波しぶきを被っていつも以上にごわつく外套をたたむ。

あ~、私も着替えないと。

着替えて、ご飯食べて、眠りたくは、ないなぁ…。眠るのは、嫌だ。絶対に嫌だー!

あ~、でもとにかく着替えないとだな…。

ダメだ。思考も溶けかけてきている気がする。

「ほら、着替えて」

「うーん」

今夜一睡もしないでいることはそう難しくはないだろう。考えることはいくらでもあるし、一晩くらいなら徹夜するくらいわけはない。

ただ明日ライラと会うときに、眠たくて頭が働かないなんてことになるのは、あまりよろしくないだろう。

でもなぁ…。

私はもう一度低く、うーんと椅子の上でグズグズになりながら唸る。

ベルンはなんだこの生き物みたいな目で私を見ていた。


書きながらまだ問題編なんじゃ…とも思ったのですが、解決編始まりました。

婚前旅行記も大詰めですが、重大なお知らせが…!

なんと本作「婚約者が悪役で困ってます」が、一迅社様より6/2刊行予定です!

加筆はもちろん、書き下ろし「ベルンハルトと夏の諸事情」(冬ではなく、なんと夏です)などなど。

もしお暇でしたら、活動報告の刊行情報に一迅社様へのリンク貼ってますので、ぜひ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ